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リツミエリとネクトー

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「だれも取り次ぐなといっただろうが!」

 扉の向こうから、居丈高な怒鳴り声が聞こえた。
 ここはリツミエリ邸の地下だ。

「わるいな、ちょっとお邪魔するよ」

 ネクトーが、緊張感のない声をかけながら、部屋の扉を開けた。
 魔導師リツミエリが、驚愕に顔をゆがめて、わたしたちを見た。
 リツミエリは、まるで頭蓋骨に直接皮をかぶせたような顔つきの、痩せた男だった。
 目つきは射すように鋭い。

「だれだ、お前たちは! いや、それより、そもそも、なぜ扉が開くのだ?!」

 動揺した声で言う。

「この部屋は、部外者には入れないように魔法の封印が――」
「あんたが、リツミエリだな」

 ネクトーが言う。

「あんた、いろいろ、やってくれたな」
「なっ、なにをだ」
「分かってるはずだ。が激怒しているぞ」
「あいつ?」
「あんたのやっていることは、禁忌にふれているんだよ」
「禁忌? なんのことだ!」
「あいつによると、人はまだ、その階梯にはいなんだそうだ」
「なにを言ってるんだ、お前は」

 よくわからない、という顔をする。

「禁忌? 階梯? 何の話だ?」
「リツミエリ、わたしにも、そのあたりのことはよくわからないが……」

 と、わたしが口を挟む。

「お前のために、獣人このひとたちが奴隷にされてひどい目にあってるんだよ! わたしは、それが許せん!!」
「なんだって? 獣人?」

 ようやく状況を理解したリツミエリが言う。

「お、お前たちか。獣人奴隷を次々に連れ去っている、ならず者は!」
「ならず者だあ?! 言うに事欠いて」
「他人の財産である奴隷をかってに連れ去るのは、法にもとる行為だ」
「ふざけるな!」

 わたしは、かっとなって怒鳴った。

「そんな法律、こちらから願い下げだ! 犯罪者でけっこう」
「おいおい、ルキウス、もう少し冷静に。あんた、だんだん本来の身分から逸脱してないか」

 ネクトーがたしなめた。
 わたしはかまわず、剣を手に、一歩前に進む。
 リツミエリは、あわてて壁際まで逃げると、大声で言った。

「奴隷たち、狼藉者だ! こいつらを取り押さえろ!」

 その声に、奥の扉が開き、逞しい体つきの、獣人戦士が三人、部屋に入ってきた。
 リツミエリは、それをみて、余裕をとりもどし、

「殺さない程度に痛めつけろ。わたしの魔法で封印してあったこの部屋に、どうして入れたのか、それを聞き出さねばならん」

 にやりと笑って

「さあ、やれ」

 だが、その顔には、すぐに不審の色がうかんだ。
 三人の獣人戦士が、腕を組んで、その場から一歩も動かないためだ。

「どうした、さっさと――」
「むだよ」

 凜とした声。
 獣人戦士の後ろからあらわれたのは、イリーナだ。
 イリーナは言った。

「この館に、もはや、あなたの奴隷印を持った獣人はいません」
「なにっ? ……いや、まてよ、お前は」

 イリーナの顔をみて、リツミエリは気づいた。

「獣人女王の娘…か? 奴隷印を押してやったはずだが?」

 イリーナは、自分のなめらかな白い手の甲を、リツミエリに見せて

「あの印なら、このとおり、もうありませんよ」
「ばっ、ばかなっ!」

 リツミエリは驚きに目を丸くして、叫んだ。

「そんなことがあるか、わたしの奴隷印はけして消せない」
「そうかしら」

 イリーナが首をかしげる。

「簡単に、消えたわよ」
「なんだとぉ? どうやった、どうして消えた?! そんなことはありえない!」
「この方が」

 イリーナは、ネクトーに手を向けて

「消してくださったわ」

 微笑んで、

「わたしだけじゃないわ。あなたが仲間に捺した魔法印は、すべてね」

 リツミエリは、部屋にいる獣人に目を走らせ、たしかに彼らがもはや奴隷印をもたないことを知った。

 リツミエリは、目を血走らせ、ネクトーをにらんだ。

「お前か、お前がやったのか?!」
「おれがやったというか、あいつがやったというか……」
「どうやった、どうやったんだ! これは魔法では絶対に消せないはずだぞ!」

 ネクトーが言う。

「だから、魔法より大きな力が消したんだよ」
「なんだってええええええ?!」

 思わず大声をだしたあと、我に返ったように、リツミエリは

「お前……いったい、なにものだ? 人なのか?」
「おれか? おれの名は、ネクトー」

 ネクトーが静かに答える。

「おれは、邪神ハーオスのしもべ……」
「ハ、ハーオスだって?!」
「リツミエリ、お前のやっていることは、許されないとがいっている」
「ぐうっ!」

 リツミエリは、すばやく動くと、壁に立てかけてあった魔導師の杖をつかんだ。魔獣が何体も精密に彫り込まれた、いかにも由緒のありそうな杖であった。
 そして、魔方陣の上に立ち、杖を突きたてると、大声で魔法の詠唱を始めた。
 なにをするつもりなのか、いずれにせよ、リツミエリにできる最大の魔法であることは確かだろう。
 そんな渾身の魔法が炸裂したら、まちがいなく、たいへんなことが起きる。
 わたしたちも、リツミエリ自身も無事にはすまないだろう。
 しかし、追いつめられたリツミエリは、もはや捨て身だ。
 魔力が、みるみるこの場に満ちていく。
 部屋にこもった魔力は、まるで液体のように濃度をまして、したたるばかりだ。

「みんな、すぐにこの部屋から出てくれ」

 ネクトーが、静かな声で言った。

「大丈夫なのか、ネクトー?」
「うむ。あの酒場を思い出せ、ルキウス。問題ない」
「わかった」

 必死の形相で、汗をダラダラ流しながら一心に魔法を詠唱するリツミエリと、壁にもたれてそれを眺めているネクトーを残して、わたしたちは急いで退室する。
 溢れる魔力は、今にも暴発しそうだ。
 すばやく扉を閉めた。
 とたんに、扉の向こうでなにかが、ビカリ、ビカリと光った。
 ごうっと地鳴りがして、建物全体が揺れた。

 

 そんな声――というよりも、もはや物理的な圧力ともいうべき、底知れぬ強さの波動が、扉を越えて、轟いた。
 そのあまりの威圧に、武人たるわたしの膝さえも震えた。

「ばっ、ばかなあああっ!!!」

 リツミエリの叫びがきこえ、それは悲鳴となり、そして、ふつりと途絶えた。
 扉の向こうが静まりかえる。

 ――カチャリ。

 扉があいて、ネクトーが、何事もない顔で出てきた。

「どうなったんだ? うわっ!」

 中をのぞきこんだわたしは、思わず声を上げた。
 部屋の中は、一面に白く、ぶあつい岩塩に覆われ、まるで塩鉱山の坑道のようになっていた。
 そんななか、リツミエリは――。
 リツミエリは、ごつごつした塩のかたまりとなり、岩塩の天井から逆さまに突き出して生えていた。
 塩となったリツミエリの顔には、この世のものならぬ恐怖の表情が凍りついていたのだった……。

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