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閑話 侍女の話
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こんなはずではなかった。第一王妃様の命令に従って動いただけなのに…。目の前に広がる光景は地獄というにふさわしい。
薄暗く、湿った地下牢には王宮の全ての侍従や使用人がいるのではないかと思うほどに人がひしめいていた。牢ごとに1人ずつ色黒の男たちに連れていかれ、そのすべてが心を失って帰ってくる。自分がわからなくなった人や、泣き続ける人、時折奇声を上げる人、誰とも知れず謝り続ける人。
まだ連れていかれていない人たちに聞けば、王宮は突然占拠されたという。死者はなく、これは夢かと思うほどにあっという間の出来事だったと皆が言った。
ふと鉄格子の外を見れば大きな男二人に両脇を抱えられ、引きずられながら牢に戻ってくる男がいた。パルテン王国では高官しか着用を許されていない緑の布地に金糸の入った腰ひもが見える。あれは…左大臣ではないだろうか。
「さ、左大臣様!!! このような狼藉をお許しになるのですかっ! 陛下はご無事なのですか? 左大臣様っ! お助けくださ…ひっ!!」
私の声に気が付いた彼らは足を止め、ローウンド侯爵は目が覚めたのかこちらを見た。ニタニタと不気味に笑う祖も男の歯はほとんどが抜け落ち、欠け、目も虚ろで唇の端からはよだれが垂れている。
「おやぁ…陛下がご用意ぐださったっ! いやぁ、美人だ…俺に従うならいいようにしてやろう…ひっひっひっ。どうだぁ? 宝石も好きなだけやるぞ? ん??」
ほかの人とは明らかに何かが違う。得体の知れない恐怖に思わず後ずさった。それを気にも留めず、いや、一瞬にして忘れたかのようにまた脱力し、引きずられていった。
怖い。つい今朝まで生きていた、生活していた世界はどこに行ったのだろう。いったい私たちが何をしたというのだ。思い当たらないと言ったら嘘になるが…。
『オーレリアを知っているか。彼女を大切にしたか』
ここに入れられる前、皆一様にそう聞かれていた。オーレリアは数年前に自殺した第六王妃。知らないはずはないし、ある程度は大切にしてやった。だから二つとも、『はい』と答えた。その瞬間、聞いてきた男の持っていた玉が紫色に光り、表情が曇った男たちに問答無用に連行されたのだ。
「次はお前だ。出ろ」
ついに私の番が来た。おずおずと従えば、両サイドを屈強な男たちで固められる。もはや逃げようなどとはみじんも思わなかったが、恐ろしいことに変わりはなかった。長い階段を登り、前を歩く男が戸を叩く。「入れ」と促され、震える足でなんとか踏み入った。
「オーレリア様に何をした? 正直に答えたならば刑は軽い。嘘をつくことは自らの首を絞めることになると覚えておけ」
「ひっ…」
「もう一度聞く。オーレリア様に何をした?」
「な、何も…」
いちいちしたことを覚えているはずがなかった。なぜこの男たちはオーレリアのことばかりを聞いてくるのか、そちらの方が気になる。ふと、オーレリアも彼らと同じように肌が黒く、女性としては化け物のように身長があった。もしかして復讐にでも来たのか。
何も、と答えたことに男の持つ玉が紫色に光る。
「はあ…、これがラストチャンスだ。答えなければ今までほかの者から聞き出したことをお前にするだけだ。それでもいいならもう一度嘘でもつくがいい」
「私にする…?」
「自業自得という言葉を知っているか? 世界は輪廻によって同じようなことが何度も繰り返される。罪も同じだ。業を背負えば、それと同じことをいつかお前は誰かにされる。うちのお頭はせっかちな質でね。その目で見届けたいらしい」
木製の椅子に腰かけ、机に肘をついた男は、その両手を組んで私を睨む。「さて。時間はやった。いい加減答えろ。オーレリア様に何をした?」
「み…水をかけました」
「ほう? どんな?」
「お、温水…」
玉が紫色に光る。同時に男は大きくため息をついた。
「残念だ。もう猶予はない。…連れていけ」
「い、いやっ!! 言う! 言うからっ!」
「もういい。十分だ」
「違うのっ! 私は悪くない! あの王妃のこともアーシェンとかいう令嬢もみんな第一王妃様からの命令だったの! だからっだからっ!!」
「ほう? それで何日も食事を運ばなかったり、衣装の採寸をするといって肌に針を何度もさしたり、湯浴みをさせず臭いがひどいからと鉄製のブラシで身体を洗ったり、朝の寒い時分に起こすためだからと氷水をかけたり、真っ暗な物置に閉じ込めたりしたのか?」
「なっ…んでそれを…、」
「言っただろう。ほかの者からも聞いているんだ。自らの罪を自白し、償う思いのある者は地上に戻されたのに…。残念だったな」
「そんな…」
膝が笑って立たず、跪いた。私は悪くない…私は…。
「まずはその空っぽな頭で想像してみろ。今のお前の状況は普段のいつもの生活から切り離されて、まったく知らない世界に来たのと同じではないか? ともすれば、遠い異国に来たオーレリア様と一緒だな?」
「ま、まさか…」
「気をしっかり強く持つことだな。もっとも、君なら一日も持たないだろうが」
私は別室で王妃として迎えられた。男たちと同じように屈強な身体の女性たちにかしずかれ、結婚式を迎える。次の日からは私の味方だったはずの侍女たちから暴行ともいえる扱いを受けた。
起床の時は氷の入った水をかけられ、髪の毛を引っ張られながら身支度を進められる。濡れた身体では冷えるのに夜着を剥いだままで何時間も待たされ、寒さに震えた。食事は運が良ければ硬いパンと冷えた具のないスープが出される。それも投げて寄こされるため、スープのほとんどがこぼれ、パンはところどころカビがあった。何もすることはない。ただただ侍女たちの暴言と暴行に耐える日々。最初は服で隠れる腹や胸や腿を殴られ、そのうちだんだんとエスカレートして腕や脚を鞭で叩かれることもあった。皮膚がえぐれ、血が出てもやめてはくれない。治りかけたか足のさぶたまでもを弾き、鞭は打たれる。なぜと問えば、決められた時間に起きられなかったからだの、食べ方が淑女らしからぬ方法だったからだのと言われる。起きられなかったのは意識がなかったからだし、食べ方にかまっていられるほど余裕はない。常に空腹で思考も鈍り、私が悪いのだと思い込むようになった。
私が悪いから食事を抜かれる。
私がここに来たから氷水をかけられる。
私が生きているから鞭で叩かれる。
ならば。
ふっと私は息をついた。簡単なことではないか。私がここからいなくなればいいのだ。近くにあった鋏をもち、ひと思いに首に突き刺した。迷いはなかった。
ふうっと息を吐きだすと、私は結婚式場に立っていた。
何回目かの地獄がまた、始まる。
薄暗く、湿った地下牢には王宮の全ての侍従や使用人がいるのではないかと思うほどに人がひしめいていた。牢ごとに1人ずつ色黒の男たちに連れていかれ、そのすべてが心を失って帰ってくる。自分がわからなくなった人や、泣き続ける人、時折奇声を上げる人、誰とも知れず謝り続ける人。
まだ連れていかれていない人たちに聞けば、王宮は突然占拠されたという。死者はなく、これは夢かと思うほどにあっという間の出来事だったと皆が言った。
ふと鉄格子の外を見れば大きな男二人に両脇を抱えられ、引きずられながら牢に戻ってくる男がいた。パルテン王国では高官しか着用を許されていない緑の布地に金糸の入った腰ひもが見える。あれは…左大臣ではないだろうか。
「さ、左大臣様!!! このような狼藉をお許しになるのですかっ! 陛下はご無事なのですか? 左大臣様っ! お助けくださ…ひっ!!」
私の声に気が付いた彼らは足を止め、ローウンド侯爵は目が覚めたのかこちらを見た。ニタニタと不気味に笑う祖も男の歯はほとんどが抜け落ち、欠け、目も虚ろで唇の端からはよだれが垂れている。
「おやぁ…陛下がご用意ぐださったっ! いやぁ、美人だ…俺に従うならいいようにしてやろう…ひっひっひっ。どうだぁ? 宝石も好きなだけやるぞ? ん??」
ほかの人とは明らかに何かが違う。得体の知れない恐怖に思わず後ずさった。それを気にも留めず、いや、一瞬にして忘れたかのようにまた脱力し、引きずられていった。
怖い。つい今朝まで生きていた、生活していた世界はどこに行ったのだろう。いったい私たちが何をしたというのだ。思い当たらないと言ったら嘘になるが…。
『オーレリアを知っているか。彼女を大切にしたか』
ここに入れられる前、皆一様にそう聞かれていた。オーレリアは数年前に自殺した第六王妃。知らないはずはないし、ある程度は大切にしてやった。だから二つとも、『はい』と答えた。その瞬間、聞いてきた男の持っていた玉が紫色に光り、表情が曇った男たちに問答無用に連行されたのだ。
「次はお前だ。出ろ」
ついに私の番が来た。おずおずと従えば、両サイドを屈強な男たちで固められる。もはや逃げようなどとはみじんも思わなかったが、恐ろしいことに変わりはなかった。長い階段を登り、前を歩く男が戸を叩く。「入れ」と促され、震える足でなんとか踏み入った。
「オーレリア様に何をした? 正直に答えたならば刑は軽い。嘘をつくことは自らの首を絞めることになると覚えておけ」
「ひっ…」
「もう一度聞く。オーレリア様に何をした?」
「な、何も…」
いちいちしたことを覚えているはずがなかった。なぜこの男たちはオーレリアのことばかりを聞いてくるのか、そちらの方が気になる。ふと、オーレリアも彼らと同じように肌が黒く、女性としては化け物のように身長があった。もしかして復讐にでも来たのか。
何も、と答えたことに男の持つ玉が紫色に光る。
「はあ…、これがラストチャンスだ。答えなければ今までほかの者から聞き出したことをお前にするだけだ。それでもいいならもう一度嘘でもつくがいい」
「私にする…?」
「自業自得という言葉を知っているか? 世界は輪廻によって同じようなことが何度も繰り返される。罪も同じだ。業を背負えば、それと同じことをいつかお前は誰かにされる。うちのお頭はせっかちな質でね。その目で見届けたいらしい」
木製の椅子に腰かけ、机に肘をついた男は、その両手を組んで私を睨む。「さて。時間はやった。いい加減答えろ。オーレリア様に何をした?」
「み…水をかけました」
「ほう? どんな?」
「お、温水…」
玉が紫色に光る。同時に男は大きくため息をついた。
「残念だ。もう猶予はない。…連れていけ」
「い、いやっ!! 言う! 言うからっ!」
「もういい。十分だ」
「違うのっ! 私は悪くない! あの王妃のこともアーシェンとかいう令嬢もみんな第一王妃様からの命令だったの! だからっだからっ!!」
「ほう? それで何日も食事を運ばなかったり、衣装の採寸をするといって肌に針を何度もさしたり、湯浴みをさせず臭いがひどいからと鉄製のブラシで身体を洗ったり、朝の寒い時分に起こすためだからと氷水をかけたり、真っ暗な物置に閉じ込めたりしたのか?」
「なっ…んでそれを…、」
「言っただろう。ほかの者からも聞いているんだ。自らの罪を自白し、償う思いのある者は地上に戻されたのに…。残念だったな」
「そんな…」
膝が笑って立たず、跪いた。私は悪くない…私は…。
「まずはその空っぽな頭で想像してみろ。今のお前の状況は普段のいつもの生活から切り離されて、まったく知らない世界に来たのと同じではないか? ともすれば、遠い異国に来たオーレリア様と一緒だな?」
「ま、まさか…」
「気をしっかり強く持つことだな。もっとも、君なら一日も持たないだろうが」
私は別室で王妃として迎えられた。男たちと同じように屈強な身体の女性たちにかしずかれ、結婚式を迎える。次の日からは私の味方だったはずの侍女たちから暴行ともいえる扱いを受けた。
起床の時は氷の入った水をかけられ、髪の毛を引っ張られながら身支度を進められる。濡れた身体では冷えるのに夜着を剥いだままで何時間も待たされ、寒さに震えた。食事は運が良ければ硬いパンと冷えた具のないスープが出される。それも投げて寄こされるため、スープのほとんどがこぼれ、パンはところどころカビがあった。何もすることはない。ただただ侍女たちの暴言と暴行に耐える日々。最初は服で隠れる腹や胸や腿を殴られ、そのうちだんだんとエスカレートして腕や脚を鞭で叩かれることもあった。皮膚がえぐれ、血が出てもやめてはくれない。治りかけたか足のさぶたまでもを弾き、鞭は打たれる。なぜと問えば、決められた時間に起きられなかったからだの、食べ方が淑女らしからぬ方法だったからだのと言われる。起きられなかったのは意識がなかったからだし、食べ方にかまっていられるほど余裕はない。常に空腹で思考も鈍り、私が悪いのだと思い込むようになった。
私が悪いから食事を抜かれる。
私がここに来たから氷水をかけられる。
私が生きているから鞭で叩かれる。
ならば。
ふっと私は息をついた。簡単なことではないか。私がここからいなくなればいいのだ。近くにあった鋏をもち、ひと思いに首に突き刺した。迷いはなかった。
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