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悲恋…(?)
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僕は二人を刺して、ひどく後悔した。
後悔先に立たずという言葉を思い出す。後先のことを考えられないほどに追い詰められていたが、倒れて寄り添うかのように永眠った二人を見て、なんてことをしてしまったのかと自分を責めた。二人はもう息をしない。僕の手の届かない場所へ、誰でもない僕が遣ってしまったのだ。女はどうでもいい。彼は僕の人なのに。
ふたりともがその腹からドクドクと血が溢れて、白いカーペットは紅く染まっていっている。それさえも、混ざり合った紅でハートをつくっているように見えて、嫌悪感を覚えた。
血濡れた包丁を握りしめ、女に馬乗りになる。薄いワンピースを一枚着ていただけであったから、さっきは肉の温かさを感じたが、今は少し冷たい。もうここに女の魂がないことは明白で、ただのたんぱく質の塊だけれど、胸の奥で消えることのない憎悪に任せて包丁を振り下ろした。
体内で血が固まりつつあるのか、吹き出ることはもうない。時々骨に刺さって、抜けにくくなる。ボキッ、ポキッ、グシャ、とまるで音楽でも奏でているような気分になった。
この女は、普段から流行の服を身にまとい、香水をつけて、彼をたぶらかしていた。あろうことか彼を騙して婚姻届を提出したのだ。僕は法律とやらのせいで、婚姻届に名前すら書けないのに。
ずるいずるいずるい。ひどいひどいひどい。
十数分前、女を黙らせるために腹を殴ったとき、女は「顔はやめてくれ」と泣いていた。腹にいる子供ではなく、最期の最期まで自分のことだけの女だった。そんな女ごときの為に怒り狂う彼も彼だ。目を覚ましてほしかった。女に騙されているのだと、気づいてほしかった。
「帰ろっか。結城君」
僕は彼の身体を担いで下に停めてあった車に乗せた。途中、人に見られてしまったから、警察が来るのも、時間の問題だろう。
「ねぇ、結城君。僕も一緒に逝っていいよね?」
吉野家に寄って、大学時代に二人でよく食べた牛丼を買った。天体観測が主な活動のサークルで、部員は僕らだけだった。夜に大学の屋上のカギを開けて、二人っきりの天体観測を心から楽しんだ。年齢がひとつ違っていたから、彼は僕を置いて、先に卒業してしまったけれど、留年したら一緒に卒業できるねなんて冗談を言ってくれるほど愛してくれていたから、遠距離恋愛でも、僕はよかった。それこそ、惑星ほどの距離があっても彼を信じていられた。
なのに、あの女が彼をたぶらかして、卑しくも体使って子供まで作って。僕ができないことを、難なくやっていったあの女が、許せなかった。
僕はどうして、女の子に生まれなかったのだろう。今度は両親に恨みをぶつけた。とはいえ、もうこの世にはいないけれど。お前は男なんだから早く嫁の顔を見せんか、なんてうるさいから天罰が…そう、天罰額だったに違いない。
僕が愛しているのは、彼だけだと何度も説明したのに、分かってくれないから。
車を走らせて一時間。自殺の名所として知られる崖に車を止めた。ガソリンがちょうどなくなった。ここが僕の終着点だと、車が告げているように思えた。
「結城君。一緒に逝こう?」
冷たくなった彼を何とかして担ぐ。よくドラマとかで、遺体を隠ぺいするために山に担いで捨てに行くシーンがあるけれど、それはフィクションにすぎないと身をもって知った。体格はいい方のはずの僕が抱えきれないほどに重たく、容赦ない重力を感じた。
崖の下は、突き出た岩の並ぶ荒波である。警察はもうすぐそこまで来ているだろうけど、車だけで、僕たちは見つけられまい。本望だ。
「愛してる。僕もすぐに逝くからね」
僕はベッドかソファーにでも倒れこむように、崖下へと身を投げた。やはり彼の身体は重たくて、スピードは半端なかったけれど、恋人繋ぎにした手だけは離さぬようにぎゅっと力を込めた。
バイバイ。偏見ばかりの世の中よ。
その捜査は初めから後手後手だった。家の中から異臭がすると通報を受け、駆けつけた警官が事件性ありと判断し、本庁に連絡を入れてからたった三日間の事件である。駆けつけた警官の対応は模範そのもので、署長からは賞状が贈られたほどである。初期捜査もなんの問題もなかった。唯一、落ち度があるとするならば、捜査本部の全員が犯人は女だと思い込んでしまっていたことだろう。
たった三日間。これだけ聞くとスピード逮捕のように聞こえるが、実際は被疑者死亡により書類送検である。
「先輩! 今回の事件、薄気味悪かったですね」
自動販売機の前で、ブラックコーヒーを嗜む桧垣幸助に両手を出す。ニコニコの笑顔を張り付けて。
「その顔をやめろ。毎度毎度、気色悪い」
なんて言いながら、百円玉を二枚入れている。強面な顔していながら、なんだかんだ後輩に弱いのだ。
「あざっす!!」
微糖の缶コーヒーを受け取る。「書類送検ですっけ? 今回の事件」
「ああ。被疑者と被害者の一人が消えたからな」
「結局見つからなかったっすもんね」
「お前は気づいていたのか?」
「なににです?」
「あれだよ。被疑者が男だったってことにだ」
「ああ、あれ…」
第二の現場を見た捜査官全員が『ホシは女だ』と信じて疑わなかった。第二の現場の被害者の女性は、致命傷を腹に抱えながら、死んだ後も何度も刺されていた。しかもその腹には三ヶ月目の子供がいたことがわかり、『痴情のもつれからの殺人』と捜査方針は決められた。
「あの状況じゃ、誰が見ても被疑者は女だって思いますよ。俺だって、目撃者の証言を疑いましたもん」
「だよなぁ。狙ってないのが怖いところだな」
「え?」
「あれは計画的なもんじゃないからな。おそらく、あそこまで逃げられたのは偶然だろうよ」
「もう一人の方は見つかってないんすよね。遺族に合わせる顔がないっすわ」
「お前みたいな下っ端が遺族に見せる顔だぁ? 十年早いわ。そういうのは上に任せときゃいいんだよ」
男の俺からしても、惚れるレベルで桧垣はかっこいいと思う。
「あざっす」ぼそりと言う。聞かれるのは、少し照れ臭かった。
「あ? 聞こえねえな? 礼はしっかり言うもんだろうが」
「聞こえてるじゃないですか!」
背中を向けて手を振りながら桧垣は去っていった。厳しすぎて泣いてしまう捜査官もいるほどなのに、陰口どころか噂にも悪い話が上らないのは、桧垣自身が耳ざといからだと思った。
消えた被害者と被疑者。彼らにどんな死後が待っているのか。俺は足りない頭で想像を膨らませながら、書類処理に追われる午後を過ごした。
Fin…?
後悔先に立たずという言葉を思い出す。後先のことを考えられないほどに追い詰められていたが、倒れて寄り添うかのように永眠った二人を見て、なんてことをしてしまったのかと自分を責めた。二人はもう息をしない。僕の手の届かない場所へ、誰でもない僕が遣ってしまったのだ。女はどうでもいい。彼は僕の人なのに。
ふたりともがその腹からドクドクと血が溢れて、白いカーペットは紅く染まっていっている。それさえも、混ざり合った紅でハートをつくっているように見えて、嫌悪感を覚えた。
血濡れた包丁を握りしめ、女に馬乗りになる。薄いワンピースを一枚着ていただけであったから、さっきは肉の温かさを感じたが、今は少し冷たい。もうここに女の魂がないことは明白で、ただのたんぱく質の塊だけれど、胸の奥で消えることのない憎悪に任せて包丁を振り下ろした。
体内で血が固まりつつあるのか、吹き出ることはもうない。時々骨に刺さって、抜けにくくなる。ボキッ、ポキッ、グシャ、とまるで音楽でも奏でているような気分になった。
この女は、普段から流行の服を身にまとい、香水をつけて、彼をたぶらかしていた。あろうことか彼を騙して婚姻届を提出したのだ。僕は法律とやらのせいで、婚姻届に名前すら書けないのに。
ずるいずるいずるい。ひどいひどいひどい。
十数分前、女を黙らせるために腹を殴ったとき、女は「顔はやめてくれ」と泣いていた。腹にいる子供ではなく、最期の最期まで自分のことだけの女だった。そんな女ごときの為に怒り狂う彼も彼だ。目を覚ましてほしかった。女に騙されているのだと、気づいてほしかった。
「帰ろっか。結城君」
僕は彼の身体を担いで下に停めてあった車に乗せた。途中、人に見られてしまったから、警察が来るのも、時間の問題だろう。
「ねぇ、結城君。僕も一緒に逝っていいよね?」
吉野家に寄って、大学時代に二人でよく食べた牛丼を買った。天体観測が主な活動のサークルで、部員は僕らだけだった。夜に大学の屋上のカギを開けて、二人っきりの天体観測を心から楽しんだ。年齢がひとつ違っていたから、彼は僕を置いて、先に卒業してしまったけれど、留年したら一緒に卒業できるねなんて冗談を言ってくれるほど愛してくれていたから、遠距離恋愛でも、僕はよかった。それこそ、惑星ほどの距離があっても彼を信じていられた。
なのに、あの女が彼をたぶらかして、卑しくも体使って子供まで作って。僕ができないことを、難なくやっていったあの女が、許せなかった。
僕はどうして、女の子に生まれなかったのだろう。今度は両親に恨みをぶつけた。とはいえ、もうこの世にはいないけれど。お前は男なんだから早く嫁の顔を見せんか、なんてうるさいから天罰が…そう、天罰額だったに違いない。
僕が愛しているのは、彼だけだと何度も説明したのに、分かってくれないから。
車を走らせて一時間。自殺の名所として知られる崖に車を止めた。ガソリンがちょうどなくなった。ここが僕の終着点だと、車が告げているように思えた。
「結城君。一緒に逝こう?」
冷たくなった彼を何とかして担ぐ。よくドラマとかで、遺体を隠ぺいするために山に担いで捨てに行くシーンがあるけれど、それはフィクションにすぎないと身をもって知った。体格はいい方のはずの僕が抱えきれないほどに重たく、容赦ない重力を感じた。
崖の下は、突き出た岩の並ぶ荒波である。警察はもうすぐそこまで来ているだろうけど、車だけで、僕たちは見つけられまい。本望だ。
「愛してる。僕もすぐに逝くからね」
僕はベッドかソファーにでも倒れこむように、崖下へと身を投げた。やはり彼の身体は重たくて、スピードは半端なかったけれど、恋人繋ぎにした手だけは離さぬようにぎゅっと力を込めた。
バイバイ。偏見ばかりの世の中よ。
その捜査は初めから後手後手だった。家の中から異臭がすると通報を受け、駆けつけた警官が事件性ありと判断し、本庁に連絡を入れてからたった三日間の事件である。駆けつけた警官の対応は模範そのもので、署長からは賞状が贈られたほどである。初期捜査もなんの問題もなかった。唯一、落ち度があるとするならば、捜査本部の全員が犯人は女だと思い込んでしまっていたことだろう。
たった三日間。これだけ聞くとスピード逮捕のように聞こえるが、実際は被疑者死亡により書類送検である。
「先輩! 今回の事件、薄気味悪かったですね」
自動販売機の前で、ブラックコーヒーを嗜む桧垣幸助に両手を出す。ニコニコの笑顔を張り付けて。
「その顔をやめろ。毎度毎度、気色悪い」
なんて言いながら、百円玉を二枚入れている。強面な顔していながら、なんだかんだ後輩に弱いのだ。
「あざっす!!」
微糖の缶コーヒーを受け取る。「書類送検ですっけ? 今回の事件」
「ああ。被疑者と被害者の一人が消えたからな」
「結局見つからなかったっすもんね」
「お前は気づいていたのか?」
「なににです?」
「あれだよ。被疑者が男だったってことにだ」
「ああ、あれ…」
第二の現場を見た捜査官全員が『ホシは女だ』と信じて疑わなかった。第二の現場の被害者の女性は、致命傷を腹に抱えながら、死んだ後も何度も刺されていた。しかもその腹には三ヶ月目の子供がいたことがわかり、『痴情のもつれからの殺人』と捜査方針は決められた。
「あの状況じゃ、誰が見ても被疑者は女だって思いますよ。俺だって、目撃者の証言を疑いましたもん」
「だよなぁ。狙ってないのが怖いところだな」
「え?」
「あれは計画的なもんじゃないからな。おそらく、あそこまで逃げられたのは偶然だろうよ」
「もう一人の方は見つかってないんすよね。遺族に合わせる顔がないっすわ」
「お前みたいな下っ端が遺族に見せる顔だぁ? 十年早いわ。そういうのは上に任せときゃいいんだよ」
男の俺からしても、惚れるレベルで桧垣はかっこいいと思う。
「あざっす」ぼそりと言う。聞かれるのは、少し照れ臭かった。
「あ? 聞こえねえな? 礼はしっかり言うもんだろうが」
「聞こえてるじゃないですか!」
背中を向けて手を振りながら桧垣は去っていった。厳しすぎて泣いてしまう捜査官もいるほどなのに、陰口どころか噂にも悪い話が上らないのは、桧垣自身が耳ざといからだと思った。
消えた被害者と被疑者。彼らにどんな死後が待っているのか。俺は足りない頭で想像を膨らませながら、書類処理に追われる午後を過ごした。
Fin…?
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