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豪宴客船編
幕間・キュウの思惑 目覚めた結城
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音もなく『第2遊戯室』へ入ってきたキュウは、ちらりと回りに目を向けた。暗色に設定された照明に彩られた幾人もの男女が、そこかしこで嬌声と汗を放っている。
そんな光景を眺め、キュウは『懐かしさ』を憶えていた。
長い年月を経て妖狐に目覚め、さらに高い知性と自在の神通力をも手に入れて、世界中を旅していた時代。洋の東西を問わず、国々の王宮で催される宴に、人の姿に変じて潜り込み、その国の最上の夜を堪能した。
いくつかの国で少々ハメを外しすぎてしまい、『酒池肉林』という言葉を作るきっかけになってしまったのは、今でも反省すべき点ではあるが、キュウの人間への興味は現代でも変わっていない。
浄も不浄も、正も濁も、キュウは人間の心に高い面白味を抱き続けている。時に己を犠牲にして他者を救おうとすることもあれば、己の欲望に溺れ他者を痛ぶり嘲笑することもある人間。聖人君子が闇へと堕ちていくのも、悪逆の徒が善に目覚めるのも、キュウにとっては等しく人心の変遷であり、人間という娯楽の醍醐味だった。
金毛稲荷神宮で参拝客の『願い』を聞き、それを後押しする代わりに命に関わらない程度の精を貪るのもその一環である。
そして今、キュウは久しぶりに面白い人間に巡り会えた。
小林結城。際立った才を一つとして持たず、それどころか凡人にすら成りきれていないかもしれない者。しかして四柱の神霊とともにあり、人ならざるモノたちが跋扈する世界を平然と進む者。
キュウが永い時間の中で見てきた人間の中でも、これほど出鱈目な存在は数えるほどしかいない。
それほどに特異で珍妙な存在だからこそ、キュウは味わってみたいという興味が尽きなかった。結城の肉体も、魂も。
「あら? 随分遅いご到着」
キュウの出現に気付いて声をかけてきたのは、黒の三角帽にボンテージを纏う、灰色の髪の美女、カメーリアだった。すでにその足元には、荒縄で拘束された中年男が息を荒げている。
「いつもなら嬉々として一番乗りしているはずですのに」
「うっふっふ~、ちょ~っとツマミ食いができると思ったのですが~、そう上手くはいきませんね~。やっぱり珍しいものはメインディッシュに取っておかないと~。ついでに美味しいお酒も用意できると良いですね~」
「?」
「こちらの話ですよ~。ではでは~、オードブルを愉しみましょうか~」
満面の笑みで浮き浮きしながら、キュウはチャイナドレスを脱ぎ捨てた。
「はっ! ダ、ダメです、キュウ様! 媛寿とクロランが寝ている横で……って、あれ?」
キュウが部屋を後にして五分ほど経ったところで、結城は意識を取り戻した。当然のことながら、キュウはすでに室内にいない。
結城は意識を失った時の格好のまま、スーツから蝶ネクタイを取られただけの状態だった。キュウがもし何かしたならば、全裸にひん剥かれていてもおかしくないはずなのだが、何かされたような感じはない。
術で眠らされて――と結城は思い込んでいる――無防備だったにも関わらず、キュウが何もせずに帰ったことに、結城は深く安堵した。反面、少々もやもやした感覚が残ってしまっているが。
最近は千夏といい、キュウといい、変な意味で狙われることが多くなっている。結城自身、全く異性にもてたことがないので、なぜ狙われるのか、皆目見当がつかない。
(結局何もないし、からかわれてるだけなのかな?)
あまり考え込んでも答えは出てこなさそうだったので、結城は軽くシャワーでも浴びて眠ってしまおうと思った。すやすやと気持ち良さそうに眠っている媛寿とクロランを見たら羨ましくなったからだ。
ベッドから立ち上がり、シャワー室に向かおうとした結城だったが、テーブルに置いてある物に気付いて足を止めた。
「ん? こんなのあったかな?」
結城はテーブルにあった金色のトロフィーを持ち上げて見た。意外に重量感のあるそれは、力こぶを作った右腕の像が台座に乗ったもので、特に何の記念なのかは刻まれていない。
随分と趣味の悪いトロフィーだと思いつつ、結城はそれをテーブルに戻してシャワー室に向かった。
ただ、結城は知らなかった。その純金製のトロフィーが、先程までレストランスペースで催されていたアームレスリング大会の優勝トロフィーであることを。
そして、そのトロフィーの獲得者が、もののついでと考えて、結城の部屋のシャワー室で汗を流しているということを。
結城が洗面スペースを抜けてシャワー室のドアを開けると、熱い湯気がもわっと流れてきた。
湯気が少し晴れると、その向こうにはシャンプーの泡で髪を洗っているアテナがいた。ドアを開けてきた結城に気付いて顔を向けてくる。もちろん一糸纏わぬ姿で。
「ユウキ、目を覚ましたのですか?」
ごく自然に結城にそう聞いてくるアテナだったが、結城の方はごく自然にとはいかない。
なぜ自分の部屋にアテナがいるのか。なぜシャワーを浴びているのか。
意識を失っている間のことを知る由もない結城だったが、起きぬけにアテナのモデル並みのプロポーションを見てしまった反応はシンプルだった。
鼻血を吹いて頭から倒れ、ようやく本日の眠りに就くことができた。
そんな光景を眺め、キュウは『懐かしさ』を憶えていた。
長い年月を経て妖狐に目覚め、さらに高い知性と自在の神通力をも手に入れて、世界中を旅していた時代。洋の東西を問わず、国々の王宮で催される宴に、人の姿に変じて潜り込み、その国の最上の夜を堪能した。
いくつかの国で少々ハメを外しすぎてしまい、『酒池肉林』という言葉を作るきっかけになってしまったのは、今でも反省すべき点ではあるが、キュウの人間への興味は現代でも変わっていない。
浄も不浄も、正も濁も、キュウは人間の心に高い面白味を抱き続けている。時に己を犠牲にして他者を救おうとすることもあれば、己の欲望に溺れ他者を痛ぶり嘲笑することもある人間。聖人君子が闇へと堕ちていくのも、悪逆の徒が善に目覚めるのも、キュウにとっては等しく人心の変遷であり、人間という娯楽の醍醐味だった。
金毛稲荷神宮で参拝客の『願い』を聞き、それを後押しする代わりに命に関わらない程度の精を貪るのもその一環である。
そして今、キュウは久しぶりに面白い人間に巡り会えた。
小林結城。際立った才を一つとして持たず、それどころか凡人にすら成りきれていないかもしれない者。しかして四柱の神霊とともにあり、人ならざるモノたちが跋扈する世界を平然と進む者。
キュウが永い時間の中で見てきた人間の中でも、これほど出鱈目な存在は数えるほどしかいない。
それほどに特異で珍妙な存在だからこそ、キュウは味わってみたいという興味が尽きなかった。結城の肉体も、魂も。
「あら? 随分遅いご到着」
キュウの出現に気付いて声をかけてきたのは、黒の三角帽にボンテージを纏う、灰色の髪の美女、カメーリアだった。すでにその足元には、荒縄で拘束された中年男が息を荒げている。
「いつもなら嬉々として一番乗りしているはずですのに」
「うっふっふ~、ちょ~っとツマミ食いができると思ったのですが~、そう上手くはいきませんね~。やっぱり珍しいものはメインディッシュに取っておかないと~。ついでに美味しいお酒も用意できると良いですね~」
「?」
「こちらの話ですよ~。ではでは~、オードブルを愉しみましょうか~」
満面の笑みで浮き浮きしながら、キュウはチャイナドレスを脱ぎ捨てた。
「はっ! ダ、ダメです、キュウ様! 媛寿とクロランが寝ている横で……って、あれ?」
キュウが部屋を後にして五分ほど経ったところで、結城は意識を取り戻した。当然のことながら、キュウはすでに室内にいない。
結城は意識を失った時の格好のまま、スーツから蝶ネクタイを取られただけの状態だった。キュウがもし何かしたならば、全裸にひん剥かれていてもおかしくないはずなのだが、何かされたような感じはない。
術で眠らされて――と結城は思い込んでいる――無防備だったにも関わらず、キュウが何もせずに帰ったことに、結城は深く安堵した。反面、少々もやもやした感覚が残ってしまっているが。
最近は千夏といい、キュウといい、変な意味で狙われることが多くなっている。結城自身、全く異性にもてたことがないので、なぜ狙われるのか、皆目見当がつかない。
(結局何もないし、からかわれてるだけなのかな?)
あまり考え込んでも答えは出てこなさそうだったので、結城は軽くシャワーでも浴びて眠ってしまおうと思った。すやすやと気持ち良さそうに眠っている媛寿とクロランを見たら羨ましくなったからだ。
ベッドから立ち上がり、シャワー室に向かおうとした結城だったが、テーブルに置いてある物に気付いて足を止めた。
「ん? こんなのあったかな?」
結城はテーブルにあった金色のトロフィーを持ち上げて見た。意外に重量感のあるそれは、力こぶを作った右腕の像が台座に乗ったもので、特に何の記念なのかは刻まれていない。
随分と趣味の悪いトロフィーだと思いつつ、結城はそれをテーブルに戻してシャワー室に向かった。
ただ、結城は知らなかった。その純金製のトロフィーが、先程までレストランスペースで催されていたアームレスリング大会の優勝トロフィーであることを。
そして、そのトロフィーの獲得者が、もののついでと考えて、結城の部屋のシャワー室で汗を流しているということを。
結城が洗面スペースを抜けてシャワー室のドアを開けると、熱い湯気がもわっと流れてきた。
湯気が少し晴れると、その向こうにはシャンプーの泡で髪を洗っているアテナがいた。ドアを開けてきた結城に気付いて顔を向けてくる。もちろん一糸纏わぬ姿で。
「ユウキ、目を覚ましたのですか?」
ごく自然に結城にそう聞いてくるアテナだったが、結城の方はごく自然にとはいかない。
なぜ自分の部屋にアテナがいるのか。なぜシャワーを浴びているのか。
意識を失っている間のことを知る由もない結城だったが、起きぬけにアテナのモデル並みのプロポーションを見てしまった反応はシンプルだった。
鼻血を吹いて頭から倒れ、ようやく本日の眠りに就くことができた。
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