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第三章 あやかしは清涼殿を呪いたい
一番の功労者は――
しおりを挟む次の日、帝から調子が良くなったので、訪ねてくるという知らせがあった。
待っていると、吉房は上機嫌でやってきた。
「鷹子よ。
心配かけたな。
すっかり調子がよくなったぞ。
兄者がまた呪ってくれたのだろうかな」
いや……呪われて喜ばないでください。
しかも、たぶん、東宮様が呪ってくださったおかげではないです、と鷹子は吉房の横を見る。
真横に海坊主が立っていた。
……晴明。
東宮が呪ってくれなかったのか。
東宮を呼び出して呪ってもらうのがめんどくさかったのか。
晴明は食玩のようにところてんに憑いてきた海坊主を帝にひっつけて呪いから守らせているようだった。
陰陽師でなくとも、あやかしの見える人間も居るだろうに。
こんなものをずっとつけて歩くの、どうなんだろうな。
っていうか、海坊主、海に返さなくていいのだろうか……と思う鷹子に吉房が訊いてきた。
「ところで、命婦たちはずいぶんと忙しそうだな」
いつもなら鷹子の側に控えている命婦たちが奥の方でバタバタやっているのに気づいたようだ。
「申し訳ございません。
みな、なにやら張り切っておりまして」
「張り切る?
くりーむそーだができたのか?」
そうではありません、と鷹子は几帳の向こうの彼女らを窺いながら言う。
「できたのは別のものです。
昨日、晴明が寒天を持ってきてくれたので、菓子自体は完成しているのですが。
入れ物に凝りたいらしくて。
実は、花朧殿の女御様に、
『最近、なにやらいい物を作ってるらしいじゃないの』
と言われてしまいまして」
几帳の向こうから、すみませんっ、と若い女房が謝ってくる。
女房たちはそれぞれの主人を自慢し合ったりしているらしいのだが。
どうもうっかり、此処の若い女房が花朧殿の女房にスイーツのことをしゃべってしまったようなのだ。
斎宮女御様の指示でしか作れない変わった菓子、という言い方をしたようなのだが。
それが花朧殿の女御の耳にまで入り、ざっくばらんな花朧殿の女御が鷹子に、
「私にもひとつご馳走してちょうだいよ」
と言ってきた、というわけだ。
「女御様にお分けするのはいいのですけれど。
なにせ、ハイセンス……いえ、洗練された趣味嗜好のお方。
お渡しする入れ物にも凝りたいとみなが張り切っておりまして。
中身はこれなんですけどね」
と鷹子は高杯に載せたそれをそのまま、すっと吉房に出した。
「……私にはなにも凝らないのか」
吉房は文句を言いかけたようだったが、その菓子に目を止め、声を上げる。
「ほうっ。
これは美しいっ」
キラキラした透明な鉱石のようにも見える菓子。
干琥珀だ。
鷹子が現代に居た頃、ネットで琥珀糖が流行っていたが。
あれは琥珀糖の表面を乾かしてシャリシャリにした、この干琥珀のことだった。
琥珀糖の誕生は意外に古く、江戸時代で。
当時は金玉羹と呼ばれていたらしい。
江戸にも琥珀糖と呼ばれるものがあったらしいが、それはこんな寒天菓子ではなく、卵料理だったようだ。
どんな料理だったんだろうな、と鷹子は思う。
琥珀色で甘いのだろうかと思ったとき、
「美しいな」
吉房が琥珀糖を手に取り、太陽にかざして見た。
「天草……この時代では、凝海藻って言うんですかね?
あれで作ったところてんを凍結乾燥して糸寒天にしてもらったんです」
あやかしに、と鷹子は言う。
「その糸寒天を一晩水につけたあと煮溶かし、濾して砂糖を加えました。
糸が引くまで煮詰め、水飴を入れたそれを器に流し込み、クチナシで色をつけました。
で、切ったあと、表面を乾かしてもらいまして」
あやかしに、と鷹子はまた言う。
「ほぼ、あやかしがやってないか……」
「乾かしたりするところだけですよ。
で、このきらきらした美しい琥珀色のお菓子になったわけです」
「ほう。
食べてもよいか?」
と吉房が訊いてくる。
どうぞ、と鷹子が言うと、吉房はそれをひとつ取り、口に含んだ。
「うむっ。
これは愉快な噛み心地だ。
美しいだけではないなっ」
吉房が、もうひとつと手を伸ばそうとすると、高坏の上にいつの間にやら神様が座っていた。
琥珀糖を膝に抱え、齧っている。
「神様をつまみそうになってしまったではないか……」
と吉房が文句を言ったとき、
「できましたわっ」
と命婦たちが現れた。
「どうですっ」
帝にキャンディを持って行ったときと同じ髭籠だが、中には十二単のようにカラフルな薄い和紙が重ねられ、口は同色の幾本もの紐で閉じられている。
「琥珀糖と同じ色の花も髭籠の中と紐の結び目にあしらえてみましたわ」
命婦は自信満々だが、ほほうと華やかなその花朧殿の女御への贈り物を見ていた吉房が、ん? と髭籠を覗き込んだ。
「花が二色あるではないかっ。
あっ、朱色の菓子がっ」
吉房には渡していない朱色の干琥珀があるのに気づいたようだった。
あ~、と鷹子は苦笑いする。
「すみません。
紅花とクチナシで色をつけたんですが。
紅花は高いので、ちょっとしかなくて」
「……そのちょっとしかない菓子が帝たる私ではなく、花朧殿の方に行くのはおかしくないか?」
「ま~、そこは後宮の人間関係を円滑に回すためにですね。
ほら、帝はお優しいですから」
「私も食べてはおらぬぞ、その淡い朱色の菓子はっ」
鷹子が食べさせてくれぬのじゃっ、と叫ぶ神様を見て、吉房が呆れたように言った。
「お前の中では、私どころか、神様よりも花朧殿の女御の方が上か」
いや、あの方、或る意味、誰より怖いですからね~。
下手したら、左大臣様よりも、と苦笑いしながら、鷹子は日差しに輝く干琥珀を見る。
ああ、やっぱり透き通るような青色のも欲しいな~と思いながら。
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