ここは猫町3番地の1 ~雑木林の骨~

菱沼あゆ

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雑木林の骨

俺は静かに本を読みたいんだっ

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 木々に遮られた陽が程よく差し込むカフェ、『猫町3番地』。

 カウンターに座る宝生将生ほうじょう まさきは何処か懐かしいコーヒーサイフォンの音を聞きながら、文庫本を読んでいた。

 香り高い珈琲の香りとともに、耳にやさしく響く女店主の声が流れてくる。

「そういえば、そこの港で両手首を縛られた男女の死体が上がったそうですね」

 この店は、店内の壁のほとんどがガラス張りだが、周りを木々に囲まれているので、あまり眩しくなく、涼やかな感じだ。

 客層も落ち着いていて、珈琲の香りを嗅ぎながら、読書が出来る……。

「本当に心中なんですかね~?」

 ……至福の時間……。

「殺しておいて、縛ったら、後から見てわかりますよね。
 生きてるうちでも、無理やりだと暴れて痕が残るかも。

 でも、眠っている間とかだったら――。

 ああいや、運んでるとき、目を覚ますかー。

 やっぱり、薬を盛るしかないですかね?

 でも、それだと解剖したときにわかっちゃいますよねー」

雨宮あまみや……」

 将生は思わず、読みかけていた本を閉じた。

 カウンターの向こうに居る若い女性店主、雨宮琳あまみや りんを睨む。

「俺は静かに本を読みたいんだっ。
 何故、お前の推理を聞かされるっ?

 此処は職場かっ?
 だいたい、守秘義務があるから、俺に訊かれても話せないと言ってるだろうがっ」

 いやだなあ、と琳は笑って、言ってきた。

「だから、佐久間さんには話さないですよ」

 佐久間と言うのは自分と同じく、此処の常連の刑事だ。

 中肉中背、特に特徴もないが、笑った顔が印象的な男だ。

 監察医なので、仕事柄、よく顔を合わせる。

「俺相手でも、同じことだっ」

「いやー、答えは要求してないですよー。
 ひとり呟いているというか」

 そう、しれっとした顔で、琳は言ってきた。

 だが、気になるだろうがっ。
 本読んでいる頭の上で言われるとっ!

 雨宮琳とは本の趣味が合うので、よく貸し借りをしているのだが。

 まあ、ほとんどミステリーだ。

 というか、初めてこの店に入った日――。

「いらっしゃいませ」

 木漏れ日の差し込むカフェ。

 長い髪の美しい女店主。

 店内の落ち着いた雰囲気も気に入ったし、たまの休みや仕事帰りに寄るのにいい店だ。

 そう思ったのに……。

「そういえば、この間近くの線路で――」

「雨宮。
 俺の珈琲はまだか……」

 低い声で問うと、ああ、はいはい、と笑いながら、琳はサイフォンから注いでくれる。

 ……お前、忘れてただろ。

 お気に入りのこのカフェにも、ひとつ、困ったことがある。

 この女店主、ちょっと度が過ぎたミステリーマニアなのだ。

 ゆったりとしたこの店内に、心和む笑顔で、殺伐とした話題を振りまいてくれるこの女は、自らの推理を聞かせるために、自分や佐久間が来るのを手ぐすね引いて待っている。

 それがわかっているのに、此処に通っているのは、佐久間はこの女目当てのようだが、自分は違う。

 あくまでも、この店の雰囲気が好きなのだ、と将生は思っていた。

「たまの休みにゆっくりしてるのに、職場と同じような話を聞かされると落ち着かないだろうが」

 本を閉じ、そう訴えたが、琳は、
「あら?
 和みませんか?」
と素敵な笑顔で言ってくる。

「人間って、普段と同じようなものを見たり聞いたりすると、なんかホッとするじゃないですか。

 旅先で、いつも行くのと同じ系列のガソリンスタンドや、ファミレス見たときみたいに」

 待て。
 此処は旅先じゃない……と将生が思ったそのとき、ガシャンと入り口の扉が開いた。

「琳さーん」
と日曜なので、その辺で遊び倒していたらしい子どもたちがスケートボードやサッカーボールを手にわらわらと入ってくる。

「琳さん、死体見つけたー」
と言いながら、子どもたちは、手のひらに載せた白い骨のようなものを見せてきた。

「ええー。
 大変ねえ、見せてー」

 ……どんな会話だよ。

「死体見つけたら教えてって言ってたよね」

 ……だから、どんな会話だよ。

 どうせ、犬の骨かなにかだろうと思って、将生は近くに来た子どもの手にあるそれを見る。

 案の定、犬の下顎骨かがくこつだった。

「犬だな」

「犬ですねえ」

 多少は知識があるのか、琳もそう呟いている。

「何処にあったの?」

「そこの雑木林」

 子どもたちはカフェの後ろの林を指差した。

「転んだとき、スケートボードの先が引っかかって、骨が飛んで出てきたんだよ」

「俺の頭に当たってびっくりしたー」
と一人が笑う。

「どの辺で見つけたの?」
と訊いた琳に、子どもの一人が、

「道のすぐ横」
と言うと、琳は小首を傾げていた。

「出てきたの、これだけ?」

「ううん。
 これだけ外れてたから。

 なんか他にも骨あったけど、ちょっと怖いからそのままにしてある」

 そこに遅れて、もう一人、少年が入ってきた。

「琳さん、首輪もあったよー」

 その手には、赤く小振りな首輪がある。

「すぐ近くに埋めてあったよ」
とその少年が言うと、窓際の席で、静かに座って珈琲を飲んでいた淡い色の髪の若い男が、ひょい、と覗き、

「ああ、ドイツのHUNTERの首輪だね。
 いい革だから、結構するよ、これ」
と言ったあとで、琳に会計してもらい、フラッと出て行った。

 そういえば、ブランド名らしき、小さなプレートがついてるな。

 うちの実家の、たまに帰ると俺を泥棒と間違えて、莫迦みたいに吠える犬なんて、本革なのに、何故か千円ポッキリの首輪とかしかつけてないんだが……と思いながら、

「あの男、たまに見るな」
と窓際の席で、よく英字新聞を読んでいる今の男を振り返っていると、

「そうですね。
 よく来てらっしゃいますよ。

 そこの雑木林とかをぼんやり見てらっしゃったり、宝生さんみたいに、本読んでらっしゃったり」
と琳は言う。

「……まさか、お前目当てに通ってるとか?」

 あはは、そんなお客さん、居ませんよ~と琳は呑気に笑っている。

 居るぞ、そこの署にとりあえず……と将生は佐久間を思い浮かべた。

「それに、あの方、奥さんいらっしゃるみたいですよ」
という琳の言葉を聞きながら、外を見る。

 窓の外の藤棚のような棚にトケイソウのツルが這わせてある。

 その淡い紫の花越しに、今、出て行った男の姿を捉えた。

 さっき新聞と一緒に持っていた封筒。

 大学の名前が入ってたように見えたが、講師か准教授とかなのだろうか?

 喫茶店ってところは、いろんな奴が来るもんだな、と思う。

 まあ、琳からしたら、自分もそのいろんな奴のひとりなのだろうが。

 カウンターの上、将生の珈琲の横に置かれた首輪と骨を見ていた琳は顔を上げ、店内を見回した。

 自分以外は、あとは老夫婦くらいしか客は居ない。

 ちょっと落ち着かない風な琳に気づき、日の差し込む窓際に座っていたおじいさんが笑って言う。

「行ってきなよ、琳ちゃん」

 連れのおばあさんも笑って頷いた。

「そ、そうですか?
 では、ちょっと」
と言って、琳はいそいそとエプロンを外すと、

「じゃ、宝生さんは、みんなと一緒に先に行っててください」
と言って、奥へと入って行ってしまった。

 ……おい、待て。
 いつの間に、俺も行くことになってんだ? と思っている間に、子どもたちに両脇から腕をつかまれる。

「おじさん、早くー」

「誰がおじさんだ。
 俺はたぶん、お前のお父さんより、ずいぶん若いぞ」

 小学校高学年らしいその少年に向かって言うと、
「でも、うちのお父さん、めっちゃ若いよー。
 元ヤンだからー」
と少年は笑って言う。

 いや……ヤンキーだから、結婚早いってわけでもないだろうが。

 などと考えている間に、護送される犯人のように引きずられて行った。

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