21 / 30
#8-②
しおりを挟む
離宮のアーシェンの部屋から望む王城下の街並みは、いつもと変わらない日常が流れていた。パン屋は朝早くから商売を始め、商人たちはにぎやかに取引を重ねる。子供たちは何が楽しいのか、いたるところを走り回っていた。
「お嬢。お客様です」
「…お通しして」
双眼鏡をシーアに渡し、淹れなおされた紅茶を飲む。コンコンと扉がたたかれ、男が入ってきた。日に焼けすぎたくらいの黒い肌に、武神のような屈強な身体。そんな男は迷いなくアーシェンの前に跪いた。
「ヒパラテムと申します。この度はかような機会を与えてくださり、ありがとう存じます」
「見事な手腕でございました。見たところ、王都に変わりありません。…復讐は完遂できましたか」
「…」
「ふふ、正直でよろしいこと。何を望みますか」
上げられた顔の双眸は、悲しいくらいに美しく、それでいて強く何かを願っていた。
「この国を滅ぼしたく思います。復讐は何も生まないと私の村で言われていますがその通りですね。あの男を殺すためなら長を辞してもいいとまで思ったのです。それだけではありません。あの男が治めていたこの国が憎くて堪りません。こうしてあなた様と話しているのは、あなた様なら、何かしらの代替え案を出してくれると期待しているからです。この国に住む人間には何の落ち度もありませんから」
「この国を、滅ぼしたいですか。なるほど。かなえましょう。しかしあなたの言う通り、この国の民に罪はありません。愚かなあの王の為にあなた方が罪を犯すこともむなしいだけです。…こうしましょう」
アーシェンはかねてから考えていた筋書きをヒパラテムに話した。国を滅ぼしたい、その深層の願望はパルテン王の記憶であろうとアーシェンは思っていた。ならば、いなかったことにすればいい。パルテン国など最初からなかったことにすればいい。帝国ならば簡単なことだ。
「歴史から名前を?」
「ええ。ただし、先人の失敗というのは残さなければなりませんから寓話にしましょう。捕らわれた姫を救った、愛情深い兄のお話を」
「おまかせしましょう。たとえそれでも収まらないことがあれば、私が去ります」
「そう? ならばその時はオーレリアさんにたくさんお話をしてあげなければね? ざっと六十年分かしら?」
「…はは、手厳しい」
帝国人の平均寿命は六十年。山の民、よくヒラリオンと呼ばれる部族の人たちはもっと長生きだという。その分だけの話を。ヒパラテムに死を選ばせる気などアーシェンにはなかった。
「ところで、もう少しここに滞在してくださいます?」
「ええ。まだ冬も遠いですので山に帰るのには時間はございますが…」
「帝国の軍が少し遅れておりまして。途中、何やらめんどくさい方に絡まれたようでその処理に追われているとか。パルテン王国の運営はわたくしがしますので警備をお願いしたいのです」
「…それだけですか?」
ヒパラテムは意地の悪い笑みを浮かべて、眉を上げた。
「ふふ、侮れませんね。そこにいるシュートと演練を、手が空いた時でいいので付き合ってあげて欲しいのです」
「そんなことですか?」
「そんなこととは聞き捨てなりませんね」
今まで沈黙を貫いていたシュートが言う。「傭兵部族と聞いたものですからどれほど強いのか、見てみたいだけですよ」
「傭兵部族ではありません。我々は戦いを好みませんので。ですが、強さを求めるのは美徳です。まあ、まずは従弟と手合わせしてみますか?」
「…よろこんで」
怒りをあらわにしながら笑顔を崩さないシュートはしかし、ここ最近で一番わくわくしているようだった。何夜も来ていた暗殺者よりも断然いいらしい。キョロっとこちらを見たシュートにアーシェンはにこりと微笑みを浮かべ、許可を出した。
深々と頭を下げた二人は足早に部屋を出て行った。
ボロボロになったシュートが帰ってきたのは陽が山に隠れようかとする頃だった。切り傷と砂汚れと血を得てきた彼は満足げに歯を見せた。
「お嬢! 勝ちました!」
もはや戦いを覚えたての子供のようだった。
「…湯浴みに行ってらっしゃい」
「はい!」
シーアの淹れた紅茶を片手に、アーシェンはひたすら政務をこなし続けた。
「お嬢。お客様です」
「…お通しして」
双眼鏡をシーアに渡し、淹れなおされた紅茶を飲む。コンコンと扉がたたかれ、男が入ってきた。日に焼けすぎたくらいの黒い肌に、武神のような屈強な身体。そんな男は迷いなくアーシェンの前に跪いた。
「ヒパラテムと申します。この度はかような機会を与えてくださり、ありがとう存じます」
「見事な手腕でございました。見たところ、王都に変わりありません。…復讐は完遂できましたか」
「…」
「ふふ、正直でよろしいこと。何を望みますか」
上げられた顔の双眸は、悲しいくらいに美しく、それでいて強く何かを願っていた。
「この国を滅ぼしたく思います。復讐は何も生まないと私の村で言われていますがその通りですね。あの男を殺すためなら長を辞してもいいとまで思ったのです。それだけではありません。あの男が治めていたこの国が憎くて堪りません。こうしてあなた様と話しているのは、あなた様なら、何かしらの代替え案を出してくれると期待しているからです。この国に住む人間には何の落ち度もありませんから」
「この国を、滅ぼしたいですか。なるほど。かなえましょう。しかしあなたの言う通り、この国の民に罪はありません。愚かなあの王の為にあなた方が罪を犯すこともむなしいだけです。…こうしましょう」
アーシェンはかねてから考えていた筋書きをヒパラテムに話した。国を滅ぼしたい、その深層の願望はパルテン王の記憶であろうとアーシェンは思っていた。ならば、いなかったことにすればいい。パルテン国など最初からなかったことにすればいい。帝国ならば簡単なことだ。
「歴史から名前を?」
「ええ。ただし、先人の失敗というのは残さなければなりませんから寓話にしましょう。捕らわれた姫を救った、愛情深い兄のお話を」
「おまかせしましょう。たとえそれでも収まらないことがあれば、私が去ります」
「そう? ならばその時はオーレリアさんにたくさんお話をしてあげなければね? ざっと六十年分かしら?」
「…はは、手厳しい」
帝国人の平均寿命は六十年。山の民、よくヒラリオンと呼ばれる部族の人たちはもっと長生きだという。その分だけの話を。ヒパラテムに死を選ばせる気などアーシェンにはなかった。
「ところで、もう少しここに滞在してくださいます?」
「ええ。まだ冬も遠いですので山に帰るのには時間はございますが…」
「帝国の軍が少し遅れておりまして。途中、何やらめんどくさい方に絡まれたようでその処理に追われているとか。パルテン王国の運営はわたくしがしますので警備をお願いしたいのです」
「…それだけですか?」
ヒパラテムは意地の悪い笑みを浮かべて、眉を上げた。
「ふふ、侮れませんね。そこにいるシュートと演練を、手が空いた時でいいので付き合ってあげて欲しいのです」
「そんなことですか?」
「そんなこととは聞き捨てなりませんね」
今まで沈黙を貫いていたシュートが言う。「傭兵部族と聞いたものですからどれほど強いのか、見てみたいだけですよ」
「傭兵部族ではありません。我々は戦いを好みませんので。ですが、強さを求めるのは美徳です。まあ、まずは従弟と手合わせしてみますか?」
「…よろこんで」
怒りをあらわにしながら笑顔を崩さないシュートはしかし、ここ最近で一番わくわくしているようだった。何夜も来ていた暗殺者よりも断然いいらしい。キョロっとこちらを見たシュートにアーシェンはにこりと微笑みを浮かべ、許可を出した。
深々と頭を下げた二人は足早に部屋を出て行った。
ボロボロになったシュートが帰ってきたのは陽が山に隠れようかとする頃だった。切り傷と砂汚れと血を得てきた彼は満足げに歯を見せた。
「お嬢! 勝ちました!」
もはや戦いを覚えたての子供のようだった。
「…湯浴みに行ってらっしゃい」
「はい!」
シーアの淹れた紅茶を片手に、アーシェンはひたすら政務をこなし続けた。
44
あなたにおすすめの小説
愚者(バカ)は不要ですから、お好きになさって?
海野真珠
恋愛
「ついにアレは捨てられたか」嘲笑を隠さない言葉は、一体誰が発したのか。
「救いようがないな」救う気もないが、と漏れた本音。
「早く消えればよろしいのですわ」コレでやっと解放されるのですもの。
「女神の承認が下りたか」白銀に輝く光が降り注ぐ。
第一王子は男爵令嬢にご執心なようなので、国は私と第二王子にお任せください!
黒うさぎ
恋愛
公爵令嬢であるレイシアは、第一王子であるロイスの婚約者である。
しかし、ロイスはレイシアを邪険に扱うだけでなく、男爵令嬢であるメリーに入れ込んでいた。
レイシアにとって心安らぐのは、王城の庭園で第二王子であるリンドと語らう時間だけだった。
そんなある日、ついにロイスとの関係が終わりを迎える。
「レイシア、貴様との婚約を破棄する!」
第一王子は男爵令嬢にご執心なようなので、国は私と第二王子にお任せください!
小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも投稿しています。
【本編完結】真実の愛を見つけた? では、婚約を破棄させていただきます
ハリネズミ
恋愛
「王妃は国の母です。私情に流されず、民を導かねばなりません」
「決して感情を表に出してはいけません。常に冷静で、威厳を保つのです」
シャーロット公爵家の令嬢カトリーヌは、 王太子アイクの婚約者として、幼少期から厳しい王妃教育を受けてきた。
全ては幸せな未来と、民の為―――そう自分に言い聞かせて、縛られた生活にも耐えてきた。
しかし、ある夜、アイクの突然の要求で全てが崩壊する。彼は、平民出身のメイドマーサであるを正妃にしたいと言い放った。王太子の身勝手な要求にカトリーヌは絶句する。
アイクも、マーサも、カトリーヌですらまだ知らない。この婚約の破談が、後に国を揺るがすことも、王太子がこれからどんな悲惨な運命なを辿るのかも―――
王子様、あなたの不貞を私は知っております
岡暁舟
恋愛
第一王子アンソニーの婚約者、正妻として名高い公爵令嬢のクレアは、アンソニーが自分のことをそこまで本気に愛していないことを知っている。彼が夢中になっているのは、同じ公爵令嬢だが、自分よりも大部下品なソーニャだった。
「私は知っております。王子様の不貞を……」
場合によっては離縁……様々な危険をはらんでいたが、クレアはなぜか余裕で?
本編終了しました。明日以降、続編を新たに書いていきます。
完結 裏切りは復讐劇の始まり
音爽(ネソウ)
恋愛
良くある政略結婚、不本意なのはお互い様。
しかし、夫はそうではなく妻に対して憎悪の気持ちを抱いていた。
「お前さえいなければ!俺はもっと幸せになれるのだ」
悪女は婚約解消を狙う
基本二度寝
恋愛
「ビリョーク様」
「ララージャ、会いたかった」
侯爵家の子息は、婚約者令嬢ではない少女との距離が近かった。
婚約者に会いに来ているはずのビリョークは、婚約者の屋敷に隠されている少女ララージャと過ごし、当の婚約者ヒルデの顔を見ぬまま帰ることはよくあった。
「ララージャ…婚約者を君に変更してもらうように、当主に話そうと思う」
ララージャは目を輝かせていた。
「ヒルデと、婚約解消を?そして、私と…?」
ビリョークはララージャを抱きしめて、力強く頷いた。
男爵令息と王子なら、どちらを選ぶ?
mios
恋愛
王家主催の夜会での王太子殿下の婚約破棄は、貴族だけでなく、平民からも注目を集めるものだった。
次期王妃と人気のあった公爵令嬢を差し置き、男爵令嬢がその地位に就くかもしれない。
周りは王太子殿下に次の相手と宣言された男爵令嬢が、本来の婚約者を選ぶか、王太子殿下の愛を受け入れるかに、興味津々だ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる