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第10章 涙の向こう側
第157話 侵入者とトラウマ
しおりを挟む(……誰?)
朧気に感じた人の気配。だが、自分一人しかいないはずのこの家の中で、人の気配がするなんて、本来ならあるはずがなかった。
「っ……ん」
熱のせいか意識は朦朧としていて、雨が降っているのもあり、カーテンを閉めきったままの室内はやけに薄暗かった。
ギシッ──
すると、未だに思考が追いついていない飛鳥のもとに、今度は床が軋む音が聞こえた。
気怠い思考を動かし、その薄暗い室内に目を凝らす。するとそこに、ゆらりと影が揺らいだ。
見えたのは、自分を見下ろす、男の影。
「──ッ」
その影が飛鳥を覆った瞬間、飛鳥はやっと自分の現状を把握した。
逆光のせいで顔は分からないが、明らかに華や蓮とは違うその影。
そして、伸びてきた、その男の手に思い出したのは──
《コレクションに、加えたくなったんだよ》
10年前の、あの忌まわしい記憶だった。
10月の黄昏時、飛鳥は、薄暗いトイレの中で一人捕えられた。
押さえつけられ、身体を撫でられ、誘拐するために、意識を奪おうと首をしめられた。
朦朧とする意識の中。その影が、あの男と重なった瞬間
《たくさんたくさん、可愛がってあげよう》
自分を見下ろしながら笑う、男の声や、這う手の感触が
記憶の奥底から、一気に蘇ってくる。
「──っ、あ……!」
突然のことに、飛鳥はその身を一気に強ばらせた。
咄嗟に手を上げ抵抗するも、熱のせいか身体は思うように動かず、反応が遅れたその手は、伸びてきた男の手によって難なく捕らえられた。
「……ッ」
なんで?
なんで、家の中に?
嫌だ。怖い。気持ち悪い。
いやだ。いやだ。嫌だ
い──
「飛鳥、落ち着け!!」
「ッ……!?」
だが、その瞬間、飛鳥の思考は一気に引き戻された。
暴れる飛鳥の耳に響いたのは、酷く聞き覚えのある声だった。
朧気な思考が、その呼び掛けによりしっかりと覚醒する。すると、自分の手を捕らえた人物を確認して、飛鳥は目を見開いた。
「っ……た、か……ちゃん?」
「お前、大丈夫か?」
部屋の薄暗さになれた目で、目の前の人物を改めて確認すると、それは友人の隆臣だった。
珍しく取り乱す飛鳥を見て、隆臣が心配そうに声をかけると、その姿を確認して、さっきの影は自分の勘違いなのだと気づくと、飛鳥は、すっと力が抜けていくのを感じた。
「っ……な、んだ……隆、ちゃん…か……っ」
──よかった。
だが、そう思ったのも束の間。
「──て、良くない!? なんで、お前がここにいるんだよ!!」
蒼白し、飛び起きると、飛鳥は悲鳴にも似た声をあげた。
「なんで!? どうやって入ったの!? さすがの俺も、熱出して家で寝込んでる時に変質者が現れたら、為す術もないっていうか……え? なにこれ、どういう状況? 俺どうなんの? やられんの? このまま、死ぬの?」
「誰が変質者だ。別に寝首かきにきたわけじゃねーよ。とりあえず差し入れ。食うか、プリン」
そう言うと、隆臣は手にした袋を飛鳥の前に差し出してきた。飛鳥はその袋をみつめると
「……なにか、やばいもの……入ってたりしないよね?」
(めちゃくちゃ警戒してる)
びくびくと疑惑混じりの視線をむける飛鳥をみて、隆臣ははぁと深く息をつく。
どうやら、余程怖がらせてしまったらしい。まぁ、誰もいない家に、いきなり人がいたら、驚くよな。
「……飛鳥、スマホは?」
「え?」
「来る前に、メッセージ送ったのに、全く既読つかないし、インターフォンも何度か鳴らしたけど出ねーから、中で倒れてるんじゃないかとおもって」
「え? それで入ってきたの?……て、まさか玄関、破壊した?」
「んな訳ねーだろ。普通に鍵使って……」
「普通じゃないだろ!? なんで、隆ちゃんがうち鍵もってんの!? お前、マジで警察呼ぶぞ!?」
「あのな、さっきから人のこと犯罪者扱いすんな!」
だが、いくら仲がいい友人とは言え、オートロック式のセキュリティマンションで、鍵も持たない他人が、いきなり不法侵入してきたら、誰だって驚く。
「いや、マジで、どうやって入ったの?」
「実は今朝、蓮からLIMEがきて」
「え?」
「俺の講義、今日は午前中だけだって話しをしたら『兄貴が熱出して寝込んでるから、良かったら様子見に行ってくれ』って、わざわざ家まで、鍵渡しに来たんだよ」
「……」
その返答に、今隆臣がここにいる経緯を納得した飛鳥は、華と蓮の行動に顔をひきつらせる。
「なにそれ……俺いくつだよ、小学生か!」
「まぁ、お前、体調管理には人一倍気をつけてるからな。そんな兄貴が久しぶりに寝込んだから、心配だったんだろ?……で?熱はどうだ?」
「あー……朝よりは、下がったかも」
「そうか、飯は? キッチン借りていいなら、適当に作るぞ?」
カーペットの上に腰を下ろすと、隆臣はベッドに座る飛鳥を見上げながら、いつもと変わらない声を発した。
昼前にわざわざ来てくれたのは、お昼ご飯を作りにきてくれたのか?飛鳥は、ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
「お昼は、いいよ……プリンだけ貰う」
すると、そう言って視線をそらす飛鳥をみて、隆臣はその後一呼吸考え込むと、袋の中から、買ってきたスポーツドリンクとプリンを差し出す。
「まー少しは食え。朝もあまりくってねーんだろ?」
「ん……ありがとう」
隆臣から受け取ると、飛鳥は水分をとるため、冷えたスポーツドリンクで喉を潤す。
「ごめんね? うちの子たちが迷惑かけて……」
「別に、迷惑じゃねーよ。お前だって、家族が寝込んでたら、いつも甲斐甲斐しく看病してたじゃねーか、華や蓮だって同じだろ。少しでもお前の役に立ちたいと思って、俺のとこに来た。お前、滅多に寝込まないし、アイツら凄く心配してたぞ。華なんか目赤かったし、泣いたんじゃないか?」
「泣くほど心配すること? ただ、熱出しただけだよ。今すぐ死ぬってわけじゃないんだから……」
「でも、ゆりさんは、突然亡くなったんだろ?」
「……っ」
瞬間、その名を聞いて、飛鳥の身体がピタリと止まる。
「だから、華と蓮も、お前に何かあったらって思ったら、不安だったんだろ」
「……」
そう言われて、胸の奥が、かすかな痛みを発した。
思い出すのは、あの日救急車の中で息を引き取った
──母の最期の姿。
でも……
「それは、ないよ……だって、あいつらは……覚えてない」
母さんが死んだ時のことなんて、何一つ、覚えてない。
むしろ、覚えてなくていい。
───あんな、辛い記憶。
「覚えてなくても、アイツらだって、もう家族を失うのは嫌なんだろ。特にお前は、母親代わりみたいなもんだったし」
「……」
それは、酷く心に響いて、飛鳥は隆臣に向けていた視線を自分の手元に落とすと、薄い掛布団をぎゅっと握りしめた。
「隆ちゃんは……失ったことある? 目の前で、大切な人……亡くしたこと……ある?」
目をふせ、ポツリポツリと呟く飛鳥いた飛鳥の言葉。それを聞いて、今度は隆臣は目を細めた。
(……珍しいな。飛鳥が、俺にそんなこと聞いてくるなんて……)
結われていない髪の隙間からは、苦しそうに表情をゆがめる飛鳥の顔が見えた。
日頃、弱音を吐かない飛鳥の、どこか悲痛な問いかけ。
熱のせいか?
それとも───
「そうだな……そいつが大切な人だったかはわかんねーけど、失いかけたことならあるぞ」
隆臣は、その後飛鳥から視線を逸らすと、あくまでも普段通り話し始めた。
「え? 失いかけたって……助かったの? その人」
「あぁ、ギリギリな」
「そう、なんだ……凄いね、隆ちゃんは」
──なにが違うんだろう。
俺には無理だった。
そしてそれは、あの日、母さんが息を引き取るのを目にして、更に実感した。
ほんの少し選択を間違えただけで、人は簡単に失ってしまう。
どんなに守りたくても
どんなに失いたくなくても
簡単に、失ってしまう。
「どうしたら……守れるんだろう」
すると飛鳥は、またポツリポツリと呟く。
「どうしたら、大切なもの全部、守れるんだろう……どうしたら……なにも、失わずに、生きていける……?」
目を閉じれば、思い出す。
母さんの笑った顔──
守りたかった。
でも、守れなかった。
どうしたら、守れた?
どうしたら、失わずにすんだ?
どうしたら?
どうしたら?
どうしていたら?
その方法を、ずっと探してるのに
『答え』が見つからない───
「全部、守りたいのか?」
「うん……っ」
「……」
重く言葉を発すれば、隆臣がまた口を開く。だが
「そうか……でも、お前には無理だ」
「……え?」
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