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暁の静 漆黒の乃ノ子 ~大正時代編~
静お嬢様は駆け落ちなさいました
しおりを挟む「静お嬢様は駆け落ちなさいました」
……は?
唐突に言われたその言葉に、乃ノ子はマヌケ顔で、そう訊き返していた。
静の暮らした家は、そういえば、こっち側には来たことがない、と思う駅裏の高級住宅街に今もあった。
家を継いだ静の弟の子孫は今は海外に住んでいて、この家は普段は、雇われた家政婦が戸を開けに来ているだけということだった。
近所に聞き込みをしたところ、静の家の奉公人の妹というおばあさんが近くに住んでいるというので、ジュンペイと訪ねてみたのだが。
そのおばあさん、政代さんは、静のことを訊くと、すぐにそう言った。
「静お嬢様は駆け落ちなさったと。
確か、兄はそう言っておりました」
「だ、誰とですか?」
「さあ、それがよく……。
なにぶんにも、その頃私はまだ小さくて。
一度、街で出会って、飴を買っていただいたことがあるのですが。
飴の記憶はハッキリ残っているのですが、静お嬢様の記憶はあまりなくて」
そんなもんですよね、幼児……。
「とても綺麗な人だった気はするんですけどね」
と言うふんわりした話を聞いた。
帰り道、乃ノ子は言う。
「あのおばあさま、あのお年でまだスイミングや卓球に通われてるんですね」
ジュンペイが笑い、
「静さんの駆け落ちより、そっちがインパクト?」
と言った。
いや、なんとなくなんだが……。
なんとなくなんだが、聞く前から、そんな気がしていたのだ。
まあ、自分の中には、すべての記憶があるので、わかっていて当然といえば、当然なのだが。
「ジュンペイさん、驚かなかったけど、知ってたの?」
「うん、覚えてたから。
でも、自分の耳で聞いた方がいいかなと思って」
僕は結構覚えてるけど、君はほんとうに全然覚えてないよね、と言って、ジュンペイは笑う。
「前世で余程、嫌なことでもあったのかな?」
「怖いこと言わないでくださいよ~」
と言う乃ノ子と踏切で止まったジュンペイは言う。
「じゃあ、思い出さないこれも嫌なことのひとつなのかな」
「え?」
カンカンカンカンという踏切の音で、ジュンペイの声がよく聞こえない。
「君が逃げ出してしまった、君の結婚相手の名前……」
ガーッと電車が入ってきて、なにも聞こえなくなったが、その口の動きだけで、乃ノ子には読み取れた。
「ニノマエ ジュンイチ」
ああ、そう。
これも最初から知っていたから。
だから、聞こえなくてもわかったんだ――。
夕陽に染まる白いジュンペイの顔を見上げながら、乃ノ子はぼんやり、そう思った。
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