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第1章 勇者の未亡人
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二日旅をし、そのうちに魔狼の追撃の手も緩み、ミコシエは夢の中の追っ手に悩まされることもなく、夜は安眠できた。雪が降ったのはあの一度きりで、積もるほどには降らなかった。
他に気になることと言えば、姿を消した戦士らの生き残りのことがあったが、無事先を行っているのか、しかしそれにしては野宿の形跡もない。全くあらぬ方向へと迷い込んだのか。峠には、道を踏み外せば迷い込む魔の巣が幾つもあると言うし……それともすでに魔物に根こそぎ食われてしまったのかもしれない。
根こそぎ食べられる……とはどういうことだろう。ミコシエは、夜の闇の中で、思い馳せる。
持ち物も、骨も残らずに。自分に関わる全てのものはこの世からなくなってしまう。
それは、あの夢の中で、雨の向こうに消えていくのと似ているのだろうか。
いや、違う。血が飛び散り内臓がぐしゃぐしゃの、掻き毟られた痛みと絶叫の断末魔の果てにある死ではない……雨の向こうに消えてゆくというのは、ただそこにある死だ。死が、死のみとしてただそこにある。それは、死というものでもないのかもしれない。ただ、消えてゆく……全てが……静かに。
ミコシエは、夢を見た。魔物がいた。雨が細かい粒子になった霧の中に佇む、巨大な魔物。目も鼻もないただまっ黒で、巨大な口を空けている魔物。その口はまるで空だ。
これが私の死か。いや、光……
その巨大な空の口の奥深くに見えるかすかでしかし強い小さな光。
見えた……あれが、あれが私の探すべきものだったのだ。
だけど……死か。死の中に、光があるのか? それとも……死が光? ミコシエは剣を構えた。語りかける。
魔物。おまえは私を食べようとするのか? その光を渡さないものなのか?
ならば私はおまえを倒してその光を……奪う。ああ、これが私の戦いだ。
だが、魔物は動かない。
違うのか? おまえは、私にその光を渡すものなのか? 私を食らうことで私にその光を与えようとするものなのか?
どちらだ。
魔物は動かない。
ならば。
ミコシエは、踏み出す。一歩……いや、動かない。どうして、私は動けない――ミコシエはもう一度踏み出そうとする。どうして私は動かない。誰かが、私のことを掴んでいる。どうして邪魔をする? そこに私の探しているものがあるというのに……。
霧は、細かい雨に変わっていた。前方には、ただ闇が広がっているだけだ。魔物がいたところが出っ張りのようになって、そこから闇が広がっている。
女が自分を抱きとめている。どうして……こんなに温かい。
雨の中に、小さな影の魔物がチラホラと見え出す。いつものあいつら……か。
行ってはいけない。声が聴こえる。
その子達は、まやかし……
そこにあなたの、探すものはない…… ……
まやかし。まやかし?
この温かさは、この温かさこそ、まやかしではないのか。この温かさを、私は知ってはいけなかったのではなかったか……
雨が、流れていく。水になって、そこに別の景色が見える。過去かもしれない。未来かもしれない。「王……」と私は言っている。
「王、私は探し物を……」
「おまえの探し物など、とっくにもうないのだよ……」
「王、私は誓いを破っておりません! 決して…………!!」
水が、温かくなる。何かが、丸くなる。いけない。
温かさを振り払い、すると雨の中に出る。
影の魔物が散っていく。
やめろ!
「――どうしたの?」
後ろから、鮮明な声がしたのを、ミコシエは聞いた。
「狼……?」
「いや、……違った」
辺りは暗い。野宿の晩だった。樹の上の枝葉に隠れて、眠っていたのだ。魔法の火がぽっとついて、レーネの顔が浮かぶ。
「大丈夫?」
「ああ、……」
それより、私のことを……抱いていなかったか。と呟くようにミコシエは問うた。
「ごめんなさい……近寄りすぎていたかも。寒く……なったね。それにこの、雨」
雨が霧状になって、枝葉を縫って入り込んで二人を濡らしていた。
「いいか、ちょうど汚れを洗い流せたみたいで……だけど温かいお風呂に、入りたいな。何も考えずに故郷を飛び出してきて、それだけ少し、後悔したかも」
温かさ……自分はこの女の温かさを、本当は求めてしまっているのかもしれない、とミコシエは思った。
他に気になることと言えば、姿を消した戦士らの生き残りのことがあったが、無事先を行っているのか、しかしそれにしては野宿の形跡もない。全くあらぬ方向へと迷い込んだのか。峠には、道を踏み外せば迷い込む魔の巣が幾つもあると言うし……それともすでに魔物に根こそぎ食われてしまったのかもしれない。
根こそぎ食べられる……とはどういうことだろう。ミコシエは、夜の闇の中で、思い馳せる。
持ち物も、骨も残らずに。自分に関わる全てのものはこの世からなくなってしまう。
それは、あの夢の中で、雨の向こうに消えていくのと似ているのだろうか。
いや、違う。血が飛び散り内臓がぐしゃぐしゃの、掻き毟られた痛みと絶叫の断末魔の果てにある死ではない……雨の向こうに消えてゆくというのは、ただそこにある死だ。死が、死のみとしてただそこにある。それは、死というものでもないのかもしれない。ただ、消えてゆく……全てが……静かに。
ミコシエは、夢を見た。魔物がいた。雨が細かい粒子になった霧の中に佇む、巨大な魔物。目も鼻もないただまっ黒で、巨大な口を空けている魔物。その口はまるで空だ。
これが私の死か。いや、光……
その巨大な空の口の奥深くに見えるかすかでしかし強い小さな光。
見えた……あれが、あれが私の探すべきものだったのだ。
だけど……死か。死の中に、光があるのか? それとも……死が光? ミコシエは剣を構えた。語りかける。
魔物。おまえは私を食べようとするのか? その光を渡さないものなのか?
ならば私はおまえを倒してその光を……奪う。ああ、これが私の戦いだ。
だが、魔物は動かない。
違うのか? おまえは、私にその光を渡すものなのか? 私を食らうことで私にその光を与えようとするものなのか?
どちらだ。
魔物は動かない。
ならば。
ミコシエは、踏み出す。一歩……いや、動かない。どうして、私は動けない――ミコシエはもう一度踏み出そうとする。どうして私は動かない。誰かが、私のことを掴んでいる。どうして邪魔をする? そこに私の探しているものがあるというのに……。
霧は、細かい雨に変わっていた。前方には、ただ闇が広がっているだけだ。魔物がいたところが出っ張りのようになって、そこから闇が広がっている。
女が自分を抱きとめている。どうして……こんなに温かい。
雨の中に、小さな影の魔物がチラホラと見え出す。いつものあいつら……か。
行ってはいけない。声が聴こえる。
その子達は、まやかし……
そこにあなたの、探すものはない…… ……
まやかし。まやかし?
この温かさは、この温かさこそ、まやかしではないのか。この温かさを、私は知ってはいけなかったのではなかったか……
雨が、流れていく。水になって、そこに別の景色が見える。過去かもしれない。未来かもしれない。「王……」と私は言っている。
「王、私は探し物を……」
「おまえの探し物など、とっくにもうないのだよ……」
「王、私は誓いを破っておりません! 決して…………!!」
水が、温かくなる。何かが、丸くなる。いけない。
温かさを振り払い、すると雨の中に出る。
影の魔物が散っていく。
やめろ!
「――どうしたの?」
後ろから、鮮明な声がしたのを、ミコシエは聞いた。
「狼……?」
「いや、……違った」
辺りは暗い。野宿の晩だった。樹の上の枝葉に隠れて、眠っていたのだ。魔法の火がぽっとついて、レーネの顔が浮かぶ。
「大丈夫?」
「ああ、……」
それより、私のことを……抱いていなかったか。と呟くようにミコシエは問うた。
「ごめんなさい……近寄りすぎていたかも。寒く……なったね。それにこの、雨」
雨が霧状になって、枝葉を縫って入り込んで二人を濡らしていた。
「いいか、ちょうど汚れを洗い流せたみたいで……だけど温かいお風呂に、入りたいな。何も考えずに故郷を飛び出してきて、それだけ少し、後悔したかも」
温かさ……自分はこの女の温かさを、本当は求めてしまっているのかもしれない、とミコシエは思った。
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