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5話
しおりを挟む《ごめん、土曜日仕事で帰れなくなった》
金曜日の昼休みに悠介からメールが来た時は手足が固まる程のショックだった。
(うそ…)
仕事が無ければ泣きながら電話していたかもしれない。それほどに土曜日を楽しみにしていたから。
いや、楽しみというよりはこの約束に依存していたと思う。早く日常を取り戻したかった。
(土曜日だけは…どうしても会いたい…)
こんな女々しい女だっただろうか。
悠介に穴を埋めて欲しかった。コンパのこと、あの夜のこと、空いた穴を塞いで欲しかった。
午後の仕事は手が付かず、定時に上がれそうだったのもあり、いっそのこと東京までこのまま行こうと思った。
(当日でも自由席は空いてるだろうし、七時発に乗れば十時前には品川まで着ける。そこから悠介のマンションまで一時間もかからない。悠介には行ってから連絡すれば良い)
更衣室で財布の中を確認しようとした時、不意に目頭が熱くなった。
「何やってるの…私…」
一人で不安になって、流されて、あげく独りよがりの行動まで。
もう家に帰ろう。
東京行きもやめよう。
こんな状態で悠介に会ってどうするつもりなのか。私を放っておいたことを謝らせたいのか。それとも自分がしでかしたことを謝りたいのか。よくわからなくなった。
私の様子に気付いた田上さんが、ロッカーの扉越しに話しかけようとしてくれていたが、気づかないフリをして逃げるように会社を出た。
(食欲も無いけど、コンビニでパンでも買って帰ろう)
少し精神的に参っていたのかもしれないし、落ち込む程の状況じゃないのかもしれない。心なしか冷静になってきた頭でそんなことを考えながら最寄りの駅まで歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「お疲れ様」
彼だった。火曜日からは何事もなく出社してきた彼だ。仕事中に何度か業務の話もしたが、先週の事は何も話さなかったし、そんな素ぶりすら見せなかった彼だ。
「お疲れ様です」
(今は良くない…)
最低限の愛想で答えながらも、この間のことよりも、赤い目を見られる事が嫌だった。
そんな私の抵抗もお構い無しにジッと私の顔を見ると彼は何でもない風に口を開いた。
「今晩ウチに来ない?」
ーへっ?
自分でも素っ頓狂な反応だったと思う。
「な、何を…何言ってるんです!行けないですよ!」
即座に目も合わせず断る。
"行けない"
行かないじゃなく行けない。きっと彼は無意識に出たこの言葉の意味を察しただろう。
いくら自暴自棄になっていてもノコノコとついて行くわけにはいかない。
でも…
「行けない、ね。じゃあこうしよう」
相変わらずの歩幅で前を歩く彼が立ち止まって、彼一流の平淡さで言った。
「この間の事は誰にも言わない。その代わり今日は付き合ってよ」
そうだ。私は免罪符が欲しかったのかもしれない。
ーーーーーーーーーー
「お邪魔します…」
部屋の間取りは1DKだろうか、一人で住むにはやや広い様に見えたが、何もかも程々といった印象を受けた。
ダイニングに置かれた二人がけのテーブル、置かれたリモコンや雑誌は整頓されていたし、一部の男性部屋特有の鼻に付く香りも無い。
「とりあえず腹ごしらえしようか」
緊張と罪悪感から、あ、とか、いや、といった反応しかできない私を尻目に手を洗い出す彼。
ーーーーーーーーーー
「飲む?ビールくらいしか無いけど」
「えっ、いや、大丈夫…です」
そう簡単には流されないぞと抵抗顔を作る。
「そう、何か考え込んでたからどうかなって」
無理には勧めてこないようだ。振舞われた鶏肉と大根の煮物を食べながらもたわいのない話が続く。主に仕事の内容だったが、真剣な議論などでは無く、愚痴や笑い話がほとんどだった。何度か笑顔も出てしまい、混乱した。
これはいつもの飲み会の延長線なのかと。この間のセックスは夢だったのかと疑ってしまう程だ。
食事が美味しかったことも加わり、沈んでいた気持ちが暖まってくるのを感じた。
「あの、林さん?」
「ん?」
「この間の金曜日のこと…」
「うん」
言葉を慎重に選ぶ。
「何で、ですか?その…私には彼氏がいるし…もちろん付いて行った私も悪いんですけど…何で私なのかなって…さっきみたいに脅すような事まで言って」
「何でって…魅力的だったからかな、君が」
初めは羞恥心が、追って不可解さが顔を紅潮させる。
「そ、そんな理由でですか!?」
キョトンとした彼の顔。私がおかしい事を言っていると言わんばかりだ。
「僕からすればそれ以外に異性に近づく理由あるのって感じだけど」
至極平静に答えが返ってくる。咄嗟に身構えたのを察した彼が続けた。
「大丈夫、今から襲ったりはしないから」
「えっ?」
「今日誘ったのは帰り道の後ろ姿が寂しそうだったから、それだけ」
「………」
誰のせいで、とも言いたかったが、果たして目の前の彼が原因の全てかと言えばそうでも無いと思った。また襲わないと言ったのであればそれは信じられた。仕事中心の付き合いでこそあるが、そのくらいの信頼関係はあると思う。
「なんか…すみません…」
謝る事じゃないけど、と腹の内で考えながらの社交辞令だったが、謝る事じゃないと返された。
「じゃあ私もビールいただきます…」
「うん」
先程から一人で缶を開けていた彼の顔が少し和らいだ気がした。
「ふぅん…」
週末の約束が無くなってしまった事、東京に飛んで行きそうになった事、悠介に会いたい事を、溶けた緊張感の反動からか話してしまう。いや、誰かに話したかっただけかもしれない。例え相手が当事者の一人であったとしても。
「そういう事だったのか」
この女々しい吐露に対して、執拗な助言や自身の経験談を披露してこないのは彼の美徳だと思う。
少々味気こそ無いが、落ち着いてきたのも事実だ。
(やっぱり悪い人では無い、よね?)
若しくは懐柔されてるのかも、自分を正していると、
「あっ!」
唐突に彼が席を立った。
「そろそろ金曜映画が始まるから、一緒に見よう!」
「えぇ…」
時々、いや大抵、彼の考えてることは分からない。
「ほら、こっちにおいで」
部屋にソファは無く、ベッドの縁に背を預けた彼が手招きする。
ーさすがにそれは…
やんわりと断ろうと思ったが、不思議と抵抗が無い。花の蜜に吸い寄せられる蜂の様に。
「少しだけ…」
普段なら抵抗があっただろうが、今は拒む気にはならない。
後ろから抱きしめられる形でテレビを見る様は、カップルの男女そのものだった。緊張から滲み出た汗が背筋を濡らす。
背中から腕を回された時点でやっぱり襲われるのかと思ったが、そんな事も無く彼は本当に映画を楽しみにしているようだった。
(汗かいてる…それにシャワーも浴びてないし…あっ)
ーブンブン
何を想像しているのかと自責する。
(でも、なんかまた…身体が…)
「………」
彼の腕は私の胸の前で交差されているが、初めは気にならなかった体温を徐々に意識してしまう。
心なしか早まっている心臓の鼓動が彼に悟られないか不安になってくる。
(やだ、私…これじゃあまるで…)
ドキドキしてるみたい。
なんとか冷静になろうと深く呼吸しようとしたが、今度は胸の上下に合わせ、彼の腕が胸元の生地を微弱に擦る。
(ふっ…ぅ…なんで…こんな敏感に…)
明らかに刺激に過敏になっている。アルコールのせいだろうか。しかし一度スイッチが入ってしまうと後は芋づる式だった。
ヒップに当たる腿の温もり、たまに鼻を掻く彼の右手が離れる際に、ブラとトップス越しに胸に与える繊細な刺激、そして首元から胸へ這うように戻ってくる。
(ぁぅ…)
とても画面に集中できない。
ほぼ無意識に彼の手に指を当て、少し摩ってしまう。
ーもっと…
そんな無意識のサインだった。
しかし彼はどこ吹く風といったように映画のメインテーマを口ずさむ始末だ。
(うぅ…)
そんな態度とは裏腹に腕を腹部まで下ろしたと思えば、胸を持ち上げるように私の身体を這い回る。
「…ぁ…ふ…あ、違っ…」
今のは聞かれたかもしれない。恥ずかしすぎて耳まで赤くなっていると思う。
「いつも…女の人にこんなことしてるんですか?」
漏れた嬌声を誤魔化したかった。
「いや」
間を置いた否定。今度は腰に手を回され、感触を確かめるようにさすられる。
(やぁ…)
決して性感帯には触れてこない。ただもうどこが性感帯でないのかも分からなくなっていた。
そんな時間が二時間続いた。
「じゃあ…」
玄関でまごつきながら別れを告げる。
まさか本当にこのまま帰ることになるとは思わなかった。
結局彼はそれ以上のことはしてこなかったし、私も自分から迫る訳にはいかなかった。
身体は限界まで欲情していたが、混濁した理性で何とか踏み留まっているような状態だ。
そのまま彼に背を向け、ドアノブに手を掛けた瞬間、右腕を唐突に掴まれ、彼に向き合わされた。
同時に引き寄せられ、強烈なキスをされた。
「ん!んん!」
咄嗟に抵抗できず、舌の侵入も許す。
焦らしに焦らされた反動で、唇を唇が這う刺激が響く。
(ぅぅん…ふぁ…ぁぁ…)
もう自分からも舌を絡めてしまおうと反応した時、またしても突然解放された。
ーまた今度
「ぁ…え」
耳元で彼が囁いた。
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