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第四章
第二十九話
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「傷顔」、本名:不屈の子。
彼は約40年前、デザ村に生まれた。
生まれつき身体が大きく、一般的なトロールの2倍の骨密度と1.5倍の筋密度を持つ特殊体質だった彼の人生は、常に人並外れた苦難に満ちたものだった。
幼少期、身体の大きさで一際目立ち、同世代の他の子供には出来ないことが出来て頼り甲斐のある「力持ち」として親しまれ、物心ついた時にはたちまち人気者になった。
しかし、ある日数人で木登りをして遊んでいた時、苦戦している友人を手伝おうとして手を掴み、引っ張り上げたものの、力の調節を誤って脱臼させてしまった。
耳をつんざく苦痛の叫び。不意を突かれた少年は思わずその手を離してしまった。
地面に落ちた友人は頭を打ち、そのまま動かなくなった。
ブライラ二に続き、異常を察した子供たちも次々に木を降りて駆け寄った。
状況理解不能のざわめきの中で、一人が言った。
ブライラニが彼を突き落としたのだ、と。
子供たちは逃げ出した。その顔と目は恐怖の色に染まっていた。
その晩、村中の大人たちが集まって何やら話し合った。
翌朝、目が覚めた時には両親は居なくなっていた。
いつものように母親の作ってくれる朝食も食べられず、腹を空かせて泣いていたところに誰かが訪ねてきた。
話を聞きつけ、哀れに思った村人夫婦が彼を引き取りに来たのだった。
夫婦は親切で、まるで実の親のように少年に接した。少年にとって、新しい家は居心地の良い場所だった。
だがその一方、同世代の子供たちとの関係は完全に途絶えてしまった。
羨望は恐怖へ、尊敬は軽蔑へ。
何年経とうとも、もうあの頃には戻れなかった。
そんなある日、遊びから帰ると家の前で両親が村人と揉み合いになっていた。
話を聞いていると、どうやら自分に関することらしい。
揉み合いはどんどん激しくなり、村人は両親を突き飛ばして手斧を振り上げた。
少年は居ても立っても居られず、村人に横から殴りかかった。
相手が武器を放さず抵抗を続けたことで、彼も攻撃を続ける他なかった。
ただただ必死だった。
大事なものを奪われないように、失わないように。
だから、相手に既に息がないことに気付くのにも時間が掛かった。
人生二度目の同族殺しをした少年。
村人は酔っていた。
酒の力で数年前のことをふと思い出して、自分の子供が遊びの中で自ら負った怪我を一目見て、一切の根拠もなく、まったく関わりもなかった少年が悪いと思い込んだ。
両親は少年を守るために多少手荒くなったとはいえ、相手方とは違って武器の使用はおろか、終始あくまで話し合いによって解決しようとしていた。
どちらが罪人かは自明。
しかし、同族を殺めた以上、全ての罪と罰は少年の身に降りかかる。
両親はあれこれ話し合った末、揃って村長のもとに「謝りに行く」と言った。
二度目の悪夢。
それが何を意味するかは分かっていた。少年は必死になって泣きじゃくって止めたが、全くの無駄だった。
自らの善意によって二度も大切な人を失い途方に暮れる少年のもとに、今度も大人たちがやって来た。
ただし、息が詰まる程の殺気を携えて。
少年は全力で逃げた。逃げ続け、気付けば森の奥、今まで来たこともないエリアに居た。
「ねえ」
ふと、横から声を掛けられた。
背筋が凍りつつも恐る恐る目をやると、そこには白いワンピースを着た、傷だらけの少女が立っていた。
その顔立ちや体格は、純粋なトロールのそれではなかった。
「忌み子」の少女は全てを知っていた。
村で何が起きているか、少年が何を恐れているのか、そして今何をすべきなのか。
例年通りであれば、明日の朝に有名な人間の行商人の一団がやって来て、二日間だけ滞在する。
交渉するにしても、隠れて乗り込むにしても、この地獄を脱出する最善の手段になる。
全ては少女の計画どおりだった。
二日間森に隠れた彼らは、一団の持つ大馬車に忍び込んだ。
そしてその夜、一団が人間の街に着くと降り、それからは「兄妹」という設定で通しながら生きる為に出来る仕事を片っ端から引き受けては馬車馬の如く働いた。
すっかり青年になったブレイラニは仕事でケンダル王国の首都に行ったことをきっかけにしてそこに住むことにし、今までで得た経験と資金を基により商売を始めた。
しかし、そこはごろつきの縄張りだった。
様々な揉め事の中でその腕っぷしには自然と磨きがかかり、もはや誰も手を出せなくなった。
そんな時、離れた街で魔法学校卒業後、商会に所属して活動している「妹」からの手紙が来た。
二人は始まりの街で再会し、再び語り合える喜びを嚙み締めた。
話が落ち着いたころ、彼女は「本題」を切り出した。
これでもかと綿密に組まれた圧巻の「復讐計画」。
それには彼の力が必要だった。
「傷顔」にとって、彼女は命の恩人に他ならなかった。商売を投げ出してまで復讐計画に付き合ったのも恩返しのつもりだった。
彼女の笑う顔が大好きで、彼女の役に立てれば、いつだってそれだけで報われた。
(そうだった…)
2cmほどの脳の断片はその体細胞を再生しながら回想していた。
(こんなに大事なことなのにどうして忘れていたんだ。私が、俺があの人の為に夢中になれるのは、クスリが欲しいからじゃない…)
再生速度が上がり、小さいながらも骨格や手足が生える。
脳の容積は増加し、遂には目や耳も生成される。
徐々に鮮明になっていく視角と聴覚。
そこに映るは「想い人」の姿。
「ユめ…りア…!」
再生途中の口が頬を裂きながら三日月形に歪む。
だが彼女の言葉は予想外だった。
「もういいわ」
貴方には失望しました、と。
「でも」
濁った声帯で言いかけた発しかけた言葉を遮って、彼女は最後の一撃を放った。
「もう終わりです」
その一言を聞くや否や、化け物の再生は止み、「傷顔」の身体は崩壊していった。
「不屈の子」は、想い人の一言によって遂に屈服した
「やれやれ」
ユメリアはそれを横目で見ながら呟く。
「”これも”駄目ですか」
彼女は魔法を使い、どこか遠くへと飛んで行った。
彼は約40年前、デザ村に生まれた。
生まれつき身体が大きく、一般的なトロールの2倍の骨密度と1.5倍の筋密度を持つ特殊体質だった彼の人生は、常に人並外れた苦難に満ちたものだった。
幼少期、身体の大きさで一際目立ち、同世代の他の子供には出来ないことが出来て頼り甲斐のある「力持ち」として親しまれ、物心ついた時にはたちまち人気者になった。
しかし、ある日数人で木登りをして遊んでいた時、苦戦している友人を手伝おうとして手を掴み、引っ張り上げたものの、力の調節を誤って脱臼させてしまった。
耳をつんざく苦痛の叫び。不意を突かれた少年は思わずその手を離してしまった。
地面に落ちた友人は頭を打ち、そのまま動かなくなった。
ブライラ二に続き、異常を察した子供たちも次々に木を降りて駆け寄った。
状況理解不能のざわめきの中で、一人が言った。
ブライラニが彼を突き落としたのだ、と。
子供たちは逃げ出した。その顔と目は恐怖の色に染まっていた。
その晩、村中の大人たちが集まって何やら話し合った。
翌朝、目が覚めた時には両親は居なくなっていた。
いつものように母親の作ってくれる朝食も食べられず、腹を空かせて泣いていたところに誰かが訪ねてきた。
話を聞きつけ、哀れに思った村人夫婦が彼を引き取りに来たのだった。
夫婦は親切で、まるで実の親のように少年に接した。少年にとって、新しい家は居心地の良い場所だった。
だがその一方、同世代の子供たちとの関係は完全に途絶えてしまった。
羨望は恐怖へ、尊敬は軽蔑へ。
何年経とうとも、もうあの頃には戻れなかった。
そんなある日、遊びから帰ると家の前で両親が村人と揉み合いになっていた。
話を聞いていると、どうやら自分に関することらしい。
揉み合いはどんどん激しくなり、村人は両親を突き飛ばして手斧を振り上げた。
少年は居ても立っても居られず、村人に横から殴りかかった。
相手が武器を放さず抵抗を続けたことで、彼も攻撃を続ける他なかった。
ただただ必死だった。
大事なものを奪われないように、失わないように。
だから、相手に既に息がないことに気付くのにも時間が掛かった。
人生二度目の同族殺しをした少年。
村人は酔っていた。
酒の力で数年前のことをふと思い出して、自分の子供が遊びの中で自ら負った怪我を一目見て、一切の根拠もなく、まったく関わりもなかった少年が悪いと思い込んだ。
両親は少年を守るために多少手荒くなったとはいえ、相手方とは違って武器の使用はおろか、終始あくまで話し合いによって解決しようとしていた。
どちらが罪人かは自明。
しかし、同族を殺めた以上、全ての罪と罰は少年の身に降りかかる。
両親はあれこれ話し合った末、揃って村長のもとに「謝りに行く」と言った。
二度目の悪夢。
それが何を意味するかは分かっていた。少年は必死になって泣きじゃくって止めたが、全くの無駄だった。
自らの善意によって二度も大切な人を失い途方に暮れる少年のもとに、今度も大人たちがやって来た。
ただし、息が詰まる程の殺気を携えて。
少年は全力で逃げた。逃げ続け、気付けば森の奥、今まで来たこともないエリアに居た。
「ねえ」
ふと、横から声を掛けられた。
背筋が凍りつつも恐る恐る目をやると、そこには白いワンピースを着た、傷だらけの少女が立っていた。
その顔立ちや体格は、純粋なトロールのそれではなかった。
「忌み子」の少女は全てを知っていた。
村で何が起きているか、少年が何を恐れているのか、そして今何をすべきなのか。
例年通りであれば、明日の朝に有名な人間の行商人の一団がやって来て、二日間だけ滞在する。
交渉するにしても、隠れて乗り込むにしても、この地獄を脱出する最善の手段になる。
全ては少女の計画どおりだった。
二日間森に隠れた彼らは、一団の持つ大馬車に忍び込んだ。
そしてその夜、一団が人間の街に着くと降り、それからは「兄妹」という設定で通しながら生きる為に出来る仕事を片っ端から引き受けては馬車馬の如く働いた。
すっかり青年になったブレイラニは仕事でケンダル王国の首都に行ったことをきっかけにしてそこに住むことにし、今までで得た経験と資金を基により商売を始めた。
しかし、そこはごろつきの縄張りだった。
様々な揉め事の中でその腕っぷしには自然と磨きがかかり、もはや誰も手を出せなくなった。
そんな時、離れた街で魔法学校卒業後、商会に所属して活動している「妹」からの手紙が来た。
二人は始まりの街で再会し、再び語り合える喜びを嚙み締めた。
話が落ち着いたころ、彼女は「本題」を切り出した。
これでもかと綿密に組まれた圧巻の「復讐計画」。
それには彼の力が必要だった。
「傷顔」にとって、彼女は命の恩人に他ならなかった。商売を投げ出してまで復讐計画に付き合ったのも恩返しのつもりだった。
彼女の笑う顔が大好きで、彼女の役に立てれば、いつだってそれだけで報われた。
(そうだった…)
2cmほどの脳の断片はその体細胞を再生しながら回想していた。
(こんなに大事なことなのにどうして忘れていたんだ。私が、俺があの人の為に夢中になれるのは、クスリが欲しいからじゃない…)
再生速度が上がり、小さいながらも骨格や手足が生える。
脳の容積は増加し、遂には目や耳も生成される。
徐々に鮮明になっていく視角と聴覚。
そこに映るは「想い人」の姿。
「ユめ…りア…!」
再生途中の口が頬を裂きながら三日月形に歪む。
だが彼女の言葉は予想外だった。
「もういいわ」
貴方には失望しました、と。
「でも」
濁った声帯で言いかけた発しかけた言葉を遮って、彼女は最後の一撃を放った。
「もう終わりです」
その一言を聞くや否や、化け物の再生は止み、「傷顔」の身体は崩壊していった。
「不屈の子」は、想い人の一言によって遂に屈服した
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