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麗奈、召喚に巻き込まれる

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「どうして先に帰るんだ? 部活が終わるまで待っててくれって言ったじゃないか」


 人気のない裏門に足早に向かっていたら、不意に後ろから手首を掴まれた。 
 サッカー部の練習は始まった後だというのに、運悪く見つかってしまったようだ。
 私を追いかけてきたのは、幼馴染の石原勇翔。
 彼とは母親同士が親友だったこともあって、生まれる前からの腐れ縁で、幼稚園時代から高校までずっと同じクラスだった。
 放課後、勇翔に部活が終わるまで待っているように言われたけれど、私は早く帰りたかったので、こっそり裏門に向かっていた。
 グラウンドの近くを通れば目敏い勇翔に見つかると思ったから、わざわざ遠回りになる裏門に向かっていたのに、おせっかいな誰かが私が帰ろうとしていることを勇翔に伝えたようだ。
 それが勇翔に対する親切心からのものか、先輩たちやコーチに可愛がられている勇翔に途中で練習を抜けさせて、勇翔の評価を下げるためのものかは定かでないけれど。
 親切心からの行為なら余計なお世話だし、悪意があってのことなら、私を巻き込むのは心底やめてほしい。
 私が勇翔を避けようとするのは、勇翔が勘違いしているようにツンデレだからではなく、ただの幼馴染なのに私を婚約者だと思い込んでいる勇翔と縁を切りたいと願っているからなのだから。
 それに部活を途中で抜けたところで、練習をさぼったと、勇翔が叱られることは多分ない。
 明るく正義感が強く誰にでも親切な勇翔は、小さな頃から周囲に愛されてきた。
 人気俳優である父親そっくりの端正な顔立ちに高2にして完成された綺麗な体つき、成績も優秀、スポーツ万能となれば人気も高く、勇翔がやっかみ以外で嫌われるところなど、ほとんど見たことがない。
 今回のことだって、私を探すために部活の途中で抜けた勇翔ではなくて、約束をしておきながら勝手に帰ろうとした私が悪いと言われてしまうだろう。
 勇翔が無理やり待つように言いつけただけで、私は承諾していないし、家に帰りたいと断ったのを聞いてくれなかっただけなのに。
 何をしても正しいと評され、何をしても許されてきた勇翔のしわ寄せは、いつだって幼馴染である私のところへくる。


「私は待ってるなんて、一言も言ってないじゃない。今日は週に一度の習い事も何もない日だから、家でゆっくり過ごしたいの」


 がっちりと掴まれた手首が痛い。
 勇翔の手を何とか振りほどこうとするけれど、力で敵うわけがなく、より強く掴まれるだけだ。
 これ以上痛い思いをしたくないので、仕方なく抵抗するのをやめた。
 諦め交じりのため息をつきながら、勇翔を視界に入れるのも嫌で俯く。
 いつだって、我慢するのも折れるの私。
 優先されるのはどんなときでも勇翔で、実の母親でさえ、私よりも勇翔を溺愛している。
 勇翔の母親と私の母は親友で、私は小さなころから洗脳のように、『幼馴染同士の結婚って素敵だから、将来は勇翔のお嫁さん』だと言われてきた。
 味方であるはずの母親は、私よりも勇翔に夢中で、私がどれだけ嫌がっても勇翔と距離を置くことを許してくれない。
 それどころか、勇翔のように素晴らしい男性と結婚できるのに何が不満なのかと、嫉妬交じりに罵ってくる。
 その昔、母と勇翔の母親は恋のライバルで、選ばれたのは勇翔の母親のほうだった。
 母は今も勇翔の父親を愛していて、父親そっくりの勇翔を溺愛している。
 自分にそっくりな私が勇翔と結婚することで、愛する人に選ばれることがなかったという過去の傷をなかったものにしたいのだろう。
 母は家柄容姿能力、すべてにおいて自分よりも劣る(と思っている)勇翔の母親に、愛する人を奪われたことが最大のトラウマなのだ。
 それでも親友としての付き合いをやめないのは、勇翔や勇翔の父親と少しでも近しい関係でいたいためだ。
 酔っては零される醜い愚痴を散々聞かされているので、母の本心は嫌になるほど理解していた。
 迷惑なことに、母は私と勇翔の結婚を切望しながら、同時に父親そっくりの勇翔と結ばれる私に嫉妬もしている。
 母にとって私は娘ではなく、愛する人とよく似た勇翔と結ばれる羨ましくて嫌な女なのだ。
 私は勇翔と結婚したいと思ったことなどないのに、理不尽過ぎると思う。
 そのせいで小さなころから母は私に厳しく、花嫁修業と称してたくさんの習い事や家事を押し付けてきた。
 資産家の令嬢として育った母は、政略結婚だった父の実家で同居するのを嫌がって、結婚するときに家を建ててもらっていたけれど、当然のことながら家事などをやるわけがなく、私が中学生のころまでは使用人任せだった。
 けれど、成長するにつれますます父親に似てきた勇翔のそばに自分よりも若い女性を置きたくなかったのか、勇翔に色目を使ったと難癖をつけて女性の使用人を辞めさせてしまったので、家事の一部は私がやらなければならなくなった。
 料理や私室以外の掃除はともかく、下着などの洗濯を男性の使用人に任せるのは絶対に嫌なので、仕方のないことだけど。
 近所に住んでいるわけでもない男女の幼馴染なんて、段々疎遠になってもおかしくないのに、勇翔との繋がりを少しでも強く保つために、勇翔と同じ学校に通うことを私は強制されていた。
 少しでも勇翔と距離を置くために、母も納得するような名門の女子校を受験しようとしていたけれど、強硬に反対された。
 勇翔は勇翔で、何故か幼いころから私に対する執着心が強く、私が友達を作ろうとすればそれを嫌がって邪魔をして、私を束縛し、管理したがっていた。
 私がどこで何をしているのかは筒抜けで、男の人と親しくなる素振りを見せようものなら、母を味方につけて徹底的に邪魔してくる。
 自由がなくて息苦しくて、私はいつだって逃げることばかりを考えていた。
 でも、私の保護者を味方につけた勇翔から逃げ切る自信もなくて、いっそ勇翔のものになってしまえばすべてに諦めがつくのかと思ったりもする。
 だって、私の味方なんてどこにもいない。
 頼れる人は誰もいなくて、相談できる相手もいなくて、私は一人きりだ。
 だから、諦めてしまえば楽になれるのかとも考えてしまう。


「じゃあ、俺が麗奈に付き合う。今日は部活を休んで、麗奈の家に行くから」


 私の手首を掴んだまま、勇翔がサッカーグラウンドに向かう。
 その行動の結果、私が何を言われどんな目で見られるのか、勇翔は全く理解しない。
 勇翔は優しさを向けられることはあっても、悪意を向けられることは滅多にない。その上、敏いのに鈍感だから、私のことを好きだと言いながら、私が周囲にどう見られているのか、まったく気づきもしないのだ。
 また『我儘を言って勇翔を振り回す』と、勇翔のいないところで罵られるのかと考えるだけで、憂鬱でたまらなくなってしまう。
 反論したくても、そうすれば罵られる時間が増えるだけなので、黙って我慢するしかない。
 時々、何のために生きているのかわからなくて、死にたくなる。
 私はただ家に帰って、唯一寛げる自分の部屋でゆっくり過ごしたかっただけなのに。
 そんな細やかな望みさえも叶わない。
 何をしても、いつもうまくいかない。
 いつだって正しいのは勇翔で、悪いのは私。
 俯いたまま、勇翔に引きずられるように歩きながら、溢れそうな涙を必死に堪えていた。
 泣けば、その理由を勇翔に追及される。けれど、説明したところで、どうせ勇翔は理解してくれない。
 嫌味を言われたり嫌がらせをされたことを、今よりももっと幼かった頃は相談したこともあった。
 けれど、勇翔から帰ってくる答えはいつだって同じだ。
『麗奈の考えすぎだよ。〇〇さんはとても優しい人なんだから、そんなことをするはずがない。麗奈の気のせいだよ』と、我儘を言う幼馴染を優しく宥めるかのように言い聞かせられる。
 良くも悪くも素直な勇翔は、自分に優しい人は誰に対しても優しいのだと信じている。
 勇翔を好意的に見れば見るほど、その勇翔がそばに置く私に厳しい目が向くことを考えもしない。
 勇翔に相談したって何の意味もないとわかってからは、何を言われても何をされても、一人で抱え込むしかなかった。
 

「え? 何!? 地面がっ!」


 俯いていたから、異変に真っ先に気づいた。
 地面に赤く光る変な文様が浮かび上がって、眩しい光に包まれる。
 怪しい文様から逃れようと、必死に勇翔の手を引いたけれど、勇翔は金縛りにあった時のように身動きが取れないみたいで、硬直したまま私の手首を握る手に力を籠めるばかりだ。
 勇翔が動けないのならばと、掴まれてない方の手も使って懸命に勇翔を引っ張ってみたけれど、勇翔の足は地面に縫い付けられているみたいに固定されたままだった。
 気持ち悪くて怖くて、逃げ出したかった。
 けれど、特に鍛えているわけでもない、力のない私ではどうすることもできなかった。
 光る文様が空想小説などに出てくる魔法陣と呼ばれるものではないかと気づいた瞬間、目の前が真っ白になって、そこで意識は途絶えた。


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