毒薬

たみやえる

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毒薬

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彼は普段から、あまり話さない人だった。


でも大丈夫。


会話がほとんどない日常でも、彼のそばにいて家事をして一緒に暮らせるだけで幸せだから。


無口な彼が私の恋人。名前は榎田紘えのきだひろという。


大学二年で付き合い始めて、すぐ同棲にもつれ込んた私たち。


大好きな彼。大好きな彼との生活。


全てが順調だった学生時代。



ーーーー
ーー



そして。


社会人三年目の今。


彼は変わってしまったと、ハッキリ実感している。


だって彼は今日、私ではない、別の女と結婚するのだから。



うぅん。最初は気づいていなかったの。


でも……。


その変化は確かに存在していて。


私は、その変化から目を逸らしていただけだった……。



***



最初の変化は三年前。  


お互い新入社員の頃。


ラッキーなことに、私たちは同じ会社に入社した。


まるで運命が私たち二人を(離れちゃいけないよ)って祝福してくれてるみたい……、って私は有頂天になっていた。


なのに。


同じ会社に就職したのに。

彼は私と一緒に出社するのを嫌がったのだ。



学生時代はそんなことなかったのに……。



「だって新入社員が彼女同伴で出社したら、もうそれだけでゆるんでるって、面倒な上司から目をつけられちゃうよ」


「ふふっ、紘の部署の上司は面倒な人なの?」


「新入社員の俺から見てもデキない人なんだよー。でも、上司に睨まれたら出世に響くだろ? なるたけ早く結婚したいしさ」


そんなこと言われてしまったら、一緒に出勤したいなんて我儘な気がして私は何も言えなくなった。


だから、出勤も別々なら帰りだって別々。


しかも、課では一番のペーペーだからって紘は休日出勤も多くて、一緒に住んでいるのに食事の時間も寝る時間もまるで別々。


会社でやらかしたミスや人間関係の愚痴を聞いてもらいたくても、そんなの全く無理だった。


折角作った夕飯を食べてもらえないままラップして、壁にかけた時計を何度も見ながらダラダラとテレビのチャンネルを変えて。


彼のことを待ちきれなくてベッドに入れば昼間の疲れで私もあっさり眠りについてしまう。


朝になると彼は私の横でいびきをかいて寝ている。


朝ごはんを用意しようとリビング兼キッチンに入ると、そこには昨日のまま手付かずの夕食がテーブルにあって、まずはそれを片付けることから始めなければならないのだった。


段々、焦りというか不満が私の中に積み重なっていた。


でも、それを紘にぶつけて別れを告げられるのが怖い私は何でもないフリをずっと続けていた。


だって、紘はカッコ良くて頭も良くて。


こんな素敵なひと、逃したらもぅ次は無い。


優秀な彼が入社直後に配属されたのは、社内で花形部署と名高い、営業一課だった。


営業という仕事は彼には向いていたのか、すぐに次々と仕事をとるようになって、彼は新入社員の中でも一目置かれる存在になっていった。


そんな華やかな仕事をしている彼に対して、私の方は総務課で地味に雑用係をやっていた。


ホント、地味で男性社員の指示通りに動かされるだけの面白みのない仕事。


私だって紘みたいに輝きたい。

「彼女、なかなか凄いね」って言われてみたい。


でもそんな機会は来ることはないし、そもそも自分にそんな能力がないことも弁えていた。


日々の業務にすり減る私を支えてくれていたのは、
(私は営業一課にいる彼のカノジョなのよ)
ということだった。


紘は私たちが付き合っているのは黙っていようっていうから、彼が私の彼だと口に出して言ったことは一度もない。


でも、その事実が私のなけなしのプライドのっかえ棒になってくれていた。


いきなり手の届かない雲の上の人になってしまった紘。

お互いの課があるフロアも階が違うから、仕事のふりして紘の様子をこっそり見に行くこともできない。

それでも、私は満足していた。

違うか。

満足しようとしていた……。


いつ、彼が他の女性社員に目をつけられて奪われてしまうか、内心戦々恐々としながら……。



***



そんな中でも気を許して話せたのが、私の高校からの親友の友田理世だった。

そう、あれは二年前。


会社の昼休み、午後の始業前に駆け込んだパウダールームでだったと思う。


並んだ鏡に映る美人を横目で見ながらわたしはファンデーションをパタパタ顔にはたいていた。


桜智さちったら、なんで榎田クンと一緒に出社しないのよ」


美人……な私の親友が、赤いリップを唇を塗りながら聞いてくる。


私は苦笑いで応じてこう答えた。

「だって、まだ入社二年目だもの。社内恋愛ってバレたら周りがうるさいと思って。怖い先輩方からアレコレ言われるのは嫌だなぁ」


「何悠長なこと言ってんのよ。ウチの秘書課でも榎田クンに目をつけてるひとは多いんだから。しっかりしなさいよ」


「えっ、そうなの?」


「そうよ。トンビに油揚げ掻っ攫われる前に彼は私のモノなのよって意思表示しなくちゃ」


「そう言われても。彼からも、私たちのことまだ秘密にしていようって言われてるの……」


「もうっ、ハッキリしないわねっ」


 そう言って私の肩を激励するように軽く叩いてきた理世を私は誰よりも信じて、頼りにしていたのに……。



ーーーー
ーー




毎年、紘とふたりで行った夏祭り。

今年は紘がどうしても抜けられない接待があるからと、私はひとりでやってきていた。


色とりどりの夜店が並ぶ中……。


浴衣姿で寄り添う恋人たちが嫌でも目に飛び込んできて、私は(来るんじゃなかった……)と後悔し始めていた。


こんな夜に限って、理世とも連絡がつかないんだもの。


ふと腕時計を確認すると、もうすぐ花火の最後のハイライトの大玉が上がる時刻が近づいていた。


それを見たら帰ろう……。


そう考えて視線を動かした先。


風船釣りをしているカップルに、私は釘付けになった。


それは、お互い浴衣を着て釣り上げた風船を手に笑いあう、紘と理世だった……。


(嘘。嘘、うそ……)


紘は普段とまったく違って見えた。


饒舌にしゃべり、理世の腰に巻かれた金魚のような帯を引き寄せ肩を抱いている。


(私といる時、そんなに喋ったことあった?)
と、大声をあげて飛び出してやりたかった。でも私は意気地がなくて……できなかった。


ふたりはまるで接着剤をつけたみたいにピタリと寄り添っていて、誰がどう見ても熱々の恋人同士という風情。


唇を噛み締める私なんかには、全く気づかない。


見ていられなくて、仲の良さを周りに見せつけるふたりから逃げるように、私は逆方向へと歩いた。


とにかくがむしゃらに足を動かした。


そのうち居並んでいた夜店もまばらになって、人通りがすとんと途絶えたその場所に、その妖しげな露店がひとつだけ、ぽつんとあった。


今、その場所を聞かれても多分同じ場所にまた行くことは無理な気がする。


そんな不合理なことが当たり前に思える、不思議であやしい店だった。


店先の張り紙には、

~恨み、復讐に効くお薬置いてあります~

と書かれていた。


……今の私にあまりにもおあつらえむきなその宣伝文句。


私が、吸い込まれるようにその店の前に立ち止まったのも仕方ないのことと思ってほしい。


ただ、その時の私にはまだ、恨みとか憎しみとか、そんな感情モノは少しもなかった。


それでも、なぜか勧められるまま、その〈薬〉を買ってしまったのだ。


値段は二千円。


そんなに高くない。


(本当に、そんな安い値段で復讐できるの……?)


「必ず損はしませんから」


と気味悪く言った店主の笑顔に、ブルっと震えがはしったことを妙にくっきり覚えている。



これは……毒薬?



「これを飲ませてやりなさい。そしてせいぜい後悔させてやるのです」


そう言われて、知らず知らずのうちに私はうなずいていたのだ。



***



そのあとすぐ、紘は私とおよそ七年近く一緒に暮らした部屋を出ていった。


話し合いなんてなかった。


会社から私が帰ったら、紘の荷物だけごっそり無くなっていたのだ。


それが、たった三ヶ月前。


理世との結婚を知らせる手紙が届いたのが一ヶ月前。


突然の結婚報告に会社の人間は驚いたけれど、ふたりはにこやかに「おめでた婚なんです」と言ったのだとか。





あの露店でこの薬を買った時は、本気で使おうなんて考えなかったのに。


今ではこの薬は、私の一番大切な秘密、そして切り札になった。


こんなもの持っているって誰かに見られたら、そんな不安とおそれが何度も頭をよぎった。


そうしたら警察に捕まるのではないか。


心の弱い私はその度にこれを捨てようとした。


でもその度、夏祭りに見たふたりの姿が頭に浮かんで……。


捨てるなんてもったいないこと出来るわけがなかった。




怖いのは警察に捕まることじゃない。


この憎しみを、裏切られた恨みを晴らせないまま終わってしまうことだ……。




ーーーー
ーー



そして。


今日はとうとう、紘と理世の結婚式当日。


友人代表として紘と理世に贈るスピーチをして欲しいと頼まれるなんて、ひとを馬鹿にするのもいい加減にして、と本当なら結婚式にも出ないと怒鳴ってやりたかった。


でも、私はそうしなかった。



この話を持ちかけられた時。

呼び出されたちょっと高級なレストラン。


紘も同席していて……、本当は呼ばれても二人の前に座るなんて屈辱すぎて嫌だったのに。


私は歯を食いしばって微笑んだ。


「おめでとう」
って言った。


心の中では血の涙を流しながら……。




(なんて弱い私……)
と自己嫌悪に陥ったけれど、この話を受けてよかったのだ。



スピーチの後、結婚する二人に私からシャンパンの入ったグラスを渡し、乾杯の音頭をとることになっている。


(……どこまでも私に屈辱を与えようって魂胆なのね)

と歯軋りしたものだけれど、今ではなんて良いチャンスをくれたの! と小躍りしたいくらい。




ーーあぁ、もうすぐこのスピーチが終わってしまう。



私が買った毒薬は琥珀色の液体の中ですっかり溶けて、飲まれるのを待っている。



(ねぇ、どうして私を裏切ったりしたの?)



新郎の元恋人の分。


新婦の元親友の分。


そして、私の。





買った毒薬はひとつだけだった。




私の目の前には、三つのグラスが並んでいる……。




胸の中で暴れ回る復讐心を押さえつけながら、慣れない人前でのスピーチをしていたのよ。




どのグラスにそれが入っているのか、なんて。





……私は覚えていない……。






〈了〉
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