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暁の静 漆黒の乃ノ子 ~大正時代編~
今度は、好きにはならないだろう
しおりを挟む今度は、好きにはならないだろう。
そう毎度言っている気がする――。
イチは昔から変わらぬおのれの顔を洗面所の鏡で見ていた。
乃ノ子め。
なんで都市伝説じゃなくて、静のことなんか調べてるんだ、と思いながら、手にしていたタオルを棚に置く。
すると、乃ノ子からメッセージが入ってきた。
「大正時代の料理を書き残したノートを探してたのに、その話訊かないまま帰ってきちゃいました」
……なにをやってるんだか、と思いながら、
「少しなら思い出せるから、俺が書いてやる」
と言うと、
「ありがとうございます」
と乃ノ子は返してきた。
イチとのメッセージのやりとりを終えたあと、乃ノ子は疲れもあって、夕食の前に、うとうとしてしまう。
夢の中、静は春江の家の洋室とよく似た部屋に居た。
部屋の隅にある古い蓄音器やアンティークな縦長の大きな窓のせいで、そう思うのかもしれないが。
「正式な顔合わせの前に、ちょっと会っておくだけだから」
そう父親には言われた。
いや、今日、顔を合わせたら、もうそれでいいのでは、と思ったが、そういうわけにもいかないのだろう。
この結婚も家のためだし。
まあ、いろいろと難儀なことだな……と他人事のように思いながら、静はレコードを聴いていた。
それにしても、どんな人なんだろうな、私の旦那様になる人は、と思ったとき、その男が来たらしく、部屋の外に居た親たちが出迎えていた。
「やあ、よく来てくれたね、潤一くん」
まあ、よくある名前だよな……と思っていたのだが、父に連れられ、現れたのは、一潤一、その人だった。
書生のような姿ではなく、ちゃんとしたスーツを着ている。
そうしていると、ちょっと壱と似てみえた。
「……初めまして、静さん」
悪びれもせずそう言って潤一は笑ってみせた。
「潤一さん、知ってたんですか~っ」
二人きりにされたところで、静は潤一に向かい、そう叫んだ。
「いやー、知ってはいたけどねー。
この話、進まないだろうなと思ってたんだよね。
ほら、いつまでも学生気分でフラフラしているような男とはね」
いつもの口調で潤一は言う。
「最初、君と話が進んでたのは、うちの従兄弟だったんだけどね。
他の女性と駆け落ちしてでも結婚するって言い出して――」
……なんでだろうな。
その人と話が進んでたことも知らなかったし。
一度も会ったこともないし、興味もないのに。
私がフラれたかのように感じてしまうんだが。
被害妄想だろうか……。
「で、うちに話が回ってきたってわけ。
本当なら長男が受けるところなんだろうけど。
ほら、うちの兄貴は居るのか居ないのかわからない人だから」
と潤一は笑う。
「因果なもんだよね~。
僕より先に、その居るのか居ないのかわからない兄貴に出会うだなんてさ」
そんな夢を見た次の日の放課後。
乃ノ子はイチの事務所を訪ねてみた。
この世に居るのか居ないのかわからないイチだが、事務所には普通に居た。
「だから、余計なことをつっつくなと言ったんだ。
くだらないこと思い出しやがって」
と横柄にソファに座るイチが言う。
いや……つっついたのは、私じゃなくて、おばあちゃんなんですけどね、と思っていると、イチは、
「ほら」
とシンプルな色柄のノートを投げてくる。
「思い出せるだけ書いてみた」
というそこには、昔、イチが好きだった屋台の蕎麦とか。
喫茶店のメニューとかが絵付きで描いてあった。
「イチさんって、ほんとはお坊っちゃんだったんですよね? 当時も。
そのわりに素朴なメニューばっかりですね」
ちょっと微笑ましく感じ、笑って乃ノ子が言うと、
「そういうのの方が好きだったんだろ」
と素っ気なくイチは言う。
「……その先、思い出したのか」
と少し窺うようにこちらを見ながら、イチは訊いてくる。
「はい」
と乃ノ子は答えた。
見たから、此処へ来てみたのだ。
今の自分の気持ちを知りたくて――。
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