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0番線ホーム

殺されますよっ!

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 眩しいな……。

 乃ノ子は寝返りを打ち、目を覚ました。

 窓から差し込む眩しい朝の光。
 鳥の鳴き声。

 極普通の朝だ。

 なんだ、夢だったのか、と思いながら、乃ノ子は少し燻くすんだ白い天井を見上げていた。

 ……いや待て。
 うちの天井、こんな色じゃないぞ。

 飛び起きようとした乃ノ子は気がついた。

 隣にイチがいることに。

 同じベッドの上にイチがいた。

 立てた片膝に頬杖をつき、考えごとをしているようだった。

 慌てて乃ノ子は周囲を見回す。

 白いシーツに白い布団。

 簡素すぎて、監獄か、と思うようなシングルのベッド。

 その前にある茶色い革張りのソファだけ、やけに立派で。

 あとある家具はキッチンに近くもない場所に、唐突にあるダイニングテーブルくらいだった。

 そのダイニングテーブルの上には雑多に本やファイルが積まれていて、ノートパソコンまで置かれている。

 少々広すぎるが、仕事用デスクにしているようだった。

 ふいにイチが口を開いた。

「昨日、延々と歩きながら、このあとどうするつもりなのかなと思ってたら」

「どうするつもりって、誰がですか?」

「都市伝説」
とイチは言う。

 それだと、都市伝説って人がいるみたいだな、と思ったが。

 まあ、都市伝説って生き物みたいではあるよな、と乃ノ子も思う。

 いろんな人の意識が介在しながら、成長して、何処へともなく流れていく――。

「……いきなり途切れて目が覚めた。
 ネタ切れかな」

 そんなことをイチは呟く。

 都市伝説、ネタ切れなんてするんですか……?

 イチは、やはり、誰かがあの場所を作り上げたと考えているような気がした。

「でも結局、中田さんの作り話だったんですよね? 0番線ホームの話」

「都市伝説なんて、最初は全部作り話だ」
とイチは乱暴なまとめ方をする。

「その中に、ほんの少しの真実があったり。
 ニセモノの話が語り継がれているうちに、真実になっていったりするだけだ」

 確かに、都市伝説とは、そういうものかもしれないが……。

 ところで、私は何故、此処に……と思いながら、乃ノ子はイチを見上げて訊いた。

「あのー、此処はもしや、イチさんの――」

「うちの事務所兼住居だ」

「ということは、此処は、謎のマフィアが回覧板回してきそうな雑居ビル!」

 殺される! と思わず叫ぶと、イチが、

「その場合、誰が殺すんだ?」
と冷静に訊いてきた。

「えーと……回覧板回してきた謎のマフィアですかね?」
と乃ノ子が言ったとき、コンコンと扉を叩く音がしたが、すでに扉は開いていたようだった。

「僕は嫌ですよ、殺すの」

 回覧板手にしたマフィアが言う。

 大胆な色柄の入った赤い地のシャツに白いパンツ。

 パンツの左すその方には何故か水墨画で描かれた龍のような模様がある。

 濃いイケメンだが、目つきが只者ただものではない感じだ。

 思わず乃ノ子は身構えたが、男は、
「そもそもマフィアじゃないですから」
と言いながら、本が山積みのダイニングテーブルにその回覧板を置いた。

「前、俺の住まいは、マフィアが回覧板回してきそうな雑居ビルだと言ったのは、ただの例えだ。
 この人は、ただただファッションセンスがおかしいだけの喫茶店のマスターだ」

「イチさん~、女の子連れ込んでるときは、鍵くらいかけなよー」

 ファッションセンスがおかしい、ただの喫茶店のマスターが苦笑いして言ってくる。

「あとで食べに行くから、なにか用意しといてくれるか?
 乃ノ子、なんでもいいか?」

 え、はい、と乃ノ子が言うと、
「了解~」
と言って、マスターは階段を下りていったようだった。

 そちらを見ている間にベッドを下り、窓際に行っていたイチが下を覗いて手招きしてくる。

 いっしょに下の通りを覗くと、仕立てのいいスーツに手入れの行き届いた黒い靴を履き、颯爽と歩いている男が見えた。

「マフィアじゃないが、あれがその筋の人」

「……完全にエリートサラリーマンですね」
と駅へ向かって歩いているらしい男を乃ノ子は見る。

「この界隈かいわいをこんな時間、あんな格好で歩いてること自体がまともじゃないがな」

 そういえば、すぐそこに駅があるのに、通勤通学の人は少なく、街は静かだ。

 普通の街なら、人々が駅に向かってゾロゾロ歩いている時間帯なのに。

「っていうか、エリートサラリーマン、ゴミ持ってますね」

「ゴミの日だからな」

 マフィアだろうが、ヤクザだろうが。
 まあ、ゴミは出るよな、と妙に納得する。

「今や、マフィアもヤクザもパッと見、普通の企業なことが多いしな」

「そんで社畜とか呼ばれてたりするんでしょうかね?」

 それじゃ、普通に働いてるのと変わらないな、と去りゆくサラリーマンの背中を見ながら乃ノ子は思った。

「袖振り合っただけで、イチさんの指の一本や二本、へし折るとか、切り取るとか、そういう感じじゃないんですね、今は」

「……何故、やられるの、俺限定だ。

 暇なこと言ってないで、早くしろ。
 学校、遅れるぞ」

「そ、そういえば、朝帰りなんて、どうやって帰ったらっ」

 うちの家に転送してくれればよかったのに、都市伝説っ、と思ったが。

 自分の部屋で目覚めたら、横にイチ、というのも相当まずい気はしていた。

 イチは腕時計をしているのに、壁の時計を見、

「いつものお前ならまだ寝てる時間じゃないのか?
 下に下りて、さっさと食え。

 早く戻って、そっと部屋に戻るんだ」
と乃ノ子を急かす。



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