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豪宴客船編

極微の風

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 シトローネは次々と弓に矢をつがえ、二体の甲冑ゴーレムに射掛けていく。直撃を狙うのではなく、周りにかすめさせ、わざと当てないようにして。
 そのうちの数本はゴーレムの持つ剣に叩き落されるが、撃墜を免れた矢は速やかにシトローネの元へ戻り、また弓に番えて射られる。
 『回帰』のルーンを刻まれた矢は、対象を外れたら矢筒に戻るよう、擬似的な遠隔操作が施されている。ルーン文字を扱えるエルフ、シトローネだけが使える弓術の妙技だった。
 持ち前の身軽さでもって、コンテナの上や物陰に絶えず移動し、シトローネは矢を撃ち続ける。マスクマンが持ちかけた作戦のタイミングまで、甲冑ゴーレムを引きつけておく必要があったからだ。
(まだカ?)
 シトローネは指のしびれを感じ始めていた。弓術に優れるエルフでも、間断なく矢を撃ち続けるには限界がある。
(そろそろ……まずイ!)
 矢の補充は利いても、弓を扱う肉体は追いつかない。シトローネの弦を引く指はかすかに震えだしてきた。
(早ク!)
 シトローネはコンテナの上で目をつむっているマスクマンを見た。
 マスクマンの準備ができるまでの間、甲冑ゴーレムを一定の場所に誘導し、足止めをしておくのがシトローネの役目だった。
 だが、まだマスクマンの方は準備が整っていないらしい。
 シトローネは少し焦りを見せていた。マスクマンの作戦に乗ったのは、甲冑ゴーレムを一撃の下に葬り去れるからだった。
 マスクマンとシトローネの持つ武器では、全身甲冑フルプレートアーマーのゴーレムを相手にするには威力不足だ。逃走するにも異様な機動力を有する二体の甲冑ゴーレム相手では、逃げ延びることは難しい。さらには侵入が船側にバレてしまう。
 それならば甲冑ゴーレムを一気に倒せる方法に乗るのが容易い。が、いかんせん機が熟すまではシトローネ一人で二体を相手取ることになる。
 ルーンのアシストがあっても、やはり厳しい状況だった。それだけ甲冑ゴーレムの能力は高い。
(残りハ……三本)
 連続で射続けた指は、あと三射が限界だった。その三射が尽きれば、甲冑ゴーレムたちを押しとどめておけなくなる。
「くッ!」
 ルーンで戻ってきた矢のシャフトを取り、矢筈やはずを弦に番えて引き絞るシトローネ。
(一!)
 ラスト三射のうちの一射を放つ。
 しかし、指の痺れが影響してしまい、シトローネは狙いを狂わせてしまった。あえなく手前の甲冑に矢を斬り落とされてしまう。
(二!)
 再び矢を取り、二射目を放つ。が、今度は焦ったために威力も速さもなく、また二つに折られて床に落ちる。
 最後の一矢。シトローネは鼻で深く息を吸い、吐いた。
 矢を射続けた指は、その一射がついに限界だった。たとえ矢が戻ってきても、もう指の痺れでまともに狙えるどころか、弦を引くこともままならなくなる。
 マスクマンから託された時間稼ぎはここまでだったが、シトローネは最後の一射をしかと決める気でいた。
(急いては事を仕損じル……三!)
 集中と冷静さを兼ねた矢が、引き絞られた弓から解き放たれた。
 空気を裂いて飛んだ矢の先は、甲冑ゴーレムの振るった剣に弾かれた。
 しかし、撃ち出された勢いはまだ死んでおらず、後ろに控えていたもう一体の甲冑ゴーレムのバイザーに見事に食い込んだ。
 やじりと剣の角度を計算した、曲射の絶技だった。
(上手くいっタ)
 最後の一矢で最大の時間を稼いだシトローネだったが、もうこれ以上の射撃はかなわなかった。
 これでマスクマンの準備ができていなければ、あとは甲冑の持つ剣の餌食となるのみ。
「WΦ4(待たせたな)」
 シトローネはマスクマンの乗ったコンテナを仰いだ。先程までは確認できなかったが、マスクマンのすぐ上、倉庫の天井付近に黒い雲がわだかまっていた。
「TΛ1↓。CΠ5↑FM(ここが海の上でよかったぜ。雲を呼ぶ材料はいくらでもある)」
 マスクマンは右腕を顔の前で持ち上げるように振るった。褐色肌の青年の顔が、木製の武骨な仮面へと変わる。普段は真一文字に閉じられている目が、今は光り輝く単眼として開いていた。
「~~~~~!」
 空気を震わす唸り声を上げ、マスクマンが両腕を拡げると、頭上の雲も呼応するように面積を大きくしていった。
「LΞ! CΔ!(離れろ! 何かに掴まれ!)」
 マスクマンの指示で、シトローネはすぐに跳び退り、倉庫の柱の一本にしがみついた。
「SΨ……Fχ(じゃあ……吹き飛べ)」
 マスクマンが腕を振り下ろすと同時に、倉庫内が大きく震えた。重たい何かが落下したような衝撃だったが、何も落ちた形跡はない。
 ただ、その衝撃が起きた瞬間、二体の甲冑ゴーレムは開いた搬入用ゲートから、海の上へと投げ出されていた。
 船体から数メートルの距離を飛ばされてしまっては、もう船に戻れるはずもない。甲冑ゴーレムはあえなく海面へと落ちていった。
「Iξ7→Rε9↓(鋼でできた鎧じゃあ、もう浮かんでくることもねぇ)」
 ゲートの近くまで来て水柱を確認したマスクマンはひとりごちた。
 その横に並んだシトローネも、甲冑ゴーレムの最後を確認し、そしてマスクマンを横目で見た。
(本当にやっタ)
 マスクマンの言った作戦が成功するかどうか、シトローネは半信半疑だった。逃げることも、まともに戦うこともできそうになかったので、作戦に乗ったのは破れかぶれにすぎない。
 搬入用のゲートが誤作動で開いた時、マスクマンが思いついた作戦。それは一撃の下に甲冑ゴーレム二体を海に放り出してしまうというものだった。
 重量のある全身甲冑ですら、ただの一撃で弾き飛ばす強力無比の風。発達した積乱雲から下降した気流が、地面に跳ね返って起こるマイクロバーストによって。
 問題はマスクマンが積乱雲を呼ぶために時間を要するという点だった。そのための時間稼ぎをシトローネが担う算段だったが、
「……」
 シトローネはますますマスクマンをいぶかしんでいた。
 互いに武器の威力不足から、二体の強力な甲冑ゴーレムを相手にできず、マイクロバーストで吹き飛ばす作戦を決行したまではいい。
 ただ、マイクロバーストという現象をいとも簡単に起こしたマスクマンという存在が、シトローネは気になって仕方がなかった。
 マスクマン自身が『雨と霧の精霊』を名乗り、それに則した能力を行使したのだから、そこは信じないわけではない。
 だが、やはりシトローネはそんな精霊に心当たりはない。
 能力を目にしてなお、いや、なおさらマスクマンと名乗る精霊の謎が深まるばかりだった。
「Oμ3←Bν2→(海の神に文句を言われそうだが、魚の遊び場を提供したってことにさせてもらうか)」
 シトローネの疑念をよそに、マスクマンは呑気なことを言っている。
「……お前、一体いつから存在してル?」
 マスクマンの横顔に、シトローネは質問を一つ投げかけた。
「Wτ6←Eγ(いつからって、どんな意味だ?)」
「そのままの意味ダ。お前はいつからこの世界にいるんダ?」
「Iω……Mσ4→TC(そうだな……『俺たち』がこっちに『来た』時には、もうこの星はあったな)」
「こっちに……来タ?」
「Fπ8↓。sπ1↓KW。Tρ3↑NK(一度目は南の方に大陸を一つ作って帰った。二度目に来た時はそこに根付いていた人間にちょっとしたことを教えた。『俺たち』の役目はそんなところだったから、エルフおまえが知らないのは無理ないな)」
「……」
 嘘や冗談を言っている風には見えない分、余計にシトローネには信じがたい話だった。マスクマンの言っていることは断片的ではあるものの、繋げて考えてみるに、それは創世のすぐ後とも受け取れるからだ。
 もしそうであるならば、エルフであるシトローネでも知らないのは道理だった。最高位のエルフですら、創世のずっと後に誕生しているからだ。
「TΓ←(俺からもいいか?)」
「? 何ダ?」
「AΧ、Yι7↑(お前、あの金色の仮面つけたヤツと付き合ってるのか?)」
 意外な質問にシトローネは一瞬目を丸くしたが、すぐにまた鋭い眼差しに戻った。
「なぜそんなことを聞ク?」
「Rλ1↓NS。E‡2↑X(お前には悪いんだが、俺は鼻が効くからな。お前があいつと体を重ねたことも分かる)」
「……無礼ナ……」
「B†。H∟4←U(悪かった。ただエルフは簡単に体を許すことはしないと聞いていたからな)」
 マスクマンに刺すような視線を送りつつ、シトローネは少し観念したように口を開いた。
「別に、付き合ってるわけじゃなイ。私があいつと肌を合わせているのは、命を救われた礼と、私の興味からだ」
「I∑(興味?)」
「エルフは長命ダ。よほどのことがない限り、自然死することはなイ。だから生殖行為への関心が薄くなル。エルフによっては忌避する者もいル。私も人間に関わるまでは、それほど興味がなかっタ。だが人間は楽しみながら生殖行為に及ぶと知っタ。本当にそれほどまでに楽しむことができるものなのか、試してみたくなっタ。それだケ」
「……Sζ8↓(……随分妙な理由だな)」
「笑いたいなら笑エ。私は私で人間を知りたいだけダ」
 シトローネが言葉を切ってから、しばらく無言のままの二人だったが、不意にマスクマンが呟いた。
「D♯9↑(じゃあ付き合ってないんだな?)」
 マスクマンの言葉に、少し間を置いてからシトローネも返した。
「ない……ナ。体だけの関係ダ」
「……」
 それを聞いたマスクマンは特に何も言わず、開いた搬入ゲートから踵きびすを返した。
「Z∫6→。W∬7↑(邪魔な警備は片付けた。これでじっくり探し物ができる)」
 何ら目立った反応もなく、再び倉庫の奥へと歩いていくマスクマン。シトローネもまだマスクマンへの認識が定まったわけではないが、言っている通り探索を続行した方が良いと思い、その後に続いていった。
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