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竜の恩讐編

雨と血

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「けんとうちがいって……どういういみ――――――っ!」
 千春ちはるの言葉の意味を理解できなかった媛寿えんじゅだが、ほんの一瞬だけ、嫌な予感が脳裏をぎった。
 それは結城ゆうきと一緒にいたラナン・キュラスを、初めて盗み見た時、心のどこかで感じていたものを増大させた感覚だった。
 結城を尾行した罪悪感に押しやられて見逃していたが、それは確かに媛寿に危険をげていたのだ。
 ラナン・キュラスが、結城に悪い何かをもたらす、と。
「ゆうきっ!」
「待った♪」
「っ!?」
 不安に駆られて結城の元へ行こうとした媛寿の喉元のどもとに、千春の刀が軽く押し当てられた。
 にやつく千春の表情は、それ以上動けばくびを裂く、と媛寿に言っている。
「動かないでね。あたしたちの標的はあくまであの小林結城おとこただ一人。あなたたちじゃないから」
 千春は小さな子どもに向けるような穏やかな笑顔でそうさとす。
 その顔の裏に隠れた血なまぐさい残虐さが、いまの媛寿にはあまりにも憎たらしくて仕方がなかった。
 媛寿の悔しさを代わるように、喉に押し当てられた刀身に雨粒がしたたり落ちてきた。

 結城の思考はかなりの混乱の中にありながら、意識は取り乱すことなく、比較的冷静といえた。
 かつてない凶悪な敵、ペンダントに収められた人物の写真、そして、
「……」
 自身の胸に突き立てられた短剣と、それを握る依頼者。
 どこから処理してよいのか分からない要素ばかりで、結城は時間が止まったような感覚にさえなった。
 そんな結城に何ら構うことなく、依頼者、ラナン・キュラスは突き立てていた短剣を結城から引き抜いた。
「――――――――――ぐ……ぶはっ!」
 曇天どんてんから降り出した雨、遅れてきた胸の痛み、喉奥からのぼってくる鉄のにおい、コンクリートの地面にき散らされる吐血。
 そこに来てようやく、結城は我に返り、何が起こったかを認識した。
 ラナン・キュラスに、刺された、と。
「ピオニーアが味わった痛みだ。思い知れ」
「っ!?」
 その名前が出たことで、結城は刺されたこと以上の衝撃を受けた。
「き……きびは……一体いっだい……」
 吐血にむせぶ喉でどうにか声を出し、いま最も確かめたい事実を問う。
 ラナンは落ちていたペンダントを拾うと同時に、結城の耳元にそっと口を近づけた。
「ピオニーアは――――――」
「――――――あ……」
 ささやく程度のかすかな声だったが、結城は確かにラナンの言葉を聞き、戦慄した。
「あ……ああ……ぞ、そんなぞんな……」
 それは脚の裂傷よりも、胸の刺傷よりも、結城の肉体と精神を責めさいなんだ。
 たまらず見上げた結城の目の前で、ラナンは黒髪のかつらを取り去った。
 あらわになったラナンの本当の髪色は、写真の中の人物同様、不思議な輝きを持つプラチナブロンドだった。
「あ……あ……」
 それがより結城の心をえぐり、結城はもはや言葉がげなくなってしまった。
「心臓はけた。すぐには殺さない。お前はピオニーアの痛み以上に苦しみながら、少しずつ体をむしばまれて死んでいくんだ」
「……」
 雨が二人の体を濡らす中、ラナンは感情の込もらない静かな口調でそう告げる。
 結城は必死に声を出そうとするも、傷の痛みと精神的なショックのせいで声帯が全く動かない。
 そうしている間に、空き地に面した川に小型のモーターボートが到着した。
 操舵そうだしていたのはゴスロリ服に身を包んだ小柄な少女だったが、いまの結城にはそのことに驚いている余裕はない。
「さようなら」
 ラナンはきびすを返してモーターボートに歩いていく。どうやら迎えだったようだ。
(待って! 待って!)
 必死に右手を伸ばし、そう叫びたかったが、ついぞ結城は声を発することができなかった。
 ラナンが船体に乗り、席に着くと、ボートは雨で視界がかすむ川をゆっくりと進み出した。
(待っ……て……)
「ごぼっ!」
 結城を置き去りにしていくボートに対し、結城がようやくしぼり出せたのは、血の泡を含んだ吐息だけだった。
 出血のせいで意識が遠のいているのか、叩きつける雨に視界を奪われているのか、もう判別ができないまま、結城は冷たいコンクリートに倒れ伏した。
(ごめん……ピオニーアさん……ごめん……)
 全身の感覚が麻痺まひし、意識が薄れていく結城は、記憶の中のその人物に何度も謝り続けていた。
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