不屈の葵

ヌマサン

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第4章 苦海の章

第83話 青野松平家と深溝松平家

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 太陽が昇ってなお寒さが肌にまとわりつく中、大樹寺の一室では元康が青野松平家の人々と対面していた。

「蔵人佐殿。尾張表への出陣にございますが、当家の主である亀千代君は五ツと幼く、戦場へ赴くことはできませぬ」

「うむ。そうでありましょう。然らば、青野松平家からは陣代となる者を立てていただければ結構にございますれば」

「お許しいただけまするか。然らば、某は亀千代君とともに居城に留まりまするゆえ、陣代として後ろに控える平岩権太夫元重と平岩矢之助基親の両名を派遣いたしたく存じます」

 松井左近から名を呼ばれて目礼する二人の武士たち。先に目礼したのが平岩権太夫、それに続く形で目礼し、右隣に控えているのが平岩矢之助であることは、元康にも分かった。

「では、平岩権太夫殿の左隣におる少年は何者ぞ」

「ああ、この者は尾崎半平と申し、まだ十二の童にございまする。亀千代君と年の近い者も傍に置いておくがよかろうと思い、ここまで伴って参った次第」

「なるほど、そうであったか」

 しかと松井左近より紹介にあずかると、礼儀正しく一礼する尾崎半平。所作が丁寧で、しかと躾けられているであろうことが元康の眼からも見てとれる。

「して、平岩権太夫はまだ若そうじゃが、いくつになるか」

「はっ、今年で二十七になりまする!」

「おお、それならば石川彦五郎と同じか。なるほどのぅ」

 元康よりも八ツも年上であるが、亀千代から見れば二十二も年が上となる。同じくらいの年齢差となれば、元康から見た酒井雅楽助政家くらいであろう。

「この平岩権太夫は某の弟、松井光次の娘を妻としております」

「なるほど、松井左近が姪の婿ということか。すっかり青野松平家は松井左近の色に染まっておるではないか」

「はは、仰る通りやもしれませぬ」

「他の者から妬み嫉みを受けぬよう、気をつけるがよいぞ。人の心とは恐ろしいものであると、わしは太原崇孚和尚より教えられたゆえな」

「ははっ、しかと肝に銘じまする」

 それにしても、目の前にいる青野松平家家臣・平岩権太夫元重が松井左近忠次の姪婿。そして、当主である亀千代は松井左近の妹の子、すなわち甥にあたる。元康が松井左近の色に染まっておると言いたくなるのも無理はなかった。

「して、蔵人佐殿も嫡男に恵まれたと耳にしておりますが」

 話題に詰まった頃、松井左近からそれとなく元康へと話題が振られる。それは元康の嫡男・竹千代のことであった。

「ああ、昨年三月に産まれたばかりぞ。亀千代殿よりもさらに三ツ下の二歳じゃ」

「蔵人佐殿の御年でもう嫡男に恵まれるとは、まこと羨ましき限りに」

「そういう松井左近には男子はおらぬのか」

「はい。生憎と正室との間にもうけた娘がおるのみにございます」

「では、いずれは婿養子を取られる御所存か」

「そう、なりましょうなぁ」

 いかにも乗り気ではない松井左近の声色に、元康も不憫に思えてならなかった。四十を超えてなお娘が一人おるだけの松井左近。かたや、十九で嫡男に恵まれ、今年の夏にはまた一人産まれようとしている元康。

「父親として、その一人娘がさぞかし可愛いのであろう」

「いえ、幼いながら嫉妬深く、怒ると何をしでかすか分からぬ娘にて、これでは婿取りも難航しそうであると今から案じておるところでございます」

「そうであるのか。じゃが、童であれば嫉妬深く怒ると手が付けられないのは当然のことではなかろうか。年を重ねれば、次第に分別がつくと元康は思うのだが」

「左様でしょうか……」

 やはり不安がぬぐい切れないのであろう。先ほどまでとは打って変わり、表情が曇ったままの松井左近忠次。

 青野松平家当主の後見を立派に務めあげている彼であっても、一人娘のこととなるとこうも悩むものなのか。元康はそんなことを実感させられていた。

「左近殿。すでに半刻が経っておりまする。あまり長居しては――」

 松井左近へ耳打ちしたのは石川彦五郎と同じく二十七歳の平岩権太夫であった。その言葉に「うむ」と言って頷いた松井左近から暇を告げる言葉が発される。

「おう、もうそんなにも時が経っておったか。これは長らく引き留めてしまい、相済まぬ。では、亀千代殿。またお会いできる日が来るのを楽しみにしておりまするぞ」

「かめちよもたのしみにしております!」

 ニコリと笑顔を見せる亀千代に心奪われながらも、元康は平静を装って見送るべく立ち上がる。

「では、松井左近殿。陣代の件は了承いたした。その折は平岩権太夫殿、平岩矢之助殿、よろしくお頼みいたしまする」

「ははっ、こちらこそよろしくお願いいたしまする!」

「当家の事情を鑑みてのご処置、心底より感謝申し上げます。では、これにて失礼いたしまする!」

 松井左近よりも先に陣代となる平岩権太夫と平岩矢之助が深々と頭を下げ、その後に後見の松井左近からも二言述べられて、門前にて手を振り別れるのであった。

「青野松平家からは当主自らではなく、陣代が立てられるか。それを律儀に許可を得ようとは、宗家を立ててくれておる」

 陣代を立てる許可を得に来る。宗家当主に許可をわざわざ求めるのは当然のことではあったが、当たり前のことを当たり前に行われるだけで、尊重された心地になり、実に良い気分になる。

「殿、今しがた深溝より使者が参り、あと四半刻で到着いたすとのこと。竹谷と形原よりの使者が申すにはあと半刻、五井と長沢は早くとも一刻はかかるとのこと」

「おお、七之助。ご苦労であった。然らば、まずは深溝松平から順に応対するといたそうぞ」

 昼時相次いで来訪者が来る。そうなれば、夕方まではその対応に追われることとなるのは容易に想像がつく。

「殿、和尚が湯漬けはいかがかと申しておりましたが、お持ちいたしましょうか」

「おお、ありがたいお心遣い。有り難くいただくとしようぞ。和尚にわしがいたく感謝していたと伝えておいてくれよ」

「では、そのように伝えておきまする!」

 平岩七之助が退出した後、ごろんと横になり、天井を見上げる。外から室内へ吹き込む、冬らしい乾いた風が皮膚を撫でていく中、無心で天井を見続ける。そうしていると、自分に近づいてくる足音が一つ。

「殿、お休みのところ申し訳ございませぬ。湯漬けをお持ちいたしました」

「おお、すまぬな七之助」

 冷めたご飯を温かく召し上がる方法として、有効なのがこの湯漬け。この春、今川軍の総力をあげて戦おうとしている織田信長も好んでいることは、元康の耳にも入っている。

 そんな湯漬けを食し、腹の底から体を温めているうちに四半刻が過ぎ、瞬く間に深溝松平家御一行が到着したと石川彦五郎が取り次いでくるのであった。

「これはこれは松平大炊助好景殿。本日は遠いところをよくぞお越しくださいました」

「おお、蔵人佐殿!わざわざのお出迎え、かたじけない」

 元康が門前に出向くと重ね扇の旗を掲げた一隊が門前に屯していた。先頭で元康と言葉を交わしたのが四十三になる深溝松平家当主・大炊助好景。その背後には重臣らしき老臣が一名、元康とさほど年が変わらぬ青年と、その青年が手を引く少年がいた。

 松平大炊助は背後に控える老臣に視線で合図を送ると、老臣が他の家来らとともに大量の干し柿を献上した。

「こちら、当家領にて取れた筆柿を用いた干し柿にございます。よろしければ、ご家来の方々と召し上がってくだされ」

「おお、干し柿か。見るからにうまそうではないか」

「他の柿よりも甘うございます。きっと、お気に召されるかと」

 これまた思いがけない献上品に、元康の頬も緩んでしまう。それから思い出したように、深溝松平家の人々を寺内へと招き、応対するのであった。

「では、蔵人佐殿。改めまして、深溝松平家当主、松平大炊助好景にございまする」

「某は松平宗家の主、蔵人佐元康にございます。以後、お見知りおきを」

 当主同士、互いに丁重に礼をし、挨拶の言葉を述べていく。両者ともに落ち着き払った対応に、その場も穏やかそのものであった。

「こちらが我が嫡男、主殿助伊忠にございまする」

「松平大炊助が嫡子、主殿助伊忠にございまする!以後、よろしくお願いいたしまする!」

 歯を見せながらにかっと笑う好青年こそ、深溝松平家の後継者・主殿助伊忠であった。元気溌剌な様が実に好印象である。

 そんな松平主殿助の生母こそ、桜井松平家先代当主・清定の娘。すなわち、松平主殿助は桜井松平監物から見て甥にあたる人物でもあるのだ。

「おお、主殿助殿。よろしく頼む。わしとさほど年が離れておらぬと見受けるが、いくつになられたか」

「はっ、某は二十五になりましてございまする!」

「わしが十九ゆえ、六ツ違いか。某の近侍、天野三郎兵衛景能と同じ年か。兄弟の如く、睦まじき仲であろうぞ」

「もったいなきお言葉!これからも宗家のため、蔵人佐殿のため、粉骨砕身いたし所存!」

 自分と年が近く、気骨のある若者が次期深溝松平家当主であらば、深溝松平家は安泰であろうと元康は感じた。

 何より、現当主も嫡男も宗家への忠誠心溢れる者たちであることは岡崎の重臣たちからも聞かされている。ゆえに、会う前から信頼という土台が元康の心の中で出来上がっていたのである。

「ならば、主殿助殿の側で指を咥えておるは大炊助殿の御嫡孫であるか」

「い、いかにも。又八郎と申して、まだ六ツになったばかりで、夜になると星空を眺めていることが多うございまする」

「ほほう、その年で天体に興味があるとは、面白い少年ではないか。六ツとあらば、青野松平家の亀千代とは一ツ違いか」

「そうなりまする。変わり者にございますが、何卒又八郎のこともお目かけくださいませ」

「無論じゃ」

 ちなみに、この松平又八郎こそ、後の『家忠日記』を著する松平家忠なのである。

「また、又八郎の生母は某の正室である鵜殿長持の次女にございまする。ゆえに、隣接する上之郷城主で今大高城に詰めておる鵜殿藤太郎長照から見た甥にもあたる者にございます」

「ほう。鵜殿家と深溝松平家にそのような縁があったとは知らなんだ。では、春よりの尾張表への出陣は――」

「はい。父とも相談いたし、喜んで蔵人佐殿とともに出兵いたす所存」

 深溝松平家は尾張表への出陣を快く了承。もとより、宗家に従う姿勢を貫いてきた家であるので、予想の範疇ともいえる、当然の帰結であった。

「縁戚でもある鵜殿藤太郎を見捨てるわけには参りませんからな」

「うむ、それを当主である大炊助殿と嫡男の主殿助殿の口から直接聞けたは何よりである。深溝衆の働きを頼みにしておる」

「これは有り難きお言葉。必ずや、蔵人佐殿のご期待に添える働きをしてみせまする!」

 元康が今回三河に入ってより、これまで会ってきた松平庶家の中でも、深溝松平家は屈指の忠誠心を持っていると感じられる。

「そうじゃ、そちらでじっと座しておられるのは、ご家老か」

「ははっ、この者は板倉八右衛門好重と申す、某の老臣にござる。年は某の方が二つ上ではございまするが。主に治政面でよく働く者にございます」

「ご紹介にあずかりました、板倉八右衛門好重にございまする。松平蔵人佐元康様、以後お見知りおきを」

 丁寧に両手を床につき、深々と頭を下げる板倉八右衛門。落ち着き払った様子は、松平大炊助の言う通り、優秀な能吏であることを窺わせる。

「実はこの板倉八右衛門には男子が三人おり、次男は浄土真宗寺院の永安寺に僧として出ておりまする」

「ほう、次男は出家しておるのか。しかも、十六とあらば、わしの三ツ下ではないか。やはり跡目争いのことを案じての行いか」

「はっ、そうなりまする。もとより、次男は利発ではございますが、武芸がそこまで秀でているわけではなく、僧侶ならば侍のように槍働きをせぬでもよかろうと思い、出家させたのでございます」

「なるほど、それは賢明な判断やもしれぬ。じゃが、その次男坊が利発と聞いては、一度会うてみたくなった。機会があれば、永安寺を訪ねて会ってみるとしよう。その次男坊の僧としての名は?」

「香誉宗哲、と伺っております」

「香誉宗哲。うむ、その名、しかと覚えておくぞ」

 こうした利発な才覚を持つ人物は、駿府に住まううちに元康が最も好ましいと思う人種であった。何より、才ある者が何を考えているのか、知的好奇心から訊ねてみたくなるのである。

 そうして深溝松平家の面々と対面し、様々なことを話し合って交流を深め、後日の再会を胸に、その日は解散となったのであった――
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