16 / 75
4-4
しおりを挟む
「僕、入社してすぐ、あの人に怒られたからなあ」
え? と思った。アメリカの超有名大学出さえも容赦なく怒れるなんて。私も田中さんに毎日、仕事が遅い、正確じゃないとガミガミ言われていた。千賀氏に対して急に、同情と共感が湧きあがってきた私は、自分の注文分が飲み終わったからハイさよなら、なんてできなくなってしまった。思わず腰を下ろし直してしまった。
「千賀さんが怒られるんですか? ……凄い人って聞いてますけど」と言うと千賀氏は「いやいや……」と顔の前で手のひらを左右にひらつかせた。うーんと言って天井の方を見上げ、
「入社したての頃だったかな。電子顕微鏡用の手袋ダメにしましてね。上司の承諾なしにメーカーに発注しちゃったんですよ、手袋」
と言った。
私、思わず目が点になってしまった。手袋程度でめくじら立てる? おかしいんじゃないかなー。猛禽類め、カルシウム足りてへんのとちゃう?(エセ関西弁)
「いやあー。あの時は怒られたなあ」
と、千賀氏が鼻の頭をぽりぽりかいた。
「十万しましたかね、当時」
「十万円、ですか!?」
手袋……と聞いてせいぜい千円、二千円だろうと思っていた私は驚いて鼻息が荒くなってしまった。サンドイッチをほおばる千賀氏に見つめられ、つい乗り出していた体を元に戻す。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「上司の承認を得なくてはいけない物品だったそうでしてね」
と話す千賀氏はいたってのんびりとしている。もし私に今十万あったら……飛び上がって喜んで……借金の返済に回すだろうな。そこだけすごく物悲しいけど。でもさ、それだけ高額なものならうっかりものの私だって誰かにまず相談するレベルだ。それをいきなり直でメーカーに発注しちゃうなんて私でも呆れちゃうぞ。
「……あのお、千賀さんって何歳ですか」
「それは、いい歳して常識ないな、という類の当てこすりですか」
たまごサンドの白身を潰した粒を唇の端っこにつけた千賀氏が私の顔をのぞきこんでくる。ゲゲ! 失言だったのか!?
「違います!」
「そうですか」
渾身の気合いを込めて言ったのが良かったのか、千賀氏は表情をゆるめた。
「実は最近も同僚から呆れられました。あてこすりも嫌味も通じないお前は社会人ではないと」
おだやかに言う分悲しみがこもっている気がした。私はギュッと胸を締め付けられて反射的に、
「その人、すっごい、嫌な人ですね」
と言った。千賀氏が目も口もぱかっと丸くする。しかも、こきざみにフルってるんですけど?
「ああ、そっか。そうですね。嫌な人か。そうかー……」
そんなふうに認識していなかったなあ、と興奮の色濃い声音。ディスってきた相手(誰か知らないけど)に対して真実に悪感情を抱いていなかったらしい。
私、ちょっとだけ千賀氏のことわかってきたかも……この人まっさらでマシュマロみたいな心の持ち主なんだ。天然で、正直で、悪意からとっても遠い人。
気は利かないけどさ。
……どうしよう。好きになってきちゃったかもしれない。
「……千賀さん、そんなふうに言われて傷つきませんでしたか」
そう聞いたのは、千賀氏の心が傷ついていないか、私、心配だったから。千賀氏は角砂糖五つコーヒーにじゃぽじゃぽ入れると小首をかしげた。
「傷ついた……のかもしれませんね。彼に、僕のこと好きになってもらおうとしたけど、ダメでした」
——す・き!!
(千賀氏の恋愛対象は同性なの~っ!?)
「……好き……って恋愛的に、ですか」
うそっ。それじゃ、私の〈私はかわいい新妻よ♡&借金とおさらば計画〉が発動すらできなくなる。千賀氏にフられるレンの泣きっ面を見れそうなのは面白いけど、私の将来設計がワヤになるのは勘弁してほしい。
私の顔をマジマジと見ていた千賀氏がぷっと吹き出した。
「伊豆川さんの話の振れ幅には驚かされますね……貴女、面白い」
身体を折り、口を覆っても、堪えきれないのか千賀氏の肩が上下に揺れている。私はその様子を見ながら考えた。
——えっと。この流れで爆笑ってことは、千賀氏、同性愛者じゃないってこと? 私が的外れなこと言って、それがツボにハマったって感じかな。
千賀氏は私の反応が面白いらしいけど、私には千賀氏の反応の方が未知……というか不思議に満ちている。そんな千賀氏にどんどん気持ちが引き寄せられていく。
え? と思った。アメリカの超有名大学出さえも容赦なく怒れるなんて。私も田中さんに毎日、仕事が遅い、正確じゃないとガミガミ言われていた。千賀氏に対して急に、同情と共感が湧きあがってきた私は、自分の注文分が飲み終わったからハイさよなら、なんてできなくなってしまった。思わず腰を下ろし直してしまった。
「千賀さんが怒られるんですか? ……凄い人って聞いてますけど」と言うと千賀氏は「いやいや……」と顔の前で手のひらを左右にひらつかせた。うーんと言って天井の方を見上げ、
「入社したての頃だったかな。電子顕微鏡用の手袋ダメにしましてね。上司の承諾なしにメーカーに発注しちゃったんですよ、手袋」
と言った。
私、思わず目が点になってしまった。手袋程度でめくじら立てる? おかしいんじゃないかなー。猛禽類め、カルシウム足りてへんのとちゃう?(エセ関西弁)
「いやあー。あの時は怒られたなあ」
と、千賀氏が鼻の頭をぽりぽりかいた。
「十万しましたかね、当時」
「十万円、ですか!?」
手袋……と聞いてせいぜい千円、二千円だろうと思っていた私は驚いて鼻息が荒くなってしまった。サンドイッチをほおばる千賀氏に見つめられ、つい乗り出していた体を元に戻す。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「上司の承認を得なくてはいけない物品だったそうでしてね」
と話す千賀氏はいたってのんびりとしている。もし私に今十万あったら……飛び上がって喜んで……借金の返済に回すだろうな。そこだけすごく物悲しいけど。でもさ、それだけ高額なものならうっかりものの私だって誰かにまず相談するレベルだ。それをいきなり直でメーカーに発注しちゃうなんて私でも呆れちゃうぞ。
「……あのお、千賀さんって何歳ですか」
「それは、いい歳して常識ないな、という類の当てこすりですか」
たまごサンドの白身を潰した粒を唇の端っこにつけた千賀氏が私の顔をのぞきこんでくる。ゲゲ! 失言だったのか!?
「違います!」
「そうですか」
渾身の気合いを込めて言ったのが良かったのか、千賀氏は表情をゆるめた。
「実は最近も同僚から呆れられました。あてこすりも嫌味も通じないお前は社会人ではないと」
おだやかに言う分悲しみがこもっている気がした。私はギュッと胸を締め付けられて反射的に、
「その人、すっごい、嫌な人ですね」
と言った。千賀氏が目も口もぱかっと丸くする。しかも、こきざみにフルってるんですけど?
「ああ、そっか。そうですね。嫌な人か。そうかー……」
そんなふうに認識していなかったなあ、と興奮の色濃い声音。ディスってきた相手(誰か知らないけど)に対して真実に悪感情を抱いていなかったらしい。
私、ちょっとだけ千賀氏のことわかってきたかも……この人まっさらでマシュマロみたいな心の持ち主なんだ。天然で、正直で、悪意からとっても遠い人。
気は利かないけどさ。
……どうしよう。好きになってきちゃったかもしれない。
「……千賀さん、そんなふうに言われて傷つきませんでしたか」
そう聞いたのは、千賀氏の心が傷ついていないか、私、心配だったから。千賀氏は角砂糖五つコーヒーにじゃぽじゃぽ入れると小首をかしげた。
「傷ついた……のかもしれませんね。彼に、僕のこと好きになってもらおうとしたけど、ダメでした」
——す・き!!
(千賀氏の恋愛対象は同性なの~っ!?)
「……好き……って恋愛的に、ですか」
うそっ。それじゃ、私の〈私はかわいい新妻よ♡&借金とおさらば計画〉が発動すらできなくなる。千賀氏にフられるレンの泣きっ面を見れそうなのは面白いけど、私の将来設計がワヤになるのは勘弁してほしい。
私の顔をマジマジと見ていた千賀氏がぷっと吹き出した。
「伊豆川さんの話の振れ幅には驚かされますね……貴女、面白い」
身体を折り、口を覆っても、堪えきれないのか千賀氏の肩が上下に揺れている。私はその様子を見ながら考えた。
——えっと。この流れで爆笑ってことは、千賀氏、同性愛者じゃないってこと? 私が的外れなこと言って、それがツボにハマったって感じかな。
千賀氏は私の反応が面白いらしいけど、私には千賀氏の反応の方が未知……というか不思議に満ちている。そんな千賀氏にどんどん気持ちが引き寄せられていく。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる