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豪宴客船編
勝負
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アテナは両腿で挟んだ楠二郎の首を全力で絞め上げた。
アテナの本気の絞め技を受ければ、絞めるどころか数秒で部位破壊が起こるといっても過言ではない。が、さすがに楠二郎も鬼の一角であるため、首を絞められているにもかかわらず耐えている。
アテナの見立てでは、以前に戦った原木本桂三郎の方が防御力では優れていた。楠二郎は桂三郎よりも一段落ちるにしても、やはり人間離れした耐久力を持っている。
(本当に驚くべき執念です。バラキモト・クスジロウ)
非のうちどころのない見事な三角絞めを受けてなお、意識を保ち続ける楠二郎を、アテナは改めて評価していた。
三角絞めに持ち込めたのも、ある意味で僥倖といえた。
楠二郎の角力は神事としての側面があり、転じて神に捧げられる供物とも同一となる。アテナは角力による攻撃を無意識的、本能的に受け入れようとしてしまうわけだが、これは避けづらい、防ぎづらいという意味に留まる。
ならば、あえて受ける心積もりでいれば、回避と防御の困難は消失する。
しかし、それは楠二郎の攻撃を直接受けてしまうため、アテナは『流水』という逆らわずに受け流す戦法を取った。
それでも、『流水』を完璧に発動させるのは難しい。楠二郎の武術の冴えは、アテナの予想を大きく上回っていたため、簡単に狙いを読ませることはしなかった。
だが、絶体絶命の状況の中、アテナは好機を捉えた。
楠二郎が右腕を犠牲にする覚悟で、アテナの額に打ち込んだ拳撃。
頭骨に叩き込まれた衝撃で、アテナが倒れかかった瞬間。
勝利を確信した楠二郎は、最も読みやすい攻撃を仕掛けた。
アテナが倒れると同時に見舞うマウントパンチ。もしも同じ立場なら、アテナ自身もそうしたであろうフィニッシュ。
背中から倒れこみ、楠二郎が肉薄する、ほんの短い瞬きのような時間の中、アテナは楠二郎の意図を捕捉した。
伸ばされた左拳がどんな軌道を通り、どこに到達するかを。
それさえ判れば、あとは受け入れてしまえばいい。
楠二郎が打ってきた拳を、包み、抑え、抱きすくめる。
角力の技を、完璧な形で受け止めることができるのだ。
そうしてアテナは、強敵・楠二郎を押さえ込むことに成功した。
決まった三角絞めは、確実に楠二郎の意識を奪いつつある。
だが、アテナはこれで終結とは考えていない。
それで倒せるならば、原木本楠二郎という男は、とうの昔に闘技場に伏している。
これで終わるはずがなく、そしてその先をアテナは見据えていた。
(さあ、来なさい。バラキモト・クスジロウ!)
「ぐ……あ……」
アテナの三角絞めによって、楠二郎は徐々に意識を削り取られていた。
この状況は楠二郎にとって非常に不利なものだった。
ここまでの闘いで、楠二郎は血を流し過ぎていた。アテナが指摘した通り、細胞活性で傷を高速で復元することはできても、失われたものまで補うには至らない。
度重なる出血が、いよいよ楠二郎の限界まで迫っていた。
そして三角絞めという技もまた最悪のチョイスだった。
左腕を捕られ、両腿で首を締め付けられる楠二郎。本来なら空いた右腕で反撃し、技から抜け出すところだった。
しかし、それはできない。
アテナとの右ストレートの打ち合いで、力比べに負けて右腕は半壊の状態にある。それだけアテナの膂力が、楠二郎を上回っていたのだ。
千切れたわけでも、骨が砕け散ったわけでもないので、少し時間を置けば腕は元通りに復元する。
だが、それまでに楠二郎はアテナに絞め落とされてしまう。
いまはまだ耐えているが、腕が治るまで待っているようでは、一分どころか一秒先にでも、楠二郎の意識は刈り取られてしまっているだろう。
そうなれば楠二郎は、これ以上ない敗北を喫する。
(負け……る……)
自らの敗北を予感しかかった楠二郎だったが、ふと視界に輝くものを見た。
楠二郎の左腕を抱き、真剣な表情で絞めつけているアテナの姿だった。
脳裏に浮かんだ敗北の予感は瞬く間に掻き消えた。楠二郎の内側から沸き上がった、本能的な熱によって。
「ぐうおおお!」
頚動脈が絞まり、頚骨に皹が入りながら、楠二郎はまさに鬼の形相へと変わっていた。
眼前にいるのは、誰よりも美しく、誰よりも強く、そして誰よりも高潔な魂を持つ異性。
ここで勝てば、その最高に魅力的な異性を、誰のものでもない、己が伴侶に迎えることができる。
(こんな好機を……見逃せるかよ!)
楠二郎の中になる、雄として、人として、鬼としての部分が、窮地にあってこれまでにない力を引き出させた。
(アテナ! お前は俺が、もらう!)
まだ完治していない右腕を、楠二郎は地面に突き立てた。
「ぐがあああ!」
地面を押しやり、体を引き、両脚に力を込める。三角絞めで軋みを上げる楠二郎の首に、強烈な荷重が圧圧しかかる。
「があああ!」
楠二郎は立ち上がった。三角締めを極め続けるアテナ諸共に、首の損傷さえ構わぬままに。
「おおあぁ!」
首にしがみついたアテナとともに、楠二郎は高く跳躍した。
単に地面に叩きつける程度では、アテナは絞め技を解くことはないと、楠二郎には分かっていた。
ならば、空中からの勢いも上乗せして、アテナの全身を船底まで穿つつもりで衝突させる。
その場合、絞められたままの楠二郎の首もただでは済まない。が、もはや楠二郎はそんなことを構う気など一切なかった。
戦女神そのものを手に入れられるならば、この程度の賭けは迷うこともない、と。
(さあ、勝負だ。アテナ!)
アテナの本気の絞め技を受ければ、絞めるどころか数秒で部位破壊が起こるといっても過言ではない。が、さすがに楠二郎も鬼の一角であるため、首を絞められているにもかかわらず耐えている。
アテナの見立てでは、以前に戦った原木本桂三郎の方が防御力では優れていた。楠二郎は桂三郎よりも一段落ちるにしても、やはり人間離れした耐久力を持っている。
(本当に驚くべき執念です。バラキモト・クスジロウ)
非のうちどころのない見事な三角絞めを受けてなお、意識を保ち続ける楠二郎を、アテナは改めて評価していた。
三角絞めに持ち込めたのも、ある意味で僥倖といえた。
楠二郎の角力は神事としての側面があり、転じて神に捧げられる供物とも同一となる。アテナは角力による攻撃を無意識的、本能的に受け入れようとしてしまうわけだが、これは避けづらい、防ぎづらいという意味に留まる。
ならば、あえて受ける心積もりでいれば、回避と防御の困難は消失する。
しかし、それは楠二郎の攻撃を直接受けてしまうため、アテナは『流水』という逆らわずに受け流す戦法を取った。
それでも、『流水』を完璧に発動させるのは難しい。楠二郎の武術の冴えは、アテナの予想を大きく上回っていたため、簡単に狙いを読ませることはしなかった。
だが、絶体絶命の状況の中、アテナは好機を捉えた。
楠二郎が右腕を犠牲にする覚悟で、アテナの額に打ち込んだ拳撃。
頭骨に叩き込まれた衝撃で、アテナが倒れかかった瞬間。
勝利を確信した楠二郎は、最も読みやすい攻撃を仕掛けた。
アテナが倒れると同時に見舞うマウントパンチ。もしも同じ立場なら、アテナ自身もそうしたであろうフィニッシュ。
背中から倒れこみ、楠二郎が肉薄する、ほんの短い瞬きのような時間の中、アテナは楠二郎の意図を捕捉した。
伸ばされた左拳がどんな軌道を通り、どこに到達するかを。
それさえ判れば、あとは受け入れてしまえばいい。
楠二郎が打ってきた拳を、包み、抑え、抱きすくめる。
角力の技を、完璧な形で受け止めることができるのだ。
そうしてアテナは、強敵・楠二郎を押さえ込むことに成功した。
決まった三角絞めは、確実に楠二郎の意識を奪いつつある。
だが、アテナはこれで終結とは考えていない。
それで倒せるならば、原木本楠二郎という男は、とうの昔に闘技場に伏している。
これで終わるはずがなく、そしてその先をアテナは見据えていた。
(さあ、来なさい。バラキモト・クスジロウ!)
「ぐ……あ……」
アテナの三角絞めによって、楠二郎は徐々に意識を削り取られていた。
この状況は楠二郎にとって非常に不利なものだった。
ここまでの闘いで、楠二郎は血を流し過ぎていた。アテナが指摘した通り、細胞活性で傷を高速で復元することはできても、失われたものまで補うには至らない。
度重なる出血が、いよいよ楠二郎の限界まで迫っていた。
そして三角絞めという技もまた最悪のチョイスだった。
左腕を捕られ、両腿で首を締め付けられる楠二郎。本来なら空いた右腕で反撃し、技から抜け出すところだった。
しかし、それはできない。
アテナとの右ストレートの打ち合いで、力比べに負けて右腕は半壊の状態にある。それだけアテナの膂力が、楠二郎を上回っていたのだ。
千切れたわけでも、骨が砕け散ったわけでもないので、少し時間を置けば腕は元通りに復元する。
だが、それまでに楠二郎はアテナに絞め落とされてしまう。
いまはまだ耐えているが、腕が治るまで待っているようでは、一分どころか一秒先にでも、楠二郎の意識は刈り取られてしまっているだろう。
そうなれば楠二郎は、これ以上ない敗北を喫する。
(負け……る……)
自らの敗北を予感しかかった楠二郎だったが、ふと視界に輝くものを見た。
楠二郎の左腕を抱き、真剣な表情で絞めつけているアテナの姿だった。
脳裏に浮かんだ敗北の予感は瞬く間に掻き消えた。楠二郎の内側から沸き上がった、本能的な熱によって。
「ぐうおおお!」
頚動脈が絞まり、頚骨に皹が入りながら、楠二郎はまさに鬼の形相へと変わっていた。
眼前にいるのは、誰よりも美しく、誰よりも強く、そして誰よりも高潔な魂を持つ異性。
ここで勝てば、その最高に魅力的な異性を、誰のものでもない、己が伴侶に迎えることができる。
(こんな好機を……見逃せるかよ!)
楠二郎の中になる、雄として、人として、鬼としての部分が、窮地にあってこれまでにない力を引き出させた。
(アテナ! お前は俺が、もらう!)
まだ完治していない右腕を、楠二郎は地面に突き立てた。
「ぐがあああ!」
地面を押しやり、体を引き、両脚に力を込める。三角絞めで軋みを上げる楠二郎の首に、強烈な荷重が圧圧しかかる。
「があああ!」
楠二郎は立ち上がった。三角締めを極め続けるアテナ諸共に、首の損傷さえ構わぬままに。
「おおあぁ!」
首にしがみついたアテナとともに、楠二郎は高く跳躍した。
単に地面に叩きつける程度では、アテナは絞め技を解くことはないと、楠二郎には分かっていた。
ならば、空中からの勢いも上乗せして、アテナの全身を船底まで穿つつもりで衝突させる。
その場合、絞められたままの楠二郎の首もただでは済まない。が、もはや楠二郎はそんなことを構う気など一切なかった。
戦女神そのものを手に入れられるならば、この程度の賭けは迷うこともない、と。
(さあ、勝負だ。アテナ!)
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