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しおりを挟むザワザワと落ち着きのない空気が揺れる。
俺はなにごとかと顔を上げた。
ここは、聖騎士団の鍛錬場である。いつもならピンと張り詰めた緊張感で包まれているからだ。
俺は、リド・カイン。二十歳。カイン伯爵家の次男である。十六歳で聖騎士になり、今ではソードマスターとなった。
ざわめきの先を見ると、美しい女が歩いてくる。
金色のウエーブヘアーは腰まで伸び、猫のようにつり上がった目はサファイヤのように輝いている。
「おい、クラリス・マクロライド嬢だぞ」
「いつ見てもお美しい」
「あいかわらず、こちらを振り向きもしないな」
聖騎士達たちが噂をする。
クラリスは、マクロライド侯爵家の長女である。歳は十八歳。
まるで黄金のような輝きを放つ彼女の前では、花さえ色を失ってしまう。まさに高嶺の花、それがクラリスの印象である。
クラリスは、凜とした面持ちで教会に向かって歩いて行く。
その様子は、他の貴族たちと一線を画していた。
ほかの教会にやってきた貴族たちは、老若男女とわず聖騎士の様子を眺めながら歩くのが普通なのだ。
聖騎士たちは、皆の憧れのため、見蕩れてしまうのだ。
「それにしても、月に一度の勉強会を欠かさないなんて、美しい上に聡明だ」
「いや、しかし、今日は聖典の勉強会の日ではないな」
「なにか別のご用があったのだろうか」
俺は仲間たちの噂話が聞こえないふりをして、素振りに励む。
俺はクラリスを見たりはしない。
クラリスにだらしない姿を見せるわけには行かないからだ。
「おい、リド、お前の婚約者様がいらしたようだぞ」
「リドにはもったいないお方だよな」
俺はその言葉も無視をして、素振りに励む。
そう、皆の憧れクラリス・マクロライド嬢は、俺の婚約者なのだ。
かといって、俺たちは恋人同士ではない。
親たちが決めた政略結婚で、公の行事でエスコートすることはあっても個人的に会ったことはただの一度もない。
この国では、未婚の女性は爵位を継げない。そのため、一人娘だったクラリスに侯爵家を継がせるに、無害な伯爵家の俺が婿養子に選ばれたのだ。
しかし、今では状況が変わった。
昨年、クラリスには弟が生まれたのだ。そう、次期侯爵だ。
俺はブンブンと素振りを続ける。
俺がクラリス嬢の婚約者でいられるのも時間の問題かもしれない。次期侯爵が生まれた今では、意味のない婚約だ。
クラリス嬢と俺は政略的な関係だが、俺は彼女に憧れていた。
しかし、彼女はそうではないらしく、エスコートをしても指先を少し触れるだけ、ダンスもできるだけ体を離そうとする、視線すら合わせようともしないのだ。
俺はそのたびに心が痛んだ。
たしかに、彼女に俺は釣り合わない。だからこそ、少しでも釣り合おうと聖騎士に志願し、ソードマスターにまでなったのだ。
(はぁぁぁん、今日もリド様は素敵ですわ……。他の聖騎士たちと違って、ストイックに素振りをする姿……とても男らしいわ……)
突然、頭の中にクラリス嬢の声が響いてきて、俺は思わず手を止めた。
間違うはずのない彼女の声。
しかし、彼女が絶対言うわけのない言葉。
さっきだって、こちらを振り返ることもなく教会に向かっていたのだ。
きっと俺の妄想だ。
片想いを拗らせすぎたな……。
俺はブンと頭を振った。
(ああ、黒髪から飛び散る汗までも輝いていらっしゃる……。でも、わたくしに気がつきもしないなんて……。やはり、わたくしとの政略結婚など不本意なのね……。嫌われているわたくしは、こうやって教会の窓から窺うことしかできないのだわ……)
続けて聞こえてくる声に驚いて、俺は教会の窓を見た。
すると、クラリス嬢が窓から鍛錬場を見下ろしている。頭の上に、桃色のもやが霞んで見える。
なんだろう?
思わず凝視すると、クラリス嬢と目が合った。
すると、彼女はいつものようにツンと澄ました顔で歩き出した。
あの声は、思い違いか、たまたまだったのだろう。
俺がそう思った瞬間、クラリスの声が頭に響いた。
(きゃぁぁぁ!! リド様と目が合ってしまったわ! あの黒真珠のような瞳に見つめられると、恥ずかしくて目を逸らしてしまうのよ。きっと、感じの悪い女だと思ったでしょうね……。でも、わたくしは幸せだわ。きっと、今日が最後だからきっと神様がご褒美をくださったんだわ……。わたくし、この思い出を胸にきっと生きていけますわ……)
クラリスの姿が見えなくなるのと同時に、声が消えた。
「なーに、クラリス嬢に見蕩れてるんだよ」
手を止め、教会を見上げていた俺を、仲間が冷やかす。
「そんなんじゃない」
「ったく、そんな無愛想じゃ、クラリス嬢に愛想を尽かされるぞ」
軍人一家の男兄弟に囲まれて育った俺は、そもそも女性とのコミュニケーションが苦手だ。どのように話したらいいのかわからない。
スマートな物言いや振る舞いができないでいた。
お姫様のようなクラリス嬢には、無骨な俺のような男ではなく、人当たりが良く美しい王子様のような男が似合う、そう思いコンプレックスを抱えていたのだ。
「わかってる。俺に彼女は相応しくない」
俺が答えると、仲間は呆れた顔で肩をすくめた。
「なに言ってるんだ。史上最年少のソードマスターが」
俺にはもう仲間の声が届かない。
それよりも、クラリス嬢の言葉が気になった。
今日が最後、とはどういうことだろう。
やはり婚約破棄なのだろうか。
いや、しかし、あの声がクラリス嬢のものとも思えない。
きっと、俺の妄想だ。
気を引き締めなければ!
そう思い、俺はがむしゃらに剣を振った。
しばらくすると、団長から声がかかった。
「リド・カイン。面会だ。面会室へ行け」
「はっ!」
聖騎士団員たちはヒューヒューと俺を冷やかす。
「きっと、クラリス嬢だぞ!」
「いいなぁ! 色男!」
俺は、ギンと彼らを睨むと足取り重く面会室に向かった。
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