先生、それ事件じゃありません３

先生、事件ですっ！

ついに、津和野に行きますっ

　

　体育祭から二週間。

　あの困った探偵はやっぱりまだ萩に居た。

　体育祭の次の日、津和野に向かって出発しようとしたのだが、桂が本社に提出する報告書を出し忘れていたことが判明し、月曜までに作成することになって出掛けられなかった。

　……そういえば、先生の事務所、チェーン店みたいなもんだったな、とその日、母親からの差し入れの夕食を持っていきながら、夏巳は思っていた。

　そして、翌週は夏巳が友人たちと約束していたので、その次の日曜日、ようやく、出発することになったのだが――。

「さあ、いよいよ津和野だな。
　車も磨いておいたぞ、夏巳」
と事務所の駐車場で桂は言う。

　桂が迎えに来ると、父、寛太かんたと一揉ひともめしそうだったので、此処を待ち合わせ場所にしてもらったのだ。

　しかし、まるで私のために磨いてくれたような口ぶりだが。

　どっちかと言うと、津和野様のために磨いたんだろうな。

　朝の光に輝く深緑色のローバー MINIを見ながら夏巳は思う。

　あと、『いよいよ』の意味が気になるな……。

　いよいよ、津和野に行ける？

　いよいよ、殺人事件が起きる？

　後者な気がするんだが。

　不謹慎極まりないな、この探偵……と夏巳は実に機嫌のいい、桂の美しい横顔を見た。

　先生……。
　いつも萩津和野で殺人事件が起こってるわけじゃないですからね。

　っていうか、萩でも殺人事件が起こってないと、萩津和野殺人事件にはならない気がするんですが……。

　そう思ってはいたのだが、せっかく楽しそうなのに水を差しても悪いと思い、黙っていた。

　あー、でも、二人きりで車で出かけるとか緊張しちゃうな～と夏巳が思ったとき、
「そうだ、夏巳。
　帰りに、これを持って帰って、お母さんに渡してくれ」
と桂はいきなりビニール袋に入ったパンの耳を差し出してきた。

「……なんですか？　これ」

「パンの耳でハンバーグやラスクができるのよ、とこの間、スーパーで出会ったときにお母さんが言ってらしたから、お裾分《すそわ》けだ」

　なんだろう。

　スーパーのパン屋のパンの耳なんだろうが。

　先生が差し出してくると、ホテルの一流シェフが切ったパンの耳に見えてくるんだが。

　いやまあ、誰が切っても、パンの耳はパンの耳なんだが。

　先生が持つと、急に高級感が漂って神々しくなるというか。

　おばあさまがフランス人だと伺ったが、さぞかし美しい人なんだろうな、と桂のちょっと日本人離れした、透明感のある彫りの深い顔を見ながら思う。

「さあ、乗れ、夏巳」
と桂が助手席のドアを開けてくれた。

「あ、ありがとうございます」

　王子様が馬車の扉を開けてくれる感じだが。

　普通、王子は馬車の扉を開けないし。

　この王子は何故か手にパンの耳を持っている――。

　そんなこんなでようやく運転席に乗り込んだ桂はナビを津和野に合わせていた。

「ナビあったんですか、この車」

「此処に越してくる前につけたんだ」

「そんなお金はあるんですか」

「莫迦だな、ナビがなければ萩になんて辿たどり着けないだろ？」

　……いや、萩の人を代表して殴りますよ、と思う夏巳の横で、桂は、

「よし、津和野……太鼓谷稲荷あたりがちょうどいいだろう」
と言いながら、目的地を設定している。

　なにがどのようにちょうどいいのか気になりますが……と思ったとき、誰かが叫ぶのが聞こえてきた。

「桂先生っ」

　見ると、夏巳の学校の事務員、殺されそうで殺されなかった平川ひらかわがスマホを手に駆けてきた。