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豪宴客船編
大海の魔物
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「うわっ! な、何!?」
「とっとっと」
突然船体を揺るがした衝撃に、結城と媛寿はバランスを崩しかかった。
何とか転ばずに耐え切ると、今度は海面を割って船上に伸びてくるものがあった。
クイーン・アグリッピーナ号の全高を優に超える長さのそれは、雨のように水飛沫を降らせると、結城たちの遥か頭上に屹立した。
星明り、船体の灯り、プール施設の照明によって、それの輪郭が浮かび上がる。
端的に言えば、それは触手だった。もっと言えば、見覚えのある吸盤が並んでいる様から、イカやタコの足だとすぐに分かった。
ただし、長さは言わずもがな、太さも結城が両手を伸ばしても足りないほどに太い。
そんな桁違いの下足を目の当たりにして、結城は思わず『映画にこんなのいたな~』と、呑気な感想を心の中で述べていた。
「ゆうき! あぶない!」
「おわっ!」
巨大下足の迫力に呆けていた結城を、媛寿が手を引っ張ってその場から動かす。
媛寿の行動がもう少し遅ければ、鞭のように振るわれた巨大下足に結城は叩き潰されていた。
「あ、危なかった~。ありがと媛寿」
「む~、ゆうきをねらったなイカ怪獣め~」
結城を潰そうとした巨大下足を、『三大海獣・南海最大の決戦』に登場した怪獣に喩えて睨みつける媛寿。
「獣人兵器紛失の代わりにデモンストレーションする予定で用意していたが、まさかこんな形で役に立つとはな!」
狂気に取り憑かれたオスタケリオンの背後から、下足よりもさらに巨大な影が立ち上がろうとしていた。
錨型の鋭い頭部。全方位を見渡せるように配置された複眼。下足とは別で胴体部を囲って生えた無数の細い触手。
大まかなシルエットで考えれば、巨大なイカの怪獣と形容できた。しかし、その細部も加えるならば、この世のものとは思えない、紛れもない海の怪物だった。
「深海魔!? ありえませんわ! とっくの昔に絶滅しているはず……」
現れたイカの怪物を指して、カメーリアはやや狼狽えながら叫ぶ。
「化石から抽出した細胞を現生の深海生物に移植したのだ! 原種には一歩及ばんが、どんな軍艦であろうとこれを倒すことはできん!」
哄笑し続けるオスタケリオンの胴体を、一本の巨大下足が締め上げる。
骨が砕かれる音を立てながら、オスタケリオンはクラーケンの本体まで運ばれていった。
「私からの手向けだ、『ゆうき』くん! その船を棺として与えよう! この海域で永久に眠りにつくがいい!」
クラーケンの複眼と触手群の間が縦に裂け、小山のような歯が生え揃った口が出現する。
「クイーン・アグリッピーナ号が辿った航路を教えておこう! ドラゴン・トライアングルだ!」
魔窟を思わせるクラーケンの口腔へ、オスタケリオンの身体はあっさりと吸い込まれていった。
「あっ、まて! えんじゅイカ怪獣つりたいんじゃない! 巨大サメつりたいのに!」
「そ、そこ拘るんだ媛寿……」
飛び跳ねながら抗議する媛寿を横目に、結城は眼前の怪物、クラーケンをどうするべきか考えた。
意外にも結城の精神は平静を保っていた。ここまで巨大な相手だと、逆に現実感が薄れてしまうのかもしれない。
ただ、それでもクイーン・アグリッピーナ号を沈めるに足る脅威であることに変わりない。
単純に取り得る手段としては、逃げるのが一番だった。
狼人間から戻ったクロランはまだ目覚めておらず、媛寿もRevoビタンZでドーピングしているとはいえ、三連戦の後だ。
結城自身も止血はしたが、左腕と右脚に深い裂傷を負ってしまっている。
アテナ、マスクマン、シロガネと合流できていないどころか、どこでどういう状態かも分からない。
これでクラーケンに挑むとなれば、流石の結城も無謀と思うほかない。
賢明に判断するならば、早々に逃げる方が断然いい。
しかし、
(……)
それが取り得る最善と解っていても、まだ結城の決断を止めているものが一つあった。
「ゆうき! あれ!」
「えっ!?」
媛寿の声で我に返る結城。そして人差し指で指し示されている場所を見上げた。
クラーケンの巨大な錨に似た形の頭頂。そこにある変化が現れていた。
まるで切れ目を入れたように、頭頂から複眼のすぐ上まで、一筋の線が入っている。
くっきりと浮かんでいるその筋は、最初に見た時にはなかったはずだ。
結城たちが不可解に思っていると、クラーケンは身体を不規則にくねらせ始めた。
「? 何だ?」
クラーケンの様子を疑問に思う結城。
だが、その答えはすぐに示された。
筋が入った部分から、クラーケンの頭が不気味な音を立てて割れたのだ。
「いっ!?」
「げぇ!」
あまりの出来事に結城と媛寿は揃って声を上げた。
巨大なイカの頭が唐突に割れるというだけでも衝撃的だが、事はそれだけでは終わらなかった。
裂けた傷口の間から、#耳障_みみざわ__#りな水音を立てて何かが生えてきた。
まず見えたのは、鋭い牙が並ぶ口だった。それも先程クラーケンが開けた口とは違い、既存の生物の口に近い。
次に現れたのは赤く血走った眼だった。その色合いは鋭い牙と相まって、獲物を求めて興奮と飢餓に支配されているようにすら感じる。
ここまでの特徴が見えてくれば、クラーケンの割れた頭部から何が生成されたのか、結城たちにも分かってきた。
飛び込み用プールで肉が投下されるのを血眼で待っていた、屍狂魚の顔そのものだった。
結城たちはすぐに、オスタケリオンの身体中に食いついていた屍狂魚に思い至った。
原理は不明だが、オスタケリオンとともに取り込んだピラニアの特徴が、クラーケンの姿に反映されてしまったのかもしれない。
だが、そう思案している間にも、不気味な変身はまだ止まらない。
ようやくピラニアの頭部がせり出すと、今度はその首元が伸び始めた。
蛇の身体よろしく伸びていったその容姿は、顔はピラニアでありながら蛇のように長いシルエットを持つ、気味の悪い海竜へと変貌を遂げた。それも下半身には複眼といくつもの触手を持っている。
「……ゆうき、びーきゅうえいがでこんなのいなかった?」
「いたような……いなかったような……」
媛寿と結城がそんなやりとりをしていると、得体の知れない合成生物と化したクラーケンが、鎌首をもたげて結城たちを見据えた。
「ん?」
結城はクラーケンの頭部、もといピラニア部の頭頂に、もう一つ変化があることに気付いた。
これまでの変身行程と比べれば小さなものだが、ピラニアの頭部から何かが這い出そうとしていた。
ほんのわずかに開いた割れ目から、二本の腕が伸びてきていた。それも白骨化した腕だった。
それは割れ目の両脇に手をかけると、残りの部分を押し出そうと力をかけた。
這い出てきたのは白骨化した人間の上半身だった。
しかし、完全な白骨ではなく、頭蓋骨の左半分には、まだ人間の顔が残っていた。
結城たちはその顔を知っている。
クラーケンに飲み込まれた、オスタケリオンの顔だったからだ。
「シャアアア!」
大半が白骨と化したオスタケリオンの精神は、すでにその姿同様に亡者へと変わっていた。
結城たちを消去するという妄執に取り憑かれ、怪物にさえ身をやつしたオスタケリオンに、結城は大海の魔物以上の恐ろしさと憐れみを覚えていた。
「カアアアア!」
オスタケリオンが右腕を振るう。それに呼応して、巨大な触手の一本が持ち上がった。
「ケアアアア!」
オスタケリオンの咆哮で、持ち上がった触手が大きく振り下ろされる。
鞭のようにしなる触手が落ちる先には、丸腰のままの結城が立っていた。
「へ? え? うわああ!」
「ゆうき! あぶない!」
結城の危機に媛寿が跳躍するが、よしんぼ結城を突き飛ばしたとしても、触手の攻撃範囲から逃れることは難しい。
それどころか触手の方が速すぎて、媛寿も結城も触手に叩き潰されてしまう。
「媛寿!」
結城は咄嗟に媛寿を抱えて背を向けた。
ほとんど効果はないかもしれないが、何とか自身を媛寿の盾にしようとする結城。
目を固く瞑ったまま、背中側に強い衝撃を感じたが、結城は特に痛みもなく、ましてや触手に潰されたわけでもなかった。
(? 何だ?)
不思議に思い、目を開けて後ろを振り向くと、鉄パイプや鉄骨をはじめとした様々な鉄材が、複雑に入り組んで屋根のように結城たちを守っていた。
「これって……」
「そろそろ潮時かもしれませんよ、結城さん」
聞こえてきたのはキュウの声だった。だが、いつもの掴みどころのない間延びした口調ではなく、どこか冷淡にすら感じる話し方になっている。
「キュウ様?」
キュウが扇を上に振るうと、鉄材の屋根が勢いよく弾け、受け止めた触手も押し返した。
「カメーリア、逃げるための準備はできてますね?」
「いつでも飛ばせますわ。定員も……ギリギリ何とかなるでしょう」
「では先に乗って合図を待っててください。それまでは船が沈まないように保たせますから」
「分りましたわ。小林くん、この娘は先に連れて行きます。あなたたちもなるべく早くに」
「え……ええ」
クロランを抱えたカメーリアはプール施設を後にするのを見送ると、結城はキュウへと向き直った。キュウにしても、結城にしても、まだ話したいことがあったからだ。
「結城さん、あなたたちがどういう依頼を受けているかは知りませんが、もうこの辺にしておくのがいいと思いますよ。何も無茶してこんな怪物を相手にすることもないわけですし」
そう話しながらも、キュウは再び振り下ろされた触手を、扇から出した炎で迎撃する。
「アテナ様や他の皆さんを呼んでくる程度の時間は稼ぎますから、早く探して車両保管庫に向かってください」
今度は二本同時に放たれた触手の攻撃を、キュウは金縛りにして停止させた。
「そこでカメーリアも待ってますから―――」
「この船に乗ってる他の人たちはどうなるんですか?」
承諾でも拒否でもなく、結城は純粋にその質問を口にした。それは結城に撤退を躊躇させていた唯一の、そして最大の理由でもあったからだ。
「……言っておきますけど結城さん、あなたが見たのはこの船のほんの一部分ですよ? この船に集まっているのは、他者の血を美酒とし、命を慰みものにするを当然と考える人面獣心の輩。そのような者たちが救うに値すると?」
振り返って結城を見たキュウの目は、これまでの茶目っ気とは打って変わり、心臓を鷲掴みにされるような冷たい光を放っていた。その状態のキュウならば、命を見放すことも、奪うことも、眉一つ動かすことなくやってのけるだろうと思えるほどに。
「少なくとも九尾の狐としては、小林結城の方がよほど救う価値ありと見ますけど」
「確かにそうかもしれません」
伝説の怪物クラーケンを前にして、それが伝説以上の化け物となって船を沈めようとしている状況にあって、結城は非常に穏やかに、静かにそう返した。ただただキュウと真剣に話がしたいという一心で。
「この船に乗って、この船の黒い部分を見て、僕も人間への価値観が揺らぎそうになりました。これまでもいろいろ見てきたつもりでしたけど、今回のは特にショックでした」
結城は媛寿を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「この船に乗ってる人たちは、叩けばもっと汚いものが出てくるだろうし、それはきっと人として絶対に許せないことなんだろうって思います。命で贖えって言われても文句が言えないくらいに」
己の脚でしっかりと立ち上がった結城は、キュウと視線を合わせた。その目は罪に対する厳しさを持ちながら、同時に何かしらの強い信念を内包していた。
「でも、そんな人たちであろうと、何もせずに見捨てるなんてこと、僕はしたくありません」
人の世を混沌に陥れることも可能な大妖怪を前に、結城は臆することなくそう告げた。
「たとえ法の手に委ねても、おそらくまともに裁かれもせずに無罪放免になると分かっている者たちですよ?」
「それでも僕は、何ら助けようともせずに見捨てた人間になりたくありません。その人たちのためっていうんじゃない。明日の僕に顔向けできないようなことをしたくないんです」
「……」
結城の言葉を聞いた後、キュウは数秒間、何も言わずに結城を見つめ続けた。
「ごめんなさい、キュウ様。すごく我が儘なこと言ってるのは解ってるんです。でも……」
「ふ……ふふ……くすくす……うふふ……」
申し訳なさから謝る結城だったが、なぜかキュウは扇で口元に隠し、含み笑いに震えていた。
「くふふふ、やっぱり面白い人間ですね~、結城さんは~」
満面の笑みを見せたキュウの口調は、いつもの間延びしたものに戻っていた。その意外な反応に、結城は申し訳なさを忘れて呆気に取られていた。
「よろしいですよ~。クラーケン、何とかしちゃいましょ~」
扇をたたみ、その先端で後ろのクラーケンを指し示すキュウ。そこへ再び巨大な触手が振るわれる。
「ちょうど助っ人さんも来たところですから~」
触手が届く直前、それは流星のような強力な蹴りを受けて弾き飛ばされた。
「とおああ!」
火点ライダーさながらの跳び蹴りでもって現れたのは、クイーン・アグリッピーナ号内部をショートカットしてやって来たアテナだった。
「くすくす……ではこのイカを料理しちゃいましょう~」
「とっとっと」
突然船体を揺るがした衝撃に、結城と媛寿はバランスを崩しかかった。
何とか転ばずに耐え切ると、今度は海面を割って船上に伸びてくるものがあった。
クイーン・アグリッピーナ号の全高を優に超える長さのそれは、雨のように水飛沫を降らせると、結城たちの遥か頭上に屹立した。
星明り、船体の灯り、プール施設の照明によって、それの輪郭が浮かび上がる。
端的に言えば、それは触手だった。もっと言えば、見覚えのある吸盤が並んでいる様から、イカやタコの足だとすぐに分かった。
ただし、長さは言わずもがな、太さも結城が両手を伸ばしても足りないほどに太い。
そんな桁違いの下足を目の当たりにして、結城は思わず『映画にこんなのいたな~』と、呑気な感想を心の中で述べていた。
「ゆうき! あぶない!」
「おわっ!」
巨大下足の迫力に呆けていた結城を、媛寿が手を引っ張ってその場から動かす。
媛寿の行動がもう少し遅ければ、鞭のように振るわれた巨大下足に結城は叩き潰されていた。
「あ、危なかった~。ありがと媛寿」
「む~、ゆうきをねらったなイカ怪獣め~」
結城を潰そうとした巨大下足を、『三大海獣・南海最大の決戦』に登場した怪獣に喩えて睨みつける媛寿。
「獣人兵器紛失の代わりにデモンストレーションする予定で用意していたが、まさかこんな形で役に立つとはな!」
狂気に取り憑かれたオスタケリオンの背後から、下足よりもさらに巨大な影が立ち上がろうとしていた。
錨型の鋭い頭部。全方位を見渡せるように配置された複眼。下足とは別で胴体部を囲って生えた無数の細い触手。
大まかなシルエットで考えれば、巨大なイカの怪獣と形容できた。しかし、その細部も加えるならば、この世のものとは思えない、紛れもない海の怪物だった。
「深海魔!? ありえませんわ! とっくの昔に絶滅しているはず……」
現れたイカの怪物を指して、カメーリアはやや狼狽えながら叫ぶ。
「化石から抽出した細胞を現生の深海生物に移植したのだ! 原種には一歩及ばんが、どんな軍艦であろうとこれを倒すことはできん!」
哄笑し続けるオスタケリオンの胴体を、一本の巨大下足が締め上げる。
骨が砕かれる音を立てながら、オスタケリオンはクラーケンの本体まで運ばれていった。
「私からの手向けだ、『ゆうき』くん! その船を棺として与えよう! この海域で永久に眠りにつくがいい!」
クラーケンの複眼と触手群の間が縦に裂け、小山のような歯が生え揃った口が出現する。
「クイーン・アグリッピーナ号が辿った航路を教えておこう! ドラゴン・トライアングルだ!」
魔窟を思わせるクラーケンの口腔へ、オスタケリオンの身体はあっさりと吸い込まれていった。
「あっ、まて! えんじゅイカ怪獣つりたいんじゃない! 巨大サメつりたいのに!」
「そ、そこ拘るんだ媛寿……」
飛び跳ねながら抗議する媛寿を横目に、結城は眼前の怪物、クラーケンをどうするべきか考えた。
意外にも結城の精神は平静を保っていた。ここまで巨大な相手だと、逆に現実感が薄れてしまうのかもしれない。
ただ、それでもクイーン・アグリッピーナ号を沈めるに足る脅威であることに変わりない。
単純に取り得る手段としては、逃げるのが一番だった。
狼人間から戻ったクロランはまだ目覚めておらず、媛寿もRevoビタンZでドーピングしているとはいえ、三連戦の後だ。
結城自身も止血はしたが、左腕と右脚に深い裂傷を負ってしまっている。
アテナ、マスクマン、シロガネと合流できていないどころか、どこでどういう状態かも分からない。
これでクラーケンに挑むとなれば、流石の結城も無謀と思うほかない。
賢明に判断するならば、早々に逃げる方が断然いい。
しかし、
(……)
それが取り得る最善と解っていても、まだ結城の決断を止めているものが一つあった。
「ゆうき! あれ!」
「えっ!?」
媛寿の声で我に返る結城。そして人差し指で指し示されている場所を見上げた。
クラーケンの巨大な錨に似た形の頭頂。そこにある変化が現れていた。
まるで切れ目を入れたように、頭頂から複眼のすぐ上まで、一筋の線が入っている。
くっきりと浮かんでいるその筋は、最初に見た時にはなかったはずだ。
結城たちが不可解に思っていると、クラーケンは身体を不規則にくねらせ始めた。
「? 何だ?」
クラーケンの様子を疑問に思う結城。
だが、その答えはすぐに示された。
筋が入った部分から、クラーケンの頭が不気味な音を立てて割れたのだ。
「いっ!?」
「げぇ!」
あまりの出来事に結城と媛寿は揃って声を上げた。
巨大なイカの頭が唐突に割れるというだけでも衝撃的だが、事はそれだけでは終わらなかった。
裂けた傷口の間から、#耳障_みみざわ__#りな水音を立てて何かが生えてきた。
まず見えたのは、鋭い牙が並ぶ口だった。それも先程クラーケンが開けた口とは違い、既存の生物の口に近い。
次に現れたのは赤く血走った眼だった。その色合いは鋭い牙と相まって、獲物を求めて興奮と飢餓に支配されているようにすら感じる。
ここまでの特徴が見えてくれば、クラーケンの割れた頭部から何が生成されたのか、結城たちにも分かってきた。
飛び込み用プールで肉が投下されるのを血眼で待っていた、屍狂魚の顔そのものだった。
結城たちはすぐに、オスタケリオンの身体中に食いついていた屍狂魚に思い至った。
原理は不明だが、オスタケリオンとともに取り込んだピラニアの特徴が、クラーケンの姿に反映されてしまったのかもしれない。
だが、そう思案している間にも、不気味な変身はまだ止まらない。
ようやくピラニアの頭部がせり出すと、今度はその首元が伸び始めた。
蛇の身体よろしく伸びていったその容姿は、顔はピラニアでありながら蛇のように長いシルエットを持つ、気味の悪い海竜へと変貌を遂げた。それも下半身には複眼といくつもの触手を持っている。
「……ゆうき、びーきゅうえいがでこんなのいなかった?」
「いたような……いなかったような……」
媛寿と結城がそんなやりとりをしていると、得体の知れない合成生物と化したクラーケンが、鎌首をもたげて結城たちを見据えた。
「ん?」
結城はクラーケンの頭部、もといピラニア部の頭頂に、もう一つ変化があることに気付いた。
これまでの変身行程と比べれば小さなものだが、ピラニアの頭部から何かが這い出そうとしていた。
ほんのわずかに開いた割れ目から、二本の腕が伸びてきていた。それも白骨化した腕だった。
それは割れ目の両脇に手をかけると、残りの部分を押し出そうと力をかけた。
這い出てきたのは白骨化した人間の上半身だった。
しかし、完全な白骨ではなく、頭蓋骨の左半分には、まだ人間の顔が残っていた。
結城たちはその顔を知っている。
クラーケンに飲み込まれた、オスタケリオンの顔だったからだ。
「シャアアア!」
大半が白骨と化したオスタケリオンの精神は、すでにその姿同様に亡者へと変わっていた。
結城たちを消去するという妄執に取り憑かれ、怪物にさえ身をやつしたオスタケリオンに、結城は大海の魔物以上の恐ろしさと憐れみを覚えていた。
「カアアアア!」
オスタケリオンが右腕を振るう。それに呼応して、巨大な触手の一本が持ち上がった。
「ケアアアア!」
オスタケリオンの咆哮で、持ち上がった触手が大きく振り下ろされる。
鞭のようにしなる触手が落ちる先には、丸腰のままの結城が立っていた。
「へ? え? うわああ!」
「ゆうき! あぶない!」
結城の危機に媛寿が跳躍するが、よしんぼ結城を突き飛ばしたとしても、触手の攻撃範囲から逃れることは難しい。
それどころか触手の方が速すぎて、媛寿も結城も触手に叩き潰されてしまう。
「媛寿!」
結城は咄嗟に媛寿を抱えて背を向けた。
ほとんど効果はないかもしれないが、何とか自身を媛寿の盾にしようとする結城。
目を固く瞑ったまま、背中側に強い衝撃を感じたが、結城は特に痛みもなく、ましてや触手に潰されたわけでもなかった。
(? 何だ?)
不思議に思い、目を開けて後ろを振り向くと、鉄パイプや鉄骨をはじめとした様々な鉄材が、複雑に入り組んで屋根のように結城たちを守っていた。
「これって……」
「そろそろ潮時かもしれませんよ、結城さん」
聞こえてきたのはキュウの声だった。だが、いつもの掴みどころのない間延びした口調ではなく、どこか冷淡にすら感じる話し方になっている。
「キュウ様?」
キュウが扇を上に振るうと、鉄材の屋根が勢いよく弾け、受け止めた触手も押し返した。
「カメーリア、逃げるための準備はできてますね?」
「いつでも飛ばせますわ。定員も……ギリギリ何とかなるでしょう」
「では先に乗って合図を待っててください。それまでは船が沈まないように保たせますから」
「分りましたわ。小林くん、この娘は先に連れて行きます。あなたたちもなるべく早くに」
「え……ええ」
クロランを抱えたカメーリアはプール施設を後にするのを見送ると、結城はキュウへと向き直った。キュウにしても、結城にしても、まだ話したいことがあったからだ。
「結城さん、あなたたちがどういう依頼を受けているかは知りませんが、もうこの辺にしておくのがいいと思いますよ。何も無茶してこんな怪物を相手にすることもないわけですし」
そう話しながらも、キュウは再び振り下ろされた触手を、扇から出した炎で迎撃する。
「アテナ様や他の皆さんを呼んでくる程度の時間は稼ぎますから、早く探して車両保管庫に向かってください」
今度は二本同時に放たれた触手の攻撃を、キュウは金縛りにして停止させた。
「そこでカメーリアも待ってますから―――」
「この船に乗ってる他の人たちはどうなるんですか?」
承諾でも拒否でもなく、結城は純粋にその質問を口にした。それは結城に撤退を躊躇させていた唯一の、そして最大の理由でもあったからだ。
「……言っておきますけど結城さん、あなたが見たのはこの船のほんの一部分ですよ? この船に集まっているのは、他者の血を美酒とし、命を慰みものにするを当然と考える人面獣心の輩。そのような者たちが救うに値すると?」
振り返って結城を見たキュウの目は、これまでの茶目っ気とは打って変わり、心臓を鷲掴みにされるような冷たい光を放っていた。その状態のキュウならば、命を見放すことも、奪うことも、眉一つ動かすことなくやってのけるだろうと思えるほどに。
「少なくとも九尾の狐としては、小林結城の方がよほど救う価値ありと見ますけど」
「確かにそうかもしれません」
伝説の怪物クラーケンを前にして、それが伝説以上の化け物となって船を沈めようとしている状況にあって、結城は非常に穏やかに、静かにそう返した。ただただキュウと真剣に話がしたいという一心で。
「この船に乗って、この船の黒い部分を見て、僕も人間への価値観が揺らぎそうになりました。これまでもいろいろ見てきたつもりでしたけど、今回のは特にショックでした」
結城は媛寿を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「この船に乗ってる人たちは、叩けばもっと汚いものが出てくるだろうし、それはきっと人として絶対に許せないことなんだろうって思います。命で贖えって言われても文句が言えないくらいに」
己の脚でしっかりと立ち上がった結城は、キュウと視線を合わせた。その目は罪に対する厳しさを持ちながら、同時に何かしらの強い信念を内包していた。
「でも、そんな人たちであろうと、何もせずに見捨てるなんてこと、僕はしたくありません」
人の世を混沌に陥れることも可能な大妖怪を前に、結城は臆することなくそう告げた。
「たとえ法の手に委ねても、おそらくまともに裁かれもせずに無罪放免になると分かっている者たちですよ?」
「それでも僕は、何ら助けようともせずに見捨てた人間になりたくありません。その人たちのためっていうんじゃない。明日の僕に顔向けできないようなことをしたくないんです」
「……」
結城の言葉を聞いた後、キュウは数秒間、何も言わずに結城を見つめ続けた。
「ごめんなさい、キュウ様。すごく我が儘なこと言ってるのは解ってるんです。でも……」
「ふ……ふふ……くすくす……うふふ……」
申し訳なさから謝る結城だったが、なぜかキュウは扇で口元に隠し、含み笑いに震えていた。
「くふふふ、やっぱり面白い人間ですね~、結城さんは~」
満面の笑みを見せたキュウの口調は、いつもの間延びしたものに戻っていた。その意外な反応に、結城は申し訳なさを忘れて呆気に取られていた。
「よろしいですよ~。クラーケン、何とかしちゃいましょ~」
扇をたたみ、その先端で後ろのクラーケンを指し示すキュウ。そこへ再び巨大な触手が振るわれる。
「ちょうど助っ人さんも来たところですから~」
触手が届く直前、それは流星のような強力な蹴りを受けて弾き飛ばされた。
「とおああ!」
火点ライダーさながらの跳び蹴りでもって現れたのは、クイーン・アグリッピーナ号内部をショートカットしてやって来たアテナだった。
「くすくす……ではこのイカを料理しちゃいましょう~」
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