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第4章 苦海の章
第172話 針崎勝鬘寺攻めから佐々木上宮寺攻めへ
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土呂本宗寺攻めの途中で待ち伏せを受けた家康が命からがら菅生の満性寺へ転がり込んだ十三日も明けて十四日。家康は岡崎城にて重臣たちと軍議を開いていた。
「殿、軍議の前に一つ相談したきことが」
「おお、与七郎か。うむ、申してみよ」
軍議のため、大広間へ入らんとする家康を廊下で呼び止めたのは家老・石川与七郎数正であった。
戦に関することで申したいことがあるならば、これからの軍議で申し述べるはず。となれば、それ以外のことで、かつ家康一人だけに伝えねばならない何かがあるのではないか。それが家康の推測であったのだが。
「殿、先日の軍議にて水野藤十郎殿と水野太郎作殿の来訪を取り次いだ我が母がことを覚えておいででしょうか」
「無論じゃ。昨年亡くなった右近大夫の未亡人であろうが」
「いかにも。これは我が祖父の安芸守や、能見におる某の外祖父の松平二郎右衛門殿より了承を得てのことにございますが、我が母を殿の側室としていただきたく」
「なにっ!?」
あまりにも衝撃的な提案に、家康も平静を装うことなどできなかった。今年で三十二となる石川与七郎の生母となれば、どれだけ若く見積もっても四十代半ば。齢二十三の家康にとっては生母・於大の方よりも年上の女性を側室にと言われても反応に困るのは道理であった。
「表向きは側室となりまするが、石川家と能見松平家からの人質進上と思うてくだされば結構にございまする」
「案ずるな。そのようなことをせずとも、両家の忠節を疑ったことはない」
「殿は甘すぎまする。人質は得られるうちに得ておくことこそ肝要。さもなくば、上野城の酒井将監をはじめ、門徒武士らのように離反する者らを抑止することは叶いませぬ。ゆえに、この与七郎は率先して生母を人質に出すことで忠義の証を示そうとしておるのでございます」
「その心意気は買おう。じゃが、しばし考慮する時間がほしい。今は戦のことで、側室云々の余裕はないのじゃ」
「承知いたしました。殿がそうまで仰られるのでしたら」
ひとまず、返事は先延ばしにするという形で石川与七郎からの追及を逃れ、家康は大広間へと入ったのである。
集まったのは家老の石川与七郎数正と石川彦五郎家成、植村出羽守栄政改め家政の両名。植村出羽守家政の『家』の一字は言うまでもなく家康からの偏諱である。
加えて、大久保家からは常源、鳥居家からは鳥居伊賀守忠吉、与七郎の祖父で彦五郎の父にあたる石川安芸守忠成といった宿老らが集っていた。
「皆、待たせてすまぬ。これより評定へ移りたいと存ずるが……」
家康が集まった一同の顔を見まわすと、家老や老臣たちは小さく一つ頷く。それを確認したうえで、家康も口を開く。
「今月十一日より本格的に針崎勝鬘寺の一揆勢と交戦して参った。こちらも数多の損失を被ったが、それ以上に一揆勢に打撃を与えることに成功した。そこで、次なる目標は針崎勝鬘寺ではなく、佐々木上宮寺としたい」
家康が佐々木上宮寺を狙う理由は、矢矧川を安全に渡河できるようにするため。さすれば、苅谷から水野勢を援軍として呼び込むことも可能となり、矢矧川西岸で叛乱を起こしている勢力を駆逐する足掛かりともなるからである。
「殿、水野家からの援軍の件にございますが、小牧山より援軍の許諾があったとのこと。近日中に来援があるのではないかと思われまする」
「出羽守が申したことが真ならば、なおのことじゃ。攻めるべきは佐々木上宮寺であろう」
織田家とのやり取りを担当した植村出羽守。そんな齢二十四の家老の意見を聞き、家康は重臣たちへ佐々木上宮寺攻めについての意見を求めていく。
「鳥居伊賀守、殿の意見に賛同にございます」
「石川彦五郎、右に同じく」
鳥居伊賀守が真っ先に同意し、それに追随するように石川彦五郎も同意する意志を表明していく。結果、重臣たちより異見が唱えられることはなく、次なる戦略目標は佐々木上宮寺と定められた。
「殿、かくなるうえは上宮寺の様子を探らずばなりますまい」
「それよ。矢田作十郎助吉を筆頭に、鳥居又右衛門重正や安藤次右衛門定次、戸田三郎衛門忠次といった者らが百は詰めておる。各々の家人も合わせれば、相当な数ともなろう」
「然らば、敵情を調べる者が必要ともなりましょう」
「そうじゃな。誰ぞ適任はおらぬものか」
この場で一番戦の経験が豊富な常源の一言を受けて、家康も考えを巡らせ始める。そして、適任者の存在に行き当たる。
「二年前の上之郷城攻めの折に用いた甲賀衆を用いるのはどうであろうか」
「されど、伴与七郎らはすでに三河にはおりませぬゆえ、別な甲賀衆を用いねばなりますまい」
「うむ。ともすれば、青山虎之助や深津九八郎あたりが良かろうか」
「はい。彼らならば上手くやりましょうぞ」
家康はすぐにも甲賀衆の青山虎之助と深津九八郎の両名を呼び寄せると、今晩のうちに佐々木上宮寺へと潜入し、寺を焼くように命じた。
「と、殿様!まことに寺を焼いてしまわれるので!?」
「虎之助も九八郎も遠慮してはならぬ。されど、火を放つ際には失火を装うようにせよ」
「なるほど、失火を装えと。承知いたしました。お申し付けの通り、失火を装うようにいたしますれば」
「うむ、頼むぞ。そなたらの策が上首尾に参ったならば、佐々木上宮寺の一揆勢も観念するであろう。抜かるでないぞ」
家康からの念押しに力強く頷くと、青山虎之助や深津九八郎の両名は岡崎城を出発。家康から受けた任務を遂行するべく、ただちに佐々木上宮寺を目指して移動を開始。夜陰に紛れて矢矧川を渡り、佐々木上宮寺へと辿り着く。
「虎之助殿、いよいよじゃな」
「うむ。この策が成功したならば、かの地の一揆勢も抵抗することの愚かさを思い知り、一揆を解散することであろうよ」
深津九八郎は青山虎之助の後ろに続き、岡崎城に匹敵するくらいに立派な塀を越えて寺内へと侵入していく。
ちょうどその頃、佐々木上宮寺では矢田作十郎、鳥居又右衛門、安藤次右衛門、戸田三郎衛門の四名が酒を飲みながら戦のことを語り合っていた。
「作十郎殿、聞くところによれば勝鬘寺のお味方は上和田砦へ攻めかかったそうではないか」
「そうらしい。蜂屋半之丞貞次あたりが率先して斬り込んで暴れ回っておる様が眼に浮かぶようじゃ」
「まことに。これは我らも負けてはおれぬ。この鳥居又右衛門にとってこの辺りの地は庭にござれば、まずは渡の砦あたりを夜襲でもって陥落させるのはいかがか」
「それはこの作十郎も思案しておったところじゃ。されど、相手はあの鳥居党じゃ。そうやすやすとは落とせまい」
「ははは。じゃが、この又右衛門とて鳥居の者にござるぞ」
攻めるのも鳥居党だが、今目の前で話しているのも鳥居家出身の者。そのことに同席している安藤次右衛門、戸田三郎衛門らも思わず吹き出してしまう。
「よいか、又右衛門殿。貴殿は地の利を把握しておる。されど、それは敵とて同じこと。そのような緩んだ心持ちでは敗北し、いたずら兵を失うのみであろう」
さらっと吐き出した矢田作十郎の言葉がよほど応えたのか、鳥居又右衛門は黙りこくってしまう。
「この安藤次右衛門が思うに、ここは針崎や土呂の者らと連携を取り、挟撃するのはどうであろうか」
「うむ。それも良いであろうが、何分にも佐々木と針崎の間には青野や土居といった家康方の勢力がおる。その間を突っ切って使者を往来させて挟撃するのはいささか無理があろう。必ずや敵のことじゃ、我らの動きに気づいて妨害しに動くであろうよ」
佐々木上宮寺から針崎勝鬘寺までにはそれなりの距離がある。その距離で挟撃策を実行するべく連絡を取り合っていれば、家康方に気づかれないはずがない。
何よりいかにして家康を岡崎城から誘い出し、その背後を衝こうというのか。つい昨日家康は九死に一生を得る想いをしたばかりであろうが、と矢田作十郎は付け加えた。
「とはいえ、昨日の味方の勝利は内通者がおったからとも聞く」
「それは某も存じておる。名は……失念してしもうたが」
「いや、某とて名は存じておらぬ。まあ、内通者が誰なのかはさておき、我らも油断してはならぬ。この寺内にも敵と内通しておる者がおるやもしれぬでな」
矢田作十郎はちらりと対面で胡坐をかいている戸田三郎衛門を見やる。矢田作十郎につられるように安藤次右衛門、鳥居又右衛門も戸田三郎衛門へと視線を移す。三名から疑いの視線を向けられた戸田三郎衛門の丸顔は一瞬のうちに不機嫌そうな表情へと変貌する。
「皆々方、よもや某が内通者だと疑っておられるのか!」
「ははは、内通しそうな輩なんぞ、この作十郎が見る限り、お主しかおらぬわ。そなたは先代広忠公の継室であらせられる田原御前様の従兄弟であるからな。こそこそと裏で密書を岡崎へ送っておってもおかしくはない」
「なんじゃと!」
「ほれほれ、図星であったのだろうが」
戸田三郎衛門の拳は怒りに震えた。それは一人の武士として一番の屈辱であったかもしれない。だが、戸田三郎衛門はその場で怒りに任せて喧嘩に発展させるようなことはしなかった。
そうしているところへ、倉地平左衛門が鳥居家の家人二人を連れて矢田作十郎のもとを訪ねてきたのである。
「作十郎殿、よろしいか」
「なんじゃ、平左衛門ではないか。何事か」
「いや、ここにおる鳥居家の家人どもが寺内に怪しい者が二人侵入するのを見たとか申してな」
「ほう、怪しい者とな。家人ども、まずは名を名乗れ」
矢田作十郎は猜疑心強く、知人の倉地平左衛門が連れてきた二人の身元を暴こうとする。だが、松平家の直臣と陪臣とでは立場に雲泥の差があるため、家人たちは主の顔に泥を塗るまいと身元を正直に明かしていく。
「拙者は鳥居九兵衛が家臣、小谷甚左衛門尉と申す」
「そ、某は鳥居久兵衛が家臣、山田八蔵と申します」
淀みなく素直に身元を明かしたことで少しは信じる気になったのか、月明かりに照らされた矢田作十郎の険しい表情は少し柔らかくなる。
そこからは少し尋問じみた内容でありながらも、あくまでも寺内へ侵入した者らを見かけた場所とどの方角へ向かったかなどを問い詰めることを主たる目的としていた。その情報を総合し、矢田作十郎は今侵入者が潜伏しているであろう場所を割り出していく。
「作十郎殿、侵入者どもがどこにおるか、分かったのでござるか」
「うむ。おおよそ見当がつく。小谷甚左衛門尉と山田八蔵の話から推測するに、身のこなしは武士や百姓、ましてや商人や職人ではなかろう。おそらくは上之郷城攻めで用いたとかいう甲賀衆であろう。仮に情報収取が目的ならば、我らが今いるところへ紛れ込めばよいものを、それとは大いに異なる隠密行動を取っておる。となれば、寺内で何かしらの騒ぎを起こすつもりなのであろう」
矢田作十郎の推測は当たっていた。そこまで推測を終えると、その場にいる者たちの家人たちを招集して捜索を開始。あと四半刻で日付が変わろうかという頃に、侵入者二人を発見するに至った。
「見つけたぞ、侵入者どもめ!」
「ちっ、見つかったか!」
忍びの術を駆使して隠れていた青山虎之助と深津九八郎であったが、常人ならば見逃している気配を矢田作十郎に察知されてしまったのである。
「不埒な奴らめ、この矢田作十郎が成敗してくれるから覚悟せよ!」
矢田作十郎がそう名乗ると、青山虎之助と深津九八郎の動きが一瞬だけ制止した。それもそのはずである。目の前で対峙しているのが針崎勝鬘寺に籠もる蜂屋半之丞や筧助大夫と並び称される勇将・矢田作十郎だと分かったのだから。
「はっ!」
地面を蹴って繰り出した矢田作十郎の目にも止まらぬ神速の突きに、深津九八郎は次の瞬間には喉元を刺し貫かれていた。
残された青山虎之助も懸命に抗おうとするも、武士と正面から斬り合ったのでは忍者に勝ち目など到底ない。青山虎之助も鍛え上げた体術で矢田作十郎へ拳や蹴りでの一撃を数発お見舞いすることはできたが、それ以上の足掻きは許されなかった。
「くそっ……!」
矢田作十郎の容赦ない突きに胸部を貫かれた青山虎之助はついに力尽きて地面に倒れ込み、勝敗が決する。
「さすがは作十郎殿じゃ」
「世辞などよい。忍びなんぞを斬ったところで武功の足しにもならぬ。とっととこの者らの首を取り、明朝三反畑にでも曝しておけ」
そこまで言い捨てると、矢田作十郎は血のついた槍先を拭いながら、地に伏す甲賀衆二人に背を向けて立ち去っていくのであった。
「殿、軍議の前に一つ相談したきことが」
「おお、与七郎か。うむ、申してみよ」
軍議のため、大広間へ入らんとする家康を廊下で呼び止めたのは家老・石川与七郎数正であった。
戦に関することで申したいことがあるならば、これからの軍議で申し述べるはず。となれば、それ以外のことで、かつ家康一人だけに伝えねばならない何かがあるのではないか。それが家康の推測であったのだが。
「殿、先日の軍議にて水野藤十郎殿と水野太郎作殿の来訪を取り次いだ我が母がことを覚えておいででしょうか」
「無論じゃ。昨年亡くなった右近大夫の未亡人であろうが」
「いかにも。これは我が祖父の安芸守や、能見におる某の外祖父の松平二郎右衛門殿より了承を得てのことにございますが、我が母を殿の側室としていただきたく」
「なにっ!?」
あまりにも衝撃的な提案に、家康も平静を装うことなどできなかった。今年で三十二となる石川与七郎の生母となれば、どれだけ若く見積もっても四十代半ば。齢二十三の家康にとっては生母・於大の方よりも年上の女性を側室にと言われても反応に困るのは道理であった。
「表向きは側室となりまするが、石川家と能見松平家からの人質進上と思うてくだされば結構にございまする」
「案ずるな。そのようなことをせずとも、両家の忠節を疑ったことはない」
「殿は甘すぎまする。人質は得られるうちに得ておくことこそ肝要。さもなくば、上野城の酒井将監をはじめ、門徒武士らのように離反する者らを抑止することは叶いませぬ。ゆえに、この与七郎は率先して生母を人質に出すことで忠義の証を示そうとしておるのでございます」
「その心意気は買おう。じゃが、しばし考慮する時間がほしい。今は戦のことで、側室云々の余裕はないのじゃ」
「承知いたしました。殿がそうまで仰られるのでしたら」
ひとまず、返事は先延ばしにするという形で石川与七郎からの追及を逃れ、家康は大広間へと入ったのである。
集まったのは家老の石川与七郎数正と石川彦五郎家成、植村出羽守栄政改め家政の両名。植村出羽守家政の『家』の一字は言うまでもなく家康からの偏諱である。
加えて、大久保家からは常源、鳥居家からは鳥居伊賀守忠吉、与七郎の祖父で彦五郎の父にあたる石川安芸守忠成といった宿老らが集っていた。
「皆、待たせてすまぬ。これより評定へ移りたいと存ずるが……」
家康が集まった一同の顔を見まわすと、家老や老臣たちは小さく一つ頷く。それを確認したうえで、家康も口を開く。
「今月十一日より本格的に針崎勝鬘寺の一揆勢と交戦して参った。こちらも数多の損失を被ったが、それ以上に一揆勢に打撃を与えることに成功した。そこで、次なる目標は針崎勝鬘寺ではなく、佐々木上宮寺としたい」
家康が佐々木上宮寺を狙う理由は、矢矧川を安全に渡河できるようにするため。さすれば、苅谷から水野勢を援軍として呼び込むことも可能となり、矢矧川西岸で叛乱を起こしている勢力を駆逐する足掛かりともなるからである。
「殿、水野家からの援軍の件にございますが、小牧山より援軍の許諾があったとのこと。近日中に来援があるのではないかと思われまする」
「出羽守が申したことが真ならば、なおのことじゃ。攻めるべきは佐々木上宮寺であろう」
織田家とのやり取りを担当した植村出羽守。そんな齢二十四の家老の意見を聞き、家康は重臣たちへ佐々木上宮寺攻めについての意見を求めていく。
「鳥居伊賀守、殿の意見に賛同にございます」
「石川彦五郎、右に同じく」
鳥居伊賀守が真っ先に同意し、それに追随するように石川彦五郎も同意する意志を表明していく。結果、重臣たちより異見が唱えられることはなく、次なる戦略目標は佐々木上宮寺と定められた。
「殿、かくなるうえは上宮寺の様子を探らずばなりますまい」
「それよ。矢田作十郎助吉を筆頭に、鳥居又右衛門重正や安藤次右衛門定次、戸田三郎衛門忠次といった者らが百は詰めておる。各々の家人も合わせれば、相当な数ともなろう」
「然らば、敵情を調べる者が必要ともなりましょう」
「そうじゃな。誰ぞ適任はおらぬものか」
この場で一番戦の経験が豊富な常源の一言を受けて、家康も考えを巡らせ始める。そして、適任者の存在に行き当たる。
「二年前の上之郷城攻めの折に用いた甲賀衆を用いるのはどうであろうか」
「されど、伴与七郎らはすでに三河にはおりませぬゆえ、別な甲賀衆を用いねばなりますまい」
「うむ。ともすれば、青山虎之助や深津九八郎あたりが良かろうか」
「はい。彼らならば上手くやりましょうぞ」
家康はすぐにも甲賀衆の青山虎之助と深津九八郎の両名を呼び寄せると、今晩のうちに佐々木上宮寺へと潜入し、寺を焼くように命じた。
「と、殿様!まことに寺を焼いてしまわれるので!?」
「虎之助も九八郎も遠慮してはならぬ。されど、火を放つ際には失火を装うようにせよ」
「なるほど、失火を装えと。承知いたしました。お申し付けの通り、失火を装うようにいたしますれば」
「うむ、頼むぞ。そなたらの策が上首尾に参ったならば、佐々木上宮寺の一揆勢も観念するであろう。抜かるでないぞ」
家康からの念押しに力強く頷くと、青山虎之助や深津九八郎の両名は岡崎城を出発。家康から受けた任務を遂行するべく、ただちに佐々木上宮寺を目指して移動を開始。夜陰に紛れて矢矧川を渡り、佐々木上宮寺へと辿り着く。
「虎之助殿、いよいよじゃな」
「うむ。この策が成功したならば、かの地の一揆勢も抵抗することの愚かさを思い知り、一揆を解散することであろうよ」
深津九八郎は青山虎之助の後ろに続き、岡崎城に匹敵するくらいに立派な塀を越えて寺内へと侵入していく。
ちょうどその頃、佐々木上宮寺では矢田作十郎、鳥居又右衛門、安藤次右衛門、戸田三郎衛門の四名が酒を飲みながら戦のことを語り合っていた。
「作十郎殿、聞くところによれば勝鬘寺のお味方は上和田砦へ攻めかかったそうではないか」
「そうらしい。蜂屋半之丞貞次あたりが率先して斬り込んで暴れ回っておる様が眼に浮かぶようじゃ」
「まことに。これは我らも負けてはおれぬ。この鳥居又右衛門にとってこの辺りの地は庭にござれば、まずは渡の砦あたりを夜襲でもって陥落させるのはいかがか」
「それはこの作十郎も思案しておったところじゃ。されど、相手はあの鳥居党じゃ。そうやすやすとは落とせまい」
「ははは。じゃが、この又右衛門とて鳥居の者にござるぞ」
攻めるのも鳥居党だが、今目の前で話しているのも鳥居家出身の者。そのことに同席している安藤次右衛門、戸田三郎衛門らも思わず吹き出してしまう。
「よいか、又右衛門殿。貴殿は地の利を把握しておる。されど、それは敵とて同じこと。そのような緩んだ心持ちでは敗北し、いたずら兵を失うのみであろう」
さらっと吐き出した矢田作十郎の言葉がよほど応えたのか、鳥居又右衛門は黙りこくってしまう。
「この安藤次右衛門が思うに、ここは針崎や土呂の者らと連携を取り、挟撃するのはどうであろうか」
「うむ。それも良いであろうが、何分にも佐々木と針崎の間には青野や土居といった家康方の勢力がおる。その間を突っ切って使者を往来させて挟撃するのはいささか無理があろう。必ずや敵のことじゃ、我らの動きに気づいて妨害しに動くであろうよ」
佐々木上宮寺から針崎勝鬘寺までにはそれなりの距離がある。その距離で挟撃策を実行するべく連絡を取り合っていれば、家康方に気づかれないはずがない。
何よりいかにして家康を岡崎城から誘い出し、その背後を衝こうというのか。つい昨日家康は九死に一生を得る想いをしたばかりであろうが、と矢田作十郎は付け加えた。
「とはいえ、昨日の味方の勝利は内通者がおったからとも聞く」
「それは某も存じておる。名は……失念してしもうたが」
「いや、某とて名は存じておらぬ。まあ、内通者が誰なのかはさておき、我らも油断してはならぬ。この寺内にも敵と内通しておる者がおるやもしれぬでな」
矢田作十郎はちらりと対面で胡坐をかいている戸田三郎衛門を見やる。矢田作十郎につられるように安藤次右衛門、鳥居又右衛門も戸田三郎衛門へと視線を移す。三名から疑いの視線を向けられた戸田三郎衛門の丸顔は一瞬のうちに不機嫌そうな表情へと変貌する。
「皆々方、よもや某が内通者だと疑っておられるのか!」
「ははは、内通しそうな輩なんぞ、この作十郎が見る限り、お主しかおらぬわ。そなたは先代広忠公の継室であらせられる田原御前様の従兄弟であるからな。こそこそと裏で密書を岡崎へ送っておってもおかしくはない」
「なんじゃと!」
「ほれほれ、図星であったのだろうが」
戸田三郎衛門の拳は怒りに震えた。それは一人の武士として一番の屈辱であったかもしれない。だが、戸田三郎衛門はその場で怒りに任せて喧嘩に発展させるようなことはしなかった。
そうしているところへ、倉地平左衛門が鳥居家の家人二人を連れて矢田作十郎のもとを訪ねてきたのである。
「作十郎殿、よろしいか」
「なんじゃ、平左衛門ではないか。何事か」
「いや、ここにおる鳥居家の家人どもが寺内に怪しい者が二人侵入するのを見たとか申してな」
「ほう、怪しい者とな。家人ども、まずは名を名乗れ」
矢田作十郎は猜疑心強く、知人の倉地平左衛門が連れてきた二人の身元を暴こうとする。だが、松平家の直臣と陪臣とでは立場に雲泥の差があるため、家人たちは主の顔に泥を塗るまいと身元を正直に明かしていく。
「拙者は鳥居九兵衛が家臣、小谷甚左衛門尉と申す」
「そ、某は鳥居久兵衛が家臣、山田八蔵と申します」
淀みなく素直に身元を明かしたことで少しは信じる気になったのか、月明かりに照らされた矢田作十郎の険しい表情は少し柔らかくなる。
そこからは少し尋問じみた内容でありながらも、あくまでも寺内へ侵入した者らを見かけた場所とどの方角へ向かったかなどを問い詰めることを主たる目的としていた。その情報を総合し、矢田作十郎は今侵入者が潜伏しているであろう場所を割り出していく。
「作十郎殿、侵入者どもがどこにおるか、分かったのでござるか」
「うむ。おおよそ見当がつく。小谷甚左衛門尉と山田八蔵の話から推測するに、身のこなしは武士や百姓、ましてや商人や職人ではなかろう。おそらくは上之郷城攻めで用いたとかいう甲賀衆であろう。仮に情報収取が目的ならば、我らが今いるところへ紛れ込めばよいものを、それとは大いに異なる隠密行動を取っておる。となれば、寺内で何かしらの騒ぎを起こすつもりなのであろう」
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「ちっ、見つかったか!」
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「不埒な奴らめ、この矢田作十郎が成敗してくれるから覚悟せよ!」
矢田作十郎がそう名乗ると、青山虎之助と深津九八郎の動きが一瞬だけ制止した。それもそのはずである。目の前で対峙しているのが針崎勝鬘寺に籠もる蜂屋半之丞や筧助大夫と並び称される勇将・矢田作十郎だと分かったのだから。
「はっ!」
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「くそっ……!」
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「さすがは作十郎殿じゃ」
「世辞などよい。忍びなんぞを斬ったところで武功の足しにもならぬ。とっととこの者らの首を取り、明朝三反畑にでも曝しておけ」
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【アラウコの叫び 】第2巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎日07:20投稿】 動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
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