2 / 36
プロローグ2
しおりを挟む「なぜそこでもう少しだけでも、我慢ができなかった」
興奮とサウナから出た熱が冷めやらぬ中、優勝した彼は声を掛けられる。
チームメイトからは熱狂的な言葉を、賞賛を浴びせられていた彼に掛けられたのは、先ほどの掛水よりも冷たい言葉。
彼が振り向くと休憩室の入り口に、祝福の感情など微塵も感じられない顔の大人が立っていた。
チームメイトは気まずそうに道を空け、目線を逸らし、何を言うでもなく部屋を後にする。
その大人は、彼の所属するチームのコーチだった。
「あと八秒で、お前は伝説に成れた。決勝の舞台で設定時間ジャストなんていう快挙、中学はおろか高校でも、大学でも聞いたことがない。そんな伝説に、お前は成れたというのに」
勝利を祝うでもなく、文字通り水を差すかのような冷たい言葉。
傍から見れば、優勝した選手を労わないどころか反省を促すようなその口ぶりに疑問符を浮かべたことだろう。
しかし大海からすれば、あるいはチームメイトからすれば欠片も疑問は湧いてこない。
この大人は、このコーチは、そういう厳しい人間なのだから。
否。
実際には、昔はサウナを愛する一般的なコーチだった。
それがいつからか勝利を至上とする厳しいコーチに変わっていった。
「コーチ、彼はは優勝したんです。もっと褒めてやっても……」
「優勝はこいつにとって通過点だ。褒める意味なんてない。それよりも反省の方が先だ」
庇うそぶりを見せるチームメイトを意にも介さず、コーチの指摘は未だ止まない。
いくつもの指摘を聞かされながら、優勝した彼は心の中で考える。
サウナストーブにも似た、激しく熱を帯びた怒りが沸き起こる。
優勝したのに。
最上のととのいを得られたというのに。
一体、この状況は何だというのだ。
一体誰の許しを得て、人のととのいを邪魔しているというのか。
そこで、プツン。と。彼の中で。
何か張りつめていた糸が、切れる音がした。
「今日が最後だ、コーチ。お世話になりました」
ざわり。
水を打ったように静寂に包まれていた部屋に、喧騒が戻る。
この部屋には二十人ほどの人間が集まっていて、その全員が度肝を抜かれたように目を丸くしている。
今日が最後だと言い放った彼以外は。
「一体お前何を言って……」
「言ってたでしょう。コーチ。俺とあんたじゃゴールが違う。目的が違う」
誰も彼も、ここ最近は誤解している。
目の前の、さっきまではコーチだったこいつも。
今日ともに戦ったライバルも。
あるいは、ここにいるチームメイトすらも、誤解しているのかもしれない。
「もうやめようぜ。お互いにもっと別の道があるだろ」
「待て! おい! 戻ってこい!」
己を呼ぶ声を気にも留めず、歩を進める。
サウナで受けた熱が、水風呂に入った後気化熱で大気に溶けていくように。
少年は周りの空気とは裏腹に、自分の中で急速に熱が冷めていくのを感じていた。
その後、公式の記録に彼の名前が現れることはなかった。
それから二年、月日が経つまでは。
二〇二×年。
日本は百度前後のサウナの熱に包まれた!
数年前からサウナが人体に与える影響が取りだたされてはいた。しかし一過的なブームに過ぎないと、単なるオヤジの趣味だと馬鹿にする勢力も多かった。
だがサウナは、サウナブームは世を席巻した。
始まりは一人のしがない男だった。
そのしがない男はサウナにどっぷりとハマり、あまりにハマったせいか、医学や科学などの境界をかき分け、名だたる著名人らとともにとある一説を発表した。
それこそが、「sauna is best solution」。俗にいう「サウナこそが至高論文」である。
サウナ、水風呂、外気浴。その繰り返しにより、遍く人類の全ては、健やかで最高の人生を送ることが出来るという内容である。
この論文は出た当初こそ学会の笑いもの、とんでもないサウナバカが現れた、普通に頭おかしいと言われ続けた。
しかし正しい行いはいつか日の目を見るもの。ひょんなことからその論文がSNSで拡散され、サウナを試す人たちが現れ、その結果、日本中にサウナの輪が広まった。
一億の人口のうちサウナに入ったことのない人は存在せず、その遍く全てがサウナによって進化を遂げる「超人類」となった。
誰しもが健康的に日々を過ごし、眠れぬ日など存在しない。
風邪もひかない。ご飯もモリモリ食べられる。仕事も捗って仕方がない。
そうした影響を受けた日本国民がエネルギッシュにならないわけはなく、GDPは毎年前年比一割増加の歴史上類を見ないほどの圧倒的上昇を見せ、少子高齢化社会が進んでいた日本はここ数年毎年ベビーブームが起きている。
年々GDPは増加の一途を辿り、遂にはアメリカを抜いて日本が圧倒的な世界の盟主となった。
そのサウナ熱は海外にも広がり、サウナの母国と呼ばれるフィンランドも負けじととんでもない急成長を遂げ、経済成長率世界二位の国となった(三位は普通にアメリカ)。
風が吹けば桶屋が儲かる、どころの騒ぎではない。
熱波が吹けば国家が儲かったのだ。
誰しもがサウナを愛する、クールジャパンならぬ「ホットジャパン」となった日本だったが、そんな中はじまりの男は行方をくらませた。
行方は誰にも分からず、サウナが混んできたことによる霹靂とも、サ帝と呼ばれるプレッシャーを普通のサウナでは解決できず、熱を求めて富士山の火口に身を投げたともいわれている。
そしてそんな日本でもう一人、このロウリュ後のサウナのように急上昇する熱を悲観する者がいた――
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
1 / 3
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる