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三者三様のコンプレックス

そうか、怒ってもよかったんだ

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「何がどうなってるのか、全部吐いてもらうわよ?」


 昼休みになってすぐ、凛に有無を言わさず拉致された。
 ランチでよく利用するカフェに入って、奥まった席に腰を落ち着けた途端、杉野とどうなっているのかと詰め寄られる。
 私は見ていないけど、今朝、杉野と田辺さんは一緒に通勤してきたそうで、ちょっとした騒ぎになっていた。
 朝の課長とのやり取りがなかったら、今頃際限なくへこんでいたに違いない。
 噂を聞いて、ショックを受けたし胸は痛んだけど、でも、自分の仕事振りをちゃんと見てくれてる人がいると思うと、仕事中に私的なことでへこんでなどいらず、頑張ることができた。
 

「私も、何が何だかわからないの。土曜日に出かけるって話はしてたでしょ? その予定で支度をしてたんだけど、金曜日の夜に、杉野から電話がかかってきて、急に私の部屋に行ってもいいかって尋ねられたの。何を着ていこうか迷って、服を散らかしていたから、片づける時間が欲しくて、少し時間が欲しいって言ったら、次の日の約束をキャンセルされたのよ」


 私の説明を聞きながら、凛が小難しい顔つきで考え込んでいる。
 次の日のことは、話すのも辛いけれど、黙っているわけにはいかないから話すことにした。
 話すことで、楽になりたかったのかもしれない。


「キャンセルされた後、すぐに電話を掛けたけど、電源が落とされてて。次の日に、もう一度電話したら……杉野の携帯なのに、明らかに寝起きの女の人が出て、お風呂に入ってるって。多分、あの甘ったるい話し方は、総務の田辺さんだったと思う」


 今朝、二人が一緒に通勤してきたというのなら、週末はずっと一緒だったのだろう。
 私と杉野の間に何か誤解があるにしても、杉野は私との約束よりも田辺さんを選んだ。それだけは事実だ。


「何でもっと早く連絡してこないのよ。そしたら、週末のうちに私があいつをとっちめてやったのに。あいつが人の裏とか読まない奴なのは知ってたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかったわ。本当に男って、馬鹿ばかりよね」


 自分のことのように凛が怒るので、それに慰められてしまった。
 約束を訳の分からない理由でキャンセルされたんだから、怒ってもよかったんだと、他人事のように考えてしまう。


「馬鹿じゃない男もいるわよ。週末は、和成さんが恋人と一緒に遊びに来てくれたりして、気を使ってくれたの。付き合い始めで、二人きりで過ごしたいでしょうに、私が落ち込み過ぎないようにしてくれたみたい。凛にメールすることも考えたけど、何て説明したらいいのかわからなくて。これでも結構混乱してたのよ」


 ランチプレートについている紅茶にミルクを入れながら、週末の自分の心情を振り返ってみる。
 最初は混乱していて悲しかったけど、途中から、やっぱり私じゃダメなんだって、諦めが胸を占めていたと思う。
 自己否定して、自分を嫌いになりかけて、際限なく落ち込みそうな気持ちを、和成さんと春香さんが引き上げてくれた。
 そして今朝、課長の言葉に救われた。
 ほんの少しだけ、自分を認めて、好きになってみてもいいんじゃないかって思えた。
 頑張ってるって認めてもらえることが、あんなに心を安らかにするなんて知らなかった。


「大澄さんの恋人のことも気になるけど、それより、今は優美花のことよ。ショックが大きかった割には、冷静に見えるけど、他にも何かあった?」


 凛の鋭さに驚きながら、頷きを返す。
 ちょっと恥ずかしかったけれど、今朝の課長とのやり取りと、食事の約束をしたことを話すと、凛にからかうような笑みを向けられる。


「浮いた噂のない天堂課長が、そんなことをねぇ。仕事が恋人だと思ってたけど、そうじゃなかったみたいね。いいんじゃないの? 優美花は真面目過ぎるから、たまにはいつもの自分と違うことをしてみなさいよ。前から思ってたけど、優美花は一途過ぎるでしょ? 一途って言えば聞こえはいいけど、言い換えれば視野が狭いのよ」


 辛辣だけど、でも、凛の言葉は胸に響く。
 いつもの自分と違うことをしてみるという言葉に心惹かれた。
 変わりたい、そんな気持ちが私の中で芽生えているからかもしれない。


「情報を収集すると、嫌な思いもするからって、優美花は周囲の噂に鈍感でしょう? それが、我関せずって、高みから見下ろしてるようにも見えて、馬鹿な女たちのコンプレックスを刺激している部分もあるのよ。完璧な女の殻をかぶってないで、たまには感情を見せたら? 理不尽なことをされたら怒ってもいいし、事実と違うことを言われたら否定すればいいわ。杉野に関してもそうよ。約束を説明もなしにキャンセルして、他の女と過ごしてたなんて、馬鹿にしてるわ。私だったらぶん殴ってるわね」


 凛の言う通り、何を言っても無駄だからと、いつも諦めて我慢して、自分の意見なんて言おうとしなかった。
 私の態度にも問題があったのだと指摘されて、そうなのかもしれないと今は素直に受け入れることができた。
 今、凛がこんなことを言い出すのは、今ならば、凛の言うことをきちんと受け止められるとわかっているからだろう。
 昨日までの私なら、凛に裏切られたような気持ちになっていたかもしれない。


「そうか。私、怒ってもいいのね。何か気に障るようなことをしたのかしら?って、そんなことばかり考えて、もっと素直に喜んでれば、杉野は私のところに来てくれたのかもって後悔してた。私が可愛くないから、ダメだったんだって」


 凛が苦笑しながら、私の額を軽く指先で突いた。


「馬鹿ね。優美花は可愛いわよ。こんなに可愛い女、私は他に知らないわ」


 いつも毒舌な凛の、直球過ぎる誉め言葉が恥ずかしくて、誤魔化すようにそっぽを向いた。
 照れているのが伝わったのか、くすくすと笑う凛を無視してランチに手を付ける。
 凛と話したことで気持ちがとても軽くなって、前向きになれた。
 さすがに杉野を殴ろうとは思わないけど、怒ってもいいのだと気づかせてくれたことに深く感謝した。



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