21 / 38
21.答えられません
しおりを挟む
「名乗ってはいただけませんこと? 名もない誰かに殺されるなんてまっぴらですわ」
男はニタリと黄色い歯を見せて笑った。気持ち悪さが体中を駆け巡る。
「おやおや、これは失礼いたしました。ルアー公爵家が三男、ヴィクトルと申します。あなたのことは…家名もございませんしリリー嬢、と呼ばせていただきますね。ほんの少しの間だけですし」
「…お好きになさればいいわ」
ヴィクトルが壁の一部を触ると、魔法のように部屋は一気に明るくなった。初老に見えた彼も、そこまで老けて見えない。かろうじて白髪が目立つくらいだろうか。精霊の光で照らされた彼の地毛は血塗られたような赤だった。
「…なんのためにわたくしをここに?」
「お教えするとでも?」
「あら、下っ端には知らされていないのかしら? なら仕方ないわね」
「なん、だと?」
ルアー公爵家のことなら、馬車の中でレオナルドに聞いた。公爵はもちろんのこと、家族構成まで知っている。ルアー公爵はレオナルドの親友らしい。しつこいほどに話してきたから覚えてしまった。
公爵は人格者とは言えないまでも、自分の気の置けない人には損得勘定抜きで行動するような商人には珍しい人柄らしい。勤勉な面はその息子にも受け継がれている。しかし、末っ子の三男にはとことん甘く、兄たちとは比べものにならないほどぼんくらに育ててしまったという。
甘ったれで努力や勉強を嫌い、そのくせ自分の権利は主張し金遣いが荒い。ここまで聞けば誰かと似ているなんてものではないと思う。どの世界にもそういう人はいるものなのかとルアー公爵に同情した。
ならば、話は早い。十年もあの子供の相手をしてきたのだ。
「これは俺が計画したことだ。お前は邪魔なんだよ」
「邪魔?」
「ああ。そうさ! ジェミニエ叔母様が王妃になれば父上はきっと褒めてくださる。父上はずっとそれを望んできたんだ!」
はっとして、ヴィクトルは咳払いした。
「それで?」
「はい?」
「そのあとはどうなさるの?」
ルークと同じ様には感じる。けれど、彼の方はまだ救いようがある。
「あと…?」
「ええ。わたくしは望まれてストラテ王国に参りました」
「嘘でしょう? 婚約破棄で傷物令嬢になられたからストラテに来られたと聞いておりますが」
「ええ。そう思われても仕方ないですね。しかしながら、事実ですわ」
おそらく、ヴィクトルは自らの力を認められたことがないのだろう。子供を甘やかすことは時に子どもにとって毒となりえる。あなたにはできないのだから『やってあげる』、あなたにはまだ早いのだから『考えてあげる』、幼いあなたがこんなことをできるなんて『すごいわね』。これらはすべて子供の心に刃となって突き刺さる。
それらの言葉はすべて『あなたは何もできないのよ』と同義なのだ。
「わたくしをここまで連れてくるのはすべてあなたが?」
「そ、そうですが…」
「そう。経緯はどうであれ、わたくしは今日の夜会で国王陛下の婚約者と周知されましたわ。そのわたくしを、あなたは拐かしたのです。どれほど重罪か、お分かり?」
ヴィクトルが息をのんだのがわかった。目線がきょろきょろと泳ぎ、何かを思案しているようだ。「でも…」とか、「それなら…」とかぼそぼそと呟く彼はしばらくそのままだった。
「ひとつ、お聞きしても…?」
「ええ、よろしくてよ」
「リリー嬢がいなくなったとして、確実にジェミニエ叔母様が王妃になられますか?」
「その可能性は高いと思われますわ。ですが、あなたが手を下したことでわたくしが死んだとあれば可能性は著しく下がるでしょう」
ジェミニエはルアー公爵の23も歳が離れた妹だ。 ルアー公爵の父親が晩年に作った子供らしい。もちろんルアー公爵とは腹違いだ。
「俺が…手を出したから…?」
「ええ」
ヴィクトルは誰かにそそのかされて、あるいは誰かの操り人形として動かされているのではと思えてならなかった。後ろにいるのは、ヴィクトルが全幅の信頼をおき、かつ私が死ぬことで利益がある者と考えれば、候補はだいぶ絞られる。
「王妃のなるはずだった女性を殺した家門から、王妃候補を出すことはないでしょうからね」
「あ…」
理解したようで、みるみるうちにヴィクトルの顔は青ざめていった。なるほど、能無し、というわけでもなさそうだ。となれば、これは誰かの計画に乗っただけ。それも、何も考えることなく、何も疑うことなく。すべては『お父様に褒められる』ために。
「ヴィクトル・ルアー様、わたくしもお聞きしてもよろしくて?」
「はい…何なりと」
「どなたから、頼まれまして?」
びくっと肩を震わせて、ヴィクトルは恐る恐る私を見た。何度も瞬きを繰り返し、しかし視線はそのままに何かを考え続けているようだ。もう少しでヴィクトルはこちらに落ちる。私の推理が正しいなら、黒幕はきっとヴィクトルの優秀さに気づいているだろう。これを王国のために生かさずにおく手はない。
私は緩く笑って、言葉を畳みかけた。
「このままではルアー公爵は世間の手前、あなたを褒められなくなりますわ。この先ずっと」
「そ、れは…」
気持ちが決まったか、口を真一文字に結びヴィクトルは私を力強く睨んだ。
「俺には…答えられません」
その言葉の裏にあらゆる葛藤が垣間見え、だからこそ犯人が誰なのか明晰に語っていた。
男はニタリと黄色い歯を見せて笑った。気持ち悪さが体中を駆け巡る。
「おやおや、これは失礼いたしました。ルアー公爵家が三男、ヴィクトルと申します。あなたのことは…家名もございませんしリリー嬢、と呼ばせていただきますね。ほんの少しの間だけですし」
「…お好きになさればいいわ」
ヴィクトルが壁の一部を触ると、魔法のように部屋は一気に明るくなった。初老に見えた彼も、そこまで老けて見えない。かろうじて白髪が目立つくらいだろうか。精霊の光で照らされた彼の地毛は血塗られたような赤だった。
「…なんのためにわたくしをここに?」
「お教えするとでも?」
「あら、下っ端には知らされていないのかしら? なら仕方ないわね」
「なん、だと?」
ルアー公爵家のことなら、馬車の中でレオナルドに聞いた。公爵はもちろんのこと、家族構成まで知っている。ルアー公爵はレオナルドの親友らしい。しつこいほどに話してきたから覚えてしまった。
公爵は人格者とは言えないまでも、自分の気の置けない人には損得勘定抜きで行動するような商人には珍しい人柄らしい。勤勉な面はその息子にも受け継がれている。しかし、末っ子の三男にはとことん甘く、兄たちとは比べものにならないほどぼんくらに育ててしまったという。
甘ったれで努力や勉強を嫌い、そのくせ自分の権利は主張し金遣いが荒い。ここまで聞けば誰かと似ているなんてものではないと思う。どの世界にもそういう人はいるものなのかとルアー公爵に同情した。
ならば、話は早い。十年もあの子供の相手をしてきたのだ。
「これは俺が計画したことだ。お前は邪魔なんだよ」
「邪魔?」
「ああ。そうさ! ジェミニエ叔母様が王妃になれば父上はきっと褒めてくださる。父上はずっとそれを望んできたんだ!」
はっとして、ヴィクトルは咳払いした。
「それで?」
「はい?」
「そのあとはどうなさるの?」
ルークと同じ様には感じる。けれど、彼の方はまだ救いようがある。
「あと…?」
「ええ。わたくしは望まれてストラテ王国に参りました」
「嘘でしょう? 婚約破棄で傷物令嬢になられたからストラテに来られたと聞いておりますが」
「ええ。そう思われても仕方ないですね。しかしながら、事実ですわ」
おそらく、ヴィクトルは自らの力を認められたことがないのだろう。子供を甘やかすことは時に子どもにとって毒となりえる。あなたにはできないのだから『やってあげる』、あなたにはまだ早いのだから『考えてあげる』、幼いあなたがこんなことをできるなんて『すごいわね』。これらはすべて子供の心に刃となって突き刺さる。
それらの言葉はすべて『あなたは何もできないのよ』と同義なのだ。
「わたくしをここまで連れてくるのはすべてあなたが?」
「そ、そうですが…」
「そう。経緯はどうであれ、わたくしは今日の夜会で国王陛下の婚約者と周知されましたわ。そのわたくしを、あなたは拐かしたのです。どれほど重罪か、お分かり?」
ヴィクトルが息をのんだのがわかった。目線がきょろきょろと泳ぎ、何かを思案しているようだ。「でも…」とか、「それなら…」とかぼそぼそと呟く彼はしばらくそのままだった。
「ひとつ、お聞きしても…?」
「ええ、よろしくてよ」
「リリー嬢がいなくなったとして、確実にジェミニエ叔母様が王妃になられますか?」
「その可能性は高いと思われますわ。ですが、あなたが手を下したことでわたくしが死んだとあれば可能性は著しく下がるでしょう」
ジェミニエはルアー公爵の23も歳が離れた妹だ。 ルアー公爵の父親が晩年に作った子供らしい。もちろんルアー公爵とは腹違いだ。
「俺が…手を出したから…?」
「ええ」
ヴィクトルは誰かにそそのかされて、あるいは誰かの操り人形として動かされているのではと思えてならなかった。後ろにいるのは、ヴィクトルが全幅の信頼をおき、かつ私が死ぬことで利益がある者と考えれば、候補はだいぶ絞られる。
「王妃のなるはずだった女性を殺した家門から、王妃候補を出すことはないでしょうからね」
「あ…」
理解したようで、みるみるうちにヴィクトルの顔は青ざめていった。なるほど、能無し、というわけでもなさそうだ。となれば、これは誰かの計画に乗っただけ。それも、何も考えることなく、何も疑うことなく。すべては『お父様に褒められる』ために。
「ヴィクトル・ルアー様、わたくしもお聞きしてもよろしくて?」
「はい…何なりと」
「どなたから、頼まれまして?」
びくっと肩を震わせて、ヴィクトルは恐る恐る私を見た。何度も瞬きを繰り返し、しかし視線はそのままに何かを考え続けているようだ。もう少しでヴィクトルはこちらに落ちる。私の推理が正しいなら、黒幕はきっとヴィクトルの優秀さに気づいているだろう。これを王国のために生かさずにおく手はない。
私は緩く笑って、言葉を畳みかけた。
「このままではルアー公爵は世間の手前、あなたを褒められなくなりますわ。この先ずっと」
「そ、れは…」
気持ちが決まったか、口を真一文字に結びヴィクトルは私を力強く睨んだ。
「俺には…答えられません」
その言葉の裏にあらゆる葛藤が垣間見え、だからこそ犯人が誰なのか明晰に語っていた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜
高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。
婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。
それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。
何故、そんな事に。
優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。
婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。
リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。
悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。
婚約破棄で見限られたもの
志位斗 茂家波
恋愛
‥‥‥ミアス・フォン・レーラ侯爵令嬢は、パスタリアン王国の王子から婚約破棄を言い渡され、ありもしない冤罪を言われ、彼女は国外へ追放されてしまう。
すでにその国を見限っていた彼女は、これ幸いとばかりに別の国でやりたかったことを始めるのだが‥‥‥
よくある婚約破棄ざまぁもの?思い付きと勢いだけでなぜか出来上がってしまった。
【完結】王妃はもうここにいられません
なか
恋愛
「受け入れろ、ラツィア。側妃となって僕をこれからも支えてくれればいいだろう?」
長年王妃として支え続け、貴方の立場を守ってきた。
だけど国王であり、私の伴侶であるクドスは、私ではない女性を王妃とする。
私––ラツィアは、貴方を心から愛していた。
だからずっと、支えてきたのだ。
貴方に被せられた汚名も、寝る間も惜しんで捧げてきた苦労も全て無視をして……
もう振り向いてくれない貴方のため、人生を捧げていたのに。
「君は王妃に相応しくはない」と一蹴して、貴方は私を捨てる。
胸を穿つ悲しみ、耐え切れぬ悔しさ。
周囲の貴族は私を嘲笑している中で……私は思い出す。
自らの前世と、感覚を。
「うそでしょ…………」
取り戻した感覚が、全力でクドスを拒否する。
ある強烈な苦痛が……前世の感覚によって感じるのだ。
「むしろ、廃妃にしてください!」
長年の愛さえ潰えて、耐え切れず、そう言ってしまう程に…………
◇◇◇
強く、前世の知識を活かして成り上がっていく女性の物語です。
ぜひ読んでくださると嬉しいです!
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢アミュレットは、その完璧な美貌とは裏腹に、何事にも感情を揺らさず「はぁ、左様ですか」で済ませてしまう『塩対応』の令嬢。
ある夜会で、婚約者であるエリアス王子から一方的に婚約破棄を突きつけられるも、彼女は全く動じず、むしろ「面倒な義務からの解放」と清々していた。
謹んで、婚約破棄をお受けいたします。
パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる