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0番線ホーム

新聞のスクラップ

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 友だちは陰に隠れ、乃ノ子だけが先生の教室に行った。

 上品で可愛らしい感じの先生がニコニコと出迎えてくれる。

「ごめんなさいね。
 今、レッスン中で。

 彩也子さやこちゃんは今、県外の大学に行ってるんだけど。

 彼女がいいって言ってくれたら、連絡先教えるわね。

 それが、さっきから連絡入れてるんだけど、出ないのよ~」
と言って、先生がスマホでなにかを送ったとき、塀の向こうから着信音が聞こえてきた。

 友だちがみんなと隠れている辺りだ。

「この子でしょう?」
と先生は写真と例の新聞のスクラップを見せてくれた。

「そうですっ」
 乃ノ子はそのふたつを手に取る。

 紛れもないあの友だちが制服を着て賞状と盾を手に笑顔で写っていた。

 一番上の記事だったらしく、記事の上に、ちょうど新聞の日付も残っていた。

「……六年前」

 そう乃ノ子が呟いたとき、
「せ、先生ーっ」
と叫んで、彩也子という名だったらしい友だちが飛び出してきた。

 先生もビックリしたようだが、乃ノ子の方が驚いていた。

 駆け寄ってきた友だちは顔も身長もそのままだったが、制服は着ておらず。

 柔らかな生地のキャメルのブラウスにくすんだ緑色のサロペットを着ていて、化粧までしていたからだ。

「先生ーっ」

「やだーっ、彩也子ちゃん、なんでー?
 今、あなたの話してたのよーっ」
とふたりは手を取り合い、喜び合っている。



「……大学生だったんですね」

「なんで敬語よ、乃ノ子」
と両の腰に手をやる熊川彩也子は、見た目はともかく、態度だけは、さっきまでと全然変わりなかった。

 先生の家を出たあと、もう遅くなったので紀代たちは、
「明日、詳しく話してね~」
と言って去っていった。

 もう相手の顔も見えなくなりそうなほど、日は落ちていた。

 こうなると、高校生だろうが、大学生だろうが、あんまり見えないので、どうでもいいな、と住宅街の道で乃ノ子は思う。

「行方不明になった高校生の話って聞かないなあと思ってたんですよね~。
 大学生なら、ちょっとの間、姿消してても、どっか旅行にでも行ったのかなと思われるだけですよね」

 この友だちが、いつからあそこにいたのか知らないが、と思いながら、乃ノ子は言ったが。

「……あんた、大学生舐めてんの?
 バイト先から、ものすごい数の電話とメッセージが入ってんだけど」
と睨まれる。

 なんだかわからないけど、とりあえず、実家に帰る、と彩也子は言った。

「……今こそ、現実から逃亡したい感じだけどね」
と呟いたあとで、

「おっとっ。
 連絡先、ちゃんとこの世界で交換して」
と彩也子はスマホを出してくる。

 それは、あの空間で彼女が持っていたものとは違っていた。

 あれは高校のとき彼女が持っていたスマホだったのかもしれないなと思う。

 連絡先を交換したあとで、乃ノ子はスマホの画面を見ながら言った。

「すごいチャラついた女子大生って感じのアイコンでホッとします」

 彩也子のアイコンは、本人が海に向かって叫んでいるという、よくある感じの後ろ姿なのだが。

 これでもかというくらいキラキラの加工が加えられていた。

「だから、あんた、女子大生めてんのっ」
と両の拳でこめかみをグリグリされてしまう。

 いや、なんか普通っぽくてホッとしただけだ。

「まあ、また連絡するよ。
 なんで、あそこに私がいたのかわからないけど」

 じゃあ、また、と送った駅で手を振り、彩也子は去っていく。

「……不思議なもんですね」

 加工されてキラキラしていない、落ち着いたその後ろ姿を見ながら乃ノ子は言った。

 ん? とイチが訊き返してくる。

「今まで、ふんわりとした『トモダチ』というものでしかなかった彼女が。

 熊川彩也子って名前がついた途端、実在している人間になった。

 でも、……トモダチのままでも結構好きだったんですけどね」

 そうか、と言いながら、イチは彼女の消えた改札の方を見ていた。

「考えてみれば、そんなに長い間じゃなかったですもんね、あのトモダチがあそこにいたの」

「そうだな。
 彼女の現実の時間の流れの中では、ちょっと旅行に行ってた、くらいの期間だったんだろう。

 でもよかったのか?」
とイチが振り向き、訊いてきた。

「え?」

「不思議なことっていうのは実は日常的に起こっている。
 だが、みんな自分の中で上手い具合に理由づけして、折り合いをつけて。

 日々の暮らしに紛れこませてるんだ。

 あのトモダチもすべてを忘れて、普通の生活に戻っていくかもしれない。

 ……あっさり戻してしまってよかったのか?

 あいつの都市伝説『自動販売機の前のトモダチ』
 真相、わからなくなるかもしれないぞ」

「いやいや。
 都市伝説集めてるの、私じゃなくてイチさんですからね」

 でもそういえば、あのトモダチがジュンペイさんのアプリを私のスマホに入れさせたことがすべてのはじまりだったな、と思い出す。

「帰るか」
と言うイチとふたりでタクシーに乗り込んだ。

 明るい駅の方を乃ノ子は振り返る。

 イチさん、わからなくなったのは、自動販売機のトモダチだけじゃないかもしれませんよ。

『夕方5時ごろ、救急車の赤い光を学校近くの交差点で見ると、知らない間に悲鳴を上げてしまう』

 そんな彩也子の話を思い出したとき、
「日原~っ」
と叫ぶイチの声が聞こえてきた。

 あの迷子の新米ドライバー、日原だった。

「ひっ、イチさんっ」
 日原は発進しながらも怯える。

「す、すみませんっ。
 まだ先輩たちに美味しい店訊いてませんっ」

「その件じゃない。
 中田に適当な作り話を広めるなと言っておけ」

「中田さんが広めたわけじゃないじゃないですか」

 乃ノ子は苦笑いして、フォローを入れる。

「まさかこんなことになるとは中田さんも思わなかったでしょうよ。
 中田さん、いい人ですよ」

 だが、中田が酔っ払いのために作った0番線の話は、此処ではない何処かへ行きたい人々の心を揺さぶり、ホンモノの0番線ホームを作ってしまった。

 乃ノ子はまた振り返る。

 明るい駅の前を行き交う人々の中にもう彩也子の姿はない。

「無事に帰れてますかね?」

 さあな、と素っ気なく言ったあとで、イチは、
「まあ……0番線の電車に乗ってなきゃな」
と付け加えていた。


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