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第一部

第三十二話 母斑(2)

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「なんか用か?」

 ズデンカはルナの前に立ちはだかって睨んだ。

「高名なルナ・ペルッツさまですね」

 女は言う。見るからに上品そうな雰囲気を身に纏っていた。

「はい。そうですよ」

 ズデンカの横から、ルナがひょっこりと顔を出す。

「あなたにお聴かせしたい話があるんですの」

「こっちも忙しいんでな」

 ズデンカは断ろうとした。ルナの話に対する執着は知っていたものの、これから乗車と言うときに変な輩と関わってはいけないと思ったからだ。

「待って! 発車の予定まで一時間もあるよ。ぜひ伺いたいですね」

 ルナは鎖付き金時計を取り出して見つめながら言った。

 そして、ホーム奥に設けられたベンチを指し示した。

「はぁ」

 ズデンカはため息を吐いた。

 ぞろぞろと四人は連れ立って歩いていき、腰を下ろした。

「あなたのお名前は?」

 ルナが訊く。

「エルフリーデと申します」

「おや、と言うことは?」

 モノクルが光った。

「はい、カザック自治領の生まれですわ」

「いいですね! わたしはオルランド領に出身なんですけど、先の戦争ではほんと酷い目に遭いましたよ」

 ルナは脱帽した。

――カザックの連中とはこれまであまり顔を合わせたことなかったな。

 ズデンカは思った。

「はい、長らくカザックの首都ハイムに住んでいたんですが、東洋を旅行をしようと思っていますの」

「東洋! それは素晴らしい。大陸横断鉄道に乗り継がれると言うわけですね。わたしも大分昔に訪れまして。実に懐かしい」

 大陸横断鉄道とはネルダより北にあるグリーンランディアより発され、宏大な領土の向こうに位置するはるか東洋の国々まで敷かれた線路を指す。

 当然、ルナたちの行く南方とは逆だ。

 向かい側のホームになる。

 それがなぜ、ここで待っていたのか。ズデンカは少し気になった。

「そうですわ。偶然と言っていいのか、ペルッツさまにお会いできるとは思ってもみませんでした」

「さっそく、綺譚《おはなし》をして頂けませんか?」

 ルナは上半身を前に傾けた。

「そうですね。でもお話をする前にお聞きしたいのですが、わたくしのここ、お気になされたんじゃありませんこと?」

 とエルフリーデは母斑を指差した。 

「いえ、わたしは人の顔を覚えにくくて、いま初めて気付いたほどです」

 ルナはユーモアを交えた。

「ならば安心しました。気分を害する方もいらっしゃいましたので、この母斑がついた敬意について説明できればよろしいんでしょうけれど、生憎生まれつきですの」

「個性ってものですよ」

  ルナは笑った。

「そうですね。でも、ときどき、この母斑がなかったら、わたくしの人生は全く変わったものになったと思うんですの」

「へえ、どんなものにですか?」

 ルナは興味深そうに訊いた。

「まず、夫がいたでしょうね。いえ、今までだって、仲良くなった殿方はたくさんいましたわ。でも結婚となるといつも二の足踏まれましてね。そういうものかと思っていたのですわ」

「素敵なお方なのに」

「ペルッツさまは本当にお世辞が上手でいらっしゃいますわ」

 エルフリーデは口元を手で押さえて笑った。

「ところで、綺譚《お話》は」

 ズデンカはルナが焦れてきたのがすぐにわかった。

「つい先ほどのことなんですの。向かいのホームにいましたら、擦れ違ったんです」

「誰とだ?」

 ズデンカは思わず聞いていた。

「わたくし自身と、ですわ。でも、その顔には痣がありませんでしたの」
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