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第一部 第一章

一人ぼっちになりました

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 まるで僕が存在しないかのように、膝を抱え座っている僕の目の前を、リーヴェ男爵家のお屋敷から来た使用人たちが行き来する。
(……ぐすっ、母さまっ…!うぅっ…ふうぅっ……!)

□□□□□

 僕─ユーリ・リーヴェは「別邸」と呼ばれるこの家で、母さま─セレナ・リーヴェとずっと二人で暮らしてきた。
 僕の父さま─ヴィンス・リーヴェは男爵としてのお仕事が忙しく、ずっと男爵家のお屋敷にいるから会うことができないらしい。
 前にどうしても父さまに会いたくなって、「男爵家のお屋敷に行きたい」と母さまに言ったことがあった。でも、「お仕事の邪魔になるし、それに…お外は危険がいっぱいだから、私たちはお家の敷地内から出たらダメなのよ」と止められて会うことができなかった。
 母さまにそう言われた時は少しムッとしたけど、その時の母さまの表情がとても辛そうだったから、
(母さまも会いたいのを我慢しているんだ…)
と思って、それからは父さまのお話しをするのは止めた。
 だから、このお家には僕と母さまの二人っきりだった。
 でも、二人だけの生活でも、僕は毎日がすごく楽しかった!
 朝起きて、母さまと一緒にご飯を食べて、お家の掃除のお手伝いをして、夜になったら母さまの寝室で母さまに抱きしめられて寝る。
 こんな幸せな日々がずっとずーっと続くと思っていた。

 だけど、二週間くらい前から、母さまが体調を崩しちゃって、その三日後にはベッドから起き上がることも出来なくなっていた。
 母さまも最初は「大丈夫、明日には治っているから」と言っていたけど、だんだん顔色も悪くなって、ご飯もあまり食べなくなってしまった。
「母さま、もう少し食べない?」
「ごめんね…。母さま、もうお腹いっぱいだわ。
…そんな心配そうなお顔をしないで。大丈夫!もう少し休んでいれば治るわ」
「うん!いっぱい休んで元気になってね!」
 母さまは僕の頬を優しく撫でると、横になって眠った。

……でも僕は、母さまの「」という言葉が何となく嘘だと気付いていた。

(どうしよう…。このままだと母さまが死んじゃうっ…!
でも、どうすればっ…)
生まれてからずっとこのお家の敷地内から出たことがなかった僕は、どこに行けばお医者さまに会えるのかが分からなかった。
それでも必死に、必死に考え、
(…っそうだ!父さまに『母さまが具合が悪い』って伝えたら、助けてくれるかも!)と思いつき、
週に一度、食べ物や日用品などの荷物をお家に届けに来てくれる男爵家の使用人─ジョンに、父さまへの伝言をお願いすることにした。
(あっ…。でもジョンは僕を見るとびっくりしちゃうみたいだから…
今度は気を付けなくちゃ!)
 
─というのも、前に『いつも荷物を持ってきてくれてありがとう』って伝えようと思って、荷物を届けに来たジョンに会いに行ったことがあった。
でも、玄関で母さまに荷物を渡していたジョンが奥の部屋から来た僕に気付くと「ひいぃっ!の、のろわれるっ…!」と言って荷馬車まで走って、そのまま帰ってしまったんだ。
(の、のろわれる…?)
母さまは、訳が分からずポカーンとジョンが帰ってしまった方向を見ている僕の頭をそっと撫で、「ジョンは少し疲れていて、ユーリをお化けだと見間違えたのかしらね」と悲しそうに言った。
 次の週から、ジョンは母さまに荷物を手渡すのではなく、お家の玄関の前に置くようになった。
母さまは玄関に置かれた荷物を見て、僕に一つお願いした。
「ユーリ、母さまと一つお約束をして欲しいの」
「おやくそく?」
「ええ。母さま以外の人に会う時はこのローブを着てほしいの」
 そう言って手渡されたのは、黒のローブだった。ローブにはすごく大きいフードがついていて、それを被ると僕の顔は口しか見えなくなった。
「かっ、母さま!
 全然前が見えないよ~!」
「うふふ!ユーリには少し大き過ぎたみたいね。
…でも、これなら大丈夫そうね。
ユーリ、お願い。人と会う時は必ずこのフードでお顔を隠して。母さまとのお約束よ」
そう言ってローブを着ている僕を抱きしめる。
(このローブを着ていれば、お化けに間違えられないのかな…?)
「うん!僕、母さまとお約束する!」
僕が元気に返事をすると、母さまは小さく「ごめんね」と呟いた。
「…んぅ?どうしたの母さま?」
「…なんでもないわ。
さぁ、この荷物を中に運ばないとね。
うーん、どこかに荷物を運ぶのを手伝ってくれる良い子はいないかな~?」
「っ!あいっ!僕が、僕が手伝ってあげる!」
「そう?じゃあ、お願いしちゃおうかしら!」
「うん!任せて!」

─その母さまとの約束があったから、ジョンが荷物を置きに来る日、僕はフードを被ってから玄関でジョンが来るのを待っていた。
(馬の声…?ジョンが来たのかもっ!)
玄関の前で荷物を置くような音が聞こえると、すぐにドアを開き、フードで前が見えない状態のまま早口で喋った。
「あのっ、お屋敷にいる父さまに、『母さまの具合が悪いから助けて』って伝えてください!お願いします!」
最後に勢いよく頭を下げると、誰かが目の前から走り出す音が聞こえた。
(大丈夫だよね…?ジョンに伝わったよね…?)

 それから二日後、父さまが手配してくれたお医者さまがお家に来た。そのお医者さまは、これから毎日母さまの様子を見に通ってくれるらしい。
(よかった…!ちゃんとジョンに伝わっていたんだ!)
診察が終わった後、僕はどうやってお医者さまを呼んだのかを胸を張りながら母さまにお話した。
「─だからね、
僕、ジョンにお父さまへの伝言をお願いしたんだ!『母さまを助けて』って!
もちろん、ちゃんとフードは被っていたよ?」
ベッドに寝ながら話を聞いていた母さまは「そう…」と呟くと、母さまの隣に寝るように僕に言った。
言われた通り僕が寝転がると頭を優しく撫で、
「ユーリは頑張り屋さんで優しくて、とても良い子ね。
母さまの大切な大切な宝物。忘れないで、母さまはユーリが大好きよ」
そう歌うように耳元で囁いた。

それから一週間後、
母さまが体調を崩してからの日課通りに、僕は朝起きると母さまのお部屋に行き、カーテンを開けながら挨拶をしていた。
「母さま、おはようございます。
わぁ、見てください!今日も良いお天気で……すよ…?」
振り返った先で僕が見たのは、いつも通り穏やかに微笑む母さまのお顔ではなく、…見たこともないくらい青白いお顔をした母さまだった…。
 いつもの時間にやってきたお医者さまに急いで母さまの様子を伝えると、すぐに母さまの寝室に来て診てくれた。
そして、ひと通りの診察を終えると、ただ一言「亡くなっておられますね」とだけ言って診察道具をまとめて家を出ていった。
母さまと二人っきりになった部屋で、僕はお医者さまが言ったことが信じられず、母さまに声をかけ続けた。
「ねぇ、母さま。朝だよおきて…。
昨日も「また明日」っていってた…でしょ…?
ううっ…、だから…ぐすっ……だからっ…。おきてよ!おきてよ…かあさまーー!」
僕はもう動かない母さまを抱きしめながら泣き続けた。

 少しすると、玄関のドアノッカーをカンカンと叩く音がした。
(誰かきた…?)
僕は涙で濡れていた目をこすり、フードを被って顔を隠してから玄関を開けた。
すると、
「いたっ!」
急にドンッと後ろに突き飛ばされ転がっているうちに、家の中にたくさんの人が入ってきた。
(っなに、この人たち…?誰なの…?)
呆然としていると、近くに誰かがやって来て僕に言い放った。
「我々は男爵様の命により、男爵家の屋敷から参りました。
これから、奥様の亡骸を埋葬する準備を行いますので、そこにいられると大変迷惑です。早く立って部屋の隅にでも移動してください」
「えっ…父さまの命令で?」
それだけ話し、僕の横を通り過ぎる時に、ガッと足で僕の体を蹴飛ばした。
「……ッ!」
「おや、見えない荷物でもあったのですかねぇ。さぁ仕事仕事」と、わざとらしく言いながら離れていった。
(母さまを最後まで見送らないとっ…)
僕は蹴られたところを押さえながら、言われた通りに母さまの部屋の隅に移動し、膝を抱えて座り込んだ。
そして僕は、フードの裾を少し上げ、母さまが運ばれていくのを泣きながら見守った…。

□□□□□

 しばらくすると、使用人たちの仕事が終わったらしく、部屋からたくさんの人が出て行った。
僕も立ち上がろうとすると、目の前に誰かが立っていた。
「旦那様がお呼びです。
今すぐ準備を整え、外の馬車まで来るように」
それだけ言うとその人は部屋を出て行った。
(さっき僕を蹴った人とは違う声だ…。
旦那さま…?父さまが僕を呼んでるの?
もしかして、これから一緒に住めるのかな…?)
僕はとりあえず顔を洗って、軽く髪を梳かすとフードを被り直し、外に向かった。
フードの裾を上げながら外を見てみると、馬車が一台止まっており、その前に執事服を着た男の人が立っていた。
(さっき、僕のところに来た人かな…?)
走ってその執事さんのところまで行ってみると、執事さんは馬車の扉を無言で開けた。
(…?乗っていいんだよね?)
そうして僕は初めての馬車にドキドキしながら乗り込んだ。
 僕が乗り込むと、扉が閉められ、
ムチの音ともに馬車が走り出した。
初めて乗った馬車から見た外の風景は、お家の敷地内から出たことがなかった僕にとって、とても楽しいものだった。だけど、道がガタガタしているせいで馬車が大きく揺れ、椅子から何度も転げ落ちてしまった。

 ぼーっと景色を見ているうちに、だんだんとお家が多く見えるようになり、道もガタガタしなくなった。
しばらくすると、馬車が止まり、「降りてください」という声とともに扉が開かれた。そして、執事さんは僕が馬車から降りるのを待たないで歩き出してしまった。
「あっ…待ってください…」
僕は急いで降りると執事さんを追いかけた。
(すごい…!大きいお屋敷だぁ!
僕と母さまのお家がいっぱい入っちゃう…!)
僕たちが向かっていたお屋敷は、僕と母さまが住んでいたお家の何倍もの大きさがあった。
僕たちが今とおっているお庭も、大きく水しぶきをあげる噴水があったり、見たこともない色とりどりのお花が咲いていたりで、とても綺麗だった。
僕と母さまのお家のお庭は、広かったけど二人だと手入れするのが大変だったから、ちょっとした花壇だけつくって、あまりたくさんのお花を植えなかった。
(僕も母さまにこんなお庭を見せたかったな…)
お庭を進んでいくと、お屋敷の玄関にたどり着いた。
(すごい…!大きくて、重そうなドア…。巨人さん用?)
玄関を見上げてる僕には目もくれず、執事さんはドアを開けてどんどん中に入って行った。
(あっ…)
そうして僕も置いてかれないように急いで後をついていった。

 執事さんに案内され、お屋敷の中を歩いていた僕は、フードの中でずっと目を押さえていた。
(んぅ…、何だかまだ目がチカチカするよぅ…)
 僕と母さまのお家は穏やかな色の家具やカーペットを使っていたから、目に優しかった。
だけど、このお屋敷の中は、
玄関には金色の像があったり、家具も金色だったりで、見ていると目が痛くなりそうだった。
できるだけ、周りのものを見ないように歩いていると、執事さんがある部屋の前で立ち止まりドアを「コンコン」とノックをした。
「旦那様、別邸より連れて参りました」
「入れ」
執事さんは部屋のドアを開け、僕に中に入るように言うと、自分は中に入らずにドアを閉めた。
部屋を見渡すと、奥のデスクスペースに、ガッシリとした身体つきで、薄い緑色の髪と目を持つ40歳くらいの男の人がこちらに目もくれず仕事をしていた。
(この人が僕の父さまなのかな…?)
 僕がそう疑ったのには理由がある。
それは、この男の人の容姿と僕の容姿があまりにも似ていなかったからだ。
 僕の髪は黒くて、目はルビーのように真っ赤な色をしている。母さまもミルクティー色の髪に赤い目を持っていたから、僕の目は母さまの色を受け継いでいることがわかった。
でも、僕はこの男の人のような緑色の髪と目を持っていなかったから、自信がもてなかったんだ…。
(でも、さっきの執事さんが『旦那様』って言ってたから、父さまで間違いないよね…?)
 そう僕が考えこんでいると、男の人がため息をつき、書類から目を離さずに話しかけてきた。
「父親に対してろくに挨拶もできんとは…。
あの女は躾をしていなかったのか?」
(っ!やっぱり、この人が父さまだったんだ!)
僕ははっとして、すぐに姿勢を正してフードを外した。そして、初めて会った父さまにドキドキしながら、一生懸命元気よく挨拶をした。
「父さま、はじめまして!
 ユーリ・リーヴェです。今日からよろしくお願いします!」
と言って、最後にペコリと頭をさげた。
(どうかな…?僕、ちゃんと挨拶できたよね…?)
 緊張しながら父さまを見上げた僕の目に映ったのは…、大きく顔を歪めた父さまの表情だった。
父さまは、こぶしを机にダンっと叩きつけると、立ち上がり、僕に指をさしながら、唾を飛ばして叫んだ。
「お前に父と呼ばれる筋合いはないっ!何なんだその醜い容姿はっ!
なぜ、私の子のはずなのに私の色─リーヴェ家の証である緑色を持っていないんだ!
それにその赤い目、あの女にそっくりで気味が悪い!」
父さまはびっくりして何も言えない僕をさらに睨みつけながら、
「お前のような黒い髪を持っている人間など、本来生まれるはずがないのだっ!もし生まれたとしたら、そいつは人間じゃないっ!
なぜなら黒は魔物や魔物を使役し世界を滅ぼそうとした魔王の色とされてるからだっ!
それに、『今日からお世話になります』だとっ!?ふざけるな!
今日お前を呼んでやったのは、もう二度と会うことはないから最後に顔でも見ておいてやろうという私の優しさだっ!
お前がこの屋敷で私たち家族と住むことなど絶対にありえんっ!」
はぁはぁと息をし、父さまは僕に何かを投げつけた。
「…っ!」 
「別邸の権利書だ。
あそこはお前にくれてやるから、この屋敷には二度と来るな!
次に私やの前に姿を見せたらお前を殺してやるっ!」
そして、椅子にどかっと座ると、
「何をしている?早くその権利書を持って部屋から出ていけっ!
このっ…がっ!!」
そう言って僕に向かって灰皿を投げつけた。
僕は恐怖に震えながら権利書を拾うと、言われるがままに部屋を飛び出した。

玄関に向かって、走って戻っている途中、僕が思い出していたのは─先程の父さまの言葉だった。
『次に私やの前に姿を見せたらお前を殺してやるっ!』
(父さまにとって僕は家族じゃなかったの?)
『このっ…バケモノがっ!!』
(バケモノ…?
ううん、違う!だって母さまは僕の黒い髪を「綺麗ね」って褒めてくれた!「ご先祖様と同じだね」って!
だから、僕はバケモノなんかじゃっ…バケモノなんかじゃない…っ!)
涙を堪えながら僕が廊下を走っていると、曲がり角の向こうから数人の女性たちの話し声が聞こえてきた。

□□□□□

ユーリが曲がり角の向こうにいるとは知らずに、三人のメイドたちがおしゃべりをしながら廊下の掃除をしていた。
「ねぇ、リリア、マリー。
別邸から来たっていうお坊ちゃま、見た?」
モップで床を磨いていた少女─カトレアがモップの柄にアゴを乗せ、他の二人に質問した。
「あぁ!見た見た!
でも、私が見た時はフードを被っていたから、よく顔が見えなかったわ」
マリーと呼ばれた少女が窓拭きの手を止めバッと勢いよく振り返り、手をあげて反応した。
「それが、さっき旦那様の部屋から出ていく時、フードがとれていたらしいのっ!」
 すると、装飾品を磨いていたもう一人の少女─リリアが、思い出したように声をあげた。
「あっ!
私、旦那様の部屋から出ていく子供の顔を一瞬だけ見たわ!
でも、黒髪に赤い目なんて、
まるで、魔物や伝承に出てくる魔王みたいで怖かったから、すぐにその場を離れたわよ?」
「えっ、リリア、顔を見ちゃったの!?あぁ…うーん。…まぁでもすぐ離れたなら大丈夫かしら…?」
「どういうこと?」
カトレアは、不安そうにしているリリアと興味津々きょうみしんしんにしているマリーを近くに呼び、声を潜めながら話し出した。
「実は、坊っちゃまと目が合ったらのろわれるっていう噂があるらしいの。
だから、前の奥様も若くして亡くなったんじゃないかって!」
「えぇー!何それ!
 私さっき坊ちゃまを見ちゃった!どうしよう…!?目は合ってないと思うけど…」
怯えるリリアの肩をそっと撫でながら、マリーは自分の推測を確かめるかのように、カトレアに質問した。
「ねぇ、カトレア。
もしかして、坊っちゃまが顔が見えなくなるくらいのフードを被っていた理由って…?」
「えぇ。
多分、亡くなった奥さまがのろいの力に気付いて、それの対応策としてフードを被らせたんじゃないかしら」
「っ絶対そうよ!
何だか謎が解けたみたいでスッキリしたわ!」
「マリ~、スッキリしてる場合じゃないよ…。
私、のろわれてるかもしれないんだよ?」
「あぁリリア、ごめんごめん。
そんなに心配なら、今度の休み私と一緒に教会に行こうよ」
「うん…」
そんなマリーとリリアのやり取りを苦笑して見守っていたカトレアは、2人を励ますために声をかけた。
「でも大丈夫よ。
旦那様、坊ちゃまをこの屋敷じゃなくて別邸に住まわせるみたいだし。
それに、『あの別邸も古いし、あの女の霊が出てきたら気味が悪い』って言って、坊っちゃまに別邸を渡して、世話役の侍従と二人で住まわせるみたいだし。
私たちメイドが関わることなんて二度とないと思うわよ」
「そうなの?
あー良かった!これで安心してこのお屋敷で働けるわ!
ほら、リリアも元気出して!掃除の続きするわよ」
「うん」

□□□□□

 メイドさんたちの話を聞いてしまった僕は、もう我慢ができず泣いてしまっていた。
(はやく、はやくこの屋敷から出たいっ…!母さまに会いたいっ!)
 そうして走っているうちに、玄関の扉の前にたどり着いた僕は、ちょうど外から入って来た人にぶつかってしまった。
「わっ!」
「きゃっ!」
「「「奥様!」」」
僕は泣いていたこともあり、踏ん張ることができずに、ぶつかった衝撃で尻もちをついた。
(ぃたた…。…あ!ぶつかっちゃった人に謝らなきゃ)
ぶつかってしまった人の方を見上げると、紫っぽい髪と目の色を持ち、淡いブルーのドレスにキラキラと輝く宝飾品をちりばめた女の人が、こちらを睨みつけるように立っていた。
その女の人は顔を上げた僕と目が合うと眉を潜め、扇子で口元を隠しながら、僕に聞こえない声で何か呟いた。
「(ボソッ…)何なのその髪と目の色は? 黒い髪に赤い目なんて…、『バケモノ』と同じじゃないっ!」
 そして、僕を醜いものでも見るかのように見下し、
「ちょっと、誰か来て!
 早くこのバケモノをどこかにやってちょうだい!」
 甲高い声でそう叫ぶと、すぐに数人の使用人がやってきて、尻もちをついている僕を床に押さえつけた。
「痛っ!」
(やめてっ!痛いっ…!何で、どうしてっ…?)
僕は少しでも怒りを沈めて欲しくて、ドレスの女性に手を伸ばし、謝ろうとした。
「あの…、ごめんな…」
「きゃっー!
このバケモノがこっちに向かって何かしようとしてるわ!
誰か、誰か助けて!」
「「奥様っ!」」
ドレスの女性が叫び声を上げると、僕の体を押さえつけていた人が急にいなくなった。
そして、身体を起こそうとした僕に襲ってきたのは─背中への強烈な痛みだった。
「うぅっっ……!!」
痛みに耐えながら周りを見ると、使用人たちが手に持った木の棒のようなものを僕に振りかざしていた。
僕は反射的に手で頭を守り、身体を丸めて耐えながら必死で謝り、この時間が終わるのを祈った。
「ぐっ…!ごめっ…なさ…っ!ふぅぅっ…!ごめなさっ……ごめっ……い…」
 しばらくすると、僕の体を殴る手が止み、使用人たちが両脇を抱え、痛がる僕を無理矢理立たせた。
僕は痛みで顔を上げることはできなかったけど、地面に淡いブルーのドレスの裾が見えたから、目の前にドレスの女性が立っているのがわかった。
「あなたのその赤い目を見るだけで、
わたくしとヴィンスを引き裂いたあの女のことを思い出してしまいそうで、とても不愉快だわ!」
 ドレスの女性がそう言った後、「パンっ!」と僕の頬に鋭い痛みが走った。
…どうやら僕はドレスの女性に頬を扇子で叩かれたらしい…。
 ドレスの女性はフンッと鼻を鳴らすと、
「本ッ当、親子揃って気味が悪いわ!
ねぇ、早くこの醜いバケモノを私の前から消してちょうだい。
それに、噂通りのろわれたりしたら恐ろしいもの」
「かしこまりました」
 僕はそのまま使用人に両脇を抱えられながら、屋敷の前に止まっていた馬車に連れて行かれ、中に投げ入れられた。
「……っぐ!!」
使用人は馬車の扉を閉める前に、父さまからの伝言を伝えてきた。
「旦那様からご伝言です。
『帰りの馬車と世話役を用意してやるから、さっさと別邸に戻れ。
 二度とこの屋敷には近づくな』と。
 また、次に旦那様や奥様の前に姿を見せたら、『その時はお前の命の保証ない』ともおっしゃっておりました」
しと通り伝え終わると僕の返事も聞かずに、今度は馬車の御者に、
「では、世話役の者が準備を整え、馬車に乗り込んだら出発してください」
と言って馬車の扉を閉めた。

 僕は投げ込まれた時の格好のままま、床からしばらく動くことができなかった。
一度、馬車の中にある椅子に座ろうとしたけど、体が痛くて起き上がれずこのままの体勢でいるしかなかった。
一人になった僕は、体の痛みだけでなく、心も痛くて涙が止まらなかった。
(みんなっ…、父さまも僕が嫌いだった…!
…っ僕は『バケモノ』なのかな…?
だから、みんなが僕のことを嫌うの…?
わかんないっ…わかんないよ!母さまっ!)
ーそして僕は身体の痛みと疲れによって、気を失うように眠りについた。

「─リ、ユーリ。
どうしてそんなに泣いてるの?ユーリ」
遠くで誰かが僕を呼んでいる。
(そう、この優しくて温かい声は…)
「…ぁさま、…かぁさま?」
そう手を伸ばした先には、亡くなった母さまがいるはずもなく、見慣れた子供部屋の天井があるだけだった。
「んぅ…、あれ…母さま?」
(何で僕はここにいるんだっけ?)
 ぼっーとする頭のせいか、何で自分がここに寝ているのかをすぐには思い出せなかった。
けど、体を起こす時に身体中に走った痛みから、少しずつ記憶が戻ってきた。
(そうだ、僕…。確か帰りの馬車の中で眠っちゃって…)
そして、ユーリは、
─初めて会った父に罵られたこと
─屋敷の使用人たちから気味が悪いと言われたこと
─ドレスの女性からの暴力そしてその時の恐怖

「ふっ…うぅ…ふうぅ」
(ダメだ…また涙がでてきちゃう。母さま怖いよ。助けて…)
 ベッドの上で膝を抱えながら泣いていると、「ガチャッ」とドアが開き、部屋の中に誰かが入って来た。
(だれ…?
もう僕以外に人はいないはずなのに…?)
一生懸命、入ってきた人の顔を見ようとしたけど、部屋が薄暗いせいでよく見えなかった。
(執事服っぽいの着てる…?)
かろうじて見えたのは、男爵家の屋敷で見た執事服に似ている服だった。
その人は泣いている僕を見るとすぐにベッドに駆けつけ、
「ユーリ様、お目覚めになられたのですね。
あぁ、そんなに目を擦ってしまいますと目が腫れてしまいますよ」
そう言って僕の目に手を伸ばした。
 その瞬間、僕の頭に思い浮かんだのは─

『お前に父と呼ばれる筋合いはないっ!』
『次に私に顔を見せたらお前を殺してやる!このっ…バケモノがっ!!』
『目を合わせるとのろわれるらしいよ』
『早くこの醜いバケモノを私の前から消してちょうだい』

 ─パシッっ!
僕は反射的にその人の手を払ってしまった。
「あっ…。
 ごめっなさっ…、…めんなさい、ごめんなさいっ!」
「っユーリ様っ!」
 僕はその人の目を見ないように、痛む身体を無理矢理立たせ、部屋から逃げ出した。
(傷つけてごめんなさい、醜いバケモノでごめんなさいっ…)
 心の中で謝りながら廊下を走っていると、急に地面がなくなり、体がグラリと前に傾いた。
「えっ…?」
 いつの間にか、階段があるところまで走ってきてしまったらしい。
(えっ…嘘っ…!落ちるっ、誰かっ助けてー!)
 僕はそのまま階段から落ちて意識を失った。
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