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豪宴客船編

プールサイドにて その2

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「聞きたいこと? いったい何をですか?」
 上機嫌でいなり寿司を食べているキュウとは対照的に、アテナはかなり憮然として返した。
「昨夜のパーティーの時に着けていた~、腕輪と足輪のことですよ~」
(あの時からすでに様子を探っていましたか。私としたことが)
「あの装飾品がどうかしましたか? さして凝った代物ではないと思いますが」
「ご謙遜を~。見たら分かりますよ~。シンプルなデザインでも~、名のある匠が作った逸品でした~」
 デッキチェアの肘掛にもたれ、しなを作りながらキュウはアテナを見つめた。全てお見通しであると言わんばかりに。
「いったいどなたが作ったのかな~、と気になっていまして~」
 アテナから視線を逸らすことなく、キュウは二個目のいなり寿司をぱくりと口に放り込んだ。
 アテナが答えるのを今か今かと期待する視線に、アテナも根負けして口を開くことにした。
「あれは鍛冶神ヘファイストスから贈られた品です」
「へ~、鍛冶神ですか~。ど~りでよく出来ていると思いました~」
 感心しつつ、キュウは三個目のいなり寿司をつまんだ。だが、租借しながら一つ思い当たったことがあった。
「あれ? でもアテナ様とその鍛冶の神様って~」
 キュウが全て言い終わる前に、アテナが鋭い視線で睨んできたので、キュウは軽く手を上げて降参のポーズを取った。
「……やはり知っていたのですね」
「ギリシャ神話の本は読みましたから~。百年以上前ですけど~」
「……だからあまり答えたくなかったのです」
 アテナは先程とは別の意味で機嫌が悪くなった。いわゆる嫌なことを思い出した、というたぐいのものだ。
 鍛冶神ヘファイストスは妻である女神アフロディーテに相手にされず、欲求不満になっていたところ、所用で訪れたアテナに襲い掛かってしまったことがある。
「災難でしたね~」
「ヘファイストスが私に勝てるほどの力を持っていたわけではありません。ただ金床で何十回と頭と顔を叩いても正気に戻らなかったので、仕方なく私が退いたのです」
「その時に~、ブッカケられちゃったんですね~」
 キュウがそう言うと、またもアテナの鋭い視線が射抜いてきた。再び降参のポーズをとるキュウ。
「……エリクトニオスのこともあります。良い思い出とは絶対に言えませんが、ヘファイストスを恨む気持ちもありません。エリクトニオスを立派な鍛冶師に育て上げたのも彼ですから」
 小さく息を吐いたアテナは、苦々しく眉を寄せながらも遠くに目を向けた。
(しかし遠因を作ったアフロディーテにはまだ少し文句が言い足りませんが)
「それで~、ヘファイストスさんはお詫びの品を~?」
「私自身はとうに許しているのですが、ヘファイストスはまだ復讐されるのではないかと思っているようで、未だにヘルメスを通して様々な品を贈ってきているのです」
 『置き場所に困ってきているのですが』と最後に付け足し、アテナは溜め息を吐いた。
「そうなんですか~。へ~」
 アテナの話に納得したキュウは、四個目のいなり寿司を口に放り込んだ。その際、気付かれない程度に口角をわずかに上げて。
「お話してくれてありがとうございました~。あっ、おいなりさん食べます~?」
 口の中のいなり寿司を租借しながら、キュウはどこから取り出したのか、小皿に載ったいなり寿司をアテナに差し出した。
「……あいにく今はスシの気分ではありません。それよりも」
 アテナはデッキチェアから立ち上がると、肩紐に挟んでいたスイムキャップを取り、髪をまとめてキャップを被った。
「私はあれに興味があって来ました」
 アテナはキュウに背を向けると、すたすたと目的の場所まで歩いていった。

 本来のオアシス・オブ・ザ・シーズのプール施設には、子どもが遊ぶためのキッズプールも備えられている。が、クイーン・アグリッピーナ号に乗る年齢層的に、子どもはほぼいない。なので本来キッズプールがあった場所には、特別な改造が施されている。
 深さを掘り下げられたプールの脇には、ビルの窓ガラス清掃に使われるゴンドラのようなものが置かれていた。
 アテナはゴンドラの中に入ると、操作パネルの↑ボタンを押した。
 するとゴンドラの下部で収縮していた柱が伸び、高所作業車よろしくゴンドラを高く持ち上げていった。
 およそ十メートルの高さでゴンドラは止まり、プールに面した部分の防護柵が開いた。
 キッズプールの代わりに設けられた、飛び込み競技用の特別プールだった。

「ぶくぶく~」
 ビーチプールに戻った結城ゆうきは、まるで水死体のような格好で水面に背中だけを出して漂っていた。
 アテナ、キュウ、シロガネの刺激的な水着姿を見た後では、むしろ水死体のように何も考えないでいる方が、鼻から噴出しかかった血液が落ち着くからだった。
「ふ~」
 ようやく頭が冷えて顔を上げた結城は、安堵の溜め息を吐いた。
 時々アテナやシロガネの肌をもろに見てしまうことはあるが、やはり慣れるようなことはない。
 水着姿ですら魅力的すぎて、危うくプールサイドで鼻血を吹くところだった。
 小林結城、二十五歳。童貞である。
(気を付けないと。あんまり鼻血を吹いてばかりだと、情けない奴だって思われちゃうかもしれないし)
「ユウキー!」
 顔に付いた水滴を拭っていると、頭上からアテナの声が聞こえてきたので、結城はその方向を仰ぎ見た。
「アテナ様? おぉ!?」
 少し離れた場所で、いつの間にか現れた十メートルの飛び込み台の上から、アテナが結城に手を振っていた。見ていろという意味で無造作に右腕を振っているアテナだったが、競泳水着に包まれた抜群のボディライン全体が見えているので、これまた結城の鼻腔が刺激された。
 手を振り終わったアテナは背を向けると、そのまま反り返るように飛び込み台を蹴った。
 宙に躍り出たアテナは即座に膝を抱えると、見事な弧を描いて三回転。
 体勢を水面に対して垂直に修正すると、文字通り吸い込まれるように着水した。
 派手な水飛沫も着水音もない見事なダイビングに目の当たりにし、結城は口を半開きにしたまま――ついでに鼻血も垂らしたまま――自然と拍手を鳴らしていた。
「プロの選手が本気でビックリするくらいの~、見事な飛び込みでしたね~」
 同じくアテナのダイビングを見ていたキュウも、その華麗なフォームに緩やかな拍手を送っていた。

「次はムーンサルトも混ぜてみましょう」
 プールサイドに上がったアテナは、額に付いた水滴を指で払いながら、再び昇降式の飛び込み台に足を向けた。
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