総務部人事課慰労係

たみやえる

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「僕、入社してすぐ、あの人に怒られたからなあ」

 え? と思った。アメリカの超有名大学出さえも容赦なく怒れるなんて。私も田中さんに毎日、仕事が遅い、正確じゃないとガミガミ言われていた。千賀氏に対して急に、同情と共感が湧きあがってきた私は、自分の注文分が飲み終わったからハイさよなら、なんてできなくなってしまった。思わず腰を下ろし直してしまった。

「千賀さんが怒られるんですか? ……凄い人って聞いてますけど」と言うと千賀氏は「いやいや……」と顔の前で手のひらを左右にひらつかせた。うーんと言って天井の方を見上げ、
「入社したての頃だったかな。電子顕微鏡用の手袋ダメにしましてね。上司の承諾なしにメーカーに発注しちゃったんですよ、手袋」
と言った。

 私、思わず目が点になってしまった。手袋程度でめくじら立てる? おかしいんじゃないかなー。猛禽類め田中さん、カルシウム足りてへんのとちゃう?(エセ関西弁)

「いやあー。あの時は怒られたなあ」
と、千賀氏が鼻の頭をぽりぽりかいた。

「十万しましたかね、当時」

「十万円、ですか!?」

 手袋……と聞いてせいぜい千円、二千円だろうと思っていた私は驚いて鼻息が荒くなってしまった。サンドイッチをほおばる千賀氏に見つめられ、つい乗り出していた体を元に戻す。めちゃくちゃ恥ずかしい。

「上司の承認を得なくてはいけない物品だったそうでしてね」

と話す千賀氏はいたってのんびりとしている。もし私に今十万あったら……飛び上がって喜んで……借金の返済に回すだろうな。そこだけすごく物悲しいけど。でもさ、それだけ高額なものならうっかりものの私だって誰かにまず相談するレベルだ。それをいきなりちょくでメーカーに発注しちゃうなんて私でも呆れちゃうぞ。

「……あのお、千賀さんって何歳ですか」

「それは、いい歳して常識ないな、という類の当てこすりですか」

 たまごサンドの白身を潰した粒を唇の端っこにつけた千賀氏が私の顔をのぞきこんでくる。ゲゲ! 失言だったのか!?

「違います!」

「そうですか」

 渾身の気合いを込めて言ったのが良かったのか、千賀氏は表情をゆるめた。

「実は最近も同僚から呆れられました。あてこすりも嫌味も通じないお前は社会人ではないと」

 おだやかに言う分悲しみがこもっている気がした。私はギュッと胸を締め付けられて反射的に、

「その人、すっごい、嫌な人ですね」

と言った。千賀氏が目も口もぱかっと丸くする。しかも、こきざみにフルってるんですけど?

「ああ、そっか。そうですね。嫌な人か。そうかー……」

 そんなふうに認識していなかったなあ、と興奮の色濃い声音。ディスってきた相手(誰か知らないけど)に対して真実ほんとに悪感情を抱いていなかったらしい。


 私、ちょっとだけ千賀氏のことわかってきたかも……この人まっさらでマシュマロみたいな心の持ち主なんだ。天然で、正直で、悪意からとっても遠い人。

 
 気は利かないけどさ。


 ……どうしよう。好きになってきちゃったかもしれない。

 
「……千賀さん、そんなふうに言われて傷つきませんでしたか」

 そう聞いたのは、千賀氏の心が傷ついていないか、私、心配だったから。千賀氏は角砂糖五つコーヒーにじゃぽじゃぽ入れると小首をかしげた。

「傷ついた……のかもしれませんね。彼に、僕のこと好きになってもらおうとしたけど、ダメでした」

——す・き!!

(千賀氏の恋愛対象は同性なの~っ!?)

「……好き……って恋愛的に、ですか」

 うそっ。それじゃ、私の〈私はかわいい新妻よ♡&借金とおさらば計画〉が発動すらできなくなる。千賀氏にフられるレンの泣きっ面を見れそうなのは面白いけど、私の将来設計がワヤになるのは勘弁してほしい。

 私の顔をマジマジと見ていた千賀氏がぷっと吹き出した。

「伊豆川さんの話の振れ幅には驚かされますね……貴女、面白い」

 身体を折り、口を覆っても、堪えきれないのか千賀氏の肩が上下に揺れている。私はその様子を見ながら考えた。

——えっと。この流れで爆笑ってことは、千賀氏、同性愛者じゃないってこと? 私が的外れなこと言って、それがツボにハマったって感じかな。

 千賀氏は私の反応が面白いらしいけど、私には千賀氏の反応の方が未知……というか不思議に満ちている。そんな千賀氏にどんどん気持ちが引き寄せられていく。

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