彼と彼女の十月十日 ~冷徹社長は初恋に溺れる~

幸村真桜

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一夜のあやまち

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 残りのカクテルを飲み干そうとグラスを持ち上げる。すると、少し離れたところから椅子を引く音がした。他の客が帰るのだろう。

 その人が店を出たら、自分も帰ろう。そう決めて、手に持ったグラスを口に運ぶ。

 ゴクリと液体を飲み込んだ瞬間、カタリという音が秋良の耳に響いた。チラリと視線を横に向けると、誰かが彼女の隣の席にグラスを置いていた。中には琥珀色の液体が半分ほど入っている。

(大きな手…...)

 グラスに添えられた手は男性のもののようだ。長い指に、綺麗に切り揃えられた爪。手フェチというわけではないが、とても綺麗だと思う。 

 他の席から移動してきたようだが、どうしてわざわざ隣に座ったのだろう。不思議に思いながら視線を向けると、男性も秋良のことを見つめていた。

 目があって、驚きのあまりつい目を逸らしてしまう。恐る恐るもう一度顔を上げると、困った顔をした男が慌てたように姿勢を正した。

「あ、その……驚かせてすまない。良ければ……隣に座ってもいいだろうか」

 不安げにそう聞かれ、秋良は反射的に頷いてしまう。しまったと思うが、ほっとしたように肩の力を抜いた男性の姿を見たら今さらダメだなどと言えるはずもない。

 肩が触れあうほど距離が近い。バーとはこういうものなのだろうか。

「もし……よければ、一緒に飲みませんか?」

「は、はい。私でよければ……」

「ありがとう」

 予想だにしなかった展開に戸惑いつつも頷く。隣に座るのを了承しておいて断るのもおかしいだろう。

 まるでドラマのような展開だ。そんなことが自分の身に起こっているなんて信じられない。どこか夢心地のまま、秋良はテーブルに置かれた彼の手を見つめる。

 長い指に、整った爪。指と手に平のバランスも完璧だ。甲は男性特有の筋や血管が目立つが、そこに大人の男性の色気を感じる。

 職業柄人の手を目にすることは多いが、そんなことを思うのは初めてだ。

「名前をお聞きしてもいいですか?」

 魅入られるように彼の手を見つめていた秋良は、その声にハッとした。

「あ……えっと、あ、秋良……です」

 フルネームを答えるか迷ったが、こういう場でそれはルール違反な気がして名前だけ口にする。

「あきらさん……。どういう字を書くの?」

 そう言うと、彼は秋良に右手を差し出した。その行動にしばし考え込むが、先程の会話を頭の中で反芻し、ようやく名前の漢字を聞かれているのだと気がついた。

 慌てて、彼の手の平に自分の名前を指で書く。緊張して手が震える。こんなに名前を書くのに時間がかかったのは初めてかもしれない。

「秋に、良いで秋良。素敵な名前ですね。もしかして、秋生まれ?」

「そうです、十月生まれで」

「偶然だな。俺も、十二月生まれで名前に季節が入ってる」

 大きな手に左手を包まれて、ドキリとする。彼の手は、とても温かかった。長い指が、手の平に文字を書いていくのを、ドキドキしながらじっと見つめる。

 やがて書き終えると、彼は秋良の顔を覗き込んだ。

「分かった?」

「冬に磨く……。とうま、さん?」

「正解。冬磨とうまです。改めて、よろしくお願いします」

 やはり苗字は答えなくて正解だった。ほっと息を吐くと、穏やかな笑みを浮かべたバーテンダーがふたりに近づいてきた。

「冬磨さん、うちの店はナンパ禁止ですよ。お客様、お困りではないですか?」

「おい、いつも呼び捨てのくせにさん付けするな」

「いや、女性不信の冬磨がこんなことをするなんてあまりに驚いて。衝撃のあまりさん付けになってしまった。この男の身元は保証しますが、ご迷惑ではないですか?」

 柔和な笑みを浮かべたバーテンダーにそう聞かれ、明良は思わず姿勢を正した。どうやらこのふたりは知り合いのようだ。

「は、はい。こういう場所が初めてなので。馴れていなくて申し訳ないのですが」

「そんなことはありません。これもご縁ですから、今日という日がいい思い出になるよう…...冬磨さん、お願いしますね」

 バーテンダーの眼光が鋭くなる。ピリピリした空気に秋良は身を固くするが、冬磨はまったく気にしていないようだ。

「さん付けはやめろ。分かってるから、安心しろ」

 冬磨がしっしと手で追い払う仕草をする。それに小さく肩をすくめ、秋良に笑顔を向けてからバーテンダーは離れていった。

「ここの店長とは、中学時代からの友人なんだ。腹立たしいが、いい店だろう? 息抜きをしたいときによく来るんだ」

「そうなんですね。本当に、素敵なお店です」

 どうやら冬磨はこの店の常連なようだ。落ち着いた言動を見るに、恐らく年上だろう。そんな人を、楽しませることができるだろうか。

 やはりもう帰るべきか。だが、ここでそれを言うのはあまりに失礼な気がする。

 ひとり葛藤していると、視線を感じた。そちらに顔を向けると、冬磨が秋良のことをじっと見つめていた。

「あの……えっと……私の顔になにかついていますか?」

 どうしていいか分からず、視線をさ迷わせながらそう聞くと、彼がふっと笑った気配がした。

「いや、俺の顔を全然見てくれないなと思って」

 そういえば、まともに彼の顔を見ていない。最初に目はあった気はするが、どんな風貌かまで観察する余裕はなかった。

 そっと視線を向けて、すぐに秋良は目を背けた。気のせいだろうか。とんでもない美形の男性がこちらを見ていた気がする。動揺する秋良の肩を、冬磨が叩いた。

「せっかくこっちを見てくれたのに。すぐに目を逸らさないで」

 不満げな声に、恐る恐るもう一度目を合わせる。見間違いではなかった。あまりの美しさ眩しさを感じて、思わず目を細める。

 少し釣り目がちな目にすっと通った鼻筋に薄い唇。あまりに綺麗すぎて、少し冷たそうな印象を受ける。まるで俳優のような容姿だ。

 よく見れば身に着けているものすべてがブランドに疎い秋良が見ても分かるほど仕立てが良い。

 テレビのあまり見ない秋良が知らないだけで、もしかしたら芸能人なのかもしれない。まさかこんな眉目秀麗な男が声をかけてくるなんて、一体なにが起こっているのか。

「す、すみません。あまりに美しいお顔だったので驚いてしまって。薄目で見てもいいですか?」

 直視するのは辛いが、目を背けるのもまずいと思った秋良は正直にそう言った。大分おかしなことを言っている自覚はあるが、背に腹は変えられない。

 秋良の言葉に驚いたのか、冬磨は呆気にとられたように目を見開いている。

 やはり失礼だったろうか。呆れて帰ることになっても、それはそれで構わない。そう思っていたのだが、冬磨は突然笑いだした。

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