上 下
257 / 342
第一部

第二十五話 隊商(4)

しおりを挟む
「全員立ち上がれと、命じられています」

 通訳が言いました。

 皆、アーズィムとやらの言う通りにしました。

 思わず知らず鋭い眼光に射すくめられます。

 小生と視線が合ってしまったのです。

 まだ幼かったのでしょうね。思わず何か口走っていました。

 アーズィムは笑みを浮かべました。言葉は通じずとも、怯える小生の姿がおかしかったのでしょう。手の中で転げ回るハムスターを見るような感じだったのでしょうね。

 また、何か喋っていました。

「そこの者、近くに寄れ。とのことです」

 通訳が告げました。

 小生は従いました。

 以下の会話は全て通訳を介してなされたものですが、煩雑なのでわかりやすく語りますね。

「お前の歳は幾つだ?」

「二十です」

「俺と同じだな」

 小生は何も言いませんでした。

「なぜ俺を見た?」

 アズィームは微笑を収めました。

「偶然です」

 手足が震えています。でも小生はアズィームから目を離せませんでした。

 既に幾人も人を殺めてきたような、血生臭いものを感じ取ったからです。

「面白いな」

 その言葉とは裏腹に、アズィームは笑いませんでした。

「……」

 褒められたのか、笑われたのか、わかりませんでした。ともかく、この場を逃れたい一心でした。

 夜は更《ふ》けゆくのに、脂汗がだらだらと止まることはありません。

「俺は隊商が見たい」 

 アズィームはぽつりと言いました。

「な、なんと仰ったんですか?」

 うまく聞き取ることができなかったからです。

「隊商だ。列を組んで、物を商う者たちだ。意外に物知らずだな」

 隊商ならもちろん知っています。行き合った者たちの中にも、いたはずです。ただ、なぜアズィームがいきなりそんなことを言い出すのか、訳が湧かなかったので。

「それなら、近くにも」

「俺が見たいのはただの隊商ではない。月《ルナ》の雫を扱う隊商だ。俺はそれが欲しいのだ」

 アズィームな『月』だけ我々の言葉を使いました。だから今でも強く印象に残っています。

 そうです。ペルッツさまの名前と同じ、『月《ルナ》』。

 しかし、その雫なんて、そんなもの、童話の中以外、どこに存在すると言うのでしょうか。

 無理難題とはまさにこのことです。

「俺の願いを叶えれば、皆助けてやろう。お前が叶えるのだ。丸一昼夜時間をやる。若しお前が出来ないのなら、ここにいる全員を殺す」

 この言葉を伝えたとき、通訳の膝が震えていました。

 皆も小生を見て怯えていました。

 ただ、コレットだけは物怖じせず、ズンズンと小生とアズィームの方に近付いて来ました。

「ちょっとさぁ。さっきから黙って聞いてりゃ好き勝手言ってくれちゃって、月の雫って、そんなものあるわけないじゃん」

 勢いよく迫ってアズィームを睨み付けました。

 言葉が通じないのに、アズィームはまた、微笑みを浮かべました。

「面白い女だ。よし、面白い男と面白い女で月の雫を探せ」

 アズィームはそう言って振り返り、家来たちに合図をしました。

 途端に駱駝に乗った兵士たちは、シャムシールを振り上げながら、皆の周りを取り囲みます。

 逃げようと走りだした仲間の一人の背中が、一刀のもとに断ち切られました。

 小生は震えて下を見ました。その手をコレットが何も言わずに握ってくれました。

「さあ、今すぐ出発しろ」

 小生とコレットは輪の中から無理矢理二人だけ出されました。

「頼むぞ」

 ヴァールブルクが情けなそうにこちらを見てきます。

 その時ほど、付いてきたのは間違いだったと感じた瞬間はありませんでした。
しおりを挟む

処理中です...