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雑木林の骨
俺は静かに本を読みたいんだっ
しおりを挟む木々に遮られた陽が程よく差し込むカフェ、『猫町3番地』。
カウンターに座る宝生将生は何処か懐かしいコーヒーサイフォンの音を聞きながら、文庫本を読んでいた。
香り高い珈琲の香りとともに、耳にやさしく響く女店主の声が流れてくる。
「そういえば、そこの港で両手首を縛られた男女の死体が上がったそうですね」
この店は、店内の壁のほとんどがガラス張りだが、周りを木々に囲まれているので、あまり眩しくなく、涼やかな感じだ。
客層も落ち着いていて、珈琲の香りを嗅ぎながら、読書が出来る……。
「本当に心中なんですかね~?」
……至福の時間……。
「殺しておいて、縛ったら、後から見てわかりますよね。
生きてるうちでも、無理やりだと暴れて痕が残るかも。
でも、眠っている間とかだったら――。
ああいや、運んでるとき、目を覚ますかー。
やっぱり、薬を盛るしかないですかね?
でも、それだと解剖したときにわかっちゃいますよねー」
「雨宮……」
将生は思わず、読みかけていた本を閉じた。
カウンターの向こうに居る若い女性店主、雨宮琳を睨む。
「俺は静かに本を読みたいんだっ。
何故、お前の推理を聞かされるっ?
此処は職場かっ?
だいたい、守秘義務があるから、俺に訊かれても話せないと言ってるだろうがっ」
いやだなあ、と琳は笑って、言ってきた。
「だから、佐久間さんには話さないですよ」
佐久間と言うのは自分と同じく、此処の常連の刑事だ。
中肉中背、特に特徴もないが、笑った顔が印象的な男だ。
監察医なので、仕事柄、よく顔を合わせる。
「俺相手でも、同じことだっ」
「いやー、答えは要求してないですよー。
ひとり呟いているというか」
そう、しれっとした顔で、琳は言ってきた。
だが、気になるだろうがっ。
本読んでいる頭の上で言われるとっ!
雨宮琳とは本の趣味が合うので、よく貸し借りをしているのだが。
まあ、ほとんどミステリーだ。
というか、初めてこの店に入った日――。
「いらっしゃいませ」
木漏れ日の差し込むカフェ。
長い髪の美しい女店主。
店内の落ち着いた雰囲気も気に入ったし、たまの休みや仕事帰りに寄るのにいい店だ。
そう思ったのに……。
「そういえば、この間近くの線路で――」
「雨宮。
俺の珈琲はまだか……」
低い声で問うと、ああ、はいはい、と笑いながら、琳はサイフォンから注いでくれる。
……お前、忘れてただろ。
お気に入りのこのカフェにも、ひとつ、困ったことがある。
この女店主、ちょっと度が過ぎたミステリーマニアなのだ。
ゆったりとしたこの店内に、心和む笑顔で、殺伐とした話題を振りまいてくれるこの女は、自らの推理を聞かせるために、自分や佐久間が来るのを手ぐすね引いて待っている。
それがわかっているのに、此処に通っているのは、佐久間はこの女目当てのようだが、自分は違う。
あくまでも、この店の雰囲気が好きなのだ、と将生は思っていた。
「たまの休みにゆっくりしてるのに、職場と同じような話を聞かされると落ち着かないだろうが」
本を閉じ、そう訴えたが、琳は、
「あら?
和みませんか?」
と素敵な笑顔で言ってくる。
「人間って、普段と同じようなものを見たり聞いたりすると、なんかホッとするじゃないですか。
旅先で、いつも行くのと同じ系列のガソリンスタンドや、ファミレス見たときみたいに」
待て。
此処は旅先じゃない……と将生が思ったそのとき、ガシャンと入り口の扉が開いた。
「琳さーん」
と日曜なので、その辺で遊び倒していたらしい子どもたちがスケートボードやサッカーボールを手にわらわらと入ってくる。
「琳さん、死体見つけたー」
と言いながら、子どもたちは、手のひらに載せた白い骨のようなものを見せてきた。
「ええー。
大変ねえ、見せてー」
……どんな会話だよ。
「死体見つけたら教えてって言ってたよね」
……だから、どんな会話だよ。
どうせ、犬の骨かなにかだろうと思って、将生は近くに来た子どもの手にあるそれを見る。
案の定、犬の下顎骨だった。
「犬だな」
「犬ですねえ」
多少は知識があるのか、琳もそう呟いている。
「何処にあったの?」
「そこの雑木林」
子どもたちはカフェの後ろの林を指差した。
「転んだとき、スケートボードの先が引っかかって、骨が飛んで出てきたんだよ」
「俺の頭に当たってびっくりしたー」
と一人が笑う。
「どの辺で見つけたの?」
と訊いた琳に、子どもの一人が、
「道のすぐ横」
と言うと、琳は小首を傾げていた。
「出てきたの、これだけ?」
「ううん。
これだけ外れてたから。
なんか他にも骨あったけど、ちょっと怖いからそのままにしてある」
そこに遅れて、もう一人、少年が入ってきた。
「琳さん、首輪もあったよー」
その手には、赤く小振りな首輪がある。
「すぐ近くに埋めてあったよ」
とその少年が言うと、窓際の席で、静かに座って珈琲を飲んでいた淡い色の髪の若い男が、ひょい、と覗き、
「ああ、ドイツのHUNTERの首輪だね。
いい革だから、結構するよ、これ」
と言ったあとで、琳に会計してもらい、フラッと出て行った。
そういえば、ブランド名らしき、小さなプレートがついてるな。
うちの実家の、たまに帰ると俺を泥棒と間違えて、莫迦みたいに吠える犬なんて、本革なのに、何故か千円ポッキリの首輪とかしかつけてないんだが……と思いながら、
「あの男、たまに見るな」
と窓際の席で、よく英字新聞を読んでいる今の男を振り返っていると、
「そうですね。
よく来てらっしゃいますよ。
そこの雑木林とかをぼんやり見てらっしゃったり、宝生さんみたいに、本読んでらっしゃったり」
と琳は言う。
「……まさか、お前目当てに通ってるとか?」
あはは、そんなお客さん、居ませんよ~と琳は呑気に笑っている。
居るぞ、そこの署にとりあえず……と将生は佐久間を思い浮かべた。
「それに、あの方、奥さんいらっしゃるみたいですよ」
という琳の言葉を聞きながら、外を見る。
窓の外の藤棚のような棚にトケイソウのツルが這わせてある。
その淡い紫の花越しに、今、出て行った男の姿を捉えた。
さっき新聞と一緒に持っていた封筒。
大学の名前が入ってたように見えたが、講師か准教授とかなのだろうか?
喫茶店ってところは、いろんな奴が来るもんだな、と思う。
まあ、琳からしたら、自分もそのいろんな奴のひとりなのだろうが。
カウンターの上、将生の珈琲の横に置かれた首輪と骨を見ていた琳は顔を上げ、店内を見回した。
自分以外は、あとは老夫婦くらいしか客は居ない。
ちょっと落ち着かない風な琳に気づき、日の差し込む窓際に座っていたおじいさんが笑って言う。
「行ってきなよ、琳ちゃん」
連れのおばあさんも笑って頷いた。
「そ、そうですか?
では、ちょっと」
と言って、琳はいそいそとエプロンを外すと、
「じゃ、宝生さんは、みんなと一緒に先に行っててください」
と言って、奥へと入って行ってしまった。
……おい、待て。
いつの間に、俺も行くことになってんだ? と思っている間に、子どもたちに両脇から腕をつかまれる。
「おじさん、早くー」
「誰がおじさんだ。
俺はたぶん、お前のお父さんより、ずいぶん若いぞ」
小学校高学年らしいその少年に向かって言うと、
「でも、うちのお父さん、めっちゃ若いよー。
元ヤンだからー」
と少年は笑って言う。
いや……ヤンキーだから、結婚早いってわけでもないだろうが。
などと考えている間に、護送される犯人のように引きずられて行った。
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