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終章 色のない花火

霊たちの行く末

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「あんた、帰るところはないんだろう」

 道信は那津にそう言った。

「息子は寺に逃げたが、その寺にも居られなくなって、また逃げたと確か妹が手紙に書いていた」

 母の実家のことはよく知らない。

 那津の母は、とある人物と恋に落ち、家を出た。

 実家とは縁を切り、母はその男とひっそり暮らしていた。

「あんたの顔、妹によく似ている。
 妹も忠信もうちのばあさんに似てるから。

 だから、あんたと忠信は似てるんだろう。

 だけど、よく見ると、やっぱり……

 あんたはあの男に似ているよ」

 妹を連れ去った日陰者、と道信は言う。

「いっそ、江戸に居た方が安全か。

 たくさんの人に紛れるもんな。

 その顔、晒して歩いたところで、その辺の連中も旗本も、

 ……普通の大名でさえ、気づかない」

 誰も顔なんてまともに拝んだことないもんな、と道信は言う。

「だから、妹もあの男が何者なのか気づかなかったのさ」

 おっと雨だね、と道信は空を見上げた。

 一気に曇った空から僅かに雨のしずくが落ちていた。

「そんなあんたに、こんなことを頼むのも酷かもしれないが。

 あんたにとっても悪い話じゃないだろう。

 あんたが忠信を演じてる間は、例え、あんたが誰に似てても、誰もあんたを疑わない」

 じゃあな、那津と言って道信は去っていった。

 空を見上げる。

 しばらく天気は荒れそうだった。

 咲夜も町には出てこないかな、と那津は思った。




 なにか落ち着かない気持ちになった那津は、雨の中、扇花屋に行った。

 咲夜のお陰で明野の件に上手くけりがついたからか。

 左衛門は機嫌が良く、階段下に居た那津に、

「ああ、手が空いたら、布団部屋の霊も始末してくれると助かりますが。
 あの部屋に入るのが気持ち悪くてねえ」

 金は払いますよ、と言ってきた。

 いや、お仕置き部屋として使ってる限り、どのみちまた、新たな霊が生まれると思うが、と思ったとき、真横に誰か立っているのに気がついた。

 咲夜そっくりの女だが、その瞳は彼女のように穏やかではない。

「明野……?」

 霊となっても華やかに装っているその女に那津は呼びかける。

「いつまで此処で祟り続けるつもりだ?
 此処や俺のところに居ないで、隆次のところにでも行ってみたらどうだ?」

 そう言ってみたが、嫌よ、と言われる。

 遊女の恋が偽物であるように。

 男からの愛情も此処では本物とは限らない。

 隆次は明野を本気で思っていたように見えるのに。

 何故、彼の許に明野が行かないのか、ずっと不思議に思っていた。

「見惚れてたからよ、あの男が」

 思いのほかハッキリと明野の声は聞こえてきた。

「見惚れてたからよ、桧山に。
 私が足許で死んでるのに。

 ……あの人が私を愛してくれていたことを疑っているわけではないわ。

 だからこそ、転がってる私より、桧山に視線を奪われたことに腹が立ったのよ」

 明野は今は桧山の居ない階段上を睨んで言う。

「だから、もうちょっと呪うわ」

 じゃあね、那津、と言って明野は消えた。

 呪うわ、と言ってはいたが、特になにかをしそうには見えなかった。

 明野にはわかっているからだ。

 自分がなにもしなくとも、桧山はやがて頂点から落ちていくと。

 だから、静かに見守っているのだ。

 生き永らえていたら、それが自分の未来だったかもしれないと想像しながら。

 彼女はきっとこれからも此処に居る。

 桧山を呪い、

   桧山に寄り添いながら――。


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