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1話
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九月四日
夏休み明けの教室はどこか浮ついていた。
午前中だけの授業と帰りのホームルームを終えた教室では、日に焼け肌の色が休み前と変わっている男子生徒、髪をバッサリと切り垢抜けた態度で談笑する女子生徒、皆それぞれが長期休暇でボヤけた関係を再構築するのに躍起になっていた。
その中、土田聡はどのグループに入るでもなく配られたプリント類を鞄に滑り込ませ、帰宅の準備を整えていた。
(みんな楽しそうだなぁ)
聡に土産話に花を咲かせたい友達がいるわけでもなく、他のクラスメイトにとってもそれは同じで、聡の机の回りだけは教室から浮いたようにガランとしていた。
何も初めから周囲と距離があった訳では無かった。
中学二年の頃、外に女を作り消えた父親、父親と仕事が全てだった母親はその寂しさを埋めるように今まで以上に仕事へ没頭していった。
家庭の温度が急激に冷えた聡はあまり口を開かなくなり、当初は心配してくれていた中学の友達も次第に距離を離していった。卒業する頃には、笑って話をする相手は居なくなっていた。
そんな環境に嫌気が差していた聡は、近所の公立高校には進学せず、何とか自分を変えようと、自宅から少し遠い私立の進学高校であるここ桜院高校へ進路を決めた。
ーあなたの好きにしなさい
母親は桜院への進学に賛成も反対もしなかった。その時の母親の薄い表情が、聡の胸の中に細い針として未だチクチクとした痛みを残していた。
そして入学間もない頃はクラスメイトと遊びに行ったり、テニス部へ所属したりと高校生らしい生活を送ろうと努めたものの、どこか暗みを帯びた性格と口数の少なさから次第に周囲との温度差が拡がり、どちらも高校二年生になった今は自然と消滅していた。
(帰ろう)
誰もが教室をまだ出ようとしない中、一人扉を開けた聡を呼び止めたのはここB組の担任であり英語教師の森玲だ。
黒縁のメガネを掛け、グラスの奥の長い睫毛とパッチリと大きい瞳、やや切れた目尻は意思の強さと冷淡さが共存しており、実際にも厳しいが美人で優秀な教室と評判だ。今日は胸元まで伸ばした艶のある黒髪をアップに纏めている。
「土田くん、ちょっといいかしら?」
カツカツと響くヒールの音を追いながら聡は訝しんでいた。行き先は聞きそびれたが、方向から考えてどうやら生徒指導室へ連れて行かれるらしい。
(森先生が僕に用事?)
確かにクラスでは少し浮いた存在である自負はあったが、素行不良と言う程では無い。突然の担任からの呼び出しに思い当たる理由が無かった。
それに前任の五十代の男性教諭が突然退職になり、入れ替わりで七月から赴任してきたのが玲だ。実のところ今日まで玲とは個人的に話した事が殆ど無い。
担任とは言えど自分の顔と名前が彼女の中で一致しているのかどうかすら怪しいくらいで、聡は目の前を歩く女教師の後をただただ追うしかなかった。
(それにしても先生の後ろ姿、やっぱりエロい…)
本人は曖昧にしていたが、年齢は二十代半ばから後半くらいに思えた。整った容姿も相まり、他のクラス担任と比べても格段に若く見える。
スラリと伸びた脚を前に進める度、膝丈のタイトスカートを押し上げる双臀がラインを強調し、嫌でも視線がヒップラインへ向かってしまう。
ホームルーム中も、ジャケットの下に着た白いブラウスを盛り上げる豊満なバストが気になってしょうがなかった。玲の動作に合わせプルプルと揺れる肉感が、目を惹きつけてしまうのだ。
今は背中しか見えないが、その数センチ奥で柔らかそうなバストが今も揺れているかと思うと、血流が下半身へわあっと集中してしまう。ここ数日の異常なまでに湧き上がる性欲が、喉の渇きになって襲ってくる。
多感な高校生にとって、玲のボディラインは刺激が強すぎた。
当然、赴任当時は多くの男子生徒が玲に色めき立った。わざわざ他のクラスから森目当てに遊びに来る生徒が増えたくらいの騒ぎだった。
しかし、初めは好奇な目で彼女を見ていた生徒達も、留学経験に裏付けされた英語力、巧みな授業の進め方、一見冷淡な気質に見えるが質問には丁寧に答える、その教師としてのレベルの高さに、夏休み前には玲は生徒からの信頼を絶対的なものにしていた。
教師として締める所は厳しく、その分一度授業を離れればプライベートの相談にも乗ってくれる頼れるお姉さんといった佇まいは、男子だけでなく女子生徒からも憧れの的になっていた。
(そんな先生が僕に何の用なんだろう)
その立ち振る舞いが完璧すぎるが故に、どこか人間離れした雰囲気を聡は玲に感じていたのだ。
「さ、入って。ここへ入るのは初めてかしら?」
「は、はい…」
そんな事を考えている間に生徒指導室へ通された。
部屋は六畳程の個室で、生徒を指導するという重圧的な名称から考えると、意外と明るく小綺麗にしてあった。ただ、中央に配置された四人掛けのテーブルと椅子、カーテンで閉じられた小窓と、閉鎖的な雰囲気を感じる造りでもあった。
「緊張してるの?座って良いわよ」
入り口のドアに使用中の札を掛けながら玲は着席を促してきた。
(先生、怒ってるわけじゃないんだ)
思いの外柔らかい玲の口調と、眼鏡の奥の柔和な目付きに聡はホッとしながら腰掛ける。しかし安堵したのも束の間で、テーブルを挟んで対面に座るとばかり考えていた女教師が、意外にも隣の椅子へと座った。
(ち、近い…)
カッと血が首から上に昇り、頬が赤らんでいくのを感じた。
どうしても担任教師の身体付きを意識してしまう。彼女が脚を組めばタイツに包まれた肉付きの良い太腿に目を奪われ、脚から目を逸らそうとすればたわわな胸の膨らみを真横から直視してしまう。
(それにこの香り、どこかで…イランイランって言ったっけ)
女教師から香る甘ったるい芳香が聡の鼻腔を刺激する。どこか懐かしい気もしたし、そうで無い気もした。
そんな自分の劣情を悟られないように、思い切って聡は自分から口火を切った。
「こんな所に呼び出しって、僕、何かしちゃったんでしょうか?」
様子見。玲の方はこの隣り合った至近距離が自分には適当なのだと言わんばかりに落ち着いた態度で答える。
「ごめんなさい、説明して無かったわよね。そうね、別に何かって訳じゃないのだけれど」
腕を組み、何やら思慮した様子を玲は見せる。組んだ腕で寄せ上がったバストが胸元に谷間を作り、無意識に釣られる視線を聡は何とか自分の手元へと引き戻す。
「土田くん、A組の川村さんと付き合ってるのかしら?」
「…えっ?」
聡は目を見張った。突然の指摘に思考が金縛りに遭い、遅れてツゥーと鳩尾に汗が伝った。
(千佳の事?)
ようやく理性が事態を飲み込み、この場を何とか凌がなければと思考を再開する。
(なんで先生が千佳との事を?聞いた?誰かから?)
とりあえず玲が素っ頓狂に私事へ首を突っ込んでくる理由を確かめないと、と聡は質問に質問で返した。
「なんで、ですか?」
「ふふっ、バレた理由を尋ねてる時点で自白しているようなものじゃない?」
しまった、と聡は無理やりに玉虫色の笑みを浮かべる。相手は教師であり、自分よりも言葉のやり取りに優れた大人なのだ。
「少し前に見たのよ。隣県のショッピングモールで二人が買い物しているところをね」
手も繋いでいた訳じゃないし恋仲なのかわからなくて、と長い睫毛を畳みながら玲が笑う。
(先生、そんな顔で笑うんだ)
この不思議なやり取りの中で、ようやく担任教師の為人に触れた気がした。
(いや、そんな事より!)
聡にはピンとこない。何故自分みたいな目立たない生徒の色恋沙汰に、忙しいはずの担任教師が首を突っ込んでくるのか、が。
「何で私が川村さんとの事を聞いてくるのかって顔してるわね」
玲は笑みを消さずに聡の疑問に答える素振りをみせる。
聡はコクリと頷くしかない。本業の教師にペース作りで勝てるはずがなかった。
「まずあなた達のなり初めを教えて。そしたら川村さんとの事は内緒にしておいてあげるわ」
聡は迷った。
川村千佳、学内でも有名な隣のクラスの美少女。
彼女と恋仲なのは事実だし、買い物に行っていたのも本当だった。
しかし付き合う際に千佳と約束をしていた。二人の関係を学校では秘密にするとの約束だ。
千佳からの提案ではあったが、聡にとっても、普段話さないクラスメイトから千佳の事を聞かれる煩わしさを思えばその方が良いと考えていた。
デートの時は学校から遠い場所を選んでいたし、学校ではそもそも別のクラスで話す機会は殆ど無い。その為、学内に二人の関係者を知る人はいない筈だった。
それがよりによって担任教師に知られたとなるとやはり動揺を隠せない。
しかもなり初めを話せと条件まで付けて来る始末だ。
(でも…)
他の生徒に知られるよりは遥かに良い。相手は話が通じる大人だし、多分口も堅い。何よりどこまで本気かは知らないが、秘密をバラすとまで脅されている以上、選択の余地が無かった。
ポツリポツリと、聡は千佳との出会いから話し始めた。
そして聡は知らなかった。確かに玲は聡のプライベート、特に女性関係を引き出そうとしている。ただ玲の本当の意図は目の前の教え子を極力長い時間、この空間に閉じ込めて置く事だと。
ーーーーーーーーーー
千佳と初めに話したのは二年生になってすぐの四月だった。
既にクラスの中で居心地の悪さを感じていた聡は一人で昼食をとる事が習慣になっていた。教室で一人食べてしまうと、変に周囲から気を遣われる事が辛かった。
その為、教室とは離れた演習棟の屋上へ続く踊り場で一人食事を取る事が多かった。取り付けの窓を開ければ気持ちの良い風が入り、何より周りの目を気にせずに落ち着けるその場所が聡のお気に入りになっていた。
そこで千佳と出会った。
「あっ…先客がいる」
後から踊り場に来た千佳は大層驚いていた。どうやら自分だけの隠れ家だと思っていたらしい。
第一印象は制服のよく似合う可愛らしい女の子、だった。
「ごめん、退くよ」
「私こそ驚かせてごめんなさい。大丈夫だよ!こっちがどこか別の所に」
「いや、でも…」
そんな調子で何度かの譲り合いをした後、そのやり取りがおかしくなってきた聡がふと溢した。
「ここ、良いよね。静かで落ち着くし」
「それ!私もね、友達と居るのに疲れた時にたまに来るの。お腹痛いから私抜きで食べといてーって言って」
仲間を見つけた気分になったのか、ブレザーのポケットに昼ご飯を忍ばせるのが大変だとか、夏場はどうしようとか、千佳は他愛の無い話を楽しそうに話し始めた。
結局はそのまま二人で昼食を食べる事になった。
今思えば一目惚れだった。
スタートから飾らずに話していた事が距離を縮めたのかもしれない。それは千佳も同じだったようで、待ち合わせをする訳では無いものの、自然と週に一度はその踊り場で一緒に昼食をとっていた。
聡は少しだけ自分の話をした。久しぶりに同い年の女の子と話して浮かれていたのかもしれない。
クラスの居心地が悪い事。
自然に周囲に溶け込めない自分が好きでは無い事。
家でも学校でも一人だという事。
千佳も自分の話をしてくれた。
「私ね、親が厳しくて。支配的って言うのかな、何かと管理したがってね。それで良い子良い子してたら学校でも良い子になっちゃって」
「ミイラ取りがミイラになっちゃったみたいな?あれ、使い方合ってるかな」
「友達も私を良い子だって思ってるから、たまに疲れちゃうんだよねぇ。本当はスマホゲームにお小遣いジャブジャブ課金してるし、電車でお年寄りに席を譲るのとか邪魔くさい」
悪い子の認識が甘すぎると二人で笑った。その勢いで聡は千佳の連絡先を聞いた。もっと話をしでみたい、そう思った。
「いいよ、私も聞こうと思ってた」
その後、何度か夜中までメッセージのやり取りをしたり、ゲームに全く触れてこなかった聡が千佳の強烈な押しに負けて同じスマホゲームを始めたりした。同じ作業の繰り返しにとても楽しいとは思えなかった聡だったが、少しでも千佳と仲良くなりたいと慣れないゲームを続けた。
ある日、ひょんな流れで寝る前に電話をしていた。最初はいつも通りの雑談だった。
今月に聡のクラスの担任が退職し、新しい先生が来る事。
千佳のクラスも担任が変わり、亜門と言う若い男性教諭が赴任予定だと言う事。
偶然が重なるものだと二人が言った。
「私ね、こうやって普通に誰かと話す事がこんなに楽しいって知らなかった」
「僕も、そう思う」
「わ、私ね…その門限は八時だし…」
「ん?う、うん」
「親は厳しいし…」
「うん」
「今までつ、付き合うとかしたことないんだけど」
「えっ?そうなの?」
「土田くんの事が好き」
その後の事は舞い上がりすぎてよく覚えていない。二つ返事で了承し、とりあえず付き合っている事は周囲には内緒にしておきたいと言う千佳の希望にも同意した事は覚えていた。
夏休み明けの教室はどこか浮ついていた。
午前中だけの授業と帰りのホームルームを終えた教室では、日に焼け肌の色が休み前と変わっている男子生徒、髪をバッサリと切り垢抜けた態度で談笑する女子生徒、皆それぞれが長期休暇でボヤけた関係を再構築するのに躍起になっていた。
その中、土田聡はどのグループに入るでもなく配られたプリント類を鞄に滑り込ませ、帰宅の準備を整えていた。
(みんな楽しそうだなぁ)
聡に土産話に花を咲かせたい友達がいるわけでもなく、他のクラスメイトにとってもそれは同じで、聡の机の回りだけは教室から浮いたようにガランとしていた。
何も初めから周囲と距離があった訳では無かった。
中学二年の頃、外に女を作り消えた父親、父親と仕事が全てだった母親はその寂しさを埋めるように今まで以上に仕事へ没頭していった。
家庭の温度が急激に冷えた聡はあまり口を開かなくなり、当初は心配してくれていた中学の友達も次第に距離を離していった。卒業する頃には、笑って話をする相手は居なくなっていた。
そんな環境に嫌気が差していた聡は、近所の公立高校には進学せず、何とか自分を変えようと、自宅から少し遠い私立の進学高校であるここ桜院高校へ進路を決めた。
ーあなたの好きにしなさい
母親は桜院への進学に賛成も反対もしなかった。その時の母親の薄い表情が、聡の胸の中に細い針として未だチクチクとした痛みを残していた。
そして入学間もない頃はクラスメイトと遊びに行ったり、テニス部へ所属したりと高校生らしい生活を送ろうと努めたものの、どこか暗みを帯びた性格と口数の少なさから次第に周囲との温度差が拡がり、どちらも高校二年生になった今は自然と消滅していた。
(帰ろう)
誰もが教室をまだ出ようとしない中、一人扉を開けた聡を呼び止めたのはここB組の担任であり英語教師の森玲だ。
黒縁のメガネを掛け、グラスの奥の長い睫毛とパッチリと大きい瞳、やや切れた目尻は意思の強さと冷淡さが共存しており、実際にも厳しいが美人で優秀な教室と評判だ。今日は胸元まで伸ばした艶のある黒髪をアップに纏めている。
「土田くん、ちょっといいかしら?」
カツカツと響くヒールの音を追いながら聡は訝しんでいた。行き先は聞きそびれたが、方向から考えてどうやら生徒指導室へ連れて行かれるらしい。
(森先生が僕に用事?)
確かにクラスでは少し浮いた存在である自負はあったが、素行不良と言う程では無い。突然の担任からの呼び出しに思い当たる理由が無かった。
それに前任の五十代の男性教諭が突然退職になり、入れ替わりで七月から赴任してきたのが玲だ。実のところ今日まで玲とは個人的に話した事が殆ど無い。
担任とは言えど自分の顔と名前が彼女の中で一致しているのかどうかすら怪しいくらいで、聡は目の前を歩く女教師の後をただただ追うしかなかった。
(それにしても先生の後ろ姿、やっぱりエロい…)
本人は曖昧にしていたが、年齢は二十代半ばから後半くらいに思えた。整った容姿も相まり、他のクラス担任と比べても格段に若く見える。
スラリと伸びた脚を前に進める度、膝丈のタイトスカートを押し上げる双臀がラインを強調し、嫌でも視線がヒップラインへ向かってしまう。
ホームルーム中も、ジャケットの下に着た白いブラウスを盛り上げる豊満なバストが気になってしょうがなかった。玲の動作に合わせプルプルと揺れる肉感が、目を惹きつけてしまうのだ。
今は背中しか見えないが、その数センチ奥で柔らかそうなバストが今も揺れているかと思うと、血流が下半身へわあっと集中してしまう。ここ数日の異常なまでに湧き上がる性欲が、喉の渇きになって襲ってくる。
多感な高校生にとって、玲のボディラインは刺激が強すぎた。
当然、赴任当時は多くの男子生徒が玲に色めき立った。わざわざ他のクラスから森目当てに遊びに来る生徒が増えたくらいの騒ぎだった。
しかし、初めは好奇な目で彼女を見ていた生徒達も、留学経験に裏付けされた英語力、巧みな授業の進め方、一見冷淡な気質に見えるが質問には丁寧に答える、その教師としてのレベルの高さに、夏休み前には玲は生徒からの信頼を絶対的なものにしていた。
教師として締める所は厳しく、その分一度授業を離れればプライベートの相談にも乗ってくれる頼れるお姉さんといった佇まいは、男子だけでなく女子生徒からも憧れの的になっていた。
(そんな先生が僕に何の用なんだろう)
その立ち振る舞いが完璧すぎるが故に、どこか人間離れした雰囲気を聡は玲に感じていたのだ。
「さ、入って。ここへ入るのは初めてかしら?」
「は、はい…」
そんな事を考えている間に生徒指導室へ通された。
部屋は六畳程の個室で、生徒を指導するという重圧的な名称から考えると、意外と明るく小綺麗にしてあった。ただ、中央に配置された四人掛けのテーブルと椅子、カーテンで閉じられた小窓と、閉鎖的な雰囲気を感じる造りでもあった。
「緊張してるの?座って良いわよ」
入り口のドアに使用中の札を掛けながら玲は着席を促してきた。
(先生、怒ってるわけじゃないんだ)
思いの外柔らかい玲の口調と、眼鏡の奥の柔和な目付きに聡はホッとしながら腰掛ける。しかし安堵したのも束の間で、テーブルを挟んで対面に座るとばかり考えていた女教師が、意外にも隣の椅子へと座った。
(ち、近い…)
カッと血が首から上に昇り、頬が赤らんでいくのを感じた。
どうしても担任教師の身体付きを意識してしまう。彼女が脚を組めばタイツに包まれた肉付きの良い太腿に目を奪われ、脚から目を逸らそうとすればたわわな胸の膨らみを真横から直視してしまう。
(それにこの香り、どこかで…イランイランって言ったっけ)
女教師から香る甘ったるい芳香が聡の鼻腔を刺激する。どこか懐かしい気もしたし、そうで無い気もした。
そんな自分の劣情を悟られないように、思い切って聡は自分から口火を切った。
「こんな所に呼び出しって、僕、何かしちゃったんでしょうか?」
様子見。玲の方はこの隣り合った至近距離が自分には適当なのだと言わんばかりに落ち着いた態度で答える。
「ごめんなさい、説明して無かったわよね。そうね、別に何かって訳じゃないのだけれど」
腕を組み、何やら思慮した様子を玲は見せる。組んだ腕で寄せ上がったバストが胸元に谷間を作り、無意識に釣られる視線を聡は何とか自分の手元へと引き戻す。
「土田くん、A組の川村さんと付き合ってるのかしら?」
「…えっ?」
聡は目を見張った。突然の指摘に思考が金縛りに遭い、遅れてツゥーと鳩尾に汗が伝った。
(千佳の事?)
ようやく理性が事態を飲み込み、この場を何とか凌がなければと思考を再開する。
(なんで先生が千佳との事を?聞いた?誰かから?)
とりあえず玲が素っ頓狂に私事へ首を突っ込んでくる理由を確かめないと、と聡は質問に質問で返した。
「なんで、ですか?」
「ふふっ、バレた理由を尋ねてる時点で自白しているようなものじゃない?」
しまった、と聡は無理やりに玉虫色の笑みを浮かべる。相手は教師であり、自分よりも言葉のやり取りに優れた大人なのだ。
「少し前に見たのよ。隣県のショッピングモールで二人が買い物しているところをね」
手も繋いでいた訳じゃないし恋仲なのかわからなくて、と長い睫毛を畳みながら玲が笑う。
(先生、そんな顔で笑うんだ)
この不思議なやり取りの中で、ようやく担任教師の為人に触れた気がした。
(いや、そんな事より!)
聡にはピンとこない。何故自分みたいな目立たない生徒の色恋沙汰に、忙しいはずの担任教師が首を突っ込んでくるのか、が。
「何で私が川村さんとの事を聞いてくるのかって顔してるわね」
玲は笑みを消さずに聡の疑問に答える素振りをみせる。
聡はコクリと頷くしかない。本業の教師にペース作りで勝てるはずがなかった。
「まずあなた達のなり初めを教えて。そしたら川村さんとの事は内緒にしておいてあげるわ」
聡は迷った。
川村千佳、学内でも有名な隣のクラスの美少女。
彼女と恋仲なのは事実だし、買い物に行っていたのも本当だった。
しかし付き合う際に千佳と約束をしていた。二人の関係を学校では秘密にするとの約束だ。
千佳からの提案ではあったが、聡にとっても、普段話さないクラスメイトから千佳の事を聞かれる煩わしさを思えばその方が良いと考えていた。
デートの時は学校から遠い場所を選んでいたし、学校ではそもそも別のクラスで話す機会は殆ど無い。その為、学内に二人の関係者を知る人はいない筈だった。
それがよりによって担任教師に知られたとなるとやはり動揺を隠せない。
しかもなり初めを話せと条件まで付けて来る始末だ。
(でも…)
他の生徒に知られるよりは遥かに良い。相手は話が通じる大人だし、多分口も堅い。何よりどこまで本気かは知らないが、秘密をバラすとまで脅されている以上、選択の余地が無かった。
ポツリポツリと、聡は千佳との出会いから話し始めた。
そして聡は知らなかった。確かに玲は聡のプライベート、特に女性関係を引き出そうとしている。ただ玲の本当の意図は目の前の教え子を極力長い時間、この空間に閉じ込めて置く事だと。
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千佳と初めに話したのは二年生になってすぐの四月だった。
既にクラスの中で居心地の悪さを感じていた聡は一人で昼食をとる事が習慣になっていた。教室で一人食べてしまうと、変に周囲から気を遣われる事が辛かった。
その為、教室とは離れた演習棟の屋上へ続く踊り場で一人食事を取る事が多かった。取り付けの窓を開ければ気持ちの良い風が入り、何より周りの目を気にせずに落ち着けるその場所が聡のお気に入りになっていた。
そこで千佳と出会った。
「あっ…先客がいる」
後から踊り場に来た千佳は大層驚いていた。どうやら自分だけの隠れ家だと思っていたらしい。
第一印象は制服のよく似合う可愛らしい女の子、だった。
「ごめん、退くよ」
「私こそ驚かせてごめんなさい。大丈夫だよ!こっちがどこか別の所に」
「いや、でも…」
そんな調子で何度かの譲り合いをした後、そのやり取りがおかしくなってきた聡がふと溢した。
「ここ、良いよね。静かで落ち着くし」
「それ!私もね、友達と居るのに疲れた時にたまに来るの。お腹痛いから私抜きで食べといてーって言って」
仲間を見つけた気分になったのか、ブレザーのポケットに昼ご飯を忍ばせるのが大変だとか、夏場はどうしようとか、千佳は他愛の無い話を楽しそうに話し始めた。
結局はそのまま二人で昼食を食べる事になった。
今思えば一目惚れだった。
スタートから飾らずに話していた事が距離を縮めたのかもしれない。それは千佳も同じだったようで、待ち合わせをする訳では無いものの、自然と週に一度はその踊り場で一緒に昼食をとっていた。
聡は少しだけ自分の話をした。久しぶりに同い年の女の子と話して浮かれていたのかもしれない。
クラスの居心地が悪い事。
自然に周囲に溶け込めない自分が好きでは無い事。
家でも学校でも一人だという事。
千佳も自分の話をしてくれた。
「私ね、親が厳しくて。支配的って言うのかな、何かと管理したがってね。それで良い子良い子してたら学校でも良い子になっちゃって」
「ミイラ取りがミイラになっちゃったみたいな?あれ、使い方合ってるかな」
「友達も私を良い子だって思ってるから、たまに疲れちゃうんだよねぇ。本当はスマホゲームにお小遣いジャブジャブ課金してるし、電車でお年寄りに席を譲るのとか邪魔くさい」
悪い子の認識が甘すぎると二人で笑った。その勢いで聡は千佳の連絡先を聞いた。もっと話をしでみたい、そう思った。
「いいよ、私も聞こうと思ってた」
その後、何度か夜中までメッセージのやり取りをしたり、ゲームに全く触れてこなかった聡が千佳の強烈な押しに負けて同じスマホゲームを始めたりした。同じ作業の繰り返しにとても楽しいとは思えなかった聡だったが、少しでも千佳と仲良くなりたいと慣れないゲームを続けた。
ある日、ひょんな流れで寝る前に電話をしていた。最初はいつも通りの雑談だった。
今月に聡のクラスの担任が退職し、新しい先生が来る事。
千佳のクラスも担任が変わり、亜門と言う若い男性教諭が赴任予定だと言う事。
偶然が重なるものだと二人が言った。
「私ね、こうやって普通に誰かと話す事がこんなに楽しいって知らなかった」
「僕も、そう思う」
「わ、私ね…その門限は八時だし…」
「ん?う、うん」
「親は厳しいし…」
「うん」
「今までつ、付き合うとかしたことないんだけど」
「えっ?そうなの?」
「土田くんの事が好き」
その後の事は舞い上がりすぎてよく覚えていない。二つ返事で了承し、とりあえず付き合っている事は周囲には内緒にしておきたいと言う千佳の希望にも同意した事は覚えていた。
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