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豪宴客船編
『魔法』
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「カメーリアさん……何でここに?」
結城の危機に現れたのは、喫茶『砂の魔女』の店主にして、現代に魔法を受け継ぐ魔女、カメーリア・アルヴス・雪洲だった。
だが、なぜカメーリアが乗船しているのか見当がつかず、結城は怪我のことも忘れてつい疑問を口に出していた。
「……それよりもこれを」
カメーリアは結城の質問には答えず、代わりに左手の中に収めていた物を投げてよこした。
「っと……これは?」
結城が受け取ったのは、小さな香水噴霧器だった。
「雪女の唾液から作った冷却止血剤ですわ。ただしかけ過ぎると凍傷になるので気をつけて」
「は、はい」
少しはぐらかされた気持ちになりつつ、結城は噴霧器の先端を指で押し、中の液体を左腕の傷にかけた。
(っ! ちょっと冷たいけど、これは……)
爪による左腕の傷はそれなりに深かったはずだが、二回ほど吹きつけただけで血は止まり、痛みもかなり和らいでいた。
カメーリアの作った止血剤の効果を実感した結城は、すぐに右脚の傷にも噴霧した。
「何者かな、君は?」
唐突に割って入ってきたカメーリアを、オスタケリオンは鋭い視線で射抜く。
「名乗れるほど名の通った者ではありませんわ」
止血している結城の壁となるように、カメーリアはオスタケリオンとクロランに杖を構え続ける。
「まぁ、よかろう。せめてシステムの限界値を測る実験に使ってやろう」
カメーリアを大きな脅威ではないと判断し、オスタケリオンは再び端末を口元に寄せる。
「F‐06、その女を殺せ」
「ガアアア!」
命令を受けたクロランが雄叫びを上げ、カメーリアに襲いかかろうと爪を振りかぶる。
カメーリアはその前に、袖の中から二本の試験管を取り出した。
「『火』」
カメーリアはそう唱えると、床を踏み切ろうとしていたクロランの足元で小さな爆発が起こった。
「ガッ!?」
踏み込みを遮られたクロランは、バランスを失って前のめりにくず折れる。
「『風』」
すかさずカメーリアが呪文を唱える。前に倒れかかったクロランを、今度は突風が襲って後方へと吹き飛ばした。
風の勢いをまともに受けたクロランは、プールサイドに何度も打ち付けられながら転がった。
「……その力、『魔法』か」
「ご明察」
冷静な分析によって答えを出したオスタケリオンに、カメーリアは静かに首肯した。
『魔法』と言うと聞こえはいいが、言葉ほど便利なものでないことを、カメーリアは誰よりも知っている。
『魔法』と呼ばれるものは、本来あるべき一連の現象を部分的に改変、置換し、発動の行程を歪曲させる術を指す。
例えば火を起こすために必要な燃焼物や火種を、予め用意しておいた対価や呪文といったものに置き換え、従来の着火よりも比較的速く発現させるという具合だった。
薪と火打石を使うのが常套手段だった時代であれば、人々にとってそれはまさに魔法であり、畏怖の念を集めていたことだろう。
しかし、マッチやライター、ガスコンロなどが開発されれば、魔法と呼ばれた御業も特別性を失っていく。
魔法もまたエネルギー保存の法則から逃れられず、長い研鑽が必要なことを考えれば、むしろ技術の進歩によってもたらされる文明の利器の方がはるかに使い勝手がいい。
かつては人智を超えた力ともてはやされた魔法が、時間と知恵の積み重ねにあっさり追い抜かれていく現状が、カメーリアにとっては小さな憂鬱だった。
だが、それでもカメーリアが『魔法』を捨てないのは、カメーリアの家系が追い求めてきた集大成以上に、カメーリアが懸けてきた労力や時間以上に、『道』が重要と考えていたからだ。
魔法でできることは少なくなりつつあるが、魔法でしかできないこともまだまだ世には存在する。
いつか世界が魔法を必要としなくなるその時までは、もてる魔法の力を最大限に役立ててみせる。
それが不死の妙薬の未完成品によって、現代にまで命を繋いでいる魔女カメーリアの、矜持であり信念だった。
「グウ……ウウゥ……」
唸り声を上げながらクロランが立ち上がる。震えているその足首は、カメーリアが放った魔法によって焼け爛れていた。
「『魔法』か。使う者などほとんどいなくなったと思っていたが。しかし、その程度で獣人兵器を止めることはできない」
オスタケリオンが視線を向けた先、クロランの足首を見た結城は息を呑んだ。
クロランが足首に負った火傷が、端からどんどん剥がれていっている。剥がれた部分からはすでに体毛が生えそろい、火傷した表皮が完全に剥離すると、足首は傷を負う前の状態に戻っていた。
(やはりこのくらいでは効きませんわね。でも……)
「カ、カメーリアさん! あれはクロランなんです! だから!」
クロランに対して再び杖を構えようとしたカメーリアに、結城は必死になって取り縋ろうとする。
だが、カメーリアはわずかに振り返ると、結城に優しげな微笑みを返した。
「心配いりませんわ、小林くん。あの娘のことは何とかして見せますから」
(そう、本命はここからですし)
カメーリアは左手に持っていた二本の試験管、『hydrogen』と『vacuum state』を投げ捨て、袖から新しく二本取り出した。
そして結城にだけ聞こえる小さな声で、何事かを呟いた。
「イレギュラーに余計な時間を使うつもりはない。早々にこの実験は幕を引かせてもらおう」
オスタケリオンはクロランの完治を確認すると、端末に向かって指示を出した。
「F‐06、その二人を速やかに殺せ」
今度は『Release The Safety』の項目にチェックを入れて。
「ガアアアア!」
頭を押さえたクロランが、これまでで一番大きな雄叫びを上げる。
「グゥ……グガアア!」
クロランの右腕が、苦悶し続けるクロランとは別の意思があるように攻撃態勢を取ろうとする。
「……クロラン」
苦痛に喘ぐクロランを、結城もまた苦しげな表情で見つめる。
「F‐06、殺せ」
再度指示を出すオスタケリオン。
クロランは血の涙を流しているが、その抵抗も空しく、跳躍のために姿勢を低くする。高速の突進から、結城とカメーリアを一気に切り裂こうとしていた。
「っ!」
「ッ!」
果たしてどちらが速かったのか。クロランの跳躍と、カメーリアが試験管を宙に投げたのはほぼ同時だった。
「『火』」
カメーリアが唱えた呪文によって、宙に投げられたうちの一本、『hydrogen』のラベルの試験管が反応する。
またも爆発を起こすかと思われたが、今度はほんの小さな火種程度の発火だった。
カメーリアが試験管と一緒に投げていた、手のひらサイズのカボチャ。その蔕に仕込まれた導火線を一気に燃え上がらせた。
「ガッ!?」
カボチャは結城たちに肉薄しようとしていたクロランの眼前で爆発した。だが、それによるダメージはほとんどなく、ピンク色の粉末が散布されただけに止まった。
「『風』」
カメーリアがもう一つの呪文を唱え、『vacuum state』の試験管が反応する。
そして今回は、まだ続きの呪文があった。
「『竜巻』」
クロランの周りの空気の流れが変化し、クロランを包むように渦を巻いた。
「ガアアア―――――――――グッ!?」
クロランを囲んだ空気の渦は、それほど強い威力を持っていなかった。その気になればあっさり突破してしまえるにもかかわらず、クロランは渦の中から一歩も動けなくなってしまった。
空気中に散布された粉末が、渦の中に巻き込まれ、それを吸い込んでしまったためだ。
「ガッ!? グッ!? ウウゥ……」
クロランは両肩をかき抱いて震えだし、視点も定まらずに眼球が忙しなく運動する。
「? 何が起こった?」
オスタケリオンにも、その現状が理解できない。
端末に表示されたシステムの送信強度は限界を超えている。その状態で命令を遵守できない理由が、オスタケリオンには思い当たらなかった。
「では小林くん。あなたがあの娘を救ってあげてください」
「……はい」
カメーリアにそう答えると、結城はクロランに向かって駆け出す。
「うああああ!」
クロランまで一足跳びで近づける距離。結城はそこで右手に持ったものを力強く突き出した。
結城の危機に現れたのは、喫茶『砂の魔女』の店主にして、現代に魔法を受け継ぐ魔女、カメーリア・アルヴス・雪洲だった。
だが、なぜカメーリアが乗船しているのか見当がつかず、結城は怪我のことも忘れてつい疑問を口に出していた。
「……それよりもこれを」
カメーリアは結城の質問には答えず、代わりに左手の中に収めていた物を投げてよこした。
「っと……これは?」
結城が受け取ったのは、小さな香水噴霧器だった。
「雪女の唾液から作った冷却止血剤ですわ。ただしかけ過ぎると凍傷になるので気をつけて」
「は、はい」
少しはぐらかされた気持ちになりつつ、結城は噴霧器の先端を指で押し、中の液体を左腕の傷にかけた。
(っ! ちょっと冷たいけど、これは……)
爪による左腕の傷はそれなりに深かったはずだが、二回ほど吹きつけただけで血は止まり、痛みもかなり和らいでいた。
カメーリアの作った止血剤の効果を実感した結城は、すぐに右脚の傷にも噴霧した。
「何者かな、君は?」
唐突に割って入ってきたカメーリアを、オスタケリオンは鋭い視線で射抜く。
「名乗れるほど名の通った者ではありませんわ」
止血している結城の壁となるように、カメーリアはオスタケリオンとクロランに杖を構え続ける。
「まぁ、よかろう。せめてシステムの限界値を測る実験に使ってやろう」
カメーリアを大きな脅威ではないと判断し、オスタケリオンは再び端末を口元に寄せる。
「F‐06、その女を殺せ」
「ガアアア!」
命令を受けたクロランが雄叫びを上げ、カメーリアに襲いかかろうと爪を振りかぶる。
カメーリアはその前に、袖の中から二本の試験管を取り出した。
「『火』」
カメーリアはそう唱えると、床を踏み切ろうとしていたクロランの足元で小さな爆発が起こった。
「ガッ!?」
踏み込みを遮られたクロランは、バランスを失って前のめりにくず折れる。
「『風』」
すかさずカメーリアが呪文を唱える。前に倒れかかったクロランを、今度は突風が襲って後方へと吹き飛ばした。
風の勢いをまともに受けたクロランは、プールサイドに何度も打ち付けられながら転がった。
「……その力、『魔法』か」
「ご明察」
冷静な分析によって答えを出したオスタケリオンに、カメーリアは静かに首肯した。
『魔法』と言うと聞こえはいいが、言葉ほど便利なものでないことを、カメーリアは誰よりも知っている。
『魔法』と呼ばれるものは、本来あるべき一連の現象を部分的に改変、置換し、発動の行程を歪曲させる術を指す。
例えば火を起こすために必要な燃焼物や火種を、予め用意しておいた対価や呪文といったものに置き換え、従来の着火よりも比較的速く発現させるという具合だった。
薪と火打石を使うのが常套手段だった時代であれば、人々にとってそれはまさに魔法であり、畏怖の念を集めていたことだろう。
しかし、マッチやライター、ガスコンロなどが開発されれば、魔法と呼ばれた御業も特別性を失っていく。
魔法もまたエネルギー保存の法則から逃れられず、長い研鑽が必要なことを考えれば、むしろ技術の進歩によってもたらされる文明の利器の方がはるかに使い勝手がいい。
かつては人智を超えた力ともてはやされた魔法が、時間と知恵の積み重ねにあっさり追い抜かれていく現状が、カメーリアにとっては小さな憂鬱だった。
だが、それでもカメーリアが『魔法』を捨てないのは、カメーリアの家系が追い求めてきた集大成以上に、カメーリアが懸けてきた労力や時間以上に、『道』が重要と考えていたからだ。
魔法でできることは少なくなりつつあるが、魔法でしかできないこともまだまだ世には存在する。
いつか世界が魔法を必要としなくなるその時までは、もてる魔法の力を最大限に役立ててみせる。
それが不死の妙薬の未完成品によって、現代にまで命を繋いでいる魔女カメーリアの、矜持であり信念だった。
「グウ……ウウゥ……」
唸り声を上げながらクロランが立ち上がる。震えているその足首は、カメーリアが放った魔法によって焼け爛れていた。
「『魔法』か。使う者などほとんどいなくなったと思っていたが。しかし、その程度で獣人兵器を止めることはできない」
オスタケリオンが視線を向けた先、クロランの足首を見た結城は息を呑んだ。
クロランが足首に負った火傷が、端からどんどん剥がれていっている。剥がれた部分からはすでに体毛が生えそろい、火傷した表皮が完全に剥離すると、足首は傷を負う前の状態に戻っていた。
(やはりこのくらいでは効きませんわね。でも……)
「カ、カメーリアさん! あれはクロランなんです! だから!」
クロランに対して再び杖を構えようとしたカメーリアに、結城は必死になって取り縋ろうとする。
だが、カメーリアはわずかに振り返ると、結城に優しげな微笑みを返した。
「心配いりませんわ、小林くん。あの娘のことは何とかして見せますから」
(そう、本命はここからですし)
カメーリアは左手に持っていた二本の試験管、『hydrogen』と『vacuum state』を投げ捨て、袖から新しく二本取り出した。
そして結城にだけ聞こえる小さな声で、何事かを呟いた。
「イレギュラーに余計な時間を使うつもりはない。早々にこの実験は幕を引かせてもらおう」
オスタケリオンはクロランの完治を確認すると、端末に向かって指示を出した。
「F‐06、その二人を速やかに殺せ」
今度は『Release The Safety』の項目にチェックを入れて。
「ガアアアア!」
頭を押さえたクロランが、これまでで一番大きな雄叫びを上げる。
「グゥ……グガアア!」
クロランの右腕が、苦悶し続けるクロランとは別の意思があるように攻撃態勢を取ろうとする。
「……クロラン」
苦痛に喘ぐクロランを、結城もまた苦しげな表情で見つめる。
「F‐06、殺せ」
再度指示を出すオスタケリオン。
クロランは血の涙を流しているが、その抵抗も空しく、跳躍のために姿勢を低くする。高速の突進から、結城とカメーリアを一気に切り裂こうとしていた。
「っ!」
「ッ!」
果たしてどちらが速かったのか。クロランの跳躍と、カメーリアが試験管を宙に投げたのはほぼ同時だった。
「『火』」
カメーリアが唱えた呪文によって、宙に投げられたうちの一本、『hydrogen』のラベルの試験管が反応する。
またも爆発を起こすかと思われたが、今度はほんの小さな火種程度の発火だった。
カメーリアが試験管と一緒に投げていた、手のひらサイズのカボチャ。その蔕に仕込まれた導火線を一気に燃え上がらせた。
「ガッ!?」
カボチャは結城たちに肉薄しようとしていたクロランの眼前で爆発した。だが、それによるダメージはほとんどなく、ピンク色の粉末が散布されただけに止まった。
「『風』」
カメーリアがもう一つの呪文を唱え、『vacuum state』の試験管が反応する。
そして今回は、まだ続きの呪文があった。
「『竜巻』」
クロランの周りの空気の流れが変化し、クロランを包むように渦を巻いた。
「ガアアア―――――――――グッ!?」
クロランを囲んだ空気の渦は、それほど強い威力を持っていなかった。その気になればあっさり突破してしまえるにもかかわらず、クロランは渦の中から一歩も動けなくなってしまった。
空気中に散布された粉末が、渦の中に巻き込まれ、それを吸い込んでしまったためだ。
「ガッ!? グッ!? ウウゥ……」
クロランは両肩をかき抱いて震えだし、視点も定まらずに眼球が忙しなく運動する。
「? 何が起こった?」
オスタケリオンにも、その現状が理解できない。
端末に表示されたシステムの送信強度は限界を超えている。その状態で命令を遵守できない理由が、オスタケリオンには思い当たらなかった。
「では小林くん。あなたがあの娘を救ってあげてください」
「……はい」
カメーリアにそう答えると、結城はクロランに向かって駆け出す。
「うああああ!」
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