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#3-①
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皇帝の半ば強引な要求を受けて数週間が経ち、約束の朝の公爵邸はバタバタと騒がしかった。
「お美しいですわ! 公女様。きっと美の女神も嫉妬なさるでしょうね」
アーシェンの支度を終えた侍女のひとりは、目を輝かせて言う。
「あら、それは女神様に対して不敬よ。褒めてくれるのはありがたいけど、言葉は選びなさい」
「も、申し訳ございません…」
頭を下げる侍女を横目に、アーシェンはふう、とため息をついた。
「お疲れですか?」目ざといシュートはそっと声をかける。
専属の護衛騎士として、正装に着替え済だ。動きやすさを重視したその服装は、白を基調として優雅な刺繍には金糸をふんだんに使っている。ひらひらとしたものを嫌うシュートの為に最大限、装飾を省いた仕様ではあるが、それでも肩は凝るらしく、シュートは自らの肩をもんでいた。
「疲れているのはシュートの方ではなくて? そんなにきついかしら?」
「お嬢、今日ばかりは心から尊敬いたします。俺だったら、こんなの毎日は耐えられませんから」
「あら、いつもは違って?」
「…。…言葉の誤です。失礼しました」
「ふふ、気にしなくていいわ。それよりも、」
こんこんと戸が鳴り、入室を許可すれば執事が迎えの到着を知らせた。「使者が3名、護衛はかの国の騎士団の数名が到着しました。準備はお済でしょうか」
「ええ。終わったわ。少し待っててもらえる?」
「御意」
「シュート、パルテン王国の迎えの護衛はどれほどかしら」
「手合わせしていないのでおおよそですが…帝国騎士の見習いにも満たないかと」
「そう。これが意図的でないことを願うばかりね」
女の護衛なのだから見習いくらいでいいだろうと意図的に送ってきたのなら宣戦布告ともとれるものである。パルテン王国は男尊女卑が根強く残る国で、女性は男性のすることはできないし、究極的に男性の世話がなければなにもできないというのが淑女とされている。だというのに守る対象としては優先順位が低いのだからこれほどのパラドックスはないだろう。
その前時代的で屈辱的な女性像を強要してくるあたり、パルテン王国に帝国に匹敵するほどの後ろ盾がついた可能性が生まれる。そうなると、パルテン王国を吸収、最低でも属国にしようとしているアーシェンの思惑とその計画がかなり大変なものとなってくるのだ。下手すると戦争になりかねない。
パルテン王国の国力、もとい軍事力をそのまま映し出しているだけならどんなに楽だろうか。
「…お父様たちにご挨拶したいのだけど」
「公爵様と公爵夫人、アリエルお嬢様はエントランスホールでお待ちです」
「そう。あまり使者の方を待たせるのも心苦しいわ。行きましょう」
瞳の色と同じエメラルドグリーンのドレスを身にまとい、アクセントに銀糸の入った手袋に手を通す。最高級の絹を使ったドレスは光が当たるたびに様子を変え、光沢をみせて輝く。髪はハーフアップにセットし毛先は緩く巻いて、小さめの真珠を散らした。妖精もかくやといういでたちは、エントランスホールに集まるクルート公爵から使用人までもを魅了した。
「お待たせしました、お父様」
「お、おお! なんと美しいことだ。イレーネがよみがえったかと思ったぞ」
「まあ、お母様に似ているなんて嬉しいですわ」アーシェンは頬に手をあてにっこりと笑う。
その笑みが含ませた意味に気づいたクルート公爵は、その背に冷たいのを感じた。本当に前公爵夫人のイレーネが生き返っていたなら、今ここにクルート公爵はいられないだろう。イレーネはいろんな意味で強い女性だったから。もちろん、腕力でも男性に負けないほどだった。全治三か月でも済むまい。
「お嬢。時間でございます」
「分かったわ。…お父様、アメリア夫人、アリエル。行ってまいります」
「…気を付けるんだぞ」
「ご無事を願っております」
「お姉さま、お元気でっ…お帰りをお待ちしております」
はい、と微笑んで静かにカーテシーをしたアーシェンは、くるりと踵を返して大きな扉を出て行く。不気味なほど晴れ晴れとした夏空がそこには広がっていた。
「ごきがん…ご、機嫌いかがで、しょか、クルト公爵令嬢」
少したどたどしい帝国語で、使者は頭を下げた。まともに帝国語すら使えない者を使者に選出するとは何事かとシュートの拳が握られたのを感じたアーシェンは、静かに、上品にほほ笑む。
「悪くはないわ。…でも、決して良くもなくってよ」
ブン、とシュートの刀は虚空を切り、使者の首元に突き付けられた。
「ひぃっ」
「随分と舐められたものね?」
「お美しいですわ! 公女様。きっと美の女神も嫉妬なさるでしょうね」
アーシェンの支度を終えた侍女のひとりは、目を輝かせて言う。
「あら、それは女神様に対して不敬よ。褒めてくれるのはありがたいけど、言葉は選びなさい」
「も、申し訳ございません…」
頭を下げる侍女を横目に、アーシェンはふう、とため息をついた。
「お疲れですか?」目ざといシュートはそっと声をかける。
専属の護衛騎士として、正装に着替え済だ。動きやすさを重視したその服装は、白を基調として優雅な刺繍には金糸をふんだんに使っている。ひらひらとしたものを嫌うシュートの為に最大限、装飾を省いた仕様ではあるが、それでも肩は凝るらしく、シュートは自らの肩をもんでいた。
「疲れているのはシュートの方ではなくて? そんなにきついかしら?」
「お嬢、今日ばかりは心から尊敬いたします。俺だったら、こんなの毎日は耐えられませんから」
「あら、いつもは違って?」
「…。…言葉の誤です。失礼しました」
「ふふ、気にしなくていいわ。それよりも、」
こんこんと戸が鳴り、入室を許可すれば執事が迎えの到着を知らせた。「使者が3名、護衛はかの国の騎士団の数名が到着しました。準備はお済でしょうか」
「ええ。終わったわ。少し待っててもらえる?」
「御意」
「シュート、パルテン王国の迎えの護衛はどれほどかしら」
「手合わせしていないのでおおよそですが…帝国騎士の見習いにも満たないかと」
「そう。これが意図的でないことを願うばかりね」
女の護衛なのだから見習いくらいでいいだろうと意図的に送ってきたのなら宣戦布告ともとれるものである。パルテン王国は男尊女卑が根強く残る国で、女性は男性のすることはできないし、究極的に男性の世話がなければなにもできないというのが淑女とされている。だというのに守る対象としては優先順位が低いのだからこれほどのパラドックスはないだろう。
その前時代的で屈辱的な女性像を強要してくるあたり、パルテン王国に帝国に匹敵するほどの後ろ盾がついた可能性が生まれる。そうなると、パルテン王国を吸収、最低でも属国にしようとしているアーシェンの思惑とその計画がかなり大変なものとなってくるのだ。下手すると戦争になりかねない。
パルテン王国の国力、もとい軍事力をそのまま映し出しているだけならどんなに楽だろうか。
「…お父様たちにご挨拶したいのだけど」
「公爵様と公爵夫人、アリエルお嬢様はエントランスホールでお待ちです」
「そう。あまり使者の方を待たせるのも心苦しいわ。行きましょう」
瞳の色と同じエメラルドグリーンのドレスを身にまとい、アクセントに銀糸の入った手袋に手を通す。最高級の絹を使ったドレスは光が当たるたびに様子を変え、光沢をみせて輝く。髪はハーフアップにセットし毛先は緩く巻いて、小さめの真珠を散らした。妖精もかくやといういでたちは、エントランスホールに集まるクルート公爵から使用人までもを魅了した。
「お待たせしました、お父様」
「お、おお! なんと美しいことだ。イレーネがよみがえったかと思ったぞ」
「まあ、お母様に似ているなんて嬉しいですわ」アーシェンは頬に手をあてにっこりと笑う。
その笑みが含ませた意味に気づいたクルート公爵は、その背に冷たいのを感じた。本当に前公爵夫人のイレーネが生き返っていたなら、今ここにクルート公爵はいられないだろう。イレーネはいろんな意味で強い女性だったから。もちろん、腕力でも男性に負けないほどだった。全治三か月でも済むまい。
「お嬢。時間でございます」
「分かったわ。…お父様、アメリア夫人、アリエル。行ってまいります」
「…気を付けるんだぞ」
「ご無事を願っております」
「お姉さま、お元気でっ…お帰りをお待ちしております」
はい、と微笑んで静かにカーテシーをしたアーシェンは、くるりと踵を返して大きな扉を出て行く。不気味なほど晴れ晴れとした夏空がそこには広がっていた。
「ごきがん…ご、機嫌いかがで、しょか、クルト公爵令嬢」
少したどたどしい帝国語で、使者は頭を下げた。まともに帝国語すら使えない者を使者に選出するとは何事かとシュートの拳が握られたのを感じたアーシェンは、静かに、上品にほほ笑む。
「悪くはないわ。…でも、決して良くもなくってよ」
ブン、とシュートの刀は虚空を切り、使者の首元に突き付けられた。
「ひぃっ」
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