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豪宴客船編

制裁

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「私を倒す気でいるようだが……それは私の顔を殴るよりもつまらん冗談だ」
 タッグを組んで挑もうとする結城ゆうき媛寿えんじゅに対し、オスタケリオンは静かな口調で吐き捨てた。
「その小さな家神の力が私に通じるなどと、淡い期待を持たぬことだ。単に屍狂魚ピラニアゾンビの餌が増えただけなのだからな」
「……えんじゅをばかにしたな? 『こごろー』といっしょにいたときおぼえた『じげんりゅう』みせてやる!」
 オスタケリオンの言葉に触発された媛寿は、『ごひゃくまんきろ掛矢ハンマー』を右側垂直に構える。さながら蜻蛉とんぼを取ろうと虫取り網を構えたように。
「あなたの方こそ、殴られる覚悟を決めるといい。僕たちが、思い切り痛いのをお見舞いしてあげます」
 結城も再びファイティングポーズを取り、オスタケリオンに対峙する。
 結城と媛寿、そしてオスタケリオン。仕切り直された場において、二人と一人がにらみ合う。
「てあっ!」
 まず動いたのは結城だった。オスタケリオンに向かって一直線に走り出し、右の拳を突き出すために腕を引く。
 それを見たオスタケリオンは。やはり落胆の吐息を漏らした。
(この男は見下げ果てる底だけは無いな。何の学習もなく拳を振るうだけとは)
 間合いに入った結城は突進の勢いを乗せた右ストレートを打つ。が、それを読みきっていたオスタケリオンは、あっさりと左腕で弾いた。
(ここで沈め、塵芥ちりあくたが)
 右ストレートを払われた結城のあごに、アッパーカットを叩き込もうとするオスタケリオン。
 しかし、オスタケリオンの拳が動くより早く、結城の左腕が先に動いていた。
 先程までは頭に血が上っていた結城だったが、オスタケリオンの実力差を痛感してから、一つ思い浮かんだことがあった。
 こういう時、媛寿ならどうするだろう。
 ただ攻めただけでは、オスタケリオンに軽くいなされてしまう。では媛寿ならどう攻めるだろうかと考えた時、結城は手の中にある物に気付いた。
 繰り返し打った右ストレートで、オスタケリオンはそれ以上の注意を払っていなかった。
 結城は左手に収めていた物を、オスタケリオンの顔前にかざした。
(?)
 結城の手に握られた小さな香水噴霧器の意味を、オスタケリオンは全く理解できなかった。
 カメーリアから与えられた、雪女の唾液から作った冷却止血剤の入った噴霧器のことを。
 結城は噴霧器のプッシュボタンを押し、中の薬液をオスタケリオンに浴びせた。
「な――――――ん!?」
 顔の左半分に強力な冷気を感じ、オスタケリオンは打つ寸前だったアッパーカットを止めた。
 オスタケリオンがひるんだすきを、結城は見逃さなかった。
(今だ!)
「とおあああ!」
 隙によってできた時間が許す限り、結城は噴霧器のプッシュボタンを連打した。
「ぐあっ!」
 カメーリアが使い過ぎを注意した止血剤を連続で浴び、オスタケリオンの顔半分はうっすらと凍りついてしまった。雪女の唾液を原料としているだけに、その凍結力は折り紙付きだった。
「ぐお……お」
 顔の半分を凍らされ、オスタケリオンは完全に決定打を逃してしまった。
 氷の張り付いた顔面を押さえながら、初めて味わう感覚に震えるオスタケリオン。
 それは屈辱。
 何をされたかは問題ではなく、馬糞以下と評した相手に慮外の反撃を許したことが、オスタケリオンに度し難い悔恨を植えつけた。
 これまでであれば、オスタケリオンは結城に対して落胆の感想しか持ちえなかった。
 だが、ここでオスタケリオンの精神は、計算も計画も無視した、一つの思考に飲まれそうになった。
(殺してやる!)
「あああ!」
 他のことも先のことも関係なく、オスタケリオンは結城を殺すという感情と目的のために拳を振るおうとした。
 しかし、それがあだとなって周りへの注意力までき消えてしまった。
「ちぇえええすとおおお!」
 オスタケリオンの左側に回りこんだ媛寿が、掛矢を頭頂に叩き込むべく振り下ろす。
「がっ!?」
 間一髪、掛矢の一撃を右の手甲で防いだのは、オスタケリオンにとって僥倖ぎょうこうだった。代わりに手甲についた亀裂はますます大きく拡がった。
「……同じ手が通じるなどと、君もあの男と同じ――――――」
 オスタケリオンが媛寿をなじろうとするも、媛寿は受け止められた掛矢をあっさりと手放した。
「なっ!?」
 媛寿はオスタケリオンの足元まで素早く距離を詰めると、左袖に右手を突っ込み、もう一つの得物を取り出した。『いちまんきろ』とマジックで書かれた、木製の小槌こづちが握られていた。
「すまっしゅ!」
 小槌を右から左へ振りぬき、媛寿はオスタケリオンの向こうずねを打撃した。
「ぐっ!」
 オスタケリオンの脛骨は、小槌の一撃でぽきりと折れた。
 媛寿の脳裏にかつて聞いた言葉が浮かび上がる。
 『時勢に応じて己を変革するんが肝心ぜよ』。
 その言葉通り、媛寿は掛矢の一撃を受けられたら、そこにこだわることなく小槌による攻撃に切り替えた。
「この……矮小わいしょうな家神の分際で――――――」
「たあああ!」
 オスタケリオンが媛寿の首筋を掴もうとする前に、結城が雄叫びを上げて肉薄する。固く握った右拳をたずさえて。
「くっ!」
 避けようとするオスタケリオン。だが、左目は凍結のせいで視界が効かず、左足は脛骨が折れてしまっている。健常時と比べれば圧倒的に動きが悪い。
 状況を打開する唯一の方法は、結城の右ストレートに合わせて、同じく右ストレートをぶつけること。結城の素拳とオスタケリオンの手甲をはめた拳ならば、オスタケリオンが充分に打ち勝てる。
「ぐ……おおお!」
 見下していた結城と同じ攻撃で対抗するのはしゃくではあったが、オスタケリオンも背に腹は変えられず、右拳を振るおうとする。
 そのために踏ん張った右足に、釣り用のおもりが付いた釣り糸が巻きついた。
(なっ!?)
 確かめる間もなくオスタケリオンの右足は引っ張られ、迎撃態勢を完全に崩された。
 バランスを失って倒れかける直前、オスタケリオンの視界には、釣り糸の伸びたリールを持つ媛寿のあっかんべーが映った。
「とおあ!」
 結城と媛寿のタッグにしてやられたオスタケリオンの顔に、二人の怒りを代弁する拳がえぐりこむように入った。
「ぐっはあ!」
 左顔面を覆っていた氷が砕け、受身の体勢さえ取れなかったオスタケリオンは、プールサイドに背中から倒れこんだ。
「ぐ……うぅ……」
 単純な攻撃力でいえば、結城の拳はオスタケリオンにそれほど効いたわけではない。
 オスタケリオンに最もダメージを与えたのは、敗北どころか一撃さえ許すことはないと評価していた結城に、文句なしの拳を叩きこまれたという事実だった。
 何の武器も持っていない。拳鍔ナックルダスターさえ付けていない、ただの拳。
 原初にして直線的、つ人間が生まれた瞬間から持っている攻撃手段。
 個人の実力が最も反映される拳という武器によって、地に背をつける結果となったオスタケリオンは、痛覚以上に大きなダメージを、屈辱を受ける羽目になった。
「こ、こんな……馬糞にすら劣る人間にいぃ!」
 宣言通りに結城に殴られたことにいきどおるオスタケリオン。
 すぐに身を起こして反撃しようとするが、
「おおりゃああ!」
 そんな間を与えまいと、媛寿が『いちまんきろ小槌』を振り上げて突進してくる。
「でもってこれが! えんじゅとくろらんのぶん!」
 上半身を起こしたオスタケリオンの旋毛つむじに、特大のタンコブをこさえてやろうと跳び上がる媛寿。
「てんちゅ~!」
 重力加速も加えて小槌を振り下ろすが、またも右腕の手甲を盾代わりにして防がれてしまった。手甲に入っていた亀裂は、これによって全体に行き渡った。
「貴様も……調子に乗るなあぁ!」
「ふわああ!」
 小槌を受け止め、媛寿の襟元えりもとを掴んだオスタケリオンは、腹立ちまぎれに遊泳用プールに投げ飛ばした。
「媛寿!」
 着水前に媛寿を抱き止めるも、結城もまた一緒にプールに落ちてしまった。幸い、遊泳用プールには屍狂魚ピラニアゾンビは放たれていなかった。
 プールの水に沈みながら、媛寿は結城の腕の中である言葉を思い出していた。
『事を成すのはその人の弁舌や才智ではなく、その人の魅力だ』。
 黒船を見に行ったついでに京都でしばらくはぐれ座敷童子ざしきわらしをしていた時、媛寿が面白いと目した集団をまとめ上げていた人物が言っていたことだ。
 人であろうと神であろうと獣人であろうと、助けたい一心で火中にさえ飛び込む結城。
 そういう部分に惹かれるからこそ、小林結城という人間の元を離れられないのだと想い、媛寿は結城の服の胸元を強く握った。
 左手の中にあった、知恵の輪に似た金属製のピンとともに。

「つくづく愚かな。だが、水面に上がってきたら顔の皮を引き剥がして――――――」
 結城がプールから出てくるところを狙い、オスタケリオンはひびだらけの手甲を構える。が、後方に重たい落下音を感じ、言葉を切って振り返った。
 そこにはパイナップル型の手榴弾が一個、ころころと転がっていた。ご丁寧にピンは抜かれ、レバーも外れている。
「っ!」
 オスタケリオンの脳裏に、なぜそこに手榴弾があるのか、という疑問の答えが瞬時に算出される。
 媛寿がプールに投げ飛ばされる際、左袖から手榴弾を取り出し、ピンを抜き、オスタケリオンが警戒していなかった上空に放り投げる状景。
 その手榴弾は覚獲かくえとの闘いの際、偶然迷い込んだ兵器保管庫からかすめ取っていた代物であろうという推測。
 ただ、それ以上に問題となるのは、すでに手榴弾の延期時間はゼロに近かったということだ。
 船上プール施設の真ん中で、炸裂音が轟き、爆煙が一気に立ち込める。同時に爆風に押し出され、飛び込み用プールに何かが派手に着水した。
「相変わらず無茶なことしますわ。解除レリーズ
 風で作った防御障壁を解き、カメーリアは構えていた杖を下ろした。
「で~も~、そーゆーところも媛寿ちゃんはカ~ワユ~イのですよ~」
 九本の尾を自らに巻きつけることで爆風を防いだキュウも、再び放射状に尾を展開する。
「ぷっは!」
 手榴弾の爆発から数秒遅れて、媛寿を抱えた結城が水面に顔を出した。
「今すごい音がしたけど、いったい何が?」
「さあ?」
 突然の爆発に首をかしげる結城をよそに、媛寿は素知らぬふりで手榴弾のピンを袖にしまいこんだ。
「あれ?」
 遊泳用プールから上がった結城は、周りを見渡してオスタケリオンがいないことに気付いた。
 爆煙はとうに散り、手榴弾が炸裂した場所には小さなクレーターがあるだけで、仇敵の姿が影も形もない。
「どこに行ったんだろ?」
「まだ巨大サメジョーズつってないのに」
 結城と媛寿がプール施設を見回していると、飛び込み用プールから手甲をはめた右腕が上がってきた。
 プールのふちを掴み、水中から這い上がってきたその姿に、結城と媛寿は揃って目を丸くした。
 オスタケリオンは体中を屍狂魚ピラニアゾンビに食いつかれてしまっているが、なぜか屍狂魚ピラニアゾンビはオスタケリオンの肉を食いちぎることができず、噛みついたままぶら下がっている。
 そんな様相に成り果てても、オスタケリオンは結城たちへの殺意を絶えさせていない。
 手甲の右手を握ろうとした時、皹だらけになっていた手甲がきしみを上げた。
 媛寿の三度に渡る打撃と、手榴弾の爆発から身を守る盾にしたために、ついには形状を保てなくなってしまった。
 砕け散った手甲は、ただの黒い金属片となって床に降り注いだ。
 あらわになったオスタケリオンの右手に、結城は息を飲み、媛寿は眉根を寄せた。
 右手の指先から肘にかけて、オスタケリオンのその部分は、皮も肉もない、まぎれもない白骨と化していた。
「ど、どうなってるんだ?」
 オスタケリオンの右手を見た結城は困惑した。おそらく屍狂魚ピラニアゾンビのせいではないと思われるが、それにしても右手が骨になっているというのは、どう考えても不自然な光景だった。そもそも手甲をはめたオスタケリオンの右手は、自在に動いていたはずなのに。
「スパルトイ」
「え?」
 異形の右手に戸惑う結城の横から、カメーリアが一言つぶやいた。
「あなた、骨兵スパルトイですわね」
 カメーリアの言葉を聞き、オスタケリオンは苦々しげに目元をゆがめた。
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