不屈の葵

ヌマサン

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第4章 苦海の章

第137話 藤波畷の戦い

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 永禄四年九月十三日。岡崎城の元康から東条城攻略を急ぐように命じられた本多豊後守広孝らの動きは慌ただしかった。

「阿部四郎兵衛殿!鳥居平六、大久保大八郎らとともに、ただちに出陣の支度をせい!」

「おう、承知した!それと、まもなく松井左近殿よりまもなく津平砦、友国砦より手勢を率いて到着するとのことでござった!」

「相分かった!」

 阿部四郎兵衛忠政は青野松平勢と打ち合わせのある本多豊後守広孝に代わり、鳥居平六や大久保大八郎忠包と協力して出陣の支度を急ぎ進めるべく、広間を発っていく。

「本多様!酒井雅楽助政家よりの使者より、すでに援軍を率いて西尾城を発ったとの報せ!」

「よしっ!然らば、その使者に某からの伝言を。東条松平勢も小牧砦へ入りまするゆえ、酒井様麾下の軍勢も小牧砦に入ってくだされ、と」

「承りました!」

 青野松平勢に西尾城の酒井勢も加われば、その数は千を超える。これだけの数が揃えば、まず城を牽制するのに不足はない。城を落とすことを考慮するならば、後詰めとしてもう一千ほどほしいところではあるが、本多豊後守としても贅沢を言える立場ではない。

「本多豊後守殿!松井左近にござる!」

「おう、松井左近殿!此度はご助力いただき、まことかたじけない!」

「なんの。時をかけすぎたのは本多豊後守殿だけの落ち度ではござらぬ!ここは蔵人佐殿からの命を重くとらえ、ただちに東条城を攻略いたしましょうぞ」

「うむ。松井左近殿のほかに、青野松平家からは誰と誰が参られておるのでしょうや」

「某の実弟の光次、平岩権太夫元重に尾崎半平といった者らにござる。皆、東条城攻めに加わりたいと志願してきた者ばかりゆえ、槍働きはご期待くだされ」

 松井左近忠次からの紹介に後ろで控える松井光次、平岩権太夫、尾崎半平らは一様に頭を下げる。そんな強者揃いの青野松平勢に視線を送った後、本多豊後守は満足げに頷いて見せる。

「これは頼もしい。まもなく、西尾城より酒井雅楽助様も参られる。さすれば、数は千を超える。これだけの数で城へ攻めれば、まず間違いなく敵方にも動きがありましょう」

「そうですな。特に、松平大炊助殿を討った富永伴五郎は動いて参りましょう」

「左様。血の気の多い富永伴五郎がこと、必ずや自ら手勢を率いて打って出て参りましょう。この本多豊後守、本日中に富永伴五郎忠元を討てねば我が首を彼奴に捧げるつもりにござる!宗家譜代の者として、これほどの覚悟をもって此度の戦に臨む所存にござる」

「天晴な御心がけ。然らば、我らも負けてはおれませぬ!」

 互いに武人として、功名を挙げることに執念を燃やす本多豊後守と松井左近。そんな二人が口角を上げながらにらみ合っているところへ、酒井雅楽助政家が広間へ到着したのである。

「おう、ご両名。酒井雅楽助も参った。殿よりの下知も入っておることゆえ、そう時をかけてはおれぬ!ただちに出陣いたしたく存ずるが……」

 酒井雅楽助に言われるまでもなく、この場にいる者たちはすぐにも出陣するつもりであった。それゆえに、遅れてきた酒井雅楽助の予想を遥かに上回る勢いで出陣していく。

 そんな小牧砦を土居の本多豊後守、松井左近率いる青野松平勢、西尾城の酒井雅楽助らが出陣した動きは、すぐにも斥候によって東条城へと注進された。

「伴五郎!敵が動いたぞ!やはり兵糧攻めと見せかけて、我らの不意を突いて城を急襲するつもりであったようじゃ!」

「義昭様、某の読み通りにございまする。これより、ただちに兵三百を率いて迎撃に向かいまする!敵は我らは籠城すると決めつけておりましょうゆえ、油断しておりまする。そこを奇襲して討ち取って参りまする!」

「では、頼むぞ。伴五郎!」

「はっ!吉報をお待ちくだされ!」

 すでに甲冑に身を包んでいる富永伴五郎は待ってましたとばかりに、三百を率いて東条城を進発。奇襲と意気込んだ富永伴五郎であったが、藤波畷の敵の備えを見て驚愕することとなった。

「これは、出陣を敵に読まれておったか!」

 騎乗する富永伴五郎は敵が行軍を止め、じっと待ち構えている姿を確認した。どのみち城から打って出てくると、完全に読み切られていた。

「富永様!いかがなされまするか!今ならば、撤退も間に合いまする!」

「いや、敵は行軍をやめてはいるものの、布陣がまだ整ってはおらぬ。今突撃すれば、敵を混乱に陥れられようぞ!弓隊は矢を番えよ!」

 富永伴五郎の指示で弓隊が矢を番え、指示を待つ。そして、射程距離に入った刹那、馬上で陣頭を振り下ろした富永伴五郎の号令で一斉に射撃が始まる。

「よし、行くぞ!我に続けっ!」

 刀を一度鞘に収めた富永伴五郎は馬を走らせながら弓を構え、戦闘で槍を構える足軽の喉を射抜いて見せる。続けて、馬上で指揮を執っている武者の肩口へ命中させ、弓を納める。それからは再び刀を振るって、松平勢へ突撃を敢行した。

「おう!富永伴五郎めが仕掛けてきよったか!弓隊、構えよ!よしっ、放てっ!」

 富永勢が押し寄せる前に、阿部四郎兵衛の命で幾十もの矢が射かけられ、富永勢から幾人もの落伍者が出る。阿部四郎兵衛もまた、富永伴五郎の後方で矢を番えて狙いをつけている騎馬武者を速射し、仕留めてみせる奮戦をみせる。

 そうして接近した両軍は斬り合いとなる。先陣を務める本多豊後守ら松平宗家の軍勢はほぼ同数の富永勢と互角以上に渡り合う活躍を見せるも、縦横無尽に騎馬で駆けまわる富永伴五郎を止め得るものはいなかった。

 そんな藤波畷で開戦した合戦に、後ろに控えていた青野松平勢や西尾城の酒井隊も加勢に入り、数の上で劣勢となった富永勢は瞬く間に数を減らしていく。

 中でも、青野松平勢は松井左近の的確な指示のもと、実弟・松井光次や尾崎半平、平岩権太夫といった者らが槍働きにて目覚ましい活躍を見せていた。それに負けじと松平宗家の者らも奮起して敵へ当たっていく。

「拙者、鳥居平六と申す!富永伴五郎殿とお見受けいたした!」

「おう、いかにも某が富永伴五郎忠元じゃ!騎馬武者とあらば名のある武者と心得る!よしっ、かかって参れ!」

「おうっ!」

 眼の前にいるのが先の善明寺堤の戦いにて深溝松平勢を壊滅に追いやった富永伴五郎であることを確かめると、名を挙げる機を得たとばかりに馬を寄せて斬りつける鳥居平六。

 しかし、首筋目がけて薙いだ一閃はものの見事に富永伴五郎が太刀に割り込まれて防がれてしまっていた。

「見事!じゃが、この程度では某の首をくれてやるわけにはいかぬ!」

 富永伴五郎は鳥居平六の太刀を上へ跳ね上げると、がら空きとなった脇腹へ太刀を突き入れ、そのまま力任せに腹部を斬り裂いて絶命させる。

 鳥居平六が富永伴五郎に斬って落とされたのをみると、他の松平勢は怯え、槍先にも震えが見受けられる。

「ははは、この鳥居平六とやら、なかなかの強者であったらしい。じゃが、この程度で松平家中の猛者が務まるとは、よほど人材不足と見受けたり!」

 槍先を向ける足軽らも相手にするまでもないとばかりに騎馬で駆け散らし、馬を乗り回して無人の野を駆けるが如く暴れまわる。だが、そんな富永伴五郎の好きにはさせぬ、と一人の若武者が駒を飛ばして駆け寄っていく。

「富永伴五郎だな!鳥居平六が仇を討たせてもらおう!」

「何奴!名を名乗れ!」

「大久保平右衛門忠員が三男、大久保大八郎忠包じゃ!」

「若いな!某は齢二十五じゃが、大久保大八郎とやらは幾つになる!」

「お主の三つ下の二十二じゃ!」

 両者ともに体力気力ともに溢れる若武者。気迫に満ちた両者の覇気に、周囲の者らは近づけずにいた。そんな若者同士の一騎打ちにおいて先に仕掛けたのはより若い方であった。

「はあっ!」

「ふんっ!」

 馬を走らせた勢いを上手く乗せた大久保大八郎の一撃に、富永伴五郎は見事反応してみせる。そして、真正面から受け止めるという荒業を成した富永伴五郎が鳥居平六の時と同じく、受けた刀を上へ跳ね上げることで胴をこじ開ける。

 しかし、鳥居平六には通じたからといって、大久保大八郎にも通じるとは限らなかった。

「なっ!」

 込めていた力を意図的に途中で抜き、富永伴五郎が上へ挙げた刀を空振りに近い状態へ持っていったのである。

 そのせいで、かえって富永伴五郎の脇ががら空きになる恰好となり、そこへ一太刀浴びせた大久保大八郎は華麗に馬を走らせて離脱していく。

 自分より格下だと見くびっていた大久保大八郎に一太刀浴びせられたことは、富永伴五郎の武士としての誇りに傷をつけ、生来の負けん気としての気性を刺激された。富永伴五郎は追いかけるように大久保大八郎へ馬を寄せ、斬られた傷の痛みを堪えながら太刀を振るう。

 豪快に振るわれた富永伴五郎の一撃であったが、これまた大久保大八郎に見事に受け止められてしまう。それだけに留まらず、切っ先が自分の体を傷つけないよう、上手く受け流した大久保大八郎は富永伴五郎の懐へ飛び込み、組み付く。

 戦国を生きる者らしく、豪快に馬上で組み合った大久保大八郎と富永伴五郎は共に落馬し、武闘派の大久保一族の地を引く大久保大八郎がもうすぐで富永伴五郎の首級を挙げられるかというところで、富永伴五郎を討たせまいと援軍が駆けつける。

「富永様!ご無事にございましたか!」

「おう、助かった!して、大久保大八郎めは!」

 富永伴五郎は取り落とした刀を拾って大久保大八郎を探すと、すでに駆け付けた彼の家人たちによって背部と脇腹へ槍を突きたてられ、絶命した後であった。

「すでに、あのように仕留めてございます!」

「くっ、背後から討ったのか」

「でなくば、富永様をお救いすること叶いませぬ!」

 助かったは良いものの、後ろから槍で突いて仕留めたなど、素直に喜べるものではなかった。しかし、ここは戦場。本来であれば背後から敵の援軍が駆けつけることも想定して警戒していなければならないのだ。

「さっ、富永様。もはや負け戦にございます!このままでは全滅するほかございませぬ!」

「致し方ない。ここは東条城まで退くとする!退却じゃ!」

 周囲を顧みても、半数以上が討ち死にしていると思われ、富永伴五郎としても、これ以上犠牲を増やすことだけは避けたかった。それゆえの退却命令であったのだ。だが、大久保大八郎が命を賭して挑んだことが功を奏し、槍を引っ提げた本多豊後守が鬼の形相で迫りつつあった。

「富永様!この馬に乗ってお逃げくださいませ!時は我らが稼ぎまするゆえ!」

「おう、頼む!」

 傷を負っていることもあり、馬に乗るのに手こずる富永伴五郎。馬に乗ってしまえば、徒歩よりも戦いやすかった。しかし、彼が背後の味方を振り返ると、先ほど自身を救出に来た三人の味方は無残にも槍で突き殺され、殺意に満ちた本多豊後守が迫りつつあった。

「逃ぐるかっ、富永伴五郎!」

「ちっ、逃げも隠れもせぬわ!幾らでも相手になってやろうぞ!」

「よしっ!然らば、土居の本多豊後守が参る!くたばれっ、富永伴五郎!」

 齢三十四にもなり、各地での戦経験豊富な本多豊後守の槍捌きは富永伴五郎にも死を覚悟させる何かがあった。

 しかし、本多豊後守が繰り出す突きを富永伴五郎は太刀一本で右へ左へ受け流し、鮮やかに防いでみせる。さりとて、本多豊後守の攻撃は単調ではない。あの手この手と攻め方を変え、富永伴五郎を防戦一方へと追い込んでいく。そして、ついに――

「ぐっ!」

「うらあっ!」

 富永伴五郎の腹部を見事に刺し貫いた本多豊後守は咆哮し、馬から叩き落す。そこへ、すかさず本多豊後守が郎党の太田本次が駆け寄り、見事その首を獲った。

「吉良家家老、富永伴五郎!この本多豊後守が討ち取ったり!」

 富永伴五郎の首級が挙がったのを契機に、東条吉良勢は総崩れとなった。本多豊後守は酒井雅楽助や松井左近へ伝令を飛ばし、そのまま東条吉良勢を猛追。この日の戦で獲った首を藤波畷に掛け並べて凱旋することとしたのである。

「豊後守殿!富永伴五郎を討ち取ったとのこと、まこと見事にござった!」

「おお、これは酒井雅楽助様!なんの、これは先に大久保大八郎が弱らせておったが故の手柄にござる。さりとて、富永伴五郎が討たれたとあらば、東条城の落城も近いでしょうな」

「いかにもじゃ。殿もさぞかしお喜びになられようぞ」

 酒井雅楽助とともに東条城落城は近いと言いあう本多豊後守。はたして、富永伴五郎が藤波畷にて壮絶な討ち死を遂げたことを知った吉良義昭は戦意喪失。降伏し、東条城を開城することを元康に申し入れてきたのである。
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