魔女のような人間と、人間のような魔王

三原透

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番外編

(魔王の目)

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「ではナガル、またな」

「ああ」

 無愛想な友人に苦笑し、可愛い使用人に目を向ける。

「ミィナ、あれ・・は持っているな?」

「はい!」

「良し。何かあったらすぐに呼びなさい」

「了解です。ご主人様、気をつけてくださいね」

 この笑顔の僅か一割でも、隣の男に移れば良いものを。そう思いながら、来た時より随分と軽くなった馬車に乗り込んだ。

 それでも馬車が森に見えなくなるまで手を振っているミィナの横に奴は立ち続けていた。素直でないのは昔からだ。あのお嬢さんには、驚くほどに感情を見せているようだけれど。

 これが二度と鳴らなければ良い――そう思いながら、胸元に仕舞った鈴の感触を確かめた。



 お嬢さんが元領主の配下に攫われた日、私はミィナを情報収集に向かわせ、自分はナガルの魔力を追ってお嬢さんの家に向かった。

 開けっ放しの扉をくぐって中に入ると、小さな革の袋を握って立ち尽くしているナガルがいた。奴は生気のまるで感じられない顔でぼうっとしていて、背からは翼が床につくほどに力無く垂れ下がっていた。

『ナガル……』

『……コーダ』

 ゆっくり閉じた瞳が再度開いて私を見る。深い青が澱んでいて、背筋に嫌なものが走った。

『何があった。さっき、魔法を使ったな。領主の私兵が騒いでいるのと何か関係があるのか?』

『………ケイが』

 ぽつり、と呟かれたのは、この家の主の名だ。

 何故此処にいない。

『ケイが、死んだ』

『な……!?』

『俺を庇って、奴らを足止めして。最後に……俺に、逃げろと言って』

 じわ……と、ナガルの体から黒い靄が溢れ出した。

『もう、いないんだ……』

『ナガル、お前……』

 生物としての本能が、私の頭に警鐘を鳴らしていた。私から外れて室内を見渡す瞳が不気味にちらちら光る。ナガルの言葉が徐々に強くなっていく。

『俺たちはただ、ここで、二人で暮らしていただけなのに。なあ……何故あいつが、あんな風に血を流さなきゃいけなかったんだ……?』

『……落ち着け。それは駄目だ。ナガル』

『わからない。わからないんだ。小さいのに必死に生きていた。他人と関わらないようにしていたのに、たまたま同じ時間を過ごしたから。ただそれだけなのに、何で逃げろと言ったんだ。あいつは俺よりも遥かに弱いのに。俺のせいか? 俺が力を振るうのを躊躇ったせいか? 興味がなくて、でも、俺だったら痛いのは嫌だと、そんなことを考えていたせいか? だからあいつが代わりに死んだのか?』

『ナガル。俺の声が聞こえているか、ナガル』

『なあ。ケイはただの人間だ。なのに何で、こんなに、こんなに苦しいんだ……!』

 靄が爆発するように四散し、壁を傷つけて何かが割れる音がした。視界を覆うこれはひどく重く、呼吸すらもまともにできない。視界も覆われてしまってほとんど見えない。だがナガルの姿に異変が起きているとわかる。

 瞳が金色に変わっていた。額には禍々しい角が生え始め、唇の隙間に鋭い牙が見える。

『ナガル……その力は危険だ。美しくない。身を預けるな!』

 何というものを飼っていたのか。膝をついて耐えながら私は叫んだ。

 理性を失って暴虐を尽くす魔物と成り果てた同族を、私は見たことがあった。ナガルはそうなりかけている。代々継承されていく強大な力をその身に宿した魔王が呑まれてしまえばどれだけの惨事が起こるだろうか。元々奴は、城で暮らしていた時でさえ一夜で国を滅ぼせる力を持っていたのだ。

 世の何事にも関心がなく、自身が殺されかけても復讐など考えなかった男だったが、むしろそれでよかったのだと今更気づいた。

『コーダ』

『!』

 ナガルが私の目の前に立った。

『以前訪ねたとき、お前は言ったな。俺の冤罪は再調査がされていると。二度と襲われることなどないと』

『その通りだ……』

『なら、どうして俺たちは襲われた? ああ説明などいらない。例の領主の独断だろう。聞きたいのは領主の屋敷がある場所だ。ああそれと王の居城も教えろ』

 金の瞳に見据えられ、喉がひどく乾いていて貼り付くようだった。答えずにいるとナガルの手が伸びて私の首を掴んだ。

『ぐっ……』

『喉を掻き切っては話せないな。拷問なんてしたことがないんだ。手間をかけさせるな』

『それを、知って……何を……』

『そんなもの、ケイと同じ目に遭わせてやるに決まってるだろう?』

 ぞっとするほどの美貌に笑みを浮かべられても、今は寒気しか生まれない。そんな顔は平常時にしてほしい。

 ただの魔族である私が、こいつに抗えるはずがない。どうすればいい。


 そのとき、リィン……と涼やかな音が耳を打った。


『……! ミィナ!』

 叫ぶと、小さな悲鳴がどこからか聞こえた。

【えっ!? ご、ご主人様? 何これ便利っ】

『ミィナ、報告を……』

 ナガルが意表を突かれている間に、藁にもすがる思いで言う。

【そっそうなんですよ! 大変です! ケイちゃんが領主に捕まったって!】

『『!!』』

 私たちは瞠目した。咄嗟にナガルの腕を叩くと、手が緩んで解放された。

『げほっ、けほっ……お嬢さんは、無事なのか?』

【いやどう考えても無事じゃないでしょ! 処刑されちゃうかもしれないんですよ!?】

『ああ、そうだな……判った、残りは後で聞く。悪いが少し待っていてもらえないか?』

【わ、わかりました。ご主人様今どこに】

 ミィナには悪いが、魔道具の通信は切らせてもらった。

『……ナガル、聞こえていたな』

『……ああ』

『いいか、今すぐ魔力を引っ込めろ! あの子を奪還するなら言うことを聞け』

 呆然としていたナガルだったが、そう言うと僅かに眉が寄った。

『……領主を殺せば済む話だろう?』

『違う! 馬鹿かお前は、そんなことをしたら今度こそ騎士たちが殺しに来るぞ!』

『ならそいつらも殺せばいい』

『だから! 世間知らずなんだよ、お前は! まさかお嬢さんに今後一切人間と関われない暮らしをさせる気か?』

『? 俺がいる』

『馬鹿か! ほんっとうに馬鹿かお前は!』

 美しくないからやらないが、地団駄を踏みたい気分だった。

『私はお嬢さんのことをほとんど知らない、だが自分をしっかりと持っている子だ! お前はあの子に薬師としての生活を捨てろと言うのか? 常に人間から命を狙われる環境に置いて、自分の力で生きることを諦めろと、あの子の目を見て言えるのか!』

 そこでようやく、ナガルは黙った。

 私の言葉の何が響いたのかわからない。だが落ち着いたようだ。徐々に靄が晴れていき、姿も普段のものに戻っていった。

『……なら、どうしたらいいんだ。コーダ』

 殊勝な態度に、安堵を通り越して苛立ちを覚えそうになった。

『……とりあえず、状況を確認してくる。領主の罪はほとんど調べがついているし、騎士にもすぐ伝令を飛ばす。お前はまずこの家を直しておけ。お嬢さんに叱られるぞ』

 ナガルはぎょっと辺りを見回した。強盗でも入ったのかとばかりの部屋の惨状に今更気づいたらしい。

『わかった……頼む』

『……まったく。お前の頼み事はいつも骨が折れる』

『すまない』

 本当に性格は真っ当な男だ。頼み事も謝罪もできるなら、最初からもっと友人の言葉に耳を傾けてほしい。

 ナガルは手に持っていた袋から何やら銀の紐を取り出すと、顔にかかっていた髪をまとめた。視界をすっきりさせたら両手を持ち上げ、魔法を使い始めた。

 バキパキ音を立てながら元の形に戻っていく机や棚や食器などを見て呆れてしまう。時間を操るなどこいつにしかできない芸当だというのに、露を払うかのように簡単に扱う姿はいつ見ても惚れ惚れする。

 しかし今は見蕩れている場合ではない。すぐ街に戻らなければと、私は家を後にした。




「……はぁ」

 あのときのナガルを思い出すと、今でも本能が震えて首を回してしまう。

 あれほどの男に、あのお嬢さんは首輪を嵌めたのだ。恐ろしい子だと思いながら目を閉じた。
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