お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜 あやめ

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第16章 復讐と愛執のセレナーデ【過去編】

復讐と愛執のセレナーデ③ ~独白~

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(なんだ、この箱……)

 引き出しの中に入っていたのは、正方形の箱だった。

 淡いブルーの小さな箱。

 まるでアクセサリーでも入っているかのような、その箱を手に取れば、それはとてもとても──軽かった。

(……何が、入ってるんだろう?)

 ふと気になって、俺は、その箱を開けてみることにした。

 そっと蓋を上に持ちあげれば、それはあっさり開いた。

 そして、その中には

「空っぽ……?」

 何も、入っていなかった。

 そう、そこにあったのは、中身のないただの箱で、俺は、その空っぽの箱を見つめながら、ただただ困惑する。

 父はなぜ、こんな空の箱をとっていたのだろう。

 それも、こんな目のつく場所に、大切そうに引き出しの中にしまって……

 意味が分からず、箱を見つめていると、ふと引き出しの奥に、手帳が入っているのが見えた。

 見覚えのない『黒革の手帳』

 父が、仕事で使っていた手帳とも違う、真っ黒な、真っ黒な──手帳。

(こんな手帳……持ってたっけ?)

 そっと箱を机の上に置くと、俺は恐る恐る、その手帳を手に取った。

 ぱらぱらとめくってみれば、そこには

 父の字で
 父の言葉で

 父の思いが、たくさんつづられていた。



 ===================

 ××/4/14

 今日は、レオの10歳の誕生日。そして、明日は君の命日。息子の誕生日を、母親の命日にしなかった君は、とても息子思いな優しい人だね。

 最期まで必死に生きようとしていた君の姿を、俺は今でもよく覚えてる。会いたいな、君に。それなのに、最近は夢の中ですら会えないね。

 俺が、夢を見ないほどに、疲れているのもあるかもしれないけど、出来るなら、明日、会いに来てほしい。

 一目でもいいから、夢の中でもいいから
 また、紗那に会いたい。

 ==================


「……さ、な?」

 それは、母の名前だった。

 そこには、父の母に対する想いが、何枚にも、何ページにも渡って、綴られていた。

 そして……


 ==================

 ××/12/19

 来年は、レオが中学生になる。
 制服に学用品、思ったよりもお金がかかりそうで、また、君に頼らないといけないみたいだ。

 できるなら、これだけは残しておきたかった。これは結婚する時、君のために、散々悩んでプレゼントした指輪だったから。

 君は、とても喜んでくれたね。それなのに、すまない。こんな駄目な父親で、本当にすまない。

 だけど、どうかレオのためにも、許してくれ。

 ==================


「……指…輪?」

 読んだ瞬間、ゆっくりと顔をあげれば、机の上においた『箱』が目に入った。

 何も入ってない、空っぽの箱。
 中身のない、空っぽの箱。

 だけど、そこに入っていた物が、何だったのかを理解した瞬間、手帳を手にした指先が震え始めた。

 そういえば、あれだけあった母の物は、今、どこにあるのだろう?

 父が大切にしていた『母の形見』は

 今──……


「……嘘だ……ッ」

 嘘だ、嘘だ、嘘だ──!

 瞬間、弾かれたように立ち上がった俺は、押入れをあけて、中の物を全て引っ張り出した。

 埃っぽい段ボールも、そこに入っていた缶や袋も、父のタンスも、何もかも全部ひっくり返したけど

「ない……っ」

 ない、ない、どこにもない……!

 母の服も、母の髪飾りも、母の使っていたものが、なにもかも。

「………嘘…だろ……っ」

 父の部屋を全て探しきり、母の形見が何も残っていないのだと気づいた瞬間、荒れ放題の部屋の中で、俺は一人崩れ落ちた。

 父は、とても母を愛していた。
 それは、子供の俺にも、よくわかるほど。

 だけど、父は、そんなにも愛していた母の形見を売って、俺を、育てていたのだと。

「……ぅ、そ……だ……っ」

 何度と、そう呟いたのは、信じたくなかったから。

 だけど、何度、箱の中を覗きこんでも、そこには何も入っていなかった。

 父が母のことを思い、プレゼントした『指輪』は、もう売り払われた後で

 何の価値もない、その箱に
 虚しく空虚な、その箱の中身に

 堪えていたはずの涙が、ぽろぽろと溢れだした。

「っ、そん…な……ッ」

 知らなかった。
 そんなにも、お金に困っていたなんて

 気づかなかった。
 あんなにも愛していた母の形見を

 父が、手放していたなんて──


「…、ぅ……っ」

 震えながら、再び父の手帳を取れば、その最後のページを開いた。

 するとそこには、父が亡くなる前日の日記が書かれていた。

 母に向けて書いた、最後の言葉──


 ===================

 ××/1/28

 明日、社長のご友人たちが、ホテルに宿泊するらしい。もう何度と、お得意様の接待に駆り出されているけど、さすがに、もう疲れてきた。

 君もレオも、ホテルマンとして働く俺を、カッコイイと言ってくれたね。

 でも、あの会社は、悪魔の会社だ。

 容姿のいい従業員を、ホストやホステスのように扱って、客のご機嫌をとってる。

 お陰で、もう何人と従業員が辞めてしまった。俺も辞められたらいいけど、脅されていて、そうもいかない。

 また、明日も、嫌いなお酒を飲みながら、無理に笑わなければいけないのだろう。

 そんな俺を見て、君は何を思うだろうね。

 見損なったと、笑うだろうか?
 最低だと、怒るだろうか?

 もう、疲れた。
 疲れすぎて、全く夢を見ない。

 君に会いたいのに、もう、それすらも叶わない。

 いっそ、俺が会いに行こうか?

 そうすれば、もう、苦しむこともない。



 ==================



「………」

 静かな部屋の中、そのページを見つめたまま、俺は動けなくなった。

 会いに行く? 誰に? 母さんに?

 その一言は、俺の心臓を深く深くえぐり取り、痛いくらい訴えかけてきた。

 涙で霞む文字を、何度と追いかけながら、父の最期の言葉を噛み締める。

 あの日、父がお酒を飲んだのは、ホテル側の命令だったのだと

 そして、あの日、父が亡くなったのは──…


「……、あ゛ぁ…っ」

 震えがとまらず、涙も止まらず、何かにすがりたいばかりに、俺は、手帳を持ったまま部屋を飛び出した。

 廊下を駆け抜けて、仏間に一人座り込んでいた祖母の元に駆け寄ると

「ばぁちゃん──ッ!」

 一人では抱えきれなかった。
 苦しくて、悲しくて、仕方なくて

「ばあちゃん、これ……っ」

 震える手で、手帳を差し出せば、混沌とする思いを、必死に紡いだ。

「と……父さん……本当に……事故、だったのかな?」

 あの日、父が川に落ちたのは、本当に事故だったのだろうか?

 愛していた母の形見を、全て手放し
 夢も見れないほど疲れはてていた父は

 悪魔たちに
 身も心も掠め取られていた父は

 自ら川に、飛び込んだのではないかと……


「父さん……は……っ」

「あらあら、玲二。どうしたのかねぇ、そんなに泣いて……」

 仏間に静かに声が響くと、祖母はぎゅっと俺を抱きしめてきた。

 痩せ細った手は、老いた老人の手で、だけど、その温もりは、大好きな家族の優しい熱で……

 でも『玲二』と言われたその言葉に、今まで堪えていたものが、一気に爆発した。

「だから、俺はレオだって言ってるだろ!!」

 そう叫んだあとは、もう止まらなかった。

「なんで! なんで思い出さないんだよ! なんで、忘れてるんだよ!! なんで、笑ってるんだよ! 父さんが……自分の息子が、自殺したかもしれないのにッ!!」

 叫び、怒鳴りつけ、声を震わせたあと、また泣き叫んだ。

「思い……出して……ッ」

 思い出して
 忘れないで

 俺のことを
 父さんのことを

 しっかりと
 その心に刻みつけて──…


 それは、ほんの小さな願いだった。

 せめて、この悲しみを
 家族を亡くした、この痛みを

 共に、分かちあいたい。

 だけど祖母は、そんな俺を再び抱きしめると

「大丈夫よ、玲二……大丈夫」
「……っ」

 そう言って、頭を撫で、また微笑んだ。

 まるで、我が子をあやす母親のように

 残酷で
 優しくて
 愛おしい、その姿に


 また、涙が溢れた。








 人は、忘れる生き物らしい。


 だけど、忘れてしまうのは

 ある意味


 幸せなことなのかもしれない。



 この、哀しみも

 この、苦しみも

 この、怒りですら


 何もかも、消えてくれるのなら



 いっそ

 忘れてしまいたいと思った。



 この涙が枯れる頃

 もし、それが叶うのなら



 どうか、この悲しい記憶を



 根こそぎ、奪い取ってほしい。





 そんな事を考えながら






 俺は、ただひたすら





 泣き叫んでいた。





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