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章1
幕間 【小学生が異世界に行ってひと夏の冒険をしてくるのは昔からわりとよくある話】 (1)
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「な、なんだよ。泣くなよ……俺が泣かせたみたいじゃん」
「ごめ……なさい……」
「姫野くん、先生と保健室いこっか。皆は静かに待ってるのよ」
――もう、かれこれ十年くらい前になる。
初恋だったのかどうかも曖昧だけど、小学生の頃、俺には気になるクラスメイトがいた。
姫野、なんて可愛らしい名前の同級生だ。
人前ではいつも泣いてばかりで、そうでない時はだいたい教室の隅っこで俯いていた。
同じクラスの連中は、すぐ泣く姫野のことを最初は心配していた。
だけど、すぐ泣くやつっていうのは反感も買いやすいもので、だんだん「泣けばどうにかなると思って泣いてんじゃないのか?」と白い目を向けられることも増えてくる。
急に泣かれれば自分が悪者にされるかもしれない。
そういうのが嫌で、みんな姫野には近付かなくなった。
俺は、というと、姫野が泣いたのを見てから気になりだしたクチなので皆とは少し状況が違う。
泣いてるやつをつついたらもっと泣くのは当然のことだ。
だが、当時の俺は今振り返ってもそうとうなバカだった。
気になることにはとことん首を突っ込まないと気が済まなくて、泣いている姫野をしょっちゅう追いかけ回していた。
「なあ姫野、さっきはなんで泣いたんだ?」
なんであんなに追いかけ回したくなったのか、当時の俺には理解できなかった。
今思えば、姫野が俺と相対して泣いた、という事実に特別感みたいなのを覚えていたんだと思う。
俺の言葉で泣かせて、俺の言葉で泣きやませられるんだとしたら、気持ちいいだろうな……、みたいな。
罪悪感の鈍い子供だからなんとも思わず抱けたほの暗い感情だ。
「……ごめんなさい」
「別に怒ってないだろ。なんで泣いたのか訊いてんの。何か悲しいことでもあったのか?」
小学生の頃の俺にとって、泣く=痛いか悲しいかのどっちかだった。
怪我はしてなさそうだったから、きっと飼ってる金魚が死んだとか、仲のいい友達が引っ越したとか、そういう事情があるんじゃないかと考えていたのだ。
「違……あの……」
「なに?」
放課後、そそくさと帰ろうとしていた姫野のランドセルを掴んで引き留めた。
たいして腕力に差はないので、帰ろうともがく姫野に引っ張られる形で俺も歩き出す。
ランドセルを掴んだまま一緒に帰るという珍妙な光景だったが、小学生の間ではそう珍しいシチュエーションではないので、道行く大人たちは誰も気に留めないまま通り過ぎていく。
「あ、また泣いた。俺が怖い?」
姫野の貴重な声に耳を傾けようと聞き返す。
静聴の姿勢を見せたつもりが、姫野はそれを責められていると勘違いしたらしく口を閉ざしてしまった。
目にいっぱいの涙をためた姫野が、ふるふると首を振って否定する。
「じゃあなんで泣くんだよー、なあ姫野」
このやりとりはこの日だけの話ではなく、ここしばらくずっと続いている会話だった。
当時の俺にとっては、最早同じことを繰り返すじゃれあいに近い感覚だったように思う。
姫野にとっては苦痛だったかもしれないが、今それに思い至ったところであとのまつりだ。
俺はそうと知らず、毎日、すこしずつ姫野を追いつめていってしまって。
その日、姫野はそれ以上なにも言い返さず、俺の手を振りきって通学路を駆け出した。
そこが道の真ん中でなければ、俺も倣って追いかけっこを始めていただろう。
でも、そこは見通しの悪い曲がり角で、いつも親や先生にそのあたりを通る時は気を付けなさいと言い聞かされていた場所だったのだ。
「あ! おい姫野! 危ない!」
叫んだのとほとんど同時に、車のクラクションとブレーキの音が聞こえて。
車道に飛び出した姫野の姿が、見えなくなった。
車を運転していた男の人が、数メートル先でとまって車を降り、血相を変えて駆け戻ってきた。
俺も、車にはねられたかもしれない姫野の様子を見るべく同じ現場に走り寄る。
「今、男の子が……き、君か? 君が飛び出してきたんだよな? そうだよな? そして怪我はなかったんだよな?」
「違うよ、おじさん! 姫野は!」
姫野は、どこにもいなかった。
血まみれで倒れてる姿もない。
かといって、すんでのところで助かってしりもちをついている姿も、どこにもなくて。
「いや、確かにブレーキが間に合わなかったはずなのに……ぶつかった衝撃が全然なかったんだ。しかし乗り上げた感触もなかった。俺の……幻覚じゃないよな……?」
「姫野はちゃんと居た! ここに! さっきまで俺と話してたんだ!」
その事故を見た人間は、俺と当事者のおじさん二人だけだった。
俺もおじさんも、確かに姫野の姿を見ていた。
でも姫野の姿はなくて、おじさんが警察に連絡して、姫野がどこかに倒れていないか丸一日探してくれた。
学校にも警察から連絡が入ったらしい。
でも、その話を聞いた担任の先生は青ざめるばかりで、姫野の両親を訪ねに行ったりはしなかった。
姫野は、少し前に両親を亡くしていたんだそうだ。
朝の会――いわゆるホームルーム中に先生の話を聞いていなかったクソガキの俺には、そんなことは寝耳に水だった。
そして、姫野が泣いてばかりになったここしばらく。
ひとりぼっちになった姫野を、親戚の誰が引き取るかで揉めていたんだそうだ。
親代わりとして迎え入れるのではなく、厄介者を押しつけあうように。
あいつにとって、悲しいことなんていくらでもあった。
子供の俺には想像もつかないくらいの悲しいことを抱えて、ほんとは引きこもって毎日泣いててもおかしくないのに、学校に来て、まじめに勉強して帰っていた。
あの日が、俺が特別だったんじゃなくて……。
俺はその時、最悪のかたちで、たぶん人生ではじめて「罪悪感」というものを知った。
次の日から、姫野は学校に来なくなった。
事故は起こらなかったこととして処理され、「飛び出してきたはずの小学生」はおじさんの見間違い、という扱いになってしまった。
姫野が無事だったならそれでいい。
さすがに何日も家に帰らないことはないだろうから、きっと姫野の家を訪ねれば会えるだろう。
謝らなきゃ。少なくとも、俺がふざけてつきまとったせいであぶない目に遭わせたのは事実なんだから。
そう思って先生に姫野の住所を聞いたら、姫野の家は「売りに出された」ことになっていた。
姫野の家、あの屋敷は、売られて外国人のものに名義が変わったんだそうだ。
いまいちぴんとこなくて母ちゃんに聞いた。
つまり、姫野がいると思っていた場所にはもう誰も住んでなくて、知らない外国人が一人で住んでるっぽくて。
もやもやしたまま、俺は、父ちゃんの転勤と一緒に別の学校に転校してしまった。
まだ子供だったから。
大人の都合には絶対に逆らえなくて、父ちゃんが引っ越すとなったら俺に拒否権はなかった。
謝らなきゃならない人がいる、と主張したら、手紙でも出せ、と一蹴された。
生きているのかどうかすら、確信が持てない。
引っ越し先で知り合った男友達に、ラノベという小説本が漫画になったやつを借りて読んだ。
「トラックにはねられて、魔物の住む異世界に飛ばされる主人公」という話だ。
子供心ながらぞっとした。
姫野はきっとそこにつれていかれたんだ、と、思いこんだ。
さすがに高校に入る頃にはそれはないって分かってたけど。
それでも、あの日。
姫野を泣かせたまま別れてしまったという後悔だけが、ずっと俺の中にあざみたいに残っていた。
「ごめ……なさい……」
「姫野くん、先生と保健室いこっか。皆は静かに待ってるのよ」
――もう、かれこれ十年くらい前になる。
初恋だったのかどうかも曖昧だけど、小学生の頃、俺には気になるクラスメイトがいた。
姫野、なんて可愛らしい名前の同級生だ。
人前ではいつも泣いてばかりで、そうでない時はだいたい教室の隅っこで俯いていた。
同じクラスの連中は、すぐ泣く姫野のことを最初は心配していた。
だけど、すぐ泣くやつっていうのは反感も買いやすいもので、だんだん「泣けばどうにかなると思って泣いてんじゃないのか?」と白い目を向けられることも増えてくる。
急に泣かれれば自分が悪者にされるかもしれない。
そういうのが嫌で、みんな姫野には近付かなくなった。
俺は、というと、姫野が泣いたのを見てから気になりだしたクチなので皆とは少し状況が違う。
泣いてるやつをつついたらもっと泣くのは当然のことだ。
だが、当時の俺は今振り返ってもそうとうなバカだった。
気になることにはとことん首を突っ込まないと気が済まなくて、泣いている姫野をしょっちゅう追いかけ回していた。
「なあ姫野、さっきはなんで泣いたんだ?」
なんであんなに追いかけ回したくなったのか、当時の俺には理解できなかった。
今思えば、姫野が俺と相対して泣いた、という事実に特別感みたいなのを覚えていたんだと思う。
俺の言葉で泣かせて、俺の言葉で泣きやませられるんだとしたら、気持ちいいだろうな……、みたいな。
罪悪感の鈍い子供だからなんとも思わず抱けたほの暗い感情だ。
「……ごめんなさい」
「別に怒ってないだろ。なんで泣いたのか訊いてんの。何か悲しいことでもあったのか?」
小学生の頃の俺にとって、泣く=痛いか悲しいかのどっちかだった。
怪我はしてなさそうだったから、きっと飼ってる金魚が死んだとか、仲のいい友達が引っ越したとか、そういう事情があるんじゃないかと考えていたのだ。
「違……あの……」
「なに?」
放課後、そそくさと帰ろうとしていた姫野のランドセルを掴んで引き留めた。
たいして腕力に差はないので、帰ろうともがく姫野に引っ張られる形で俺も歩き出す。
ランドセルを掴んだまま一緒に帰るという珍妙な光景だったが、小学生の間ではそう珍しいシチュエーションではないので、道行く大人たちは誰も気に留めないまま通り過ぎていく。
「あ、また泣いた。俺が怖い?」
姫野の貴重な声に耳を傾けようと聞き返す。
静聴の姿勢を見せたつもりが、姫野はそれを責められていると勘違いしたらしく口を閉ざしてしまった。
目にいっぱいの涙をためた姫野が、ふるふると首を振って否定する。
「じゃあなんで泣くんだよー、なあ姫野」
このやりとりはこの日だけの話ではなく、ここしばらくずっと続いている会話だった。
当時の俺にとっては、最早同じことを繰り返すじゃれあいに近い感覚だったように思う。
姫野にとっては苦痛だったかもしれないが、今それに思い至ったところであとのまつりだ。
俺はそうと知らず、毎日、すこしずつ姫野を追いつめていってしまって。
その日、姫野はそれ以上なにも言い返さず、俺の手を振りきって通学路を駆け出した。
そこが道の真ん中でなければ、俺も倣って追いかけっこを始めていただろう。
でも、そこは見通しの悪い曲がり角で、いつも親や先生にそのあたりを通る時は気を付けなさいと言い聞かされていた場所だったのだ。
「あ! おい姫野! 危ない!」
叫んだのとほとんど同時に、車のクラクションとブレーキの音が聞こえて。
車道に飛び出した姫野の姿が、見えなくなった。
車を運転していた男の人が、数メートル先でとまって車を降り、血相を変えて駆け戻ってきた。
俺も、車にはねられたかもしれない姫野の様子を見るべく同じ現場に走り寄る。
「今、男の子が……き、君か? 君が飛び出してきたんだよな? そうだよな? そして怪我はなかったんだよな?」
「違うよ、おじさん! 姫野は!」
姫野は、どこにもいなかった。
血まみれで倒れてる姿もない。
かといって、すんでのところで助かってしりもちをついている姿も、どこにもなくて。
「いや、確かにブレーキが間に合わなかったはずなのに……ぶつかった衝撃が全然なかったんだ。しかし乗り上げた感触もなかった。俺の……幻覚じゃないよな……?」
「姫野はちゃんと居た! ここに! さっきまで俺と話してたんだ!」
その事故を見た人間は、俺と当事者のおじさん二人だけだった。
俺もおじさんも、確かに姫野の姿を見ていた。
でも姫野の姿はなくて、おじさんが警察に連絡して、姫野がどこかに倒れていないか丸一日探してくれた。
学校にも警察から連絡が入ったらしい。
でも、その話を聞いた担任の先生は青ざめるばかりで、姫野の両親を訪ねに行ったりはしなかった。
姫野は、少し前に両親を亡くしていたんだそうだ。
朝の会――いわゆるホームルーム中に先生の話を聞いていなかったクソガキの俺には、そんなことは寝耳に水だった。
そして、姫野が泣いてばかりになったここしばらく。
ひとりぼっちになった姫野を、親戚の誰が引き取るかで揉めていたんだそうだ。
親代わりとして迎え入れるのではなく、厄介者を押しつけあうように。
あいつにとって、悲しいことなんていくらでもあった。
子供の俺には想像もつかないくらいの悲しいことを抱えて、ほんとは引きこもって毎日泣いててもおかしくないのに、学校に来て、まじめに勉強して帰っていた。
あの日が、俺が特別だったんじゃなくて……。
俺はその時、最悪のかたちで、たぶん人生ではじめて「罪悪感」というものを知った。
次の日から、姫野は学校に来なくなった。
事故は起こらなかったこととして処理され、「飛び出してきたはずの小学生」はおじさんの見間違い、という扱いになってしまった。
姫野が無事だったならそれでいい。
さすがに何日も家に帰らないことはないだろうから、きっと姫野の家を訪ねれば会えるだろう。
謝らなきゃ。少なくとも、俺がふざけてつきまとったせいであぶない目に遭わせたのは事実なんだから。
そう思って先生に姫野の住所を聞いたら、姫野の家は「売りに出された」ことになっていた。
姫野の家、あの屋敷は、売られて外国人のものに名義が変わったんだそうだ。
いまいちぴんとこなくて母ちゃんに聞いた。
つまり、姫野がいると思っていた場所にはもう誰も住んでなくて、知らない外国人が一人で住んでるっぽくて。
もやもやしたまま、俺は、父ちゃんの転勤と一緒に別の学校に転校してしまった。
まだ子供だったから。
大人の都合には絶対に逆らえなくて、父ちゃんが引っ越すとなったら俺に拒否権はなかった。
謝らなきゃならない人がいる、と主張したら、手紙でも出せ、と一蹴された。
生きているのかどうかすら、確信が持てない。
引っ越し先で知り合った男友達に、ラノベという小説本が漫画になったやつを借りて読んだ。
「トラックにはねられて、魔物の住む異世界に飛ばされる主人公」という話だ。
子供心ながらぞっとした。
姫野はきっとそこにつれていかれたんだ、と、思いこんだ。
さすがに高校に入る頃にはそれはないって分かってたけど。
それでも、あの日。
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