総務部人事課慰労係

たみやえる

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 もぅ、びっくりしたのなんのって!


 煤影サンがマイケルの胸ぐら掴んでその胸にナイフを突き立てようと手を振りかざしている。ライオンの背が波打ち煤影サンに飛びかかるのはほぼ同時だった。


 煤影サンの喉が食いちぎられる幻視が一瞬見えた。息を止めた私の目の前で。機材の間から飛び出した影がライオンにぶつかった。いや、体当たりをしたのだ。


 ライオンと影が床に転がる。


 反射的に身をひねり影に覆い被さろうとした猛獣に、

「待てっ!」

と、命令したのはマイケルだった。


 するとライオンはぴたりと攻撃するのを止めた。ルルル……と喉を鳴らすと床に腹をつけて、〈待て〉の姿勢をとる。


 まるで、飼い犬(猫科だけど)じゃん! 驚きすぎて声も出ない。


 飛び出した影はリチャード氏だった。


 血の気の引いた彼の目は倒れたままのレンを怖いくらいに真剣にじっと見つめている。


 それを見て、マイケルが、

「俺は、この娘がうらやましい……」

とつぶやいたが、それは英語で私には意味がわからない。


 (それにしても……)と私は熱さをこらえて周りを見回した。ここはなんの部屋なんだろ……。


 ビルのように黒々と並び立つ機械のタワーたち。よくわからないけど、テレビのニュース映像で見たスーパーコンピュータみたいな感じ。きっとこの船にとって重要な機械なんじゃないかな? そしてこの部屋が異様に熱いのは、円を描くように並び立つ機械の中心、ポカリと円形に空いたスペースに立ち上がる炎の柱のせいだった。


 スプリンクラーは壊れてしまったのだろうか? 作動していない。


 機械たちの立てる、唸り声に似た振動音は時々不規則に不協和音に変わった。その度不気味な振動が船体を揺らし船自体がざらりと耳障りな軋み声をあげた。その不吉さったら! 怖いわ、ドキドキするわ……。緊張感に耐えきれず私はくらりとよろめいた。先輩がすかさず倒れないように片手で抱き寄せてくれたけど……。私はもう一杯一杯で先輩の腕にしがみついていることすら意識していなかった。


 燃え盛る炎をバックにしてそれを気にもせず睨み合うマイケルと煤影サン、って。どう考えても……。


——嫌な予感しかない!


 マイケルは殴られたのか片頬がぷっくり腫れ上がり顔の形が変わってしまっている。さっきまでのきらきらイケおじっぷりが見る影もない。ちっとも残念じゃないけど。


 ペッと血液まじりの唾を床に吐き捨ててマイケルが口を開く。


「……くっそ。船の位置情報を衛星と連動させてAIで障害物を画像認証させているんじゃなかったのか。衝突事故など皆無だと。橋脚にぶつかって航行不能? おまけに海上火災? ダサ過ぎるッ」


(……って、言っていたんだって。あとから先輩に聞いたんだけどねっ)


 また、英語ぉ……?

と、私はげんなりとした。訳のわからないやり取りをぼうっと見るなんてうんざりだったんだ。


 しかし、そんな私の予想とは裏腹に、

「今更、船の話をしますか。余裕ですね?」

煤影サンが使ったのは日本語だった。


 それに、ふ……と表情を消したマイケルが、

「……駄犬が。主人に噛み付くくらいのこといくらでもある。私に手をあげた時点でお前の将来はない。俺の心配をするより自分の心配をしろ」

って、日本語で言ったんだ!


 うっそぉ!


 だったら、これまでだって日本語で話してくれたらよかったのに!


 ハラハラドキドキ英語コンプレックスにさいなまれ、へこんでいた私の時間を返して欲しい!


 殴られても傲慢さを手放さないマイケルにフッと鼻で笑った煤影サンが、

「この船の軌道をずらしたのは私です。私の前職はシステム開発の研究者でした……セキュリティの硬さに苦労させられましたが、細工は成功ですね」


「貴様、始めから計画していたのか」


 大きく目を見開いたマイケルを煤影サンが見返す。背後で炎が上がっているのに二人とも、そしてライオンまでもまるで理性があるかのようにそれを無視しているのが異様だった。


「アンタは覚えていないだろうが、私はお前の罪を覚えているぞ」


「……?」


「三十年前、お前が一族の中でまだうだつが上がらぬ若造だった頃、日本人の研究者と付き合っていたことがあったろう……」


 炎の柱から弾かれたようにマイケルの足元に一枚の紙切れがヒラリと落ちた。


 訝しげに眉を顰めてそれを拾い上げたマイケルがアッ、と声をあげる。煤影サンが蔑むような笑みをマイケルに向けた。


「お前のことを信じ切っていたその女性からお前は全てを奪った。生活、大学での立場、研究成果……そして」


 言葉を切った煤影サンの両眼から涙が流れていた。


「ススカゲ……そうだったのか。お前マサコの……ッ?」


「息子だよ。そして、お前の息子でもある」


 そう吐き捨てた煤影サンの表情は強い口調とは反対に悲しみに歪んでいる。


「研究者を辞めてヘッドハンターになったのは、その方が金をもらえるからだ」


 煤影サンがゆらりとどこからか出した鉄パイプを引きずり、マイケルの周りをぐるりと歩いて回った。カラカラと鉄と床の擦れ合う乾いた音が響く。


「アンタのことはクソだと思っている。明らかに金に群がってくる女を取っ替え引っ替えして、会社では最高の権力者であり暴君、常に傲慢な態度だからな。でも、特定の相手と結婚するわけでもない。だから私は、お前がもしかしてまだ母のことを愛しているのでは……と、私は愛されて望まれて生まれた子ではないかと、甘い幻想を抱いていた」


 カラン、と音が止まる。


 煤影サンが炎を見上げた。


「だが今回のことで目が覚めた」


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