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第4章 苦海の章
第77話 戦評定と明かされる願託
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年が明けて、永禄三年。具体的な侵攻策を協議すべく、隠居の今川義元も駿府館に入り、極寒の中で重臣らを集めての評定が開かれることとなった。
「此度は来たる尾張表への出陣に向けての評定じゃ。出陣は春ごろと定めておるが、何月何日の出陣となるかは、吉日を占ってからのこととなる」
此度の遠征において総大将を務める今川義元より、改めて言葉が発される。この場に同席するのは当主・五郎氏真のほかに、親類衆からは当事者である松平蔵人佐元康をはじめ、関口刑部少輔氏純、北条助五郎氏規、武田六郎信友など見知った顔が並ぶ。
加えて、義元の妹婿である浅井小四郎政敏、御一家衆の待遇を受ける駿東郡葛山城主・葛山左衛門佐氏元、瀬名陸奥守氏俊など、元康にあまり馴染みのない者たちも同席していた。
中でも、葛山氏元の正室・ちよは北条氏綱の娘であり、北条氏康の妹。すなわち、同席している北条助五郎氏規にとっては叔父にあたる人物でもある。
瀬名氏俊は元康の舅・関口刑部少輔氏純の実兄であり、駿河御前は彼の姪にあたる。さらに、この場に座する武田六郎信友の舅でもある。
そうした一門衆のお歴々が並ぶ中、今川譜代家臣からは筆頭の朝比奈一族が目立つ。
懸川城主を務める朝比奈備中守泰朝、朝比奈備中守の従兄弟であり元康の指南役でもある朝比奈丹波守親徳と、その嫡男・兵衛尉元長。他にも、朝比奈主計助秀詮などが堂々と座している。
譜代の家柄出身者では侍大将を務める岡部甲斐守長定、氏真の側近・三浦備後守正俊、由比美作守正信、一宮宗是、義に厚い武芸者・庵原右近忠春、庵原将監忠縁、織田軍との安城合戦において武名を轟かせた駿河国蒲原城主・蒲原氏徳、斎藤掃部介利澄、富永伯耆守氏繁、長谷川伊賀守元長、藤枝伊賀守氏秋。
他にも遠江国衆の出身者から、義元の信頼厚き遠江二俣城主・松井左衛門佐宗信、遠江引佐郡井伊谷城主・井伊信濃守直盛、駿河江尻城主・久野氏忠、遠江久野城主・久野元宗などが居並び、広間を埋め尽くさんとするほどの人が集結していたのである。
「これに居並ぶ諸将は皆、今川に仕える忠義者ばかりである。その中で、在国を命じるつもりでおるのは四名じゃ。関口刑部少輔と三浦備後守の両名は五郎が政を行う上で欠かせぬ奉行人であるゆえな。そして、北条助五郎と武田六郎にも在駿府を命じるものとする。お主らでよく五郎を支えるのじゃ」
「「「「ははっ!」」」」
名を呼ばれた四名は美しい所作でもって一礼する。動作の揃った礼は美しく、目を見張るものがあった。
「して、北条助五郎。そなたの父よりの返答はいかがであったか」
「はっ!父は去る十二月二十三日に隠居。当主は兄・新九郎氏政となりました。その隠居の父が自ら房総へ侵攻する日も近いため、さしたる数は送れぬが、何とか伊豆衆を中心に二千ほど編成するとの返答がございました」
「左様か。では、その北条援軍は原則として葛山左衛門佐とともに動かすことといたそう。合わせて五千ほどにはなろう。いかがじゃ、葛山左衛門佐」
「異存ございませぬ」
「よし、決まりじゃ」
以前より打診していた援軍の件より評定が開始される。北条からの援軍となれば、次の話題は決まりきっていた。
「武田六郎、そなたの兄よりの返答はいかがであったか」
「はっ、兄よりも援軍を送るとの返答は得ております。しかし、その数までは知り得ませぬ」
「そうであったか。また何ぞ便りがあれば、知らせてくれよ」
「はっ、それは無論のこと!六年前に兄が信濃へ侵攻した際に一宮宗是殿らを援軍として派遣してくださったこと、兄も感謝しておりました。ゆえに、その返礼を遅ればせながら此度の出兵における援軍派兵にてさせていただきたいとも書き添えられておりました」
「うむ、そなたの兄はまことに義理堅い武士じゃ。義元は武田を頼りに思うておる。援軍の件、よしなに頼むと書き送っておいてくれまいか」
「承りました。この評定が終わり次第、筆を執ろうと存じます」
北条・武田からの援軍を得て、そのうえでの尾張侵攻。今川軍を主力とした甲相駿三国同盟の連合軍といっても差し支えない、万全な態勢で臨む。そこに、義元の尾張表への出陣にかける意気込みが伝わってくるかのようであった。
「関口刑部少輔。尾張服部党よりの返答はいかがであった」
「ははっ、服部友貞より、快い返事をいただいておりますれば。太守様御出陣の際には伊勢湾より物資搬入の役目、喜んで引き受けるとのことにございました。また、その際、叶うなれば御目通りしたいとの返書が届いておりまする」
「その願い、聞き届けるとしようぞ。予が尾張へ入ったならば、その際は改めて対面の機会を設けることを約すると、かように服部友貞へ伝えるがよい」
「委細承知いたしました。また、昨年来より伊勢神宮外宮より協力を求められております造営費用にあたる萱米料の支出についてはいかがいたしますか」
「それについては予にも考えがある。仔細は評定の後に伝えることといたす」
「はっ、承知いたしました」
――伊勢神宮外宮よりそのような要請が来ている。
その話を関口刑部少輔が切り出したことは、家臣たちに与えた心証は実に良いものであった。
伊勢神宮外宮からも要請が来るほどの家格の家に自分たちは奉公しているのだ。そう思うだけで、自分たちも胸を張れるような気がしてくるのだから。
「此度の出陣は敵に包囲されている大高城と鳴海城の救援じゃ。その後は織田方の出方を伺いながらの尾張制圧となる。今川氏豊が今は亡き織田備後守信秀によって奪われた那古野城、そして清洲城まで攻略できれば上々であろう」
織田信秀存命中から優位に事を進めてきた今川義元。その集大成としての尾張表への出陣。これが尾張制圧まで成せた暁には、伊勢湾の権益に津島湊や熱田湊といった有力な資金源を得られる。
さらには、長島から伊勢へと入ることもでき、街道を北進すれば美濃大垣へと至る道も確保できる。ましてや、尾張から美濃にかけての濃尾平野を抑えれば、食糧面でも今川領国は豊かとなる。
「尾張を得れば、米も銭もこれまで以上に得ることが叶おう。さすれば、この場にいる皆やその家臣。そして、領国の民が飢える心配もなく、銭で豊かになっていくであろう。そうなった暁には予も政務より離れ、悠々自適の隠居生活を送るつもりじゃ」
「ち、父上!」
「安心せよ。そなたは軍事や外交の面で予に遠く及ばぬ。じゃが、領国を守り、経営していく際は予よりも上。何より、そなたを補佐してくれる良臣にも恵まれておるであろう」
義元からの言葉に、しばし沈黙する氏真。しかし、その瞳から怯えは消え、当主らしい決然としていた。
「承知いたしました。父上が安心して隠居生活が送れるよう、五郎も精進いたしまする。ゆえに、父上も織田を屈服させ、駿府へ凱旋してくださいませ」
「うむ、良き心掛けじゃ。予はここのおる強者どもを率いて、必ずや大高と鳴海の両城を救ってみせようぞ。皆の者には、ここ一番の働きを期待しておるぞ!」
「「おおっ!」」
見事に場の空気がまとめ上げられる。評定の初めはさほど乗り気ではなかった者たちも、今では希望に目を輝かせ、興奮醒めぬ様子。
自身の野望と我が子にかける愛情。そして、戦に参陣する者たちにとっての利益を明示する。これによって、その場にいる者たちは心を一にし、闘争心に書きたてられる。
その場にあって一抹の不安を抱えたまま評定に参加していた元康も、興奮気味に雄たけびを上げていた。
「よいか!此度の大戦の先手を三河衆、とりわけ松平蔵人佐元康!そちに命じるぞ!」
「はっ、ありがたき仕合わせ!太守様の庇護を受けて本日までわが身も領国も織田に侵されることなく、今日を迎えることができました。その大恩に報いるべく、織田に目にもの見せてやりまする!」
「よくぞ申した!そなたの祖父は織田打倒の志半ば、守山の陣中にて没した。そして、そなたの父もまた、織田に奪われた所領を回復することなく、失意の中で没した。その子であり、孫であるそなたが無念を晴らしてやるがよいぞ!」
興奮冷めやまぬ中、今川家の尾張遠征に向けての軍議は解散と相成った。その熱に煽られるまま、「織田に目にもの見せてやる」などと広言してしまったことを元康は内心悔やんでいた。
「蔵人佐」
広間を静かに去ろうとする元康の背中に、威厳のある声が投げかけられる。振り返れば、着座したままの海道一の弓取り・今川義元その人であった。
「こ、これは太守様!」
「ははは、先ほどの威勢はどこへ行ったのじゃ。ははは……!」
勇ましく、織田に目にもの見せてやると言った時とは打って変わり、普段以上に腰の低い元康は苦笑いを浮かべながら義元の面前に着座する。
「そなたには先鋒を命じたが、悪く思うてくれるなよ」
「悪く思う、とはいかなるわけにございましょうか」
「予が今川主力を温存するために三河国衆を使い捨てにするつもりじゃ、などとあらぬ誤解を受けては叶わぬゆえな」
「滅相もございませぬ!合戦場に近い我ら三河衆が先陣を承るは至極当然のこと。常日頃からお目かけくださる恩義に報いる時と心得ております」
これは嘘偽りない元康の本心であった。ただただ彼が懸念しているのは、相手が大うつけ者であるがゆえに何をしでかすか分からない織田信長である、という一点に尽きるのだ。
「お主よりその言葉が聞けて予は安堵しておる。そして、二年間尾張にて人質生活を送ったそなたが何を恐れているのか、それも予には分かっておる」
義元には見透かされている。何もハッタリで言っているわけではないこと、若い元康にも十二分に理解することができた。
「東国一王道を行くは北条左京大夫氏康、王道と覇道を臨機応変に使い分けるのが武田信濃守晴信。元康が警戒しておる織田上総介信長、あれほど覇道を地で行く者は予も見たことはない。あれが隣人としておるうちは、何が何でも隠居して氏真に全権を委ねることはできぬ」
「やはり太守様から見て、織田上総介信長という漢は油断ならぬ大敵にございまするか」
「うむ。やっておることは織田備後守信秀のそれが見事に継承されておる。それも、まだ二十七というではないか。まず間違いなく、父親の才覚を上回っておる。予は織田備後守が相手でも手こずっておった」
「さ、されど、太守様は織田の勢力を三河より放逐することに成功しておりまする!」
元康の熱意のこもった言葉に、義元は目を閉じ、静かに首を横に振るのみであった。
「その頃は織田備後守は病床に臥し、予の側には腹心の太原崇孚、朝比奈備中守泰能の両名が存命であった。予一人では五分五分に持ち込むのが手一杯であったろう」
「ご謙遜を……」
そこまで言いかけた元康であったが、何も義元は謙遜して申しているのではないと悟った。冷静に彼我の戦力を比較してきたのだと、その眼光は元康に語り掛けてくるかのようであった。
「太守様がそこまで仰せになるなら、今の今川家の勢力では織田上総介を抑え込むことは……」
「そうじゃな、織田上総が動員できる兵を五千、水野も加えれば七千ほど。これを打ち破るには三倍、少なくとも二万は必要であろう」
――二万。今の今川領国のすべてから兵をかき集め、傭兵も雇い入れたならば達成できる数字。
「蔵人佐、そなたがあと十年早く生まれ、数多の戦の経験を積んだならば、予とそなたで織田上総介の勢力を押し込めることも叶ったと、予は見ておる」
すなわち、義元から宣告されたのは、『才覚は申し分ないが、何分にも戦の経験が不足している』ということである。
「あと十年早く生まれておれば、そなたは戦のいろはを太原崇孚より直に学ぶこともできた。さすれば、名実ともに太原崇孚の軍略を受け継げたそなたを引き連れていけたならば、ここまで案ずることもなかったであろう」
義元より期待されている。その点については何物にも代えがたい喜びがあった。しかし、今の自分では義元の力となるには十年早い。そう言われているようで、気落ちしそうにもなる。
「まぁ、案じても致し方なき事。ともあれ、来るべき春の尾張表への出陣に向けて、松平蔵人佐元康。そなたには苅谷水野氏を通して緒川水野氏の動向を探ること、一度三河へ赴き、他の松平家の者らと交流を深めて戦場で比類なき働きができるよう支度を進めてもらいたいのじゃ」
「承知しました!この松平蔵人佐元康、太守様よりの命をしかと遂行して参りまする!」
かくして、元康は義元よりの期待と願いを胸に三河へ一時帰国することになったのである。
「此度は来たる尾張表への出陣に向けての評定じゃ。出陣は春ごろと定めておるが、何月何日の出陣となるかは、吉日を占ってからのこととなる」
此度の遠征において総大将を務める今川義元より、改めて言葉が発される。この場に同席するのは当主・五郎氏真のほかに、親類衆からは当事者である松平蔵人佐元康をはじめ、関口刑部少輔氏純、北条助五郎氏規、武田六郎信友など見知った顔が並ぶ。
加えて、義元の妹婿である浅井小四郎政敏、御一家衆の待遇を受ける駿東郡葛山城主・葛山左衛門佐氏元、瀬名陸奥守氏俊など、元康にあまり馴染みのない者たちも同席していた。
中でも、葛山氏元の正室・ちよは北条氏綱の娘であり、北条氏康の妹。すなわち、同席している北条助五郎氏規にとっては叔父にあたる人物でもある。
瀬名氏俊は元康の舅・関口刑部少輔氏純の実兄であり、駿河御前は彼の姪にあたる。さらに、この場に座する武田六郎信友の舅でもある。
そうした一門衆のお歴々が並ぶ中、今川譜代家臣からは筆頭の朝比奈一族が目立つ。
懸川城主を務める朝比奈備中守泰朝、朝比奈備中守の従兄弟であり元康の指南役でもある朝比奈丹波守親徳と、その嫡男・兵衛尉元長。他にも、朝比奈主計助秀詮などが堂々と座している。
譜代の家柄出身者では侍大将を務める岡部甲斐守長定、氏真の側近・三浦備後守正俊、由比美作守正信、一宮宗是、義に厚い武芸者・庵原右近忠春、庵原将監忠縁、織田軍との安城合戦において武名を轟かせた駿河国蒲原城主・蒲原氏徳、斎藤掃部介利澄、富永伯耆守氏繁、長谷川伊賀守元長、藤枝伊賀守氏秋。
他にも遠江国衆の出身者から、義元の信頼厚き遠江二俣城主・松井左衛門佐宗信、遠江引佐郡井伊谷城主・井伊信濃守直盛、駿河江尻城主・久野氏忠、遠江久野城主・久野元宗などが居並び、広間を埋め尽くさんとするほどの人が集結していたのである。
「これに居並ぶ諸将は皆、今川に仕える忠義者ばかりである。その中で、在国を命じるつもりでおるのは四名じゃ。関口刑部少輔と三浦備後守の両名は五郎が政を行う上で欠かせぬ奉行人であるゆえな。そして、北条助五郎と武田六郎にも在駿府を命じるものとする。お主らでよく五郎を支えるのじゃ」
「「「「ははっ!」」」」
名を呼ばれた四名は美しい所作でもって一礼する。動作の揃った礼は美しく、目を見張るものがあった。
「して、北条助五郎。そなたの父よりの返答はいかがであったか」
「はっ!父は去る十二月二十三日に隠居。当主は兄・新九郎氏政となりました。その隠居の父が自ら房総へ侵攻する日も近いため、さしたる数は送れぬが、何とか伊豆衆を中心に二千ほど編成するとの返答がございました」
「左様か。では、その北条援軍は原則として葛山左衛門佐とともに動かすことといたそう。合わせて五千ほどにはなろう。いかがじゃ、葛山左衛門佐」
「異存ございませぬ」
「よし、決まりじゃ」
以前より打診していた援軍の件より評定が開始される。北条からの援軍となれば、次の話題は決まりきっていた。
「武田六郎、そなたの兄よりの返答はいかがであったか」
「はっ、兄よりも援軍を送るとの返答は得ております。しかし、その数までは知り得ませぬ」
「そうであったか。また何ぞ便りがあれば、知らせてくれよ」
「はっ、それは無論のこと!六年前に兄が信濃へ侵攻した際に一宮宗是殿らを援軍として派遣してくださったこと、兄も感謝しておりました。ゆえに、その返礼を遅ればせながら此度の出兵における援軍派兵にてさせていただきたいとも書き添えられておりました」
「うむ、そなたの兄はまことに義理堅い武士じゃ。義元は武田を頼りに思うておる。援軍の件、よしなに頼むと書き送っておいてくれまいか」
「承りました。この評定が終わり次第、筆を執ろうと存じます」
北条・武田からの援軍を得て、そのうえでの尾張侵攻。今川軍を主力とした甲相駿三国同盟の連合軍といっても差し支えない、万全な態勢で臨む。そこに、義元の尾張表への出陣にかける意気込みが伝わってくるかのようであった。
「関口刑部少輔。尾張服部党よりの返答はいかがであった」
「ははっ、服部友貞より、快い返事をいただいておりますれば。太守様御出陣の際には伊勢湾より物資搬入の役目、喜んで引き受けるとのことにございました。また、その際、叶うなれば御目通りしたいとの返書が届いておりまする」
「その願い、聞き届けるとしようぞ。予が尾張へ入ったならば、その際は改めて対面の機会を設けることを約すると、かように服部友貞へ伝えるがよい」
「委細承知いたしました。また、昨年来より伊勢神宮外宮より協力を求められております造営費用にあたる萱米料の支出についてはいかがいたしますか」
「それについては予にも考えがある。仔細は評定の後に伝えることといたす」
「はっ、承知いたしました」
――伊勢神宮外宮よりそのような要請が来ている。
その話を関口刑部少輔が切り出したことは、家臣たちに与えた心証は実に良いものであった。
伊勢神宮外宮からも要請が来るほどの家格の家に自分たちは奉公しているのだ。そう思うだけで、自分たちも胸を張れるような気がしてくるのだから。
「此度の出陣は敵に包囲されている大高城と鳴海城の救援じゃ。その後は織田方の出方を伺いながらの尾張制圧となる。今川氏豊が今は亡き織田備後守信秀によって奪われた那古野城、そして清洲城まで攻略できれば上々であろう」
織田信秀存命中から優位に事を進めてきた今川義元。その集大成としての尾張表への出陣。これが尾張制圧まで成せた暁には、伊勢湾の権益に津島湊や熱田湊といった有力な資金源を得られる。
さらには、長島から伊勢へと入ることもでき、街道を北進すれば美濃大垣へと至る道も確保できる。ましてや、尾張から美濃にかけての濃尾平野を抑えれば、食糧面でも今川領国は豊かとなる。
「尾張を得れば、米も銭もこれまで以上に得ることが叶おう。さすれば、この場にいる皆やその家臣。そして、領国の民が飢える心配もなく、銭で豊かになっていくであろう。そうなった暁には予も政務より離れ、悠々自適の隠居生活を送るつもりじゃ」
「ち、父上!」
「安心せよ。そなたは軍事や外交の面で予に遠く及ばぬ。じゃが、領国を守り、経営していく際は予よりも上。何より、そなたを補佐してくれる良臣にも恵まれておるであろう」
義元からの言葉に、しばし沈黙する氏真。しかし、その瞳から怯えは消え、当主らしい決然としていた。
「承知いたしました。父上が安心して隠居生活が送れるよう、五郎も精進いたしまする。ゆえに、父上も織田を屈服させ、駿府へ凱旋してくださいませ」
「うむ、良き心掛けじゃ。予はここのおる強者どもを率いて、必ずや大高と鳴海の両城を救ってみせようぞ。皆の者には、ここ一番の働きを期待しておるぞ!」
「「おおっ!」」
見事に場の空気がまとめ上げられる。評定の初めはさほど乗り気ではなかった者たちも、今では希望に目を輝かせ、興奮醒めぬ様子。
自身の野望と我が子にかける愛情。そして、戦に参陣する者たちにとっての利益を明示する。これによって、その場にいる者たちは心を一にし、闘争心に書きたてられる。
その場にあって一抹の不安を抱えたまま評定に参加していた元康も、興奮気味に雄たけびを上げていた。
「よいか!此度の大戦の先手を三河衆、とりわけ松平蔵人佐元康!そちに命じるぞ!」
「はっ、ありがたき仕合わせ!太守様の庇護を受けて本日までわが身も領国も織田に侵されることなく、今日を迎えることができました。その大恩に報いるべく、織田に目にもの見せてやりまする!」
「よくぞ申した!そなたの祖父は織田打倒の志半ば、守山の陣中にて没した。そして、そなたの父もまた、織田に奪われた所領を回復することなく、失意の中で没した。その子であり、孫であるそなたが無念を晴らしてやるがよいぞ!」
興奮冷めやまぬ中、今川家の尾張遠征に向けての軍議は解散と相成った。その熱に煽られるまま、「織田に目にもの見せてやる」などと広言してしまったことを元康は内心悔やんでいた。
「蔵人佐」
広間を静かに去ろうとする元康の背中に、威厳のある声が投げかけられる。振り返れば、着座したままの海道一の弓取り・今川義元その人であった。
「こ、これは太守様!」
「ははは、先ほどの威勢はどこへ行ったのじゃ。ははは……!」
勇ましく、織田に目にもの見せてやると言った時とは打って変わり、普段以上に腰の低い元康は苦笑いを浮かべながら義元の面前に着座する。
「そなたには先鋒を命じたが、悪く思うてくれるなよ」
「悪く思う、とはいかなるわけにございましょうか」
「予が今川主力を温存するために三河国衆を使い捨てにするつもりじゃ、などとあらぬ誤解を受けては叶わぬゆえな」
「滅相もございませぬ!合戦場に近い我ら三河衆が先陣を承るは至極当然のこと。常日頃からお目かけくださる恩義に報いる時と心得ております」
これは嘘偽りない元康の本心であった。ただただ彼が懸念しているのは、相手が大うつけ者であるがゆえに何をしでかすか分からない織田信長である、という一点に尽きるのだ。
「お主よりその言葉が聞けて予は安堵しておる。そして、二年間尾張にて人質生活を送ったそなたが何を恐れているのか、それも予には分かっておる」
義元には見透かされている。何もハッタリで言っているわけではないこと、若い元康にも十二分に理解することができた。
「東国一王道を行くは北条左京大夫氏康、王道と覇道を臨機応変に使い分けるのが武田信濃守晴信。元康が警戒しておる織田上総介信長、あれほど覇道を地で行く者は予も見たことはない。あれが隣人としておるうちは、何が何でも隠居して氏真に全権を委ねることはできぬ」
「やはり太守様から見て、織田上総介信長という漢は油断ならぬ大敵にございまするか」
「うむ。やっておることは織田備後守信秀のそれが見事に継承されておる。それも、まだ二十七というではないか。まず間違いなく、父親の才覚を上回っておる。予は織田備後守が相手でも手こずっておった」
「さ、されど、太守様は織田の勢力を三河より放逐することに成功しておりまする!」
元康の熱意のこもった言葉に、義元は目を閉じ、静かに首を横に振るのみであった。
「その頃は織田備後守は病床に臥し、予の側には腹心の太原崇孚、朝比奈備中守泰能の両名が存命であった。予一人では五分五分に持ち込むのが手一杯であったろう」
「ご謙遜を……」
そこまで言いかけた元康であったが、何も義元は謙遜して申しているのではないと悟った。冷静に彼我の戦力を比較してきたのだと、その眼光は元康に語り掛けてくるかのようであった。
「太守様がそこまで仰せになるなら、今の今川家の勢力では織田上総介を抑え込むことは……」
「そうじゃな、織田上総が動員できる兵を五千、水野も加えれば七千ほど。これを打ち破るには三倍、少なくとも二万は必要であろう」
――二万。今の今川領国のすべてから兵をかき集め、傭兵も雇い入れたならば達成できる数字。
「蔵人佐、そなたがあと十年早く生まれ、数多の戦の経験を積んだならば、予とそなたで織田上総介の勢力を押し込めることも叶ったと、予は見ておる」
すなわち、義元から宣告されたのは、『才覚は申し分ないが、何分にも戦の経験が不足している』ということである。
「あと十年早く生まれておれば、そなたは戦のいろはを太原崇孚より直に学ぶこともできた。さすれば、名実ともに太原崇孚の軍略を受け継げたそなたを引き連れていけたならば、ここまで案ずることもなかったであろう」
義元より期待されている。その点については何物にも代えがたい喜びがあった。しかし、今の自分では義元の力となるには十年早い。そう言われているようで、気落ちしそうにもなる。
「まぁ、案じても致し方なき事。ともあれ、来るべき春の尾張表への出陣に向けて、松平蔵人佐元康。そなたには苅谷水野氏を通して緒川水野氏の動向を探ること、一度三河へ赴き、他の松平家の者らと交流を深めて戦場で比類なき働きができるよう支度を進めてもらいたいのじゃ」
「承知しました!この松平蔵人佐元康、太守様よりの命をしかと遂行して参りまする!」
かくして、元康は義元よりの期待と願いを胸に三河へ一時帰国することになったのである。
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1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
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