ライオンハート

紅夜蒼星

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第九話 【英雄】 4

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 敵の懐に入り込む決死の一撃。
 確かにギルドルグの剣は、勇気は、霧の男を切り裂いた。
 かつての戦争で届かなかった英雄の刃ジャックナイフは、長い時を経てようやく届き得たのだ。

「おのれ……」

 ため息を一つ。
 胸を横一直線に切り裂かれたダズファイルは自分の胸を一瞥すると、ゆっくりと背中から冷たい床へと倒れこんだ。
 相対していたギルドルグは、自分の持つ剣を杖代わりにして、なんとか立っている状態だった。
 国境警備軍の面々の眼前からは、風に溶けていくように悪鬼たちが消え去っていく。
 本来ならば歓喜すべき場面だ。二十五年前の宿敵を、救国の英雄の息子が打倒した。詩人がいれば、永遠に語り継ぐ場面だ。画家がいれば、この瞬間を迷うことなくキャンバスに収めただろう。
 しかしほとんど全員に、動く余力すら残されていない。
 ギルドルグは安堵感が包む体に鞭打って、ダズファイルの近くへと歩みを寄せる。
 止めをささなくてはならない。
 他の誰でもなく、ギルドルグ自身が。それは英雄の息子として。最後の相対者として。エルハイムの住人として。
 かつての戦争の惨劇を、二度と繰り返すことのないように。

「何か、言いたいことはあるかい」

 ダズファイルが憎くて仕方ないのは、まぎれもない真実だ。
 多くの国民を死へと追いやり、王都は移転を余儀なくされ、そして何よりも父親の仇。
 しかしあくまでも一人の人間として、死を目の前にした人間にそこまでの憎悪を抱くことは、もう出来ない。
 一言だけ。散りゆく戦士に、せめてもの礼儀として。最期の言葉を、預かろう。
 あの預言者のように。
 だが、ダズファイルは先ほどまでと変わらず、こちらを徹底的に卑下するように、笑った。
 
「呪ってやるぞ、アルグファスト。そしてエルハイム」

 もう体を少しも動かせないほどに、死が近いのだろう。
 ただダズファイルは最後まで、自らが最上だというその不遜な態度を崩さない。
 ギルドルグは一瞬だけ止まり、呆れたようにため息をつくと、剣を下に向けるように握り直した。

「……あんたみたいなクソ野郎だと、こっちも決意が鈍らず助かるよ」

 そして振り下ろす。
 ここに、霧厳山脈における国境防衛戦は終戦した。
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