小林結城は奇妙な縁を持っている

木林 裕四郎

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化生の群編

決戦序曲

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 虫の音だけが鳴る夜のとばりの中を、いくつも焚かれた篝火が周りを紅色に染めていた。くうに満ちる夏の熱気と、燃え盛る火の熱気で、その場はまるで灼熱地獄さながらに熱い。
 だが、その場に一人で立つ者には、そんな熱の中で一切動じる気配はない。身を焼くほどの熱でさえ、その者の冷え切った心と体に影響を与えられない。自らの内に宿す復讐心という炎の前では、篝火の熱など取るに足らないものだった。
 人の情をかなぐり捨ててしまえば、もはや常人が苦と思うものも感じなくなるのかもしれない。
 般若面はんにゃめんと白装束を纏った怪人は、揺れる炎を見つめながら思っていた。
 やしろから等間隔で置かれた篝火は、さながら道標のように結界内の空間を照らしていた。般若面は場の中央に立ち、社の奥に安置されていたかめを抱えている。
 いよいよ終局が近付いていると感じ、般若面は胸の奥がざわついた。
 この企てを成就させると誓った時から、まさに一日千秋の思いだった。瓶を持つ般若面の手に力がこもる。
 抑えきれないほどの激情が身の内で燃えながら、驚くほど怜悧冷徹に、一つ一つの工程をこなしていった。他人と接する際に表出している意識が、まるで別の存在に思えるほどに。
 瓶を地面に置き、呼吸を整える。この夜の間に全てが終わる。
 般若面が大きく息を吸い込んだ時だった。
「こんばんは」
 突然声をかけられた般若面は、仮面の中で目を大きく見開き驚いた。

 涼水市すずみし内にある病院の一室、その壁際に置かれたパイプ椅子に雛祈ひなぎは腰掛けていた。
 螺久道村らくどうむらの村長宅で謎の怪物に襲撃され、少々傷は負ったものの、特に入院するほどではなかった。なので、そこは雛祈の病室ではなく、襲撃の際に重傷を負った村長、岸角碩左衛門きしかどせきざえもんにあてがわれた部屋だった。
 いま、村長は心電図モニターと呼吸器を付けられ、ベッドに横たわっていた。早期の応急処置が取られたおかげで、命に別状はなく、容態も安定している。
 ただし、頭部を負傷したせいで未だ意識が戻っていなかった。医師の説明では近日中には目覚める可能性はあるということだが、雛祈にはそれまでの時間が歯がゆくて仕方がなかった。
 せっかく重要な手がかりを掴めそうだったところ、あと少しのところで逃がしてしまったのだ。せめて襲撃があと五分遅かったならば、村長の口から螺久道村の秘密を聞けたかもしれない。結城も同じ場所にいたとしても、手がかりによっては雛祈の方が早く事件解決に近付く場合もあった。そうすれば結城との勝負に勝ち、戦女神アテナの力を祀凰寺家しおうじけに迎え入れられたものを、と雛祈は悔やんでいた。
 ただ、村長を病院に搬送した後、なぜか結城は何も干渉してこなかった。病院のスタッフに任せてしまえば良いと考えたのか、理由は定かではないが、雛祈にとっては村長が目覚めた時、情報を独占できるアドバンテージがあった。
 そのため、雛祈は定期的に病室を訪れて、村長の様子を窺っていた。病室に十五分ほど留まっているが、未だ村長に覚醒の兆しはない。
 空振りだったと思いながら、椅子から立ち上がったと同時に、
「お嬢」
「お、お嬢様」
 病室のドアが開き、雛祈の従者、桜一郎桜一郎おういちろう千冬ちふゆが入ってきた。
「どうだ?」
「全然」
「や、やっぱり頭部の負傷だから、む、難しいんでしょうか?」
「かもしれないわね。あれだけのことがあって命が助かっているんだから、相当運がいい方だと思うけど―――」
 そこまで言いかけて、雛祈は言葉を切った。そもそも村長が壁を貫通するほどの力で叩きつけられて、この程度で済んだのは結城と媛寿の応急処置のおかげだった。
 いま情報源となる村長の身柄を押さえられているのは、遡って考えれば結城たちの恩恵であると言える。
 そう思うと、雛祈は急に苛立ちが湧き立ってきた。これではまるで結城たちに借りを作ってしまったようなものだった。
「お嬢、どうした?」
「何でもないわ!」
 急に黙ってしまった雛祈を心配した桜一郎に、少し強い語気で応えながら、必ず借りを返してやると雛祈は心に誓った。
「それよりも調べはついたの?」
「それらしいことはあったにはあったんだが……」
 桜一郎は脇に抱えていた封筒から、数枚の書類を取り出し、雛祈に手渡した。
 雛祈も村長の意識が戻るまで、何もしていなかったわけではない。村長が言いかけた『百五十年前、この村は』という言葉。それを元に百五十年前に螺久道村近辺で起こったことを調べていた。その時に何があったのか判明すれば、村長の覚醒を待たずして、事件の核心に近づけるかもしれないと考えたからだ。
「あまり関係があるとは思えないな。大きな出来事とは到底呼べない上に、詳しいこともほとんど記されていない」
 桜一郎から渡されたのは、かなり古い報告書の写しだった。内容は明治初期に新政府軍の部隊が本隊、もしくは中枢に宛てて書かれたと思われるものだが、重要度が低かったのか、非常に簡素にまとめられていた。
「これ以外に目立ったことは?」
「いや、無かった」
 雛祈は首を傾げた。その書類の内容は、話すことが躊躇われるほどの重要事項では決してない。
「千冬、これの裏取りは?」
「そ、それが、郷土史にはそんなことがあったとは、い、一切記録がありませんでした」
「記録に無い?」
「は、はい。そ、その報告書にあるようなことは何も」
 雛祈はますます分からなくなった。その報告書にあることを本当に村長が告白しようとしたならば、なぜ恐れる必要があったのか。螺久道村に直接関わりがあるとも思えず、そもそも百年以上も前のことを現代に持ち出して、仮に犯罪だったとしてもとうに時効のはずだった。
(村長が伝えようとしていたこと……あの村はいったい何を隠しているというの?)
 不可解な要素ばかりが積み重なり、雛祈は書類を睨んだまま顔をしかめた。
「WΞ3→NP(何だ、案外近くにいたんだな)」
 不意に聞こえてきたその声に、雛祈も、桜一郎と千冬も体を強張らせた。
 まるで聞き慣れない言語でありながら、不思議とその意味が理解できる特徴的な声。
 三人が病室の外の廊下を見ると、真一文字の単眼に乱杭歯の並んだ仮面を頭部に頂く巨漢、マスクマンが立っていた。今日は現代風の服装ではなく、体中に戦士の化粧ペイントを施した、民族的な装いをしている。
「あ、あなたは……何かご用ですか?」
 突然の精霊の来訪に少し驚いたが、雛祈は努めて冷静に応対しようとした。
「TΛ4↑Q。AΣ3←(これからバケモノ退治に行くことになる、と思う。力を貸してもらえねぇか?)」
 何の前置きもなく、マスクマンはそう告げた。雛祈は冷静でいたつもりだったが、マスクマンの言ったことがすぐに理解できず、数秒ほど反応が遅れた。
「力を、貸す? あなたにですか?」
「Nω7→(オレじゃねぇよ。結城にだ)」
 今度は言葉は理解できたが、雛祈はその意図が理解できなかった。そもそも雛祈と結城は今、どちらが早く事件を解決できるかで競い合っている。なのに協力を要請、それも結城に力を貸せとは、どのような了見なのか。
「どうしてですか? 私たちは今どちらが早くこの一件を解決できるか競っているはず……」
「PΠ2。SΦ5↑EM(アテナと約束してるアレか。そんなこと言ってられねぇようなことになりそうだから、結城もお前らに力を借りたいんだよ)」
「……」
 マスクマンの口ぶりからすると、共闘を望んでいるのは結城の意思だと雛祈は察した。マスクマンがこうして連絡役に来たというのは、結城は事件が自身の手に余ると恐れたからではなかろうか。それはアテナが定めた『勝負』において、事実上の投了とも受け取れる。
「私たちに助力を申し出たというなら、『勝負』は私の勝ちということでいいんでしょうか?」
「……DΘ4↓。PΨ6→(……そういう風にしたいなら、そうすればいい。いまは人手も欲しいし、時間も惜しいんだよ)」
 マスクマンは雛祈の目の前に手をかざした。その指先には小さなファスナー付きのビニールパウチが三つ摘まれていた。
「? これは?」
「IΩ5↓。GΓ8→MZ(こいつを持ってれば森の結界に入ることができる。さっさと準備しろ。大事になる前に片付けたいんだよ)」
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