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豪宴客船編

遭遇戦 その3

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 撹乱かくらん戦法で上無芽かみなめを見失っていた媛寿えんじゅは、あっさりと背後を取られてしまった。
「あっ!」
 背に回られたことに気付くも、掛け矢ハンマーを振るうより速く、上無芽の舌が媛寿を取り巻いた。
「あ! わ! わ!」
 上無芽の舌は媛寿を一周すると、両腕ごと体を絞め上げて動きを封じてしまった。
「ふふふ。これで身動きできませんね」
「ぐ~! ぎ~!」
 媛寿は巻きついた舌から抜け出そうとするが、筋肉質の舌にがっしりと絞め上げられ、媛寿の力ではびくともしなかった。
「媛寿をはな―――」
「ふっ」
「ぐぶっ!」
 媛寿にまとわりついた舌に打ち据えようとした結城ゆうきだったが、上無芽は舌の先端を伸ばし、結城の鳩尾みぞおちを打撃した。
「げほっ! げほっ! ぐうっ!?」
 きこむ結城に間髪入れず、上無芽は結城の首にも舌を巻きつかせた。
「ふふふ。でははやし様、まずあなたから始末いたしましょう」
「ぐっ!?」
 上無芽がそう宣言すると、結城の首に巻かれた舌に一気に力が加わった。
「この妖力ちからを手に入れてからは存分に愉しませてもらっていますよ。頸動脈を絞め上げられ、あらゆる体液を垂れ流しながら絶命する人間の顔を見るのは、たまらなく込み上げてくるものがありますからね」
「あ……かは……」
 首が絞まっていくにつれ、結城の顔はみるみる赤く変わっていった。
「もっとも、やはり美女をじっくり絞める方が私の好みなのですが。あなたのお連れのミネルヴァ様、あの方を是非ともじわじわと絞めてさしあげたいものです」
「……あ……ぁ……」
 結城は時間が経つほどに呼吸が浅くなり、赤い顔が今度は青紫へと変わりつつある。
「ゆうきー!」
「くくく。心配なさらずとも次はあなたの番ですよ。愉しみですねぇ、子どもを絞めるのは初めてなんですよ」
 上無芽は薄汚い恍惚に満ちた眼で媛寿を見た。
 徐々に体の力が失われていく結城と、上無芽が向けてくる下卑た視線が、
「~~~~~~……怒ったぞー!!」
 ついに媛寿の堪忍袋の緒を切れさせた。
「う~~! ぐ~~!」
 媛寿は力の限り足をバタつかせ、体を乱雑に振り、上無芽の舌から抜け出そうと試みる。
「くはは。子どもの力で私の舌から抜けられるはずもない。おとなしく順番が来るのを待っていなさい」
「ぐっぎ~!」
 上無芽の言葉など耳に入れず、媛寿はさらに激しくもがき続ける。
 だが、舌による拘束はほとんどゆるまず、媛寿の体が解き放たれることはない。
「むぎ~!」
 その最中、媛寿の左腕だけがすぽんと舌から抜け出した。右腕と胴は以前舌に抑え込まれたままだが、媛寿にとっては腕一本だけでも充分だった。
 左手をそでの中に収め、もぞもぞと何かを探り出す。
「むん!」
 再び袖から出てきた左手には、緑色のビニールチューブが握られていた。
 媛寿はキャップを歯で噛んで強引に引き抜くと、チューブ先端を上無芽の舌に向け、持てる力でチューブを強く握りこんだ。
「ん?」
 上無芽は舌に違和感を感じたが、その時にはすでに遅かった。舌が受け取った感覚は、120m毎秒の速さで味覚神経を伝い、脳の感覚野に衝突した。
「ぎっ―――――ああああああっ!」
 上無芽は脳が両断されるような強烈な刺激に襲われた。
「ふぐっ―――――おおおおおおっ!」
 次の瞬間には、顔から鼻が抜けて飛んでいきそうな感覚が鼻腔に走った。同時に目から大量の涙もあふれ出る。
「ごおっ! おおっ! おおうおおっ!」
 凶悪な衝撃が立て続けに襲い、上無芽は結城と媛寿を拘束している余裕もなくなり、頭と上半身を激しく振りまくる。
「げほっ! けほっ!」
「ゆうき! だいじょうぶ!」
 息が詰まる寸前で解放された結城に、媛寿が慌てて駆け寄った。
「はあ……はあ……だ、だいじょうぶだよ、媛寿……」
「よ、よかった~」
 まだ息が整わないながらも、微笑ほほえみかけて無事を伝えた結城を見て、媛寿は胸を撫で下ろした。
「ぎいいいぃ! ひいいいぃ!」
 上無芽は未だに頭を抑えて海老反えびぞりになり、苦悶の声を上げ続けている。
「そういえばいったい何したの、媛寿?」
「これ」
 結城の疑問に、媛寿は左手の中身を見せて答えた。
「……これを?」
 それを見た結城は顔を引きつらせた。
 緑色のチューブの表面には、『超新鮮! 超特選! 生わさび本格派』の文字がでかでかと印字されていた。中身はほとんどひねり出され、出涸でがらしになっている。
「ぐおぉ……こ、この……私の舌に何ということを……」
 青筋を立てて滂沱ぼうだの涙を流している上無芽は、憎悪に満ち溢れた顔で媛寿を睨んだ。
 それを受けた媛寿は、眉を逆立てて仁王立ちし、
「よくも結城を……お前、絶対に許さない!」
 上無芽に右の人差し指をびしっと突きつけた。
「ゆ、許さないのはこちらの方だ! か、体中の骨を残さず砕いてやる!」
 まだふらつきながらも媛寿に舌を飛ばす上無芽。だが、今度は媛寿の方がワンテンポ速かった。
 袖からドクロマークの描かれた小瓶を取り出した媛寿は、コルク栓を開けて中身を振りいた。
 透明な液体が舌の先端にかかったのを見届けると、媛寿は結城の手を取って姿勢を低くさせた。
 伏した結城と媛寿の上を、上無芽の舌が通り過ぎる。舌は媛寿を捕らえることなく、その先にあった柱の一つに命中した。
(くっ……狙いが定まらない……動きも鈍い……まだ頭が割れそうな気分だ……ここは一旦引いて回復してから……覚獲かくえも連れてくれば、こんな二人など…………あれ?)
 引き際を考えていた上無芽だったが、またも違和感を感じて目をしばたたかせた。
 柱に接した舌の先端が、離れない。
(な、なぜだ!? これはどうしたことだ!?)
 上無芽は舌を収納しようと引っ張るが、舌は柱にぴったりと張り付いたまま、全く取れる気配がない。
 柱にくっついた舌と上無芽を交互に見ていた結城は、あることに気付いてハッとした。
「あっ! 媛寿、もしかして……」
「うるとらせっちゃく! きまいらえ~っくす!」
 媛寿は空になった小瓶を高らかに掲げて言った。
 以前、媛寿とアテナが手に入れた要接着剤のプラモデルを作る際、カメーリアに強力な接着剤を都合できないか相談したことがあった。
 その時にカメーリアが渡してきたのが、錬金術系の魔法を応用して作られた、『ウルトラ接着・キマイラX』だった。触れた物体同士を無差別に瞬間接着できるが、あまりに強力過ぎてむしろ使えない、とカメーリアはこぼしていた。
(あれで接着しちゃったのか。ということは……)
 結城は上無芽に同情しつつ、血の気が引いて薄ら寒い思いをしていた。
 一度つけたら離れない接着力を持つキマイラXを、唯一がす方法は、熱した鉛を接着面に押し当てることだけだったからだ。
「うぅ……」
 舌を柱から剥がす時の光景を想像して、結城は反射的に身震いした。
 そんな結城とは別に、媛寿は無表情で上無芽の舌に近づいていく。
「? な、何をするつもり―――――!?」
 上無芽は媛寿が袖から取り出したものを見て愕然となった。
 媛寿の手には、練りからし、もみじおろし、生しょうが、おろし大蒜にんにく、そして生わさび、色とりどりのチューブが勢ぞろいしていた。
 上無芽の伸びきった舌を前に、媛寿はキャップを一つ一つゆっくりと開け放っていく。
「ま、待て! それだけはやめてくれ! この舌は常人の数倍の味覚があるんだ! そんなものを一気に載せられたら! 私は! 私は!」
 慌てて懇願する上無芽を、媛寿は冷めた目でじっと見つめる。
 媛寿の手が止まったまま十秒ほど経った頃、媛寿は上無芽ににっこりと良い笑顔を送った。
 それを見た上無芽は思いとどまってくれたのだと、ものの見事に誤解・・した。
 媛寿は全てのチューブを束ねると、中身を上無芽の舌の上にしぼり出した。
「―――――ぐおっわあああああ!」
 上無芽は頭を抱えると、天を仰いで絶叫した。地獄の底から響いてくるような凄まじさに、結城もびくりと身を震わせる。
 さらに媛寿は100円ショップのバターナイフを取り出し、舌の上にこんもりとなった調味料の山を平らに慣らした。
「―――――!!」
 今度は声にならない悲鳴が上がると、上無芽の眼は真後ろにぐるりと回転した。
 体を最大限に海老反りにした上無芽は、やがてその体勢のまま動かなくなった。
「せいばい!」
 最後に媛寿がバターナイフを掲げてポーズを決める。
 地獄の調味料が塗られた舌と、意識を失った上無芽を交互に見て、結城は表情を凍てつかせて青ざめるのだった。
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