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・第三十二話「闘技場の戦いが終わりを告げる事」

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 かくして、アントニクスとの闘いの勝敗はアルキリーレの勝利で確定した。

 闘技場コロセウムは、一瞬・・静まり返った。

 だが!

 どばんっ!
「アルキリーレ!」
「うちの連中だけじゃないぞ!」
「来たよ!けど……!」
「……ふむん」

 直後闘技場の出入り口が音立てて開いた。二箇所・・・。バリケードの簡易城塞の中から周囲を取り囲むチェレンティの手下達を寄せ付けまいと執政官親衛隊プラエトリアニと共に押し返し競り合い続けていたカエストゥスがアルキリーレを気遣い声をかけ、教帝近衛隊ケレレスと貴賓席で籠城戦していたペルロ十八世がそこから状況を見て、レオルロが味方増援の来訪を告げながらそれだけではないと叫んだ。

 軍勢が雪崩れ込んでくる。片や教帝近衛隊ケレレス執政官親衛隊プラエトリアニの本隊、アルキリーレ達に近い側の出入り口から慌てた様子で入ってきている。だが、その真逆の出入り口から入ってくるもう片方は……

「ベルスコニス……?」
「誰じゃ」

 もう片方はボルゾ家の地方軍団アウクシリアかと思ったが、思わぬ増援に再逆転の機会と沸き立つかと思われたチェレンティの怪訝な表情を思うとどうもそうではないらしかった。

 事実この時点でアルキリーレは知る由も無いが、ボルゾ家の地方軍団アウクシリアは主君チェレンティの装束と同じ黒を基調とした軍装であり、今目の前に押しかけて来たけばけばしい金鍍金鎧の地方軍団アウクシリアとは違っていた。……尤も、教帝近衛隊ケレレスも黄色と青と赤の縞模様というド派手さでは引けを取らぬ恰好であったが、それは兎も角。

「ベルスコニス・シルビ。元老院議員だ。保守派の領袖」
「……そして俺が手を組んでいた奴の一人だ」

 カエストゥスが、そして今や戦意崩壊寸前の残り少ない手勢に守られた状態でチェテンティが苦々しく呟いた名は、その地方軍団アウクシリアを率いる男の名前だ。目元に皺の多い、剥げた額の広い、赤ら顔で好色そうな中年男。

「革新派なのに何でよりによってあんな性的・金銭的疑惑の塊と組んでるんだ!?」
威迫者マヒアスを制圧する過程で奴の汚職を知ったから脅迫して従えてたんだよ!? 好きで組んでるのと違うわ!? ……つまり……」

 思わず素で突っ込みを入れるカエストゥスと、これまた例え敗北しようがアレの同類と思われてはたまらんという感情に突き動かされて素で答えるチェレンティ。

 そのチェレンティが理解する。己が従えていた男がこの局面で手勢を率いて現れたという事はつまり、助太刀に来たというのではなく……

「やあやあチェレンティ君! これまでのようだねえ! 漸く纏めて始末する隙を見せてくれた! 僧侶ハラームゾニフヤ殿を通じた宗教大臣パシャジャヴィーティヤ師とのコネは、私が有効活用させて貰おう! 彼も君との化かし合いより、私相手にレーマリアを買った方が得だと思ってくれたようだ! はっはっは!」
「やはり貴様祖国を売る気か! この愚か者!」

 呵々大笑するベルスコニスは、チェレンティの動きこそが警戒されていた隙を突き連れ込む事が出来たと考えている教帝近衛隊ケレレス執政官親衛隊プラエトリアニを上回る兵力を以て、勝利したと確信していた。

 その有様に、貴様では取引を成立させる事すら出来ぬ、東吼トルクに利用されて消されるけだと何故理解出来んのだ愚か者、と歯咬みするチェレンティ。結果的に己の策が祖国を窮地に追い込むは己の敗死より耐えられぬと……

「せからしかっ!!」
「あがーっ!?」
「何だとーっ!?」

 直後アルキリーレが長柄鉈を投槍めいて投擲! べらべらと喋るベルスコニスの大口を貫通! ベルスコニス即死! 闘技場コロセウムの反対側にいる相手を狙撃する技前とあまりに直線的かつ決断的な暴力行使にチェレンティ流石に驚愕! 恐らくベルスコニスもこの距離なら安全だと思っていたのだろうが……

「知ってた」

 途中で長柄鉈を己の喉に突きつけるのを止め鎖を外し投槍のように持ち替えているのを見ていたアントニクス、引き攣った微苦笑。

「これは仮の武器だけど、壊れた奴の修理はちゃんとするから……!」
「良か、良く来たど」

 投擲準備と同時に武器を針鼠のように背負って用心したレオルロが初めての戦場でまだあどけない表情に浮かびそうになる恐怖を、まだあどけないながらも女の前では格好を付けたいレーマリア男気質で堪えながらアルキリーレの傍らまで走り、予備の武器として自作の剣をアルキリーレに与えていた為、アントニクスは隙を突いて武器を手に取る事すら出来なかった。

 尤も、両腕が無事な状態で敗北した相手に、片手を折られた状態で元より通じるとも思えなかったが……

 そんな風にアントニクスですら動けなかったのだ。雑兵達は最早完全に唖然として気を呑まれていて。

貴様等きさんら! 貴様等きさんら貴様等きさんら大将ベルスコニスのようになりたかかっ!」

 そこに響き渡るのは、闘技場コロセウムを睥睨してのアルキリーレの大喝!獅子の神秘を込めた咆吼が、闘技場コロセウム狭しと轟き渡った!

「「「「「うわああああああああっ!!!!????」」」」」

 その効果は正に神秘的・奇跡的なまでに激烈に作用した。主君の無惨な死の衝撃もあって、金で集められたシルビ家地方軍団アウクシリアは唯の一喝で潰走したのである。無論流石にシルビ家の地方軍団アウクシリアの全軍がこの場に来ていた訳では無いが、一喝で軍団を潰走させた逸話は、アルキリーレの武名として帝国全土に鳴り響く事になる。

「どうせ碌な練兵しちょらんち思うとったが、何ばしに来よったとじゃあいつらあいどん

 これには流石にアルキリーレも呆れた。せいぜい動揺した敵を味方の増援と共に蹴散らすくらいの事を考えていたのだが……ベルスコニス自体殆ど死にに出てきたようなもので、チェレンティの念入りさや彼と取引しながらもベルスコニスも唆していた東吼トルクと比べて何と言う愚かしさか。流石文弱化著しいレーマリア貴族だが、これからこれと同レベルの連中を使って国防を手伝わねばならんというのは豪胆なアルキリーレをしてすら策ありとはいえ中々心胆寒からしめるものもあった。というか東吼トルクの連中も唆した相手がこうもあっさり破滅するとは思っていなかったのではないだろうか? ……ともあれ。

 そしてその時、続けてカエストゥスが声を張った。混乱が混沌に波及せんとする間際に、張るべき時に声を張った。

「罪を問われるべきはベルスコニス! やむを得ず従わざるを得なかった兵の罪は問わない! 故有って行動した者も、償う機会を与える! これ以上戦うなっ!」

 それはアルキリーレの獅子吼には流石に及ぶべくもない音量であったが、音響を計算されて設計された闘技場コロセウムに良く通る声であった。

「……優しかしおらしか奴じゃ」

 そして、アルキリーレは笑った。それは優しすぎる言葉とも言えたが、しかしアルキリーレはそんなカエストゥスだからこそ支えてやらなばと思ったのだから。

 更に何より、その言葉により完全にシルビ家地方軍団アウクシリアは戦意を失って投降し……その大勢に流されるように、既にアントニクスの敗北により戦意を奪われていたチェレンティの配下達もまた戦いの手を完全に止めた。

 敵を逃がせばまた殺しあいに来ると昔のアルキリーレなら言っただろう。だが、全ての敵を殺し尽くすよりも、戦わなくてもいいのだと言う言葉は時に戦い続けるより素早く戦いを終わらせる。

 無論優しさだけで全てを成せる程世界は優しくないが。

 アルキリーレがアントニクスとチェレンティに言った通りに。両方があってこそという時もある。それを示すように、闘技場コロセウムの戦いは終わった。
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