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今日の仕事は、社内全ての電球が切れていないかを見回り交換すること。
右肩に脚立を担ぎ、左手に館内の地図を挟んだバインダーを持ってほっぺた膨らませて歩く私を、時折すれ違う社員が何事かと振り返る。
(氷雨先輩も前途多難みたいだけどさ、私だって……)
歩きながらでも、頭の中によみがえってくる。あの時のこと。
「本気ですよ」って私に囁いた煤影サン。
その言葉には続きがあった。
「千賀さんの唯一無二の才能の持ち主だと信じています。しかし、早すぎる天才は理解されにくいのも世の習い」
「はあ」
と私は生返事した。正直、天才のことなんてわからない。頭が良い=いい生活ができるんじゃあないの?
「クライアントは今になって彼のことを高い買い物と思い始めています。過大評価していたのではないかと。いえ、彼の研究自体与太話ではないかと疑っている」
彼の今の研究テーマを知っていますか、と聞かれて私は首を横に振った。
「彼はね、塗るだけで半導体ができる塗料を研究しているのです」
「は? そんなの無理でしょ」
思わず素が出てしまった。あっ、となった私、(ひぇ~、失礼な言い方しちゃった……)って冷や汗書いたんだけど、
「ですよね。そんなお手軽に作れるのなら、こんなでかい工場はいらない。製造過程で使われる人体に有害な化学物質を使う必要もなくなる」
煤影サンは気を悪くした風もなく言ってくるから、これはホントの話なの!? って、わかった。嘘でしょ? マジで?
「……ほんとうに、そんな塗料ができるならすごいこと……なんですよね」
「凄いですね。スマホに車、何にでも半導体がいる。需要は右肩上がりだ。彼の研究が実用化されれば、その恩恵は計り知れません」
「へぇー……」
驚きすぎて、もはやどんな合いの手を入れればいいかわからなかった。まだ話は続いていて、
「……クライアントに彼を手に入れる必要性を理解してもらうためには、彼の研究データを見ていただくのが一番手っ取り早いと思うのですが……」
と、煤影サンは何か期待するような、なんとも言えない表情で私を見たものだ。
(……が?)息を呑んで次の言葉を待ち構えた私に彼がフッと微笑んだ。
「しかし、彼のこれまでの研究を持ち出すことはできないと千賀さん本人に断られました。それは会社のものだから、と」
「え? 千賀さんの研究なのに、ですか?」
「そうです。彼が研究していた、彼の研究なのに。彼の自由にならないなんて理不尽だと思いませんか」
(……それは確かに。そうかも)
「そこであなたに秘密のお願いがあります」
と、煤影サンはそこで舌で唇を湿らせると、
「千賀さんの研究データを少しの間でいい。借りてきてもらいたいのです」
と言ったんだ。
「え、私が?」
「はい。あなたにしか頼めません、こんなこと」
煤影サンは、まるでこれから術を見せる凄腕マジシャンみたいに間をとって、
「借りるだけです。クライアントに見せたら、元あった場所に返せば良いのです。これも皆千賀さんのためです」
と言ったのだった……。
(借りるだけ……って言われても)
とても誰かに相談できる内容じゃなかった。悶々としてた私、すごい表情してたのかも。そんな私の前に、
「あれ、伊豆川さん。難しい表情で一体どうしたんですか? 悩み事?」
と、現れたのは千賀氏だった。その登場の仕方があまりにもタイムリーで驚いた私は、
「ギャッ」
と、叫んで肩に担いでいた脚立を床に落としてしまった。その拍子に脚立の足が私の右小指を直撃した。あまりの痛さに私は声も出ない。そんな私を千賀氏はさっと抱き上げたんだ。途中、千賀氏に姫抱きされている私のことジロジロ見てくる社員がいたけど、そんなこと少しも苦にならなかった!
着いたのは研究棟だった。
でも、私が働いていた事務室じゃなくて、入ったこともないその奥、ドアに「千賀」って表示のある小さな部屋。机の上はパソコンひとつだけ。本棚の本は床に置かれた段ボールに入れられてガランとしていた。
千賀氏は私を椅子に座らせ、カーテンを閉めると、
「僕は向こうを向いてますから、手当てしやすいようにストッキングを脱いでください」
と言った。
右肩に脚立を担ぎ、左手に館内の地図を挟んだバインダーを持ってほっぺた膨らませて歩く私を、時折すれ違う社員が何事かと振り返る。
(氷雨先輩も前途多難みたいだけどさ、私だって……)
歩きながらでも、頭の中によみがえってくる。あの時のこと。
「本気ですよ」って私に囁いた煤影サン。
その言葉には続きがあった。
「千賀さんの唯一無二の才能の持ち主だと信じています。しかし、早すぎる天才は理解されにくいのも世の習い」
「はあ」
と私は生返事した。正直、天才のことなんてわからない。頭が良い=いい生活ができるんじゃあないの?
「クライアントは今になって彼のことを高い買い物と思い始めています。過大評価していたのではないかと。いえ、彼の研究自体与太話ではないかと疑っている」
彼の今の研究テーマを知っていますか、と聞かれて私は首を横に振った。
「彼はね、塗るだけで半導体ができる塗料を研究しているのです」
「は? そんなの無理でしょ」
思わず素が出てしまった。あっ、となった私、(ひぇ~、失礼な言い方しちゃった……)って冷や汗書いたんだけど、
「ですよね。そんなお手軽に作れるのなら、こんなでかい工場はいらない。製造過程で使われる人体に有害な化学物質を使う必要もなくなる」
煤影サンは気を悪くした風もなく言ってくるから、これはホントの話なの!? って、わかった。嘘でしょ? マジで?
「……ほんとうに、そんな塗料ができるならすごいこと……なんですよね」
「凄いですね。スマホに車、何にでも半導体がいる。需要は右肩上がりだ。彼の研究が実用化されれば、その恩恵は計り知れません」
「へぇー……」
驚きすぎて、もはやどんな合いの手を入れればいいかわからなかった。まだ話は続いていて、
「……クライアントに彼を手に入れる必要性を理解してもらうためには、彼の研究データを見ていただくのが一番手っ取り早いと思うのですが……」
と、煤影サンは何か期待するような、なんとも言えない表情で私を見たものだ。
(……が?)息を呑んで次の言葉を待ち構えた私に彼がフッと微笑んだ。
「しかし、彼のこれまでの研究を持ち出すことはできないと千賀さん本人に断られました。それは会社のものだから、と」
「え? 千賀さんの研究なのに、ですか?」
「そうです。彼が研究していた、彼の研究なのに。彼の自由にならないなんて理不尽だと思いませんか」
(……それは確かに。そうかも)
「そこであなたに秘密のお願いがあります」
と、煤影サンはそこで舌で唇を湿らせると、
「千賀さんの研究データを少しの間でいい。借りてきてもらいたいのです」
と言ったんだ。
「え、私が?」
「はい。あなたにしか頼めません、こんなこと」
煤影サンは、まるでこれから術を見せる凄腕マジシャンみたいに間をとって、
「借りるだけです。クライアントに見せたら、元あった場所に返せば良いのです。これも皆千賀さんのためです」
と言ったのだった……。
(借りるだけ……って言われても)
とても誰かに相談できる内容じゃなかった。悶々としてた私、すごい表情してたのかも。そんな私の前に、
「あれ、伊豆川さん。難しい表情で一体どうしたんですか? 悩み事?」
と、現れたのは千賀氏だった。その登場の仕方があまりにもタイムリーで驚いた私は、
「ギャッ」
と、叫んで肩に担いでいた脚立を床に落としてしまった。その拍子に脚立の足が私の右小指を直撃した。あまりの痛さに私は声も出ない。そんな私を千賀氏はさっと抱き上げたんだ。途中、千賀氏に姫抱きされている私のことジロジロ見てくる社員がいたけど、そんなこと少しも苦にならなかった!
着いたのは研究棟だった。
でも、私が働いていた事務室じゃなくて、入ったこともないその奥、ドアに「千賀」って表示のある小さな部屋。机の上はパソコンひとつだけ。本棚の本は床に置かれた段ボールに入れられてガランとしていた。
千賀氏は私を椅子に座らせ、カーテンを閉めると、
「僕は向こうを向いてますから、手当てしやすいようにストッキングを脱いでください」
と言った。
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